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◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 「俺は雨は嫌いだな。」 「そうなの?」 香菜多が少しの驚きを引き連れてこちらに頭の向きを変える。 朝の登校。 今日は何故かいつもより早く家を出た。 昨日早く寝たからだろうか? バイトが終わって帰ってきて何もしないままに眠りについた。 その時刻、おそらく9時。 高校生ならそれからが夜のはずなのに、だ。 俺には起きていることさえ酷な時間だった。 (バイトで疲れていたことが大きいのだろうけど...。) 目が覚めれば空はどんよりと暗く、何かの音が響いていた。 雰囲気も何処と無く光を持たず淋しさを漂わせていた。 そのせいで家にいたくなくて早く出たけれども、 外もほとんど状況は同じだったのだ。 それはこの雨のせいだったのかもしれない。 薄く銀色の光を放つ空の涙とも呼ばれる粒が、余す所なく降り込めている。 アスファルトを黒く染め上げ、乾いた埃が浮き立たなくしてくれ、 生き物に潤いを優しく供給していく恵みの雨。 そんな風に考えれば別に悪くもないが、 この登校時に傘がどうしても必要になることがちょっと...。 そんな無彩色な空間の中で香菜多は白い傘をさしていた。 真っ白い淀みのない傘。 この灰色の世界の中で一層の輝きを発しているように見える。 それは彼女から受ける優しい印象と良くあっていた。 天気のいい日に干したシーツのようだと言ったら 彼女はくすくす笑っていた。 「このさ、服がどうしても濡れるだろ? これがちょっと嫌なんだよ。」 「あ、それは分かる。学校に着くと脚とか凄く冷たいの。」 「スカートだもんな。」 そう言いながら俺の目が向いたのは彼女の脚だった。 揺れるスカートから白い綺麗な足が伸びていて その下にはルーズソックスと学校指定の革靴。 何も身につけるものがないのだ。 「?..何、見てるの?」 「あ..いや...。」 どぎまぎして言葉のでない俺。 視線を香菜多から反らして、暗い空に向ける。 その仕草でか彼女はどうも気づいたようだ。 (そんなつもりじゃなかったのに...。) 「エッチ...。」 予想通りの言葉。 少し怒った様子の低い声まで予想通りだ。 「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。」 俺は必死になって弁解しようとして、 さっき心の中で思っていた言葉をそのまま出した。 ありきたりな三文芝居に出てきそうな安い台詞。 焦っていたのでそれ以上、気のきいた言葉は出てこなかった。 きっと端から見れば格好悪いこと間違いなしだ。 (俺としたことが....。) 心の中で反省を繰り返した。 口でも謝るための言葉を幾つも発している。 そして、突然香菜多が「クスッ。」と笑うのが聞こえた。 俺は何だか分からなくて香菜多をただ見ていた。 「そんなことで怒ったりしないよ。でも.... ..いつも女の子の脚とかばっかり見てるの?」 「見てないって!」 「冗談よ。冗談。」 朝から彼女は凄く良い娘だった。 気怠い朝をいい気分に変えてくれる。 俺の横で今みたく笑っていてくれると、凄く幸せだった。 「それでさぁ、今日の宿題、ちゃんとやってきた?」 「宿題?」 (はて?宿題なんて出てたっけか?) 何にも思い出せない。 香菜多はこういう冗談は言わないからおそらく本当だろう。 ありうるのは、@俺が忘れている、A香菜多が間違えている。 そのどちらかだが、@の可能性が圧倒的に高い。 つまり、やってきてないわけだ。 「そうだよ。数学の宿題。問題集5ページ。 ...って、もしかして忘れてた?」 香菜多が心配そうに見詰める。 その瞳には明らかに”本気で?”と言いたげな色が見えていた。 