漢たちの名台詞
読みながら原作を思い出してみてください。

「ぬかせ慎之助!! ならば地獄の鬼どもに傾いてみせよ!!」
 死にゆく松田慎之助に慶次が言った台詞。「こっちで駄目なら、向こうで派手にやればいいじゃないか」と、死を超越した言葉である。(第一巻 うなる野獣の剣の巻)


「その傷がいい。これこそ生涯をかけ殿を守り通した、忠義の甲冑ではござらんか!!」
  秀吉の甲冑を壊してしたまった村井若水。切腹に追い込まれた若水だが、慶次のこの台詞によって免れた。傷だらけな若水の姿こそ、前田利家を命懸けで守ってきた証であると説いた。(第一巻 忠義の傷の巻)


「だがいくさ人ゆえ、戦場で果て申すとな!!」
  猿を「秀吉」と言ったため、死罪が決まった慶次。その時主馬に言った台詞。これには慶次が惚れているお松の、「末森城で籠城戦に追い込まれている奥村助右衛門を救って欲しい」という気持ちに応えるのもであった。(第一巻 男の血潮たぎる!!の巻)


「いつでも逃げれば生きられるというもんじゃない。突き進んだほうが生きのびられる場合もある。それをまちがいなく選べるのが、いくさ人というものだ!!」
  麻雀をやってると、この気持ちが分かる時がある。この局を捨てて安全牌を切るか、勝負と見て手を伸ばすために危険牌を切るか。私は正しい道を選べた時があまりない。(第二巻 死ぬも生きるもの巻)


「今より修羅に入る!!」
  佐々成政が信長の甲冑を着て、敵陣に乗り込んでいく場面の台詞。私も論文発表会の会場に乗り込む際には、この台詞を思い出し、気を引き締めたものである。(第二巻 いくさ人の誓いの巻)


「死組!! 慶次とともに爆死せよ!首をとろうなどと思うな!!」
  加賀忍軍頭領、四井主馬の言葉。死組は死ぬのが仕事なのである。当時の死生観がよく表れている。だがこの作戦が成功したかどうかは…(第三巻 怒りに酔いての巻)


「いくさ人にとって退軍の殿を務めるのはこの上なき名誉。手出しは無用!! この一戦われら主従でつかまつる!!」
  摩利支天の大芝居がバレてしまい、揚げ屋を包囲していた奉行所の連中と戦うことになった。家康が慶次に加勢しようとしたが、慶次はこの台詞でもって加勢を遮った。主従とは慶次と捨丸と飛び加藤。特に捨丸にとってこの台詞は特別な意味をもつ。初めて慶次が自分のことを「家来」と認めてくれた証である。いくさ人にとって、惚れた主人に共に死ねと言われること程嬉しいことはない。「こんな男と一緒に死ねるのか!!」捨丸は死を忘れ、この台詞に酔っていた。(第四巻 傾奇千人斬りの巻)


「岩熊よ。 押し売りの口上あっぱれである!! 奇染屋の染め物、この水沢隆広 切腹の折りの敷物としたす。」
  この場面、私は好きである。偏屈染物屋の岩熊が、商売人の意地を見せて水沢隆広に押し売りに来る場面だ。それまでの岩熊は良い印象で描かれてはいなかった。だがこの時を境に印象がガラリと変わる。最高級の染め物でこしらえた南蛮風のマントを押し売りしに来て、値段次第では死んでも構わないと言い出す。隆広は岩熊の意地に上の台詞で応える。自分の切腹時の敷物にすることにしたのだ。これは岩熊への金銭に換えられぬ最高の礼であった。これ以降岩熊の描写は「泣き上戸」になる。(第五巻 幼き後姿の巻)


