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今やっと料理が運ばれてきた。 4皿のパスタとスープとサラダとドリンクだ。 ウェイトレスはそれらと伝票を置いてそそくさと中へ戻っていく。 「楽しかったね。」 香菜多がナポリタンをフォークに巻きつけながら言った。 「そうだね。またどこか行きたいね。」 これは北浦さん。 ペペロンチーノを食べている。 一日一緒にいたというのに彼女の声を聞くのがこれで数回目だ。 「今度があるなら夏休みくらいかな?」 今度は大樹。 ミートソースを混ぜている。 「そうだな...泳ぎにでも行こうか?」 やっと俺の出番が来た。 俺はカルボナーラ。 ここまで種類が重ならないのも珍しい。 「いいね。海行こう、海。」 とても楽しそうな口調の香菜多。 今度はフォークでサラダを食べている。 「家からだと...電車で30分ぐらいか。」 「うん、そのくらい。確か凄く綺麗な砂浜があったと思う。」 「俺もちょっと覚えてる。...行けるといいな。」 俺の考えは同時に皆の考えに一致していた。 そして話は今日のことへと移っていく。 今よくよく見れば女性群は大きな紙袋を持っているではないか。 いろいろ買ったようだ。 服だの財布だのバッグだの。 俺にとっては入れる金がなくなってしまうほど高い財布。 それでは財布に何の意味もない。 「あれ、やっぱり欲しいなぁ...。」 「でも、ちょっと高すぎない?」 「分かってるけどぉ...。」 言葉がどんどん出てくる。 俺と大樹はただぼーっと見ているしかなかった。 そして、話はまた移る。 今度はさっき見た映画の感想。 食べるのもそっちのけで話続ける女子二人。 「でも、あの娘は良かったよね。」 「私は終わり方が今一だと思うな。」 その話の最後は少女を救った小説家が死に、 その娘が書き掛けの自分についての話の続きを書いていく。 とかいう話で俺にしてみたらB級映画だ。 俺でもそんな話1分で思いつく。 きっと話題になるのは話ではなくてキャストと演出だろう。 その二つに関しては俺も頷かざるを得なかった。 「ソウ君はどうだった?」 「ん?ああ、良かったけど、それ以上でもそれ以下でもないな。」 「ちょっとだけ微妙だったよね。」 香菜多は特に考える様子もなく俺の意見に賛成した。 パスタを食べながら話していたのにいつの間にか皿の上には何もない。 あるのは半分残ったドリンクだけ。 これから後数分間、残ったドリンクを飲み干すまでの間、 俺たちは店の中で特に意味のない談笑を続けた。 「ふぅー。」 カギを開け、扉を引き開け、そして閉め、靴を脱ぎ、鞄を下ろし、 それを向こうに放り投げ、コップを取って、水をくみ、 それを飲み干し、歩を進め、ベッドに飛び込んだ。 昨日干した布団が優しく俺を包み込む。 「楽しかったな...。」 誰もいない空間に自分の声が聞こえる。 こんな状態になると妙に独り言が言いたくなる。 今日のことを思い出しながら目の前の闇に向いて呟いた。 今は9時半。 服を替えることすらもおっくうだ。 御飯はもう食べたし、後は寝るだけ。 俺は起きてから着替えればいいと思い、 身体を包んでいるけだるさに身を委ねた。 少しずつ身体から力が抜けていき、心地よい闇が広がる。 そして、闇が誘うままに意識は奥深く沈んでいく。 次の瞬間に意識は弾けた。 朝の光に起きて、朝日を浴びるまで、 俺は一度足りとも目を開けることはなかった。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 「え?!まじで?!」 放課後の喧騒の中に俺の驚きを含んだ叫び声が響き、そして消えた。 俺の声が大きすぎたのか、香菜多は軽くしかめっ面をしている。 少し困ったものでも見るような目つきで口を開いた。 