陽射しが真上から差す。
正確には少し西によっているのだが気分の問題だからあまり差はない。
影は小さくなって俺の陰に隠れている。
何度か滴る汗を拭いながら二人と話していた。
下駄箱で靴にはきかえて部室に入る。
着替えを済ませてまた外へと。
部室は蒸し暑いが外は直接に暑い。
どちらも辛いが何故か気持ちのいいものだった。
俺と大樹と秋斗はコートへと入る。
そこでは既に正と新木が練習を始めていた。
白井さんもいて俺たちが練習中に飲む水を水筒にくんできた所のようだ。
コートでは陽を遮るものが何もなくて、
暑すぎるときは部室前まで行って座るしかなかった。
「あれ?霞瑞は?」
秋斗は手で陽射しを妨げながらコートを見ていて
成瀬がいないことに気づいたようだ。
「まだ来てないみたいです。」
そうハキハキと答える白井さん。
このごろ気づいたのだがかなりさっぱりとした性格のようだ。
言いたいことは言うし言いにくいことも言う。
なんでも確かめないと気がすまないらしい。
「じゃあ、今日はもう来ないな。」
秋斗が一人だけ分かったように呟く。
「どうしてだ?」
「霞瑞はなぁ、どっちかって言うと
 真面目にクラブに出席するようなタイプじゃないからな。
 今まで来てたのが奇跡みたいなものだ。」
俺の質問に簡単に答える秋斗。
さすが成瀬の一番の親友。
何だか納得してしまう気がする。
白井さんは既にタオルを用意し始めていた。
(マネージャーの仕事があるかどうか心配だったけど...。)
何とか自分で仕事を見つけてやってくれているようだ。
俺たちにとっては嬉しい限りこの上なし。
「さっさとコートに入れって。」
俺にそう言ってきたのは大樹。
コートのあっち側でラケットを持って構えている。
「分かったよ。」
俺はその期待に応えてコートへと入った。
そして、構えると大樹がサーブを打つ。
高く上がったボールがラケットに打たれて
こちらへ音を立てながら飛んでくる。
俺は手から力を抜いて、ただボールを目で確実に捉えた。

「お疲れさまでした。」
部室からいそいそと出た所でマネージャーが声をかけてくれた。
俺たちが出てくるのを外で待っていたのだ。
俺たちが着替えを済ませてから、彼女が着替えるらしい。
一緒に...というわけにはいかないからな。
部室をもう一つ貰うわけにもいかないし。
「お疲れ。」
そう言ってその場から俺たちは立ち去ろうとした。
でも、そこで誰かが俺の腹を肘でこづく。
誰だ?と思って見たらそれは正だった。
しかもこちらを向いてはいない。
肘だけで俺に何か言おうとしているようだ。
「なんだよ?」
「あれ。」
正があごで前方を示している。
そこには....。
「あ、ソウ君。」
香菜多がいた。
それとあと二人女子生徒が一緒にいる。
香菜多だけが私服を着ていた。
いかにも普段着といったシャツとズボン。
その二人の娘は両方見覚えがある。
片方は名前も分かるぞ(って一緒に買い物にもいったしな。)
大樹の彼女の北浦花桜梨さんだ。
もう一人は.....名前は全く分からん。
「北浦さんも。...そっちの人は?」
俺はそのショートカットの娘の方を向いて香菜多に訊ねる。
何処かで絶対に見ている。
それも結構頻繁に。
でも、何処でだったかもいつだったかも分からない。
そして、香菜多に聞いたはずなのに、結果的に答えたのは秋斗だった。
「あれ?美崎だよ。蒼真も同じクラスだろーが。」
それに俺は予想以上に驚いた。
というのもクラスメイトだ、なんて夢にも思わなかった。
俺は秋斗を見てからその美崎さんを見た。
(そういえば、この顔の横だけ長いショートカットに
 見覚えがあるような...。でも、同じクラスとは...。)
「悪い。女の子はまだ分からなくて...。」
俺は秋斗から目を離して美崎さんに頭を下げた。
今ちゃんと見れば結構可愛い娘だ。
何で俺は知らなかったのか?