「傾くなら傾き通せ」
  助右衛門の台詞。慶次は今から秀吉にお目見えする。慶次のことだから、最後まで傾奇者としての意地を通すだろう。それは死を意味する。だからとって止めはしない。慶次は傾奇者として、いくさ人として死を覚悟したのだ。莫逆の友として、してやれることは「最後まで意地を通せ」と後押ししてやることなのだ。(第五巻 傾奇の花道!の巻)


「見事かぶいたものよ!! 大儀であった!!」
  慶次が秀吉にお目見えした場面、秀吉が慶次に言った台詞だ。慶次が傾奇者としての意地を通すことは、秀吉に殺されることを意味していた。ならば慶次は秀吉を殺す覚悟でお目見えに臨んだ。謁見の間は様々な思惑が交錯する。秀吉を殺そうとする慶次。慶次の殺気に気付き「いくさ人」の顔になった秀吉、秀吉殺害の計を知ってる家康、この痴れ者のせいで加賀百万石が取り潰されるかもしれぬ利家。だが最後は天下人秀吉の器の大きさか、この台詞でもって一幕を下ろすことになった。(第六巻 含羞の微笑の巻)


「おまえが惚れた女の墓を、素通りはできないさ」
  岩兵衛の愛した女、お雪(おふうの実母)の墓前の場面。慶次がお雪の墓に手を合わせ、その行為の驚いた岩兵衛に言った台詞。慶次は傾奇者といえど大老前田利家の甥である。そんな男が七霧の女の墓に手を合わすことは、岩兵衛には考えられないことであった。(第八巻 閻魔大王の大芝居の巻)


「喧嘩に身分の上下なし 喧嘩無礼講とまいろう!!」
  公家風の男が岩兵衛と捨丸の容姿をバカにしたことから騒ぎは始まった。喧嘩をするのに上下の身分など関係ない。当時の(慶次の?)喧嘩観が表れている台詞。慶次は周りの者を喧嘩に巻き込ませるために、「直江山城守をタダで殴れるんだぞ!」と兼続をエサにしたが、一般民が一番殴りたかったのは、公家風の男であった。(第八巻 喧嘩無礼講!の巻)


「褌だけはいつもきれいにしておけ」
  どんなボロを着ようが綺羅を飾ろうが、戦場で死ねば身ぐるみはがされ、残るのは褌ひとつ。この言葉はいくさ人としての心意気であり、岩兵衛や捨丸への思いやりが込められていた。褌に関する場面は風呂屋のシーンがある。紫や般若の柄の褌を付けている傾奇者どもにお仕置きをする場面である。「褌は白だ!!」というのがいくさ人としての条件なのだろう。(第八巻 喧嘩無礼講!の巻)


「お主も戦国の世の最後に咲く徒花か!!」
 この台詞の解釈が一番難しい。私の考えが間違ってるかもしれないので、「俺はこう思う」というのがあれば参考にしたい。聚楽第の能舞台上での台詞。慶次が風魔小太郎に言ったものである。「徒花(あだばな)」とは実を結ばない花のこと。では「実を結ばない」とはどういうことか。「死場所を見つけられない=生き恥を曝している」ことと私は考える。慶次は小太郎の言動から、「こいつも自分と同じか…」と感じ取ったのではないだろうか。(第八巻 戦国の徒花の巻)


「金で動かぬものは、はみだし者さ。(中略)そんな時代だ。お主のような男がいなくなれば、俺も寂しい」
  聚楽第の金蔵の場面。慶次が小太郎に言った台詞である。この時期は秀吉が天下人になって、いくさが無くなってしまった時である。いくさ人は仕事場(と同時に死場所)が無くなってしまった。「力」ではなく「金」の時代。お互い時代の流れに乗り遅れた、乗るのを拒絶した者同士だから、この台詞に共感できたのであろう。(第九巻 訣別の盃の巻)


