『春雷』
柔らかな雨が降っている
雪解けを待っていた木々達を愛おしむように
雨音に包まれた静かな部屋
まどろむように流れる時間
私はあなたの背にもたれて
ぬくもりを感じながら本のページを繰る
幸せな沈黙
ふと視線を上げて時計に目をやったとき
いつものようにあなたが振り向き
私の体をすとんと抱きとめた
『もうこんな時間か』
『…はい…』
『送っていこう』
いつものように私に告げる
(…いやです…)
そう言ったらどんな顔をするのだろうか
駄々をこねる子供をたしなめるように言い諭すのだろうか
寂しさで少し切なくなった私の体の芯は震えていた
『…どうした?』
背中から優しく私を抱き、低く問う声
耳元に触れる吐息が甘いしびれを誘う
(…帰りたくないんです…)
喉元までせり上がる言葉を飲み込んでゆらゆらと頭を振る
私を抱く腕を取り、そっと手の甲にキスをした
『帰ります、ね?』
返事が返ってこない
『…ね?』
振り返った私の瞳に映ったのは
哀しそうなあなたの微笑み
静かな雨音に混じって微かにとどろく雷鳴
春の始まりを告げる空の使者
『雷が遠くに行くまで…ここにいなさい』
初めてだ
あなたが私を引き留めてくれた
それだけのことがこの上もなく嬉しくて
小さく返事をした私は
あなたの胸にコトリ、ともたれる
春雷が遠ざかるのを感じながら
私たちの幸福な明日を思いながら
Fin.