|
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ほとんど風もない。 ただ、陽射しだけが俺の周りに満ちていく。 明るいと言うよりは既に眩しい。 俺が今いるのは陽が白く輝く休日の昼前。 駅前の噴水の前で人を待っていた。 5月初め。 少しずつ暑さを増す陽気は人々の眠気を誘い、 みんなを5月病へと引きずり込む。 俺もその一人だったが、今は眠るわけにはいかない。 というのも...(凄く気まずい....。) 何とも重苦しい雰囲気が俺の辺りに漂っている。 俺の身体にまとわりついて身動きを取れなくしている。 しかし、これを感じているのはおそらく俺だけ。 俺のとなりにいる彼女はきっと何も感じていないに違いない。 そして、言うことがないから言わないだけ。 俺は何も言えない。 この女の子は....大樹の彼女だった。 北浦花桜利というらしい。 肩までの髪を後ろで小さく結んでいる。 すくっと真っ直ぐその場に立って、ずっと一方向を向いていた。 何処を見るともなく、だ。 白いブラウスと青のロングのスカート。 不思議さを兼ね備えた目元、顔だち。 そして、どこかおっとりとした感じを受けるのは、 少しだけぽっちゃりとしているからかもしれない。 と言っても別に、全然太くない。 いやむしろ、やせているのか? まぁそんなことはこの際どうでもいい。 でもこれなら、一カ月で「可愛い」と学年に知れ渡るのも 少しばかり頷ける気がする。 俺は怪しいほど彼女を見ていたけれども、 彼女は微動だにしない。 揃えた足の前で両手で持つバッグさえ動かしはしない。 俺は見るのをやめて、本気で切望し始めた。 (友達の彼女とふたりっきり...。しかも、俺と彼女の面識はゼロ。 さっさと大樹か香菜多か来てくれ!) 香菜多が来れば友達なんだから少なくとも 俺はこの雰囲気から解放されて、助かる。 大樹が来たって同様だ。 (どちらでもいい。早く!) 俺は彼女の方を見て、街の方を向いて、また視線を戻して...。 というのを幾度となく繰り返した。 でも、香菜多も大樹のバカ野郎も全く見えない。 俺は何をするでもなく、空を見上げた。 それ以外にすることがなかった、と言うのが適当だろう。 青い空に蒼い風が吹き抜ける。 そして、眩しさに目を閉じて、礼拝でもするかのように、 願いを天にかけ続けた。 「遅い。」 「悪いって言ってるだろ。」 大樹は俺の方を向いて、少し悪そうに言い続けた。 大樹が来たのは香菜多が来てから10分後。 香菜多が来たのはあれから10分後。 香菜多が来たその時間が定刻だった。 「お前が来ないから、俺は凄い状況になってたんだぞ。」 俺は彼女たちの方をちらっと見ながらぶつぶつ言った。 北浦さんは香菜多と何やら楽しそうに話している。 「だ・か・ら、悪かったって。」 大樹は少しばかり投げやりになってきた。 ここらで止めてやってもいいが、俺の苦痛はそんなものではなかった。 今俺たちは電車に揺られていた。 香菜多の言う”良い所”に行くためだ。 座席は俺と大樹が横になり、 それに向かい合うように香菜多と北浦さんが座っている。 「なんで、遅れたんだ?」 「色々だよ。たかが10分でそんなに”遅刻遅刻”言うなよ。 学校のフライパンみたいだぜ。 それに、±10分は誤差範囲内だろうが。」 「−10分はいいが、+10分は許せん。」 「きっちり来てる蒼が細かすぎるんだよ。」 大樹は強気な反論を始めた。 どうも開き直る気らしい。 投げやりさが極端に増してきた。 「はいはい、喧嘩しないの。ソウ君ももういいでしょ?」 香菜多が半ば諦めたような声で仲裁になってくれた。 というわけで、これ以上大樹を責めることはできなくなってしまった。 あまり納得は出来ないが、大樹を責めてもどうなるわけではない。 (ふぅ...まぁ、いいか。) ところで、何でこんなに電車に乗ってるんだ? 結構長いような気がするぞ。 ”良い所”っていうのは、そんなに遠いのか? 「香菜多。」 「ん?何?」 「今日は何処まで行くんだ?」 「南ケ原まで。あそこに大きなお店が出来たんだって。」 (南ケ原か...確か電車で40分ぐらい行った所。 たかが買い物のためにそこまでするなんて...。) 