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「第壱回 歴史人物を覚える方法」
「SMAP」の名前はすべて暗記できるのに、同じ5人の「五大老」はなぜ覚えられないのか。数年前の小学生が燃えた「ポケモン」は100種類以上いるそうだが、日本の歴代天皇もそのくらいの数である。なぜ覚えられないか。「木村拓哉ってどんな人?」と聞かれると、頭の中に「キムタク」の顔が浮かんでくる。「豊臣秀吉ってどんな人?」と聞かれると教科書の写真や、「花の慶次」に出てきた秀吉像などを思い浮かべるのでは(私は竹中直人に直結する)。それなら「藤原頼通ってどんな人?」と聞かれると、どうだろうか。頼通は高校入試でもセンター試験でも出る有名な人物である。すぐに「平等院鳳凰堂を建てた人」とは出てきただろうか。そこに直結できないのは、上記の例からお分かりだろうが、「頼通」をヴィジュアルに捉えていないからである。顔を知らないのだ。「名前→事項」と覚えていく過程に顔を挟んでやれば、「モー娘。」のメンバーを覚えるように歴史人物を覚えていく支援になるのではないだろうか。だが「頼通の顔の絵など現存してない」と反論が来るであろう。そんなもん原哲夫か横山光輝に描かせればいいのである。マンガで結構。「覚えたもん勝ち」である。ちなみに「小野妹子(小学校で必修の名)」の像は思い浮かぶであろうか。長い髪?それとも豊満な胸?すべて間違い。小野妹子は男である。 |
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「第弐回 実写版ドラゴンボールを待てない人へ」
実写版の「ドラゴンボール」がハリウッドで制作されている。日本の漫画が映画の聖地で認められたことは、日本人として嬉しいことである。完成が待ち遠しい。だが…中国には「これぞ実写版ドラゴンボール」と私を唸らせた映画がすでに10年も前に完成されていた。人は空を跳び、地面を捲り上げ、家の屋根を引っこ抜く。香港名物「ワイヤーアクション」満載。その映画の名は「スウォーズマン 女神伝説の章」。大きいレンタルビデオ店でないと無いかもしれない。ブリジット・リン演じる「東方不敗」を倒すべく、立ち上がった崋山派の剣士たち。あのジェット・リーまで出演しており、映画の後半はもう何でもアリの内容である。現地声優さんの「うさんくさい日本語」が聴けるので、字幕スーパーで観ることをお勧めする。本作品はシリーズの2作目に当たり、「スウォーズマン(1作目)」・「スウォーズマン 女神復活の章(3作目)」と類似品が存在するので御注意を。 |
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「第参回 弁士」
コロッケや清水アキラなど「ものまね」を武器に芸能界をのし上がっていった人は数多い。では日本で初めてものまねを「芸」として披露したのは誰であろうか?それは「弁士」という職業の人たちである。聞き慣れない職業であるのもそのはず。昭和初期、無声映画からトーキー映画への転換期に彼らは職を失ったのである。当時日本の映画は「無声」映画で、映画館では映像だけを流し、弁士がその描写や台詞を「生」で吹き込んでいたのである。声優の生収録と換言できるだろうか。その時、映画の前節や合間に余興として「声帯模写」、つまり「ものまね」をしていたのである。アメリカからトーキー映画(音声が出る映画)が入ってくるや、彼らの出番はなくなり、映画のBGMを担当していた「楽士」たちも含めて「首切り反対運動」を展開したのは当然の流れであったろう。結果はご承知の通り「弁士・楽士」ともにこの世から消えてしまった。機械化の流れは便利であり恩恵を被っているので文句は言えないものである。しかし周りを見てもらいたい。今は「デジタル」という波にドップリ浸かってしまっている。この波にのまれる次なる「弁士」はどの職業だろうか。 |
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「第四回 完全給食」
この内容は『ゴーマニズム宣言』の受け売りになるが、学校に携わっている人間として触れておきたいものだったので載せることにした。