「そうだよ。今ごろ何言ってるの?」 「だって誰も言ってないだろ?」 「先生だって言ってたよ。 ソウ君いっつも”フライパン”とか言って バカにして全然話聞いてないでしょ。」 香菜多の鋭利な返答。 俺の心にぐさっと刺さる気がした。 図星なために、あまり返す言葉がない。 「でもだって、テニス部の奴等だって..,,。」 「多分ソウ君だけ。知らなかったのは。 知ってるのが当たり前だもん。 はぁ〜、いつまでたっても子供なんだねぇ。」 何だか諦めの表情をあらわにして隠そうともしない香菜多に 少しばかりカチンときた。 これはきっと不可抗力でこうなったんだ。 そうに違いないに決まっている。 俺だって本気になればこんなものじゃないんだぞ。 今はちょっとやる気にかけるだけだ。 そんな反論をしようとして俺は言葉を考えた。 「あのなぁ...。」 言い返すための言葉が出始めたとき....。 「香菜ちゃん。霧島君と何言い合ってるの?」 そんな言葉が聞こえて香菜多は振り向き、俺は頭を完全に上げた。 そこには少し髪が長い女子生徒が立っていた。 たしか...永朔愛(ナガサク メグミ)さん。 「愛」と書いて「めぐみ」と読む。 この漢字のあて方が凄く気に入っているそうだ。 同じクラスでかなり頭の良い娘。 新木君も賢いがさらにその上をいくらしい。 野球部のマネージャーでノリのいい、人当たりの良い娘だった。 香菜多はその永朔さんにここぞとばかりに言い寄る。 「聞いてよ、メグちゃん。 ソウ君さ今までテストのこと知らなかったんだって。」 「え...。それってちょっぴりマズくない?」 おどろいた顔でゆっくりとこちらに向き直す永朔さん。 香菜多は殊更ゆっくりとこちらを見る。 二人とも同じ目をしている気がした。 哀れむような蔑むような目つき。 (そんな目で俺を見ないでくれ....。) 「仕方ないだろ?」 俺が頭をはち切れるほど悩ませて出したのがこの言葉だった。 「なくないよ。」 そして、すぐさま否定される。 俺は諦めずに強気の姿勢を保つことにした。 だからといってどうにかなるわけでもないことは 分かっているのだけれど...。 「それに、そのテストはいつからなんだよ?」 「3日後。」 「......。」 完全に沈黙。 魚雷で沈められた船の気分だ。 助かりっこない。 既に言いたいことも言い返したいこともなかった。 完璧に頭が白い。 パーフェクトに白い。 (今から頑張ればなんとかなる?...なるわけねぇだろ。) ...ならば、かくなるうえは....。 「開き直る気?」 「!?」 俺の表情から読み取ったのか、それともはたまたエスパーなのか、 永朔さんの俺の心を射ぬく質問が即座に返ってきた。 俺はびっくりして声も出なかったのだ。 「図星でしょ?」 「返す言葉もございません。」 そう言って深々と頭を下げる俺。 全くもって今俺の前で笑っている彼女には頭が上がらない。 「後3日、死ぬ気はでやれば何とかなるよ、ね?」 香菜多は心境が変化したのか、俺が可哀相になってきたのか、 それは分からないけど、俺を励ます言葉を言ってくれた。 それに感化されて永朔さんの言葉も一変した。 それはそれで悲しい気もする。 「でも、でもさ霧島君だってそんなに勉強が苦手ってわけでもないでしょ? この高校のテストに受かったんだし、今の所はまだ簡単だし。」 「そんなのは永朔さんくらい頭のいい人のセリフ。 だって今年の天川の不合格者って7人だぞ。 俺よりさらに馬鹿な奴が7人いただけさ。」 「.....。」「.....。」「.....。」 静寂に包まれて、3人は言葉を失った。 耳に入る音はあるけれども、何も感じはしない。 完全に俺を包む一定範囲が固まってしまったのだ。 でも時が止まっていないことを雲の流れが示している。 (何とかならないものかなぁ....。) ”何とかなって欲しい”という願いを込めて、 ここぞとばかりに神様に頼む。 俺は天に向かってそう呟いてみた。 一般に神様は空にいるはずだから。 でも天は表情を変えず返事もしない。 これでは聞いてくれたのかそうでないのか分からないではないか。 ちゃんと返事・相槌をする。 これが人の道だ。 でも、神様は人ではないからいいのか? どうでもいい考えが頭の中を駆け巡り、テストのことを薄れさせていく。 いや、実は後者が目的なのだろう。 ようは現実逃避がしたいのだ。 俺は頬杖を突いて、窓の外に目を向けた。 人ごとのように耳につく喧騒が何だか不機嫌に聞こえた。 「知ってるだろ?普通。」 「うん、知ってる。」 「知ってるって。」 「俺でも知ってるぜ。」 「え?知らねぇ。」 4つの同意見と1つの異意見。 それが俺の質問に対するテニス部員の答えだった。 4人というのは俺と成瀬以外の1年のことだ。 成瀬だけは俺と同じだった。 俺の質問はこうだ。 「3日後からのテスト、知ってた人?」 皆が露骨に驚いた顔をした後に 俺に浴びせられた答えが先のやつということだ。 「だって、みんなクラブに来てるじゃん。 テスト勉強しなくてもいいのかよ?」 俺の必死さのにじみ出る言葉の数々。 それをこっちを向きもしないで打ち消したのは新木だった。 「今の範囲は全然余裕だろ? クラブの後でも全くもって間に合うし。」 「新木はいいさ。俺はどうなる?」 「知ったことか。自分が知らなかっただけだろ?」 やっとこっちを向いた新木。 全てが道理にかなっているために何も言えない。 こいつは手強いぞ。 って、ここで新木に勝っても何の意味もないんだ。 俺の目標はテストを乗り切ることだから。 では、どうすればいい? 新木を利用して俺にとって+になることを聞き出すか? 「どうやって知ったんだ?テストのこと。」 「行事予定表。もらっただろ?」 さも当然のごとくに言い切る新木。 そんなもの聞いたこともない。 「なにそれ?」 「っていうか、担任が言ってただろ?」 「悪い。ホームルームは聞いてない。」 「クラスの奴等は?」 「誰も言わねぇ。」 「......。」 とうとう新木も言葉が切れた。 言うことが尽きて、心底呆れたような顔になる。 と思ったら今度の相手は大樹だ。 「現国の関岡も言ってたじゃないか。 ”もうすぐテストだから頑張ってくださいね”って。 なぁ、秋斗?」 「ああ..ってどうせ霧島は聞いてないんだろ?」 「.....。」 つまり俺が馬鹿なせいだったわけだ。 どうすればいい? 何が最も得策だ? 考えろ、考えるんだ。 今この頭脳を使わなくていつ使うというんだ? .......思い浮かばん。 こうなったら、後の味方は成瀬だけだ。 「なぁ、成瀬。お前も知らなかったんだろ? 今からどうするんだ?」 「決まってるだろ。後3日で出来ることは1つだけだ。」 着替え途中でこっちを向く成瀬。 「それは?」 俺が答えを促す。 その言葉には幾万もの希望がのしかかっている。 俺のテストに対する希望だ。 「腹をくくる。」 そして希望は音を立てて崩れて、小さな塵となった。 「それって...開き直るってことか?」 「それ以外に何が出来る?」 いかにもそれが正しいかのように振る舞う成瀬。 もしかしたら、振る舞っているのではなくて、 心の底からこの男はそう信じているのかもしれない。 俺にとっては少しうらやましかった。 「死ぬ気でやればなんとか...。」 「今からじゃ、無理だ。」 ”無理だ”を妙に強調した成瀬の言葉。 そう言って奴は着替えに戻った。 既に全員が俺の話題から離れかけている。 「どうすればいいと思う?」 これで二度目になる俺の質問。 切望と絶望が、点々が違うだけのこの二つの矛盾する言葉が 俺の質問にはありありと現れていた。 