俺はかぶりを振って窓の外に視線を落とした。 半永久的に流れ続けていく視界。 既にあまり覚えのない場所に来ているようだ。 そういえば、帰ってきてからほとんど出かけたことがない。 覚えていないのも当たり前と言えば当たり前だ。 五月晴れの走る電車の中で、香菜多と北浦さんの話し声と 笑い声が聞こえてきて、俺の心は何か異常なほど安らいでいた。 「ほら、起きて。ソウ君。」 「こら、起きろ。このバカ蒼真。」 安らいだ頭に騒がしく不機嫌に響き渡るノイズ。 聞き覚えのある声が罵声を誰かに浴びせているようだ。 そして、どうもその対象は俺らしい。 そのほぼ強制的な力に揺さぶられて、俺は重い鉄のような瞼をこじ開けた。 霞む目が最初に像を結んだのが香菜多。 それに続いて大樹。 そして...(...誰だっけ?) 見覚えだけが残る少し可愛い娘。 いや、面識もあるはずだ。 でも、名前は出てこない。 最初の文字すらも、何文字だったのかさえも。 「....?」 俺は今きっと不思議そうな顔をしているはずだ。 でも、あまりそれを悟られたくはない。 だって、そんな失礼な話ってないじゃないか。 「...?どうかしたの?」 俺の方を見て覗き込んでくる香菜多。 「あ、いや....。」 (思い出せ!思い出すんだ!! コガミ?香菜多だろ、それは。 アラ..アラキ?それはテニス部員だろ。 東、西、南、北.....キタ?そうだ、北浦さんだ!) 「ふぅ、やっと起きたら今度は寝ぼけてるの? もう電車、着いちゃうよ。」 「あ、ああ、悪い。」 どうも安らぎ過ぎて眠ってしまったらしい。 この電車とかの微妙な揺れは眠りを誘うんだよ。 本当に気持ちいい。 寝ぼけ眼で見た外は既に建物の乱立する町並みだった。 かなり近くまできたらしい..。 そう思っていると到着を告げる車掌のアナウンスが聞こえてきた。 その数十秒後、駅のホームに電車が滑り込んでいく。 外に出る人並みに紛れてドアから出た。 ゴールデンウィークなので人が多い多い。 ホームというか人だ。 そして、ずっと座っていたので腰が痛い。 まだ現役高校生なのだけれど...。 一人立ち止まってその場で大きく背伸びをした。 「う〜ん、ちょっと疲れたな..。」 「蒼は寝てただけだろうが。」 大樹の容赦ない突っ込みが人混みの中に聞こえる。 少しばかりいろいろ言ったことを根に持っているらしい。 香菜多と北浦さんが少し笑っている。 (ぐっ...。) 俺はどうするのが得策か良く分からないまま、 一路、改札を目指して雑踏の中を歩き出した。 光が見える。 空から降り注ぐ光の柱が、空気の粒に反射している。 水晶のかけらをばらまいたように輝いて見えた。 5月の初めだというのに暖かいというよりは暑い。 「これから何処に行くんだ?」 俺は振り返って香菜多にきいた。 「うーんとね、まずは買い物。 あそこに見えるあれ、あの大きなデパートに行くの。」 彼女の指が空を指し示し、その先には大きな建物が見える。 少し時代錯誤なアドバルーンを上げて”祝開店!”という3文字を 空いっぱいに大きく掲げていた。 その光景にどこか見覚えがある気がした。 来たことがあるのではない。 何かでちらっと見たような...。 (あ、そういえばテレビで見たことあるような...。) 「18階建てで4月の下旬にオープンしたばっかり。 一回来てみたかったんだ。」 香菜多がこぼれんばかりの笑みで説明している。 「私も。ここ一回来てみたかったの。」 北浦さんもどうやら同意見のようだ。 香菜多と同じ顔をしている。 そういえば、ちゃんと北浦さんの声を聞いたのって 先のが初めてのような気がする。 正確に言えば耳にはしているだろうが、残ってはいなかった。 そのせいもあって少しの新鮮さを覚えずにはいられなかった。 「さ、行こ。」 俺たちの先を笑顔で駆けていく香菜多。 着いていかないわけにもいかず、はしゃぐ香菜多を追いかけた。 やはり、人だらけだった。 新しく出来たデパートなど人が多いに決まっている。 そして、やたら広い。 18階建てだと? そんなに何を見ろと言うんだ? こんなの迷子製造機みたいなものではないか? もしくは暇になる男製造所。 買い物をしている彼女待ち、といった男のことだ。 