「櫻の木の下で」 vol.1

深い眠りの淵からゆっくりと氷室の意識が上がってくる。
そんなときは夢を見やすいものだ。
夢を見ながら自分が「夢を見ているのだ」という自覚を持つ状態。

・・・雪・・・だろうか?暗い空から一つ、また一つ密やかに降りてくる。
はらはらと舞い落ちるそれは、雪とも花びらともつかない白いもの。
(もう櫻も咲いているというのに、雪など降るわけがない・・・)
そう考えながら氷室は夢の中の空間をゆっくりと歩いていた。

遠くに何かがぼんやりと見える。・・・人影?・・・
その瞬間、氷室はその人影の傍らにたたずんでいた。少女がしゃがみこんでいる。
上を見上げれば、天を覆うような巨大な枝垂れ櫻の古木。
無数に伸びた枝は氷室と少女を包むように垂れ下がり、さながら櫻の檻のようだった。
顔を押さえて、泣いているように見えるその少女に声をかけようとしたその刹那、
少女はゆっくりと振り返り・・・

ここで現実に氷室の目が覚めた。
時計を見ると午前四時少し過ぎ、部屋はまだ薄暗い。
(今日は入学式だというのに、おかしな夢を見たものだ。)
・・・それにしても妙に静かだ。
軽い違和感を覚えて窓辺に寄り、一気にカーテンを引く。
驚いたことに街全体がうっすらと雪で覆われていた。おそらく夜の間に降ったのだろう。
空の端が明るく白みかけていたが、雪はやんでいた。

いつもより手早く身支度を整える。
軽くトーストしただけのライ麦パンとコーヒーだけで朝食を済ませ、かなり早めに家を出た。

普段よりも一時間以上も早く学園に着くと、氷室は何とはなしに校庭に向かう。
今朝の自分の夢に出てきたあの古木。あれはきっと・・・

校庭をぐるりと取り囲む様に植えられたソメイヨシノから少し離れたところに、
圧倒的な存在感でその枝垂れ櫻の古木は立っている。
「滝櫻」・・・学園創立より遙か以前から存在するというその姿は、
教会と並ぶはばたき学園のシンボルだった。

(・・・?・・・)うっすらと校庭を覆う雪の上を足跡が残っている。
その足跡は滝櫻へと続いているようで、氷室はドキリとする。
(まさか?)と思う気持ちと(あれは夢にすぎない・・)と否定する気持ちが交互に去来し、
自然と歩みが早まった。そして、少女は確かに存在していた。

滝櫻の幹にそっと手を添えて、空を見ている。
「ここで、何をしている?」思い切って声をかけた自分の胸の鼓動が、早まるのを感じる。
ゆっくりと振り向いたその顔は、夢の中の少女と同じだろうか?・・・思い出せない。

月の光を宿したような穏やかな瞳が印象的だった。
「櫻が雪をまとっているなんて、滅多に見れないので少し早めに家を出て・・・」
氷室の登場に驚いたように、おずおずと彼女が答える。
「見かけない顔だが、新入生か?」
「はい、高等部一年に編入予定です。」
(確かに編入生が何人かいたはずだ。私のクラスにもひとり・・・)

氷室は彼女に名前を問おうとはしなかった。
なぜか彼女とは再び会うことが決定づけられているような気がしたから。

「はくしょん!」と小さく彼女がくしゃみをする。
「確かに雪をまとった櫻は美しく、滅多に見られるものではないが風邪を引いてしまっては
元も子もないだろう。入学式が始まるまで私の数学準備室で休んでいなさい。」
「あの、あなたは?」
「この学園の教師、氷室 零一だ。」
彼女は返事の代わりに立て続けに二三度くしゃみをする。
「まったく、しょうがないな。」氷室は苦笑して自分の上着を彼女に羽織らせた。
「すっ、すみません。でも大丈夫です、だから上着なんて・・・」
「気にする必要はない。」

数学準備室につくと氷室は彼女に一杯の紅茶を差し出した。
「飲みなさい、体が暖まる。」
氷室は自分の口調が思いの外、柔らかいことに驚いた。
(アンドロイドだの鬼だのといわれている私のこんな姿を生徒達が見たら・・・)
思わずふっと微笑みが漏れる。
「どうか、しました?」「いや、何でもない。」

それから少しの間とりとめもない話をしていると、程なく入学式の時間が近づいてきた。
「ありがとうございました、これ。」彼女が氷室の上着を差し出した。
「それでは、な。」「はい!失礼します。」


びっくりしたような瞳で氷室を見つめ、ネクタイが曲がっているのにも気づかない彼女に
再会するのはこれから約、一時間後のこと・・・。

fin.

(あとがき)
運命的な恋に落ちる二人だから(←勝手に決定。)印象深い出逢いをして欲しくって・・・
書き上げてみたらこんなことに〜(泣)
入学式の日に雪が降ったのもホント。(大学の時、都内でした。)滝櫻という古木があるのもホント。
でも後は全部私の妄想〜♪