「完全給食」。その内容は「パン(これに準ずる小麦粉食品等を含む)・ミルク・おかず」である。「米」がないのだ。おかしいとお思いだろう。これは昭和30年前後の話である。だが当時成立したばかりの「学校給食法」の施行規則には上記のことが書かれてあった。何故米がないのかというと、学校給食法が成立する切っ掛けになったものに、アメリカの「農業貿易促進援助法」というのが出来たからである。この法律、実は露骨に「余剰農産物処理法」と呼ばれていた。余剰生産物とは何か。それは「脱脂粉乳」と「小麦」である。脱脂粉乳とは牛乳からバターとクリームを分離させたその残りカスのことである。これは湿気を帯びやすく、在庫品は品質が落ちるため、家畜の餌にしかならない。つまり「アメリカで売れ残った家畜の餌」を当時の日本の子どもたちは飲んでいたのである。小麦も大脳生理学の権威と言われ、アメリカナイズされてしまった馬鹿な日本人学者が「米を食べるとバカになる」と言ったため、小麦の輸入に拍車が掛かってしまった。こうした流れがあり、当時の完全給食の献立が「家畜が喰いきれなくなった餌」のミルク、パンになったのである。
現在では「米の優秀さ」が世界中に知れ渡っている。「米食はバカ」と論じた説は何処に行っちゃったのか。 |
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「第伍回 淘汰」
何が淘汰されるって「手作り弁当」がそうなりそうなのである。子どもの時は月に1度のこの日が楽しかったような気がしてたが、今はこの日を嫌っている子や親が多い。理由は職務上あまり言いたくないので、ご想像におまかせしよう。
私たちが子どものころあったのに、もう無くなってしまったものがまだある。それは「乾布摩擦」である。語呂といい字体といい、何故か「右」っぽく感じてしまう。くそ寒い休み時間に、上半身裸になって乾いたタオルで体を擦るのだが、当時は「風邪を引かない、強い体づくりの一環」というような名目でやっていたような。いつからかは知らないが、もうやっていない。「無くなって悲しい」という感情は涌かない。それよりも「じゃあ、やってた俺らは何なんだ?」という気持ちが強い。
次に無くなってしまうものは何だろうか。給食か、修学旅行か、それとも… |
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「第六回 自殺の歯止め役」
「東尋坊」と聞くと「自殺の名所」という肩書きを連想してしまう。家から車で10分の距離にあるのであまり有り難みもなく、また悩みも無かったので訪れる機会も殆どなかったのだが、昨年大学時代の友人が福井に訪れた際に、「ここを見ずして云々…」ということで友人と行ってみることになった。
話かわって1月10日の福井新聞。東尋坊に設置した「あるモノ」が自殺者の数を減らしたのに一役買い、昨年度の自殺者は24人になった(この数字は過去5年間で最小)。私も友人と訪れた時、それを見て納得してしまった。それは「救いの電話」という名の電話ボックスである。「ここからもう1度、家族に電話をかけてみませんか?」確かこういう文言が書いてあった気がする。ここから電話したことで思い留まった人は、昨年だけで13人いたそうである。自殺を防いだのは、柵でも立て看板でもなく、「知人の声」だったのだ。 |
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「第七回 ボブ・サップから見るアメプロ」
「THE BEAST」のニックネームで知られるボブ・サップ。昨年いきなり現れたこの野獣は、ホースト・ムタ・高山と次々に平らげ、もはや小学生からお婆ちゃんまで名を知ってる存在になった。あのオーバーアクションは一度見たら忘れられない。だが彼がワシントン大学の薬学部卒という経歴は、どれくらいの人が知っているだろうか?実は学士でありインテリなのである。カメラの前での「野獣ぶり」は計算尽くで、つまりエンターテイナーなのである。これがアメリカン・プロレスの姿なのだ。
アメプロでは試合の勝敗・内容などは二の次。では何が大事か?「いかに客の心を掴むか」なのである。そのためプロモーターは詳細にスクリプトを組む。一人のレスラーのファイトスタイルから、そのレスラーの家族構成・恋人・レスラーになった理由・遺産問題・父親の入院費に至るまですべて作り上げ、リングの上で人間模様を披露していく。客に受けることをトコトンやるのだ。テレビ中継の際は「どの位置でカメラがまわっているのか、全て把握しておけ!」とレスラーは指示されるほどである。派手な技は見られないが、コテコテの演技を見たい方に、アメプロをお勧めする。 |