香菜多の後ろで腕を組みながら考えていた。 北浦さんの横を歩く大樹もきっと同じ事を思っているはずだ。 彼女たちは歩いていて可愛いものを見つけると、 「かわいいー。」とか言いながら走り寄り数分間そこに居座る。 俺と大樹はその度に軽くため息をついた。 最初は良かったのだが、既に今となっては辛いだけ。 俺と大樹にとってはあまり理解できない領域だった。 だって、もう今で1時間半以上も歩き回っているのだ。 男が楽しい店など本屋くらいのものだ。 「あと何時間ああやってるつもりだろ?」 俺の気の抜けた質問。 あからさまに嫌がっている。 「彼女らの気が済むまで、だろ。」 俺の質問に無気力に答える大樹。 その後すぐ二人同時に「はぁ〜。」とため息をついた。 「これは何て映画だ?」 「empty dark。」 俺の質問に即座に答えたのは大樹だった。 「どんな話なんだ?」 「盲目の少女と小説家の話。」 「で、それがどうなるんだ?」 「それを言ったら見る意味がなくなっちまうだろ。」 それはごもっとも。 大樹は原作を小説で読んだことがあるらしい。 俺は納得して質問を止めた。 ここは、デパート10階のシネマ。 今話題の映画をやっているらしい。 でも、どこもかしこも酷いほどの人だ。 今の上映に合わせてきたはずなのに 入れなくて次の上映を待っている所だった。 あと数分で今回の上映が終わる。 「そろそろだね?」 俺を覗き込むようにしてその笑顔を見せてくれる香菜多。 かなり楽しみらしい。 「あ、終わったみたい。入ろ?」 俺たちはドアが開くと同時に入った。 出る人は別出口になっているようだ。 少しだけ考えてある。 ホールへと続く扉はいくつかあった。 そのうちの一つから俺と香菜多は入った。 やはり人が多いために”大樹たちも一緒に”というわけにはいかない。 あとでこの階のエレベーター前で待ち合わせ、ということになった。 少し重いドアを押し開けて中へと入る。 少し薄暗い映画館独特の雰囲気。 俺がもう一歩踏み出した所で香菜多が立ち止まった。 「どうかしたか?」 「ごめん...。ちょっと、良く見えなくて...。 ほら、この中暗いからさ...。」 (暗い?確かに少し暗いけど...。) 香菜多は目を凝らして見ようとしているようだが、うまくいかないらしい。 (もう、仕方ないな...。) 「仕方ない。そこで止まってると凄く邪魔だから、 ほら、俺の手を掴んで。」 「え...。」 俺はそう言って手を差し出す。 俺たちの横からは露骨に嫌な顔をした人々が流れ込んでいっている。 香菜多は立ちすくんだまま、少し照れているようだった。 待ち切れなくて香菜多の手を強引に掴む俺。 「こっち。ゆっくり歩くからさ、転ばないように気をつけろ。」 「う、うん...。」 俺は声をかけながらゆっくりと進む。 そして、真ん中辺りでちょうどよく空いている席を見つけて座った。 あとの座席はほとんど埋まっている。 左右全部人がいるがこの際、贅沢を言っている場合ではない。 「見えるか?」 「うん、さっきよりは大分...。ごめんね。」 「いいさ、気にしないで。」 (本当にトロイな...。) 俺はダメな娘を見る父親のような心境で香菜多を見ていた。 と、いきなり香菜多がこっちを向いた。 「いま、トロイな、って思ってたでしょ?」 「え?あ...思ってないって。」 「ふ〜ん....で、本当はどうなの?」 分かったような顔をした香菜多だったが、 やっぱり分かっていないらしい。 (図星だからあまり反論もできないし....。) 「本当は、ちょっとだけ...。」 俺が指で小ささをアピール。 香菜多はそれを見て少し笑った。 「ふふふ、良いよ別に。...私が...悪いんだから...。」 「え....?」 香菜多の言葉は少しずつ小さくなっていき、 ”良いよ別に”の後が全く聞こえなかった。 何かを言ったことは唇で分かったのだが...。 そして、その声が淋しく悲しいように聞こえた気がした。 何か自分に言い聞かせるようにも聞こえたのだけど、 内容が分からないのだから仕方がない。 「今、何て言ったの?」 「え?私、何か言った?」 こっちを見ている香菜多はいつもの香菜多で何ら変わらない。 俺はそれ以上の追及を諦めた。 