図星な俺はただ適当に言い返すだけ。 「もしかしなくても、忘れました。」 「はぁ....。まぁね3時間目だから急げば何とかなるよ。」 励ましの言葉を苦笑しながらかけてくれる香菜多。 そのときだ。 俺の視界の端に何かが映り込んできたのは。 立ちそびえる灰色の巨大な棒。 俺と香菜多は道の右側を香菜多が右側になって歩いていた。 したがって、道の端に立っている電柱に ぶつかる可能性があるのも香菜多だった。 俺だけがそれに気づきはしたが、もう距離がない。 香菜多は雨のせいなのか、こっちを向いているせいなのか、 全くそれに気づく気配すらない。 楽しそうに会話を進めていた。 (前を向いてるんだったら気づけよ。) この間ほんの数瞬。 香菜多を止める時間もなかった。 時は既に遅すぎた。 「おい!香菜多!」 「なに?」 直前になって何とか絞り出した声で叫んだ。 でも.....。 ドン! 「キャッ。」 香菜多は見事に電柱に激突した。 俺が考えていた軌跡を描いて後ろにしりもちをつく。 手を伸ばしている間もなく、香菜多は地面に座り込んだ。 傘が前にあったおかげで 電柱で身体を切ったりとかいうことはなかったようだけど。 だけど、この大雨だ。 地面は間違いなく、と言うか見た所道路の上を水が少し流れている。 つまり、この街の雨水処理能力が追いついていないということだ。 そんな水浸しの場所に座ったらどうなることやら...。 「いったーい。あ〜あ、下着までびしょびしょ...。」 しかも不運にもそこには水たまりが存在していたようだ。 彼女は恨めしそうな顔つきで地面とスカートを見ている。 俺は香菜多の傘を拾い上げて、 座ってぶつぶつ言っている彼女の上に掲げる。 このままだと風邪を引いてしまいそうだ。 「大丈夫か?..ったく、トロイな。」 「うん、ごめんね。ありがと。」 香菜多は俺を上目づかいに見て、少しはにかみながら言った。 俺は両手がふさがって手を伸ばすことが出来ないので彼女に尋ねる。 「立てるか?」 「うん、平気。」 彼女は手を地面についてゆっくりと立ち上がった。 濡れた制服がピッタリと体に張りついていて、 香菜多のからだのラインがくっきりと見える。 香菜多は自分の体中を見てまた「あ〜あ」と小さく不満を漏らした。 手を差し出して傘を彼女に手渡す。 それに気づいて、こちらに伸びてきて傘を受け取った手は 少し小さくて、冷たかった。 「あんまり見ないでね。恥ずかしいから...。」 「あ、ごめん。」 俺は傘を渡すとおもむろに上を向いた。 そこには空が不機嫌そうな顔で広がっていた。 俺たちの視界を全て埋め尽くしているくせに、 まだ何を望んでこんな顔をしているのだろうか? 俺はそのそっぽ向いたままの顔で質問をする。 「これから、どうするんだ?」 「うーん、一旦家に戻って別の制服着てくるよ。 ソウ君はさ、先に行ってて。でないと遅れるよ。」 そう言って軽く手を振りながら家に戻ろうとして 香菜多が今来た道の方向にきびすを返した。 (そんなこと言われて、放って置けるか?) 時間は香菜多の言う通りあまり、と言うか全然ない。 このままだと確実に遅刻だ。 でも、行くしかないだろ? 俺は制服の上着を脱いで香菜多を追いかける。 すぐに追いついて、彼女の後ろから上着をかけてあげた。 濡れても脱いでしまえないぶん香菜多は寒いはずだ。 「あ...ソウ君..。」 「寒いだろ?香菜多は危なっかしくてほっとけないよ。」 気持ちだけ頬を赤く染める香菜多。 少なくとも彼女の顔は笑っている。 こっちを向いて俺の大好きな笑顔でいつも以上に優しく微笑んでくれた。 「ありがとう...。」 俺は久しく入っていなかった部屋をぐるっと見渡した。 (部屋と言ってもリビングだけど...。) その中にある淡いグリーンのソファに座っていた。 そこには、棚、テーブル、椅子、テレビなど何処の家にもあるもの。 