『月の宴』
京都・高雄の神護寺に向かう参道は左右から鮮やかに色づいた枝が降りかかり、
さながら紅葉のトンネルのようだ。
彼女は私の上着の端を握りしめ、時々立ち止まりあたりの見事な枝に目をとめる。
振り向く私と視線が合うと、この上もなく嬉しそうに微笑む。
彼女の「もう一度先生と一緒に京都に行きたい。」というたっての願いで
卒業後初めて泊まりがけの旅行に出かけたのだった。
「どうした、疲れたか?」
「いえ、修学旅行の時は来ませんでしたよね、ここ。」
「ああ、コースには入っていなかったが紅葉の時期、私が最も気に入っている場所の一つなので、
是非君に見せたいと思ったのだが。」
「凄くきれいです!月並みな言葉しか出てこないけど、山全体が静かに燃えているみたい。」
「もう少しで寺に着く。足は痛まないか?」
「ハイ!大丈夫です。」
彼女は元気よく答えると、再び私の上着の端を握って歩き始めた。
在学中に行った初詣の雑踏の中で、はぐれないように私が言ったのが始まりだったが、
お互いの気持ちを確認しあい、恋人と呼べるような仲になっても彼女はこのクセが抜けない。
大きな子供を連れ歩いているようで思わず苦笑する。
「全く君は・・・私たちはその、これぐらいしてもいいと思うのだが?」
こう言って細い彼女の肩を抱くように腕を回して歩き出すと、彼女の頬は
廻りの紅葉と同化したようにみるみる赤く染まった。
「ダメです。恥ずかしくて足がもつれちゃう・・。」
小さくつぶやく彼女がとても愛しい。
やがて石段を登り切ると山門に着いた。
この境内の西端にある地蔵院横からの錦雲渓の眺めは一段と素晴らしい。
木々は燃えるような紅い衣を身に纏い、深まりゆく秋の訪れを告げる。
美しいものを自分の愛する人と一緒に眺め、時間を共有する。それが私にとってどれほどの
喜びであるか、君は知っているだろうか?
しばらくの間、言葉もなく景色を眺めていたが風が少し冷たくなってきたのを機に
京都の街に戻ることにした。街へ戻る車の中で彼女は軽い寝息を立て始めた。
今朝、新幹線に乗り込むときから緊張した面持ちだったから疲れたのだろう。
彼女の寝顔を初めて見たのはそう、放課後の補習の時だったか・・。
あの頃のあどけなかった印象から少しずつ大人びた表情に変わってきた私の恋人。
君が私に微笑むとき、どれほど私の心が高揚するか君は知らない。
やがて車は新京極、寺町あたりを過ぎ麩屋町通りへと入っていった。
町のざわめきはさほど感じられず、いにしえの匂いが立ち込めるような
しっとりとした通りの一角に今夜の宿はある。
昔、私が幼かった頃、不在がちであった両親と
毎年と言っていいほど正月に訪れた思い出深い宿。
彼女と初めて旅行するときは必ずここに連れてこようと心に決めていた場所だったので、
彼女がもう一度京都に行きたいと言い出したときは、内心とても嬉しかった。
君を揺り起こし、ほのかに灯りがともされた宿の入り口に入る。
打ち水をした敷石を踏み玄関に立つと、
顔見知りの出迎えの男衆が現れて私たちを客室へと案内してくれた。
見事な枝振りの紅葉を活けてある坪庭を脇に見て奥の階段を上り、突き当たりの部屋。
部屋は「招月」と銘打たれている。
ほのかに香るゆかしい香に彼女は少しリラックスしたのか、ほっと息をついた。
「とても落ち着ける静かなところですね。ありがとうございます、連れてきて頂いて。」
「いや、昔から家族で良く訪れていた宿なんだ。君が喜んでくれて私も嬉しい。」
夕食は京都の旬の食材を使った先付から吸物、向付に始まり
強肴、御飯、香の物にいたる秋らしい献立だった。
彼女はとてもおいしそうに、時々料理を運んでくれる客室係の女性に
食材名や調理法などを尋ねながら食べている。
私はそんな彼女を、飲んでいる冷酒の軽い酔いも手伝ってうっとりと眺めた。
教師と生徒という関係上、決して実ることのない恋だと封印すらしようとしていた。
自分の想いを卒業式の日に、彼女が受け止めてくれたとき、
私は硬質で無色な私を覆うガラスの檻が砕け散り、
明るく暖かな彩りに満ちた世界が開けたような感動を覚えたものだ。
夕食のあと入浴をすませた彼女は、きちんと整えられた夜具のうえに
ちょこんと座って私を待っていた。
肩過ぎまで伸びた髪をまとめ上げたせいで見えるほのかに白いうなじが、
灯りを落とした部屋の中で際だって目を引いた。
「零一さん?」
振り返った拍子に彼女の髪がはらり、とほどけた。
広くとられた窓から差し込む冴え冴えとした月光が彼女に映えて、切ないほど美しい。
思わず抱き寄せた彼女の体はいつにもまして細く、頼りなげで愛しさが募る。
(震えているのは、彼女か・・それとも私か・・・)
「どうした、寒いか?・・・」
「いいえ、でも、少し・・・怖い。」
「怖い?・・私がか?」
「いいえ、こんなに幸せでホントにいいのかなあって。先生に片想いしてたあの頃が夢みたいで
この現実が消えてしまったらどうしようって・・・」
「私は消えたりしない。君の手を離したりしない。だから安心して休みなさい。
君が眠るまで、私は君を抱いているから・・・。」
彼女はこっくりと頷くと、安心したように目を閉じた。
私はそっと彼女の額に、頬に、そして花びらのような唇に口付ける。
今はまだこれ以上何も望まない。腕の中のこのぬくもりが全て。
月明かりの下で愛しい君の髪をゆるゆると撫でているうちに、
私の意識もやがて夜の闇に熔けるように眠りの淵に沈んでいった。
fin.