そこがかなり疑問に残る。
内気なタイプにも見えないし。
「ううん、別に気にしてないよ。
 私だって男の子を全部覚えてるわけじゃないし。
 私は美崎璃乃(ミサキ リノ)。
 改めて宜しくお願いします。」
彼女は軽く頭を下げると屈託なく笑った。
今度はちゃんと覚えなければ。
何度か自己紹介をしあってるはずなのだから。
そして、また秋斗。
「霞瑞の幼なじみなんだぜ。」
「そうなのか。」
「そういえば、今日は霞瑞来てないぜ。」
その言葉は俺ではなくて美崎さんにあてられた物だった。
その言葉に首を横に振る美崎さん。
「そうじゃないの。香菜ちゃんが学校に行くって言うからついてきただけ。
 私と花桜梨ちゃんで香菜ちゃんの家に行ってたの。」
「そうだったんだ。」
秋斗が妙に納得したように答える。
香菜多だけ私服だった理由はそれか。
「で、香菜多は何で学校に?」
「ソウ君、テニス頑張ってるかなぁ、って思って。
 わざわざ見に来てあげたんだよ。」
「悪い。もう終わったんだ。」
「見れば分かるよ。帰ろ?」
「ちょっと待って。白井さんも待ってあげないか?」
俺は忘れかけていた彼女のことを思い出した。
きっと彼女が聞けば”ひどーい”とか言うだろう。
でも、ぎりぎりで思い出したのだから勘弁して欲しい。
「白井...さん?」
”誰それ?”と言いたそうに小首をかしげる香菜多。
その表情で気づいた俺。
(そうだ。まだ言ってなかったか。)
「ああ、ごめん。6月頃に入ったマネージャーの娘。
 今部室で着替えてるはずだよ。」
「ふーん....。」
声が何だか恐い香菜多。
どうしたというのだろう?
「別にいいよ。」
今度は普通だ。
何だったのだろう?
白井さんが出てくるまで待つこととなったが、
その間、香菜多は正や新木と話していた。
俺は仕方なく秋斗と美崎さんの話に混じる。
彼女が出てきて少し驚いた顔をしたのはその数分後のことだった。
「待っててくれたんですか?」
「一緒に帰るだろ?」
「はい。」
俺の言葉に嬉しそうに笑って答える白井さん。
表情がはっきりしているから表裏なく付き合える。
こんな所が彼女のいい所だろう。
「じゃあ、帰ろっか。」
香菜多の言葉で一番に振り返る美崎さん。
やっぱり成瀬がいないのがちょっと淋しいらしい。
北浦さんがいなくなった、と思ったら後ろで大樹と楽しそうに話している。
秋斗は少し走ってまた美崎さんと話を始めた。
香菜多はまた俺のとなりで笑ってくれた。
もう普通の香菜多だ。
そして、二人並んで歩き始める。
でも、そのすぐ後ろには白井さんがいた。
正と新木が仏頂面をしていたのは言うまでもない。
紅く光る地面、木々、草花、校庭、校門、道路。
夕日の影響を享受して全てが一様に見える。
きっと俺たち9人も紅く見えるだろう。
お互いの顔が少し色づいている。
香菜多も例外ではなくて、その小さい顔が紅く光っている。
いつもの乳白色の肌が薄く赤く色づき微笑んでいる。
俺の目にはとても綺麗に映った。
「可愛い」でも「愛らしい」でもなくて「美しい」。
いつの間にか俺の知っている香菜多も大人になったと思いかけて、やめた。
何だか出来の悪い父親みたいだ。
子離れできない父親。
「どうかしたの?」
俺の愛しい人は俺の心のうちも知らずに何時もの如く俺に笑いかける。
「何でもないよ。」
俺は特に変わった様子もなく答えた。
ただ、そちらを見て笑ってそう言っただけ。
でも....。
「こんなにいっぱい人がいる所で、恋人同士やってるんじゃねぇっての。」
後ろから耳元に囁かれるつっこみ。
俺と香菜多は同時に驚いて振り向いた。
香菜多はかなり赤くなって困ったように俺を見た。
きっと俺も香菜多と同じ顔で同じように見ている。
さっきの言葉を発したのは新木。
今もまだ仏頂面のままで。
「あのなぁ...。」
「言わなくても結構。言いたいことは重々承知してる。
 ”俺と香菜多はそんなんじゃねぇ”だろ?」
手を俺の前にかざして言いたいことだけ言う新木。
何も言えず香菜多を見ると、少し沈んだ顔をしていた、
と思ったのは俺の思い過ごしだろうか?
