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掟破り
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他人の食器を使用することを日本人は嫌う。たとえそれが産みの親のものであっても「汚い」と思ってしまうのだ。「茶椀と穢れ」のところで触れたが、「他人の食器を使用する」「他人の膳に進入する」ことはタブーとされている。ではそのタブーを破ってしまったらどうなるだろうか。以下で二つの例をみてみることにする。
『今昔物語集』
一つ目は「今昔物語集」(1)からである。申し訳ないが原文は割愛させてもらう。片仮名の送りがなが入った文なので、書くのが面倒なのだ。
「今昔物語集 巻第二十八 第三十四」の内容は次の通りである。筑前国藤原章家の家に仕える頼方という侍がいた。他の侍も含めた食事があり、主(章家)の残り物が、順次下位の者に下ろし分けられてきた。普通「下ろし」と呼ばれるこのような場合は自分の器に移して食べるのが常識であったが、頼方の番が来ると、頼方は自分の器にまだ食べ物が残っていたので、思わず主の器から直接食べてしまった。さらにそれに気づき慌てた頼方は、口に入れた物をその主の器に吐き出してしまったのである。
頼方の「主人の食器を使用する」というタブー破りが記述されている。その結果頼方はひんしゅくをかい、他の侍からの笑い物にされ、さらに侍としての評判も劣り、「慌て者」の名を取ってしまったのである。
『荒 暦』
二つ目は「荒暦」(2)の一節からである。
「去年二十八日、室町殿、伏見殿に参ぜしめ給う。事儀快然、盃数巡の後、法皇、室町殿の盃を取りてこれを聞こし食さる。以ての外に所存を申さるると雖も、會つて以て御承引なし。(中略) 今日の儀に於いては、是非に及ばず、此の怒まりは、必ず重ねて参じ申すべきの由を申さる。随いて、翌日、十万疋を進らされおはんぬ。希代の御高運なりと云々。一盃を以て千貫に代ふ。誠に以て珍重。 (後略)
応永三(一三九六)年四月、足利義満は崇光上皇のもとを訪ねて酒宴をかわした。宴がたけなわになった時、崇光上皇が義満の前に置いてあった盃を取り上げ、飲み干そうとしたのである。そして狼狽した義満の度重なる固辞にもかかわらず、上皇はその盃を飲んでしまったのである。
ここにも「義満の盃を飲んだ」というタブー破りがみえる。当時義満はすでに権力者であったが、位となると崇光上皇の方が上になる。「荒暦」の説話が「今昔物語集」のそれと違う点は、「荒暦」は上の者が下の者の器が使用したこと、そして故意に使用したという点である。筧雅博氏はこの行為について、崇光上皇が自分の子息である栄仁親王を即位させることを狙ったものと解釈している(3)。故意に義満の盃を使用することで、強引に関係を築き、自分の子息の将来を義満に託そうとしたのではないかと考えられるのである。しかしこの上皇の意向は義満に伝わることはなく、その代わりに上皇は十万疋を手に入れることになり、「一盃を以て千貫に代ふ」という行為を、当時の人は「希代の御高運」と称したのである。
-考 察-
『今昔物語集』の例はタブー破りそのものである。そこからは嫌悪感しか生まれてこない。『荒暦』の例は「故意のタブー破り」と呼べるものである。そこから生じるのは嫌悪感ではなく、全く別の感覚である。以下の「慶長一揆」の例は、そのことをよく表している。
慶長十三(一六〇八)年に山代で慶長一揆が起きた。その際、農民たちは一揆を起こす前に「一味神水」という儀式を行っていた。これは当時この地方の作法であり、一揆の起請文を二枚作成し、一枚には一人一人が血判を押していく。もう一枚は焼いて灰にし、それを水に溶かして神に捧げ、盃に入れて一人ずつ廻し飲みをしていくものである。これを行うことで、いかなることがあっても仲間を裏切ることなく、運命をともにする一味同心を誓うのである。つまり本来ならば各自を使う食器を故意に共用にすることによって、使用者同士が連帯感を確認し、強めるはたらきにかわってしまうのである。
上記の他にその例を挙げると、茶道の薄茶の点前では一つの茶碗を使うと、洗って別の人に供し、またお濃茶の場合では、四〜五人分用の茶を入れた一つの茶碗を次々廻し飲みする。最近の例では一つの盃で酒を飲み交わす「返盃」の習慣や、カップルがよくする一つのグラスにストローを二本入れて飲む行為もある。これらも故意に食器を共有することで、使用者同士の連帯感・相思相愛を確認するはたらきになるのである。
他人の膳に進入する例を挙げると、膳の共有を意味する「同じ釜の飯を食う」という言葉や鍋料理などがある。これらから連想される言葉は、タブー破りの嫌悪感では決してなく、親密感・連帯感である。特に鍋については、最も基本的な炊事具であるため、古来神聖なものとする概念が存在していた。それを鍋料理として直箸でけがすということは、それまでの伝統的な食意識では考えようもなかったことであると鈴木晋一氏は指摘している(4)。つまり重大なタブー破りであったのだ。また石毛氏も鍋料理について、
「鍋料理は無礼講の食事であり、銘々器の場における座順・分配制・直箸の禁止などの日常的な秩序を破る食事形式であった。箸に人格が投影されているのするならば、大袈裟にいえば同じ鍋の中に直箸を入れあうことは、性でいうオルギー(乱交)のようなものであり、そこで鍋料理は親密さを強化する手段ともなりうる。」
と述べている(5)。このように故意にその約束・了解を破ることで、普段とは全く反対の感覚、親密感・連帯感を生じさせ、さらにはそれらを認識しあうはたらきもっているのである。
-参考文献-
(1) 『日本古典文学大系 26 今昔物語集 五』岩波書店 1963 pp.109-110
(2) 「荒暦 応永三年五月条」(『大日本史料 第7編之2』東京帝國大学 に所収) p.398
(3) 筧雅博 「饗応と賄」(『日本の社会史 第4巻 負担と贈与』岩波書店 1986 に所収) pp.221-222
(4) 鈴木晋一 『たべもの史話』小学館 1999 p.83
(5) 石毛直道 『食卓の文化誌』岩波書店 1993 p.134 |
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