そして、それに対して表情も変えずにあっさりと答える部員。 きっと、俺がその立場でもそうしただろう。 それに対する答えはたった一つだった。 全員が一緒、満場一致の5人の答え。 部室中に広がった答えに俺は(やっぱりな...。)と思った。 「諦めろ。」という答えに。 テストの日は俺の希望を押しのけてやってきた。 当たり前だがやはり勉強は3日では完了しなかった。 5月の中頃。 つまり、高校入学からわずか1カ月半。 その短い間で既に俺は高校数学に屈服してしまったのだ。 (数学は捨てる。やるのは英語と国語だ。) 俺はそんな風に決めた。 バラバラにやって全部追試になるくらいなら、 どれかにしぼった方がいいと踏んだのだ。 中間テストなのに何故か8教科もあり、しかも4日もある。 化学や社会科もあるけれども、そんなことは俺の知ったことか。 こんなものはどうせ社会に出れぱ役に立たないのだ。 ならば今を何とか切り抜けることを考えた方がいい。 「今」も分からないのに「未来」が分かる理由が何処にある? そして、テストを受けた。 腹が痛くなり、頭がガンガンするほど嫌だった。 俺が勉強したのは追試があるものだけ。 といっても、8教科中7教科はあるのだけれど...。 そして、その結果がかなり辛いことは火を見るより明らかだった。 どんな結果が返ってくるのやら。 予想を下回っているとヤバイ。 この時点で冗談にはならない。 (はぁ........。) 俺のテスト期間に幕が降りたのは実にその8日後のことだった。 4日のテストに8日かかるとはどういう了見だ? なんて文句を言っても空しくなるだけ。 その理由というのもやはり追試。 しかも8教科中の5教科を受けてしまったのだ。 実に6割2部5厘の割合で追試を受けた。 前代未聞、末代の恥的な結果だ。 俺の予想など遥かに上回っていた。 予想は3教科だったのだ。 (こんなに悪いとは....。) 香菜多も大樹も冷やかすことも忘れ「頑張れよ。」「元気出して、ね?」 と言って俺を励ましてくれるといった様子。 それほど俺のこの点数は散々だったということだ。 そして、その追試の波が終わりを告げたのが8日目だったのだ。 成瀬も追試はあったがその数は3つ。 正が2つ。大樹が1つ。 後の奴は全員0。 秋斗が意外に賢かったのが驚きだ。 そう秋斗に言ったら、 「ひでーな。俺と霞瑞たちを同一視しないでくれ。」 と、不満いっぱいの顔で言われた。 霞瑞たちというのは俺や成瀬、大樹や正のことだ。 新木にこのことを言ったら、 「あ?俺は追試なんて受けねぇって。 もっと前から自分等も勉強すりゃいいじゃん。」 と、耳に痛いお言葉を頂いた。 これはさすがに堪えた。 何だか心にざっくりと突き刺さる思いだ。 その上しかも図星なので何も言えない。 何を言ってもうら淋しく響くだけだと分かっていたから。 一回目のテストはこんな風に幕を閉じた。 「二回目こそは...。」と気合を入れはするけども、 それが次回まで続かないことなど俺が一番良く分かっていた。 空の下にいる俺の身体を優しく撫でていく風。 それを崩したいわけではないけど、俺はボールに向けてラケットを振った。 風をかきむしるこの感覚も意外に気持ちいいかもしれない。 手が少しのしびれを感じてブレる。 振り抜いたラケットに残る打球の重さが すっきりとした解放感を与えてくれた。 先の決意も今、正が打ち返した球を打っている頃には忘れているのだろう。 それは少しばかり早すぎるかもしれないが、 俺が忘れるということに関しては何の間違いもない。 暖かい春の風は、少しずつだが確実に湿った夏の風になってきている。 そんな季節が移り変わる中、黄色いボールの行く末をずっと見ていた。 それがたとえ、ラインの外であったとしても....。 |