「そろそろ始めたらどうだ」
  隣に座っている奥村助右衛門への台詞。助右衛門は旧知の仲だ。慶次が「始めろ」と促していることは「慶次を斬ること」である。何にせよ理は助右衛門にある。そうでなければ助右衛門は慶次を斬ろうとしない。だから、斬られてやればいいのである。見も知らぬ他人ではなく莫逆の友に斬られることの方が、慶次にとっては満足なのであった。(第九巻 莫逆の友ゆえにの巻)


「その馬印に我らも上杉も皆続く。お主に上杉の総ての男達がつき従うのだ!」
  次々に門を破り突き進む鬼の蛮頭。だが胸に槍の一刺しを食らってしまったら、かつてイジメられていた大虎の時のように弱気になってしまった。「ここで死んでは、またあの世で兄上に迷惑かけることになるぞ」と思わせるためか、慶次は上の台詞と一緒に馬印を手渡した。自分を目印に何千もの兵がつき従う。今でいう「おいしい役」である。弱気なままでいるはずがない。蛮頭は鬼神になり慶次の後を突き進む。一騎駆けする慶次の姿を、蛮頭は兄の姿に重ねていた。「兄と一緒にいくさ場を駆ける」という蛮頭の夢は、最高の舞台で実現されたのだ。(第十巻 佐渡攻めの章 巻十、不倒の男)


「お…お先に!! 今逝ぐよ、兄上…」
  満身創痍になりながらも馬印を倒さず進み続ける蛮頭。自分の限界を知るや、自分に刺さっている槍を足の甲に突き刺し、正に「不倒の男」になった。最後まで否、死してなおいくさ場で自分の役目を勤め上げれることは、いくさ人冥利につきるのではないだろうか。慶次も死に逝く蛮頭に悲しい表情はせず、ただ「また会おう」と言っただけ。「良い死に方が出来たんだ。悲しむ必要がどこにある」という思いだろうか。それとも「これで胸張って、兄上に会えるな」という思いだろうか。(第十巻 佐渡攻めの章 巻十、不倒の男)


「殺すもまた情けと知れ! 死すべき時死ねぬは辛き事よ」
  下の台詞と対にして見てもらいたい。「死すべき時に死ねた奴」への台詞である。河原田城戦は籠城戦になり、城には火が放たれた。中には子どもを人質にとった兵部のみ。兵部は坂田雪之丞に自分の首を手柄にしろと言った。死を覚悟したのである。兵部はいくさ人として潔い死を望んでいた。どうせ獲られる首なら、キレイなまま獲って欲しかったのだ。慶次のこの台詞には、同じいくさ人として兵部の思いを解したことを意味していた。(第十巻 佐渡攻めの章 巻十一、最後の漢)


「男が死すべき場所を誤るは、あわれなものよ…」
  この台詞は上の台詞と対になっている。上は「死すべき時に死ねた奴」への、これは「死ねなかった奴」への台詞である。この時代のいくさ人は、「死に場所を探している者」のような輩である。その時をどのような舞台にしようか模索しているのである。妻子ともに磔にされ、その苦痛の様をイヤという程味わわされて死んでいく姿は、いくさ人の慶次にはこのように思えたのであろう。(第十巻 佐渡攻めの章 巻十三、血の鉄拳)


「疑って安全を保つより、信じて裏切られた方が良い」
  慶次・岩兵衛・捨丸・骨が焚き火の周りで酒を酌み交わす場面。慶次に毒を盛った疑いのある骨。「私をお斬りになりますか?」と骨が問いかけた際の慶次の台詞である。骨を含めた忍は、こういう台詞に弱い。忍は人を信じぬものである。だから自分に度を越えるほど親しくする人種には驚きを隠せないのだ。同時またこの台詞は、常時危険に身を曝していることを生き甲斐とする「傾奇者」の生き様を表している。(第十巻 佐渡攻めの章 最終巻、賽の河原和讃)