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「第八回 検非違使」
まず「検非違使が何か?」という質問より、「これを読めるか?」という質問をすべきだろうか。「けびいし」を読む。高校日本史必修の語句ある。というわけで高校日本史教科書の定番「山川出版社」の「日本史用語集」を引いてみる。
検非違使 : 9世紀初め、嵯峨天皇が設置した令外官の1つ。京中の治安維持に当たる。やがて弾正台・五衛府・刑部省・京職の職務を執り、都の刑事裁判権を司る要職になった。
京には警察の役目をするものがなかった。当時には「争いごとを起こさないようにするには、争いごとに関するもの、携わるものを排除する」というような考え方があった。その対象が武士などである。もし世の中に警察が無かったら…いかに私が学校の先生であっても、何か良からぬことをやってしまそうな気になる。案の定、当時の京は治安が荒れに荒れた。それに見かねて設置したのが「令外官(りょうげのかん)」の検非違使なのである。「令外官」とは何か?これは「争いごとは嫌だが、治安が荒れるのも嫌だ。仕方ないから法律の枠には入れないが、警察を置いておこう」という苦肉の策のものである。法律には入れてやらないが、警察の役目をしてもらうモノ…現代でもこれとそっくりなモノがある。「自衛隊」だ。 |
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「第九回 天才の歩んできた道 其の壱」
本名は志村康徳。昭和25年2月20日東京都東村山市出身。イザワオフィス所属。
昭和43年3月2日、いかりや長介本人に直接、弟子入りを交渉する。
昭和44年、「8時だよ!! 全員集合」がスタートしたこの年、一年間脱走する。
昭和45年、加藤茶の仲介でドリフの付き人に復帰。
昭和48年12月8日、猿のマスクを付けていたため顔を出なかったが、全員集合で初出演。
昭和49年、正式にドリフターズのメンバーになる。
昭和50年、体を張ったコントも受けず、苦悩の日々がつづく。
昭和51年3月6日、東村山音頭を披露。これが大ブレイクし、これ以降それまで何をやっても受けなかったのが嘘のように、次から次へとネタが当たる。
昭和56年2月15日、競馬のノミ行為の客として捕まり1ヶ月間の謹慎になる。中本工事との謹慎処分で全員集合の視聴率が10%アップした。加藤茶の「帰ってこいよ〜」のネタが大ヒット。復帰後も加藤茶の「馬は?」の問いかけに「辞めました」「してません」と返すネタも流行。
全員集合は終了したが、バカ殿は今でも健在。これだけブレイクしても、肩書きは「コメディアン」としか書かない。お笑い一筋の天才、志村けんの歩んできた道である。 |
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「第拾回 成人式」
「目が合ったから」という理由でケンカ。今年の成人式で起きた「児戯」の1つである。毎年のように繰り返されることなのであまり驚かない。「今日で大人に成りましたという日に、何故子どもじみたことをするのか」という疑問も毎年恒例である。で、その対策はというとディズニーランドにUSJ。上記の疑問を復唱しなきゃいけないか。私も何年か前に成人式をした。主催者は「町」である。かつて10代の時にグレてしまった奴も出席していたが、問題一つ起きなかった。淡々と進み呆気なく終わったという印象である。出席者は150人ぐらいであろう。
問題が起きる最たる理由は、出席人数にあると思う。何故主催を「市」単位でやるのだろうか。5000人近い人が晴れ着で、生涯一度の場所に集うテンションは、下手なライブよりも手が付けられないものである。それに一種の同窓会の要素も含んでいる。そんな中で何処の馬の骨とも分からないオヤジの説教じみた話を聞いていられるはずがないではないか。だが「町」ではどうだろう。出席者の人数は少なく、アホな行為はすぐ町中に広がる。そして説教たれるオヤジは昔から知ってる人であったりする。こういう人の説教なら、少しは有り難みをもって聞けるのではないだろうか。問題を起こした会場を見てみるといい。殆どが大会場である。 |
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