出窓には木で作った棚と小さな花が幾つも飾られていた。 それらは、この窓からの光を浴び同時に反射することで、 この部屋に豊かな色彩をそれとなく与えていた。 部屋の中にある音は昔からある鳩時計の秒針の音、 そして、香菜多がシャワーを使う音。 もう何処をどう間違えても2限目には間に合わないからと 開き直って浴びていくことにしたらしいのだ。 ドアを二つ通して香菜多がシャワーを浴びている。 水が彼女の体を伝わる音がどうしても耳から離れない。 目の前に浮かぶのは白い靄の中に見える裸体の彼女。 白い肌がとても綺麗に見える気がする.,...。 (ん?俺は今何を考えて....。この変態野郎が!!) 自分で自分に喝を入れた。 俺がそんな男だとは思いたくなかった。 でも、これが男だと認める情けない自分もいることは間違いなかった。 可愛い女の子がすぐ近くで裸でいるのだぞ?! この状況でこのことを考えない男がいるか?! そんなものは男ではない! (って、そんなことを熱弁してどうする、俺。 とにかく考えない。別のことを考えろ。) 男ではないとは言ってもやはり、そんな所をさらけ出したくはない。 人間にはそのために理性があるのだから。 (数学の宿題か....。どうしようかな?) そして、少しずつ別のことに頭が行き始めていた。 ガチャ...。 ドアが開く音。 先の決意などどこ吹く風となって、俺は一瞬でそちらを向いた。 そして、数学のこともどこかに吹き飛んでしまった。 スリガラスのドアを通して一つの影がそそくさと動いている。 体を拭いているのか、はたまた服を着ているのか。 どちらにしても、俺の理性と本能の葛藤がどうしても止まらない。 見ないのも何気に意識しているみたいだし、 じろじろ見るなど、これにいたっては問題外だ。 (うーん...どうすれば...。) どうでもいいことに真剣に頭を悩ます俺。 この状態も傍目から見ればかなり変だ。 ガチャ...。 もう一度ドアの開く音。 俺はまた思わず頭を上げる。 視界に入り込んだのは、ドアを開けて頭を覗かせる香菜多だった。 「もう..いいのか?」 回らない舌にムチを打って言葉を絞り出す。 香菜多は既に制服を着たらしく、助かったような、淋しいような..。 髪から立ち上る湯気が凄く色っぽくて、 知らずのうちに俺の視線はくぎ付けになっていた。 そうでなくても、俺の目は赤く色づいた香菜多の顔から 離れることは出来なかっただろう。 「あ、もうちょっとだけ..。髪だけ乾かすから...。」 「分かった。ゆっくりでいいからさ。」 「ごめん...ありがと。」 そう言って香菜多は頭をひっこめた。 ドアが開いたときと逆で淀みなく閉まる。 そして、誰もいない部屋にガチャ、という低い音を立てた。 また一人になった俺は窓の外に目を向ける。 少しの陽射しが出てきたようだ。 雲間から漏れる光が筋のように見える。 天に昇る尖塔のようだ。 俺の後ろの方からは唸るようなドライヤーの音。 立ち上がって窓のすぐ前に立った。 雨はほとんど降ってはいない。 この調子でいけばもうすぐ完全に上がるだろう。 湿度がとても高くなりそうだ。 目に飛び込む光を遮るひさしを作った。 指の間からそれでも光は漏れてくる、 そうこうしているうちに泣きやんだ空から。 俺はそんな景色に妙な懐かしみを覚えた。 こんな光が差す景色を前に見たのはいつだろう? 遠い昔のような気もすれば、ついさっきのような気もする。 それはきっと忘れ得ぬ記憶の片隅だからに違いない。 そうだ。 俺が以前にこんな感じの光景を見たのは昔ここにいたときの話だ。 俺と大樹と香菜多。 いつもの3人でいた遠く近く薄く濃い思い出。 俺がそれを思い出したとき、俺の意識は遥か彼方へと、 手の届かない過去の思い出へと飛び去っていた。 そうだ、俺たちは3人で遊んでいた。 この辺りはまだ開発が進んでいなくて森や野原があった。 