「馬も人間もあるか!! 惚れちまったら負けなんだよ!!」
  真田幸村が松風に「乗せてくれ」と頼み込んでいる場面の台詞。当時の馬とは「武士の草鞋」なのである。草鞋に頭を下げることは考えられない行為であった。「馬に頭を下げる」場面は本編通して三回ある。上記の場面、慶次が松風に「乗せてくれ」と頼む場面、後藤又兵衛が子どもを殺してしまって松風に誤る場面。三回とも松風絡み。あの勇姿なら誰でも頭下げたくなるかも…(第十一巻 熱風!小田原陣の章 巻二、傷の痛み)


「いつまで奴隷根性なんだ! おまえは人なんだぞ!! 俺はな!!自分が助かるためにお前を道具なんかにゃしねえ!!」
  一本気大将の幸村らしき台詞。幸村が捨丸に言ったものだが、と同時に自分への自戒訓ようにも思える。幸村も人質であった。次から次へと人質のハシゴをする人生なのである。真田家存続の道具と思われても仕方がない。だから人を物扱いする連中を許せなかったのだろう。捨丸も例外ではない。(第十一巻 熱風!小田原陣の章 巻三、一本気大将)


「結ばれるばかりが恋じゃないさ。耐えに耐え忍ぶも恋の至極。待てばいいさ。この恋が、哀れみや情けではないと互いに素直に思える日まで…」
  この台詞の経緯を説明すると長くなってしまう。それは野暮というもの。説明は不用。心に響く名台詞である。(第十一巻 熱風!小田原陣の章 巻七、戦国の女)


「ならば拳で語るまでよ!! 拳こそ言葉だ!!」
  秀吉の使者として奥州伊達家に来た慶次。広間で慶次と対面した正宗は、慶次が先刻の花見の席上で、自分を殴った男と知る。なかなか名を名乗らない正宗に、慶次が再度ぶん殴った時に言った台詞がこれである。実際に私はこのような拳語りをやったことはないが、何故かこの気持ちが分かる気がする。プロレスの試合、序盤はチョップ等の打撃技が中心になる。これは「今日はどんな調子なんだろう」「やれるもんなら、やり返してみろ!」と打撃で会話をしているそうである。(第十二巻 熱風!小田原陣の章 巻十八、拳の熱さ)


「百万石の酒ぞ」
  秀吉に「百万石で家来になれ」と言われ、「そんなもんはいらんから一杯くれ」と断った慶次に対し、秀吉が言った台詞。百万石とはおよそ二五〇〇億円。「金に縛られ窮屈になるより、その日暮らせればいい」。慶次の価値観を垣間見る一場面。ちなみに私も大学院生時代に友人と飲んで酌をする際、二回に一回はこの台詞を口にしていた。(第十三巻 熱風!小田原陣の章 巻二十三、百万石の酒)


「病になんか殺されてたまるか。生は人のためにあるやもしれぬが、されど死こそは己れだけのもの。なにものにも邪魔されてたまるか…そうだろう…与四郎…」
  「芸人は舞台の上で死ぬんや」という芸人魂に通じるものがある。自分の死に方は自分で決める。自分が末期ガンになった時、こう思うことができるだろうか。(第十四巻 南海にかかる虹!琉球の章 巻七、自由の海へ)


「腕の一本ってところだろ」
  いくさ人は戦う前からすでに「死人」になっている。死んでいる人間が「腕一本」を惜しむはずがない。これぞいくさ人の心意気。(第十四巻 南海にかかる虹!琉球の章 巻十二、カルロスの狙い)


「ガンジュウソーキヨー!!(元気でやれよ)」
  海の男が愛する海で死を迎えようとしている。自分が望んでいた死に方ができるのである。悲しい言葉などいらない。最後に傾いたその姿を見て、慶次が言った台詞である。その返答は、まるで「ああ…お前もな」と言わんばかり微笑みだった。(第十四巻 南海にかかる虹!琉球の章 巻十四、ルソンの壺)

 ※「おや、あの台詞がないのでは?」とお思いであろうが…ご了承を。





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