コラム(英語編)



 ここのコラムは、資料なしで、経験と伝聞と憶測(?)によって作成されていますので、注意してくださいね。
 なお、ここに書いてあるのは独断と偏見に基づかれて書いてあります。
 反論は基本的に認めません。
 なぜならそれが偏見というものだから
 抑え目に書いてはいるけれど、読む人にとっては、非常に気分を害すると思うので、 「自分は寛大だ」と思う人だけ読んでください。
 そうじゃない人は精神衛生上の健康を保つため、すぐ下をクリックして戻りましょう。

やっぱり、読むのをやめる




英語を勉強する理由

 『英語を覚えても、外国にいかないから役に立たない』と言い訳をして英語を勉強しない人がいる。
 もっとも、どの教科においても『役に立たない』とは言われるんですけれどね。

 英語をなぜ習うか、という事を考えた場合に、『国際化の時代だから』というのが一般的な考えだし、私も高校1年生の頃まではそう思っていた。
 しかし、高校2年生の時に、英語の教科書を見ていてどんな文章だったか忘れたが、
『あ、英語って、日本語をより深く知る為に習っているんだ』
と感じた経験があり、今でもその考えは変わっていない。


『日本語を理解する為の英語教育』
この考えが正しいかどうかは分からないが、そう考えるようになってからは、英語が少し楽しく感じるようになった。
 ただ、この事に自分で気づいたからこそ、英語を勉強する気になったのであって、誰かからそういう風に言われたとしても、きっと英語は楽しくならなかっただろうと思う。
 そういう意味では、勉強でも仕事でも『気づく』というのは非常に重要な事だと思っている。他人にとってその『気づき』が大したことでなくても、自分自身の『自信』や『やる気』に跳ね返ってくるから。
 ただ、名言集のコーナーにも書いているように、ギャンブルにおいては、『気づき』は命取り。法則性をつかんだような気がするのは初心者の思い込み。不安でありつづける事こそが、ギャンブルで生き残る道


 ところで、私は英語を英語として理解できるレベルには達していません。英語を日本語に変換する作業をしないと、英語の意味が分からないのです。例えば、英語の文を見せられて和訳せよ、と言われても、すぐには和訳できずそれを1つ1つの英単語や構文に区切った後、日本語らしくつじつまをあわせて文を完成させていく作業をしていくのです。だから英語を『聞いても』ほとんど理解できません(スピードについていけない)。『筆談』なら結構いけると思うのですが・・・(こんなんで大学受験の時の英語の全国偏差値は70以上常にもらえました)。

 今の仕事は今のところ、(外資系の会社だけれど)英語に触れる機会はほとんどないので、英語を忘れかけていますが、英語って面白いと思いますよ。
 きっと私が英語が面白く感じられるようになったのは、気づいた事によって、『英語を学ぶ義務感』から開放された為なのではないかと今になって思っています。
 パソコンでもそうですが、『覚えなければならない』という状態では覚えられないけれど、趣味の一環としてパソコンを覚えている若者は覚えるのが早い。これと似たような状況がつくられたのでしょうね。




vとヴ

 vで始まる外来語をカタカナ表記で『ヴ』と書く人がいる(書く人がいる、とは書いているが、私も場合によってヴと書く)」。
 確かに、bとvは発音が違うので、そう表記するのは分かる。ただ、そういう表記をするほど言葉にこだわっている人であっても、bとvの発音は分けていない。それにヴの使い方が中途半端。vを使う単語は徹底的にヴを使えばいいのに、そうでもないのである。

ヴィタミン(vitamin)
ヴィデオ(video)
ヴォリューム(volume)

がその例である。
 結局ヴを使うような人は中途半端な知ったかぶりの気がする。
 とはいえ、冒頭でも書いたように、自分もヴを使う事はあるんですけれどね(例えば、このコーナーの一番下とか)。





和訳と英訳、どっちが楽?

 入社後、英語の能力を見る、という事で、英語の試験があった。
 問題は選択。英語の文を和訳するか、日本語の文を英訳するか(もちろん2問とも違う文章)、だった。
 同期21人のうち、20人は英文和訳を選び、私だけが和文英訳を選択したので、当然ながら尋ねられた。
『ヒロ君は一人だけ英訳を選びましたが、何か理由があるのですか?』 と。
それに対し、
『和訳よりも英作文の方が自由度が高いから選びました』
と答えた。
『ああ、そういう考えもあるんだね』
なんて言っていました。




 これは自慢でもなんでもなく、本音。
 和訳する方の問題と言うのは、あらかじめ出題者側が答えを用意していて、採点時は、それに当てはめていくのに対し、英訳の方は、答えの自由度が高い。答えは採点時に用意されていなく、日本語の主旨さえあっていれば、採点者は減点しにくいのである。  まして、(英語教育者やネイティブスピーカーではないという意味で)英語のシロウトともいえる人が採点するのならなおさら。


 例えば、『公園で遊んでいるのはトムです』という文章を英訳する問題では、

The man who is playing in the park is Tom.
It is Tom who is playing in the park.
Tom is playing in the park.

のどれで書いても、減点は少ないが、
『It is Tom who is playing in the park.』という文章を和訳する問題では、
『公園で遊んでいるのはトムです』
以外は日本語の意味がたとえ同じでも、答えとして認められないだろう。

 そういう意味です。分かりました?




人間ドッグ
 この題名を見て気づいただろうか。
 そう、正しくは『人間ドック』である。
『doc=doc(tor)=医者』
なのであるが、
『人間ドッグ』では『人間犬』であり、人面犬みたいである。

『バッグ』もそう。
『あ、そこにある私のバックとって』
なんて言われたら、バッグ(bag)をとらずに、背後(back)に回らなければならない

 こういう、元の意味を考えれば分かる事を無意識のうちに使ってしまうあたりが日本の教育レベルの低さだと思う。


 そういえば、私が中学の保険体育の試験のバスケのルールで『3歩以上歩いたら』という問題に対し、前日一夜漬けで見た教科書から思い出してピポットと書いてバツだった。正しくはピボット・・・だったかな?(自信なし)









最後まで読んでくださってありがとうございました。

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Music:『四季』より『春』(ヴィヴァルディ作曲)