これ以上やっても彼女の心をえぐるような気がしたから...。 「いや、ごめん。忘れて..。」 「うん、私こそ、ごめん。」 そう言って何も映ってはいないスクリーンを見詰める香菜多。 暗闇に優しく浮かび上がるその横顔は、白く光っているように見えて、 いつも以上の優しさといつもはない切なさを含んでいる、 そう思えて仕方なかった。 (何て...言ったのかな?) まだ気にしている俺。 諦めの悪い性格がこんな所で出てきた。 俺はずっと香菜多を凝視している。 そんなことをしていれば、相手が気づかないはずもない。 「?どうかしたの?」 「あ、いや...なんでもない。」 「変なソウ君。」 言葉とともに「クスッ」という笑いを漏らした香菜多。 俺はとっさに前を向いていた。 香菜多の横顔のように暗闇に見えるスクリーン。 後数分もすれば始まるはずだ。 今俺の耳につくのは唯々人々の喧騒だけ。 その中にあるはずの香菜多の息づかいを聞き取ろうとして ずっと俺は耳の神経を研ぎ澄ましていた。 映画は既に終盤に差し掛かろうとしていた。 盲目の少女が少しずつゆっくりと自分の心を開いていく。 こんな言い方はどうかと思うけど、ありふれた映画だった。 おもしろい、それは認める。 でも、何か今一つなんだよなぁ。 (まぁ、終わりの締め方で決まるな。) 少しスクリーンから目を離して香菜多を見た。 彼女の瞳には感動と同情ととにかくいろいろな感情が入り交じり、 何とも言えない微妙な表情を少しずつ変化させ続けている。 刻々と変わっていく香菜多の顔は全くもって一様ではなくて 多種多様な気持ちを率直にあらわに表現している。 映画よりもこっちを見ている方が面白いかもしれない。 俺の目はスクリーンと彼女の横顔の間を往復し続けた。 「面白かったね!映画!」 「ああ!そうだな!」 俺と香菜多は不自然なほど大声を張り上げて喋っていた。 でも、自分たちにしてみたらまだこれでも足りない。 ありったけの声を絞り出しているのに、だ。 他人が見たら十分過ぎるほど変な光景だというのに。 というのも、この部屋を満たしている大音量のせいだった。 これに打ち勝つために俺たちは大きな声を出しているのだ。 その大音量の原因は大樹と北浦さんの声。 マイクを通した歌声だ。 (カラオケ...ねぇ。) 香菜多きっての要望でやはりこの建物の中のカラオケボックスに 2時間だけということで寄っていくこととなった。 (カラオケも別に嫌いではないけどさぁ...。) 大樹の声が止んでいく。 それに続いて音楽も消えていく。 そして、俺と香菜多で拍手した。 少し照れて二人は顔を合わせて笑う。 でも(デュエットなんてしやがって...。)なんて事を思っていた。 「じゃあ、次、私。」 香菜多が立ち上がりマイクを受け取る。 そして...。 「キャッ。」 「おい!」 俺は腰を上げて手を伸ばした。 でも、届かない。 香菜多がつまずいたのだ。 歌うときに登る段に。 そりゃ死角かもしれないけど、つまずくか普通...。 彼女は何とかもう片方の脚で踏ん張った。 そのおかげで倒れたりはなかったようだ。 そして、バツが悪いようにこっちを向いて笑った。 「えへへ、ごめんね。」 「トロイな。ったく。」 俺は気づけば少しきつく返事をしていた。 いや、それに気づいたのはその時ではなく、 そのすぐ後の返事を聞いてからだった。 「うん...本当にごめんね...。」 妙にしおらしい返事が返ってきた。 俺の予想では”そんな言い方しなくてもいいじゃない”とか ”ひっどーい”とか言われると思っていたのだけれど...。 だから、気づいたのだ。 俺の言葉の調子が強すぎたのではないか、と。 でも、その時には遅かった。 香菜多は今、香菜多らしくない。 でも、前に立ってマイクを持って前奏に身体を合わせて 8ビートを刻んでいるのも間違いなく香菜多だ。 切ない顔はどこかへ隠したのだろうか? それとももともとそんなものは俺の思い過ごしだったのだろうか? いつも通りの香菜多が目を閉じて歌うことに集中している。 少し高いアルトが部屋に満ちていく。 不快な感じは何処にもなくて、俺の心を潤していく。 ずっと彼女だけを見ていたけれども、 今も、途中も、それからずっとも、彼女はいつもの香菜多だった。 |