今考えれば俺が小学一年になった頃からかなり変わり始めた気がする。 俺たちはいつも一緒だった。 ずっとずっとこのまま時が経ってもずっと一緒だと信じていた。 そうだ。 あの日もそんな風に考えることはなくともそう信じていた ある秋の頃の昼下がりだった。 3人でしようということになったのは”かくれんぼ”。 俺がオニで香菜多と大樹が隠れる。 百を数えてから俺は辺りを見渡した。 (だれもいないなぁ...。) まず俺は走り回った。 取り敢えず全ての所を一通り見ておこうという考えだったと思う。 範囲は大樹の家のとなりの広場から団地の端まで。 その先は少しだけ切り立っていてあのころの俺たちにとっては 断崖絶壁に見えたから、そこは外した。 だから、その切り立った所の前まで。 そこからはちょうどいい具合に森が見渡せる。 気持ちいいほどに広がった森や草原や田畑と空が 遥か彼方で入り交じり綺麗な一本の線になっている。 そんな光景だったと思う。 そして、一通り見回って誰も簡単には見つけられないと思った。 だから、隠れている所を考えた....と思う。 大樹はきっと、灯台下暗し、みたいな所に隠れている。 少しばかり考える奴は大抵そんな所にいるのだ。 俺は音を立てずに歩いて塀の裏側の草むらの裏を覗き込んだ。 そこは俺が数を数えていた所から数mしか離れていない。 でも、「だいちゃんみ〜つけたっ。」 「みつかったかぁ。」と笑う大樹がそこにいた。 照れた面持ちで出てくる大樹。 後は香菜多だけだ。 (どこにいるんだろう....。) 俺はその辺りをくまなく探した。 塀の裏、物置の中、草むら、高い所、死角になる所。 全部探したつもりでいたけど香菜多は見つからない。 (かなちゃん...どこにいるんだろ?) 時間が刻一刻と過ぎていく。 昼過ぎから始めたのに辺りは暗くなり始めていた。 秋の陽は暮れるのが早い。 そう知っていたわけではないが、俺はかなり焦っていた。 「か〜な〜ちゃ〜ん!どこ〜?」 「か〜な〜ちゃ〜ん!」 大樹も緒に探すこととなった。 もう既に”かくれんぼ”だったことは忘れていた。 香菜多が見つかるかどうか、それだけが心配だった。 「おとうさんにいう?」 「もうすこしだけさがそう?」 「うん...。」 大樹の提案を蹴ったのはどうしてだっただろう? 怒られると思ったのだろうか? とにかく俺は”自分で香菜多を見つける” という使命感に良く似たものに刈られていた。 「あっちまでいったのかなぁ?」 「あ、そうかもしれない。」 ”あっち”というのは崖のこと。 今の俺なら手を使わずに登れると思う。 でも、あのころでは少しばかり無理だった。 俺と大樹はかなり走った。 崖へと向かって。 何の理由も確証もないが確信だけはあった。 (きっとかなちゃんはあそこにいる。) そう思いながら着いた崖の下に香菜多はいなかった。 何もない草と森だけの世界。 俺なんかが入ったらすぐにでも溶かされて食べられそうな気がして、 背中の汗が滴るのを感じていた。 「かなちゃんいないね...。」 大樹が淋しそうに呟く。 そんな馬鹿な、と俺は思っていたはずだ。 (きっとかなちゃんはいる!) 「どこをさがす?」 大樹は俺の方を向いて話しかけてきた。 「きっとかなちゃんまよってるんだよ。 ボクがさがしてくる。」 「あ、そうちゃん!」 大樹の手が止めるのを聞かず俺は下へと滑り降りた。 所々すりむいたようで少し痛い。 「だいじょうぶ?!」 大樹が上で心配そうにこっちを見下ろしている。 痛いのを我慢して笑って応える俺。 「だいじょうぶ。だいちゃんはうえのほうをさがして。」 「わかった。きをつけて。」 「うん。」 大樹が少し小走りで見えなくなる。 我慢していた膝を見ると 半ズボンから出た脚に少しだけ赤い血が流れていた。 「いたいなぁ...。でも。」 俺は遠くを見た。 きっと香菜多はいる。 ここから大きく回れば団地の近くに出る道がある。 それを香菜多も知っているはずだからそっちへ向かっているだろう。 というのが、その頃の俺の予想だった。 痛い足を引きずりつつ少し声を上げて香菜多を探す。 「かなちゃ〜ん。」 返事はない。 ずっとさまよい続けた。 何度か来たことがあるがその日は曇りで空は薄暗かった。 暗い森に暗い空。 見えるのに何も見えなくなるような感覚に襲われる。 俺はそのまま進んだ。 続けて思ったのは、香菜多が帰ってこないのは きっとケガでもしているからだ、ということ。 そして..........あれ? それから俺はどうした? それから香菜多はどうなった? 何にも覚えていない。 そこから繋がるのは香菜多と見た空の雲間から差す薄紅い光の筋。 円柱が何本も連なって、パルテノンの神殿を そのままシースルーにしたみたいだ。 これはその頃思ったわけではないけど...。 この思い出はさっきのとどう繋がるんだ? 分かっているのは俺も香菜多も無事だったということ。 当たり前だ。 俺も香菜多も今現にこうして生きているのだから。 考えれば考えるほど思い出せない。 考えれば考えるほど気になって仕方がない。 今度、機会があれば香菜多に聞いてみよう。 いますぐ知りたいわけでも、必要なわけでもないしな。 俺は気を取り直して空を見直した。 先と少しの変化がある。 幾つもの筋は一本の太い光の塔へと変わっていた。 俺は遠くを見詰めるようにしてその光で焦点を合わせる。 視線が透き通り朝の街が映えて見える。 香菜多が乾いた髪で現れたのはその数分後のことだった。 俺と香菜多は雨上がりの道を特に急ぐでもなく歩いた。 一歩一歩をちゃんと確かめながら歩いていくように。 そして、俺の方を向いて屈託なく無垢に笑う香菜多を見て、 色々なこと、今までにあった様々なことを話した。 前に住んでいた所のこと、その時の友達のこと、 どんな学校だったのか、どんな街だったのか。 ここに帰ってきてどう思ったのか、香菜多と再会して本当に驚いたこと、 クラスのことや新しい友達のこと、テニス部のこと。 新木、正、秋斗、成瀬、あまり来ない2年生の話。 何だかずっと口の止まらない俺を香菜多は視線を反らすことなく ずっと相づちを打って笑って聞いていてくれた。 どうしてあんなに話したくなったのか、全然分からない。 予想すらもつかない。 でも、心の中では何かを確実に感じていた。 言葉にできない感情、思い、想い。 そうだ。 俺は今言葉にできない不定型のものに形を与えようとしているのだ。 それはちょうど人間の性格を完全にロジックとして、 ある一定のパターンを与えようとするのと同じ。 全くもって不可能で、全くもって意味のない行動。 そして、限りなく傲慢で身勝手な考え。 俺が今しようとしていることは全く意味のないこと。 言葉にできないものを言葉にした瞬間、それはそれではなくなる。 それでは何の為に言葉にしたのか分からない。 そう、言葉にしなくていいのだ。 感じたことを自分だけが見えない掴めない「何か」として、 認識して認めていればそれでいいのだと思った。 そして、俺は言葉を止める。 彼女も何も言わない。 言うことがないのか、俺の心情を察しているのか。 どちらにしても香菜多は良い娘だった。 俺の目の前には既にたどり着いた学校の門。 ここを通るとき、いつも入学式を思い出す。 何か嫌なことがあったわけでも、今が楽しくないわけでもないのに...。 脚は校門をまたいだ。 俺たち以外に人は見えない。 静まり返りひっそりとそびえる学校。 それも当たり前だ。 今はちょうど3時間目のまっただなかなのだから。 そして、俺に迫る危険が存在していた。 それを俺は知っていた。 でも、その時はすっかり忘れていた。 (数学の宿題....。) 遅刻と未提出のダブルパンチ。 はっきり言って、堪えた。 その罰として俺はその日居残りで数学をするはめになったのだ。 |