「分かってるなら最初から言うな。」
「それでは俺の気が済まない。」
「新木の気が済もうが済まなかろうが俺の知ったことか。」
サラッと言ってのける新木に俺ははっきりと言った。
新木は何かの理由があったのかそれ以上何も言わない。
きっと暇だっただけだろう。
俺がもう一度捉えた彼女は普通の横顔で空を見上げていた。
大樹や美崎さんや白井さんや正の声。
耳に入ってくるのは、それだけ。
目の前に広がるのは空。
只の空。
夕焼けの空。
夜への入り口となる空。
何も変わったものはなく、限りなく平凡でこれ以上ないほどの空。
その中に何があったの?
その中で何を見たの?
その中に何を見ているの?
俺の言葉は言葉にはなり得ず、ずっと心を走り回るだけ。
その答えを独力で見つけようとしてもかなり不可能そうだ。
だって、空には空しかないのだから。
雲も風もないのだから。
「何見てるんですか?」
「え?」
自分の世界に入っていた俺を呼び戻した一つの声。
白井マネージャーの呼びかけ。
「空に何か見えます?」
「何も見えないな。でも、何かを見たいとは思ってる。」
「何だか哲学者みたいですね。」
くすっ、という彼女の可愛い笑い声。
香菜多は...今度は下を見ている。
「霧島さんって少し変わってますよね。
 私、そういう人嫌いじゃないですよ。」
赤面するような言葉を簡単に言う彼女。
その本人の方が変わっていると思った。
「そうかな...まぁ、取り敢えず、ありがと。」
「取り敢えずなら感謝して貰わなくて結構です。」
プイッと横を向いてしまった彼女。
そして、「ふふふ..。」と吹き出していた。
俺もつられて少し笑った。
何だか新鮮で楽しかった。
よく考えてみれば女子の友達なんて数えるほどしかいない。
しかも、話をするのは香菜多ばっかりだ。
俺は気がつけば気分がよくなっていた。
さっきは何があんなに気になっていたのかさえ分からない。
俺はそのまま視線を上に持ち上げた。
その途中に輝き始めた月を見つけた。
綺麗な三日月。
流れるような形で空に浮いている。
そして、俺たちを見守っている。

気づけば「赤」は「黒」へと変化している。
日が落ちるのは早いと実感した。
そして、もう一つ気づけば9人が3人になっている。
俺と大樹と香菜多だけ。
方向が違うから仕方がないが、少し寂しい。
「ねぇ、夏休みの予定ってある?」
ある会話の途中に挟まれた香菜多の質問。
唐突過ぎて答えに少し戸惑った。
そして同時に夏の到来を実感をもって知った。
「そういえば...もうそんな季節か..。」
大樹が黄昏たように言う。
どうやら俺と同じようなことを思っていたらしい。
「俺は特にない。クラブに没頭しようかな、と思ってるけど。」
「俺も蒼と同じ。多分、というか絶対そうなると思う。」
「そっか。」
香菜多はため息のような言葉を返してきた。
その言葉が一応の会話の仕切りとなったわけだが、
何かしらの含みがあるようで気になって仕方がない。
「香菜多はどうなんだ?」
俺の口は考えるよりも先に動いていた。
「うーん....海。」
「海?」
「そう。海に行きたい。夏の海での思い出が欲しいの。」
俺は少しの悲しみを覚えた。
そして、口は言葉を発し得なかった。
空を見ながらそう告げる香菜多の横顔は
どこか郷愁にも似た感情が溢れていて、俺の心を縛りつける。
全てを悟ったような表情、口調。
空に光る星に憧れ、何かを一心に切望しているように見えた。
この言い方では何か...何かおかしくないか?
香菜多に夏は来ないみたいだ。
香菜多は夏を生きられないみたいだ。
どういうことだ?
何故そんな言い方をするんだ?
何故そんな.....悲しみが満ち溢れた顔をしてるんだ?
「それって...どういう?」
動揺して混乱して適当な言葉が出なかったために
何か変な文になってしまった。
でも、意味は伝わったらしい。
はっとしたような彼女が言葉の羅列を口走る。
何も状況に変化を与えなかったけれども...。
「ん?深い意味はないよ。
 今年の...ソウ君が帰ってきた年の思い出を増やしたかっただけ。」
こっちを向いて微笑む香菜多が言った言葉はこれだった。
大樹は......ずっと下を向いて沈黙を守っていた。
二人に何とも言えないぎこちなさが見える気がする。
それは俺が思っているだけか?
本当はそんなことなんてありはしないのか?
本当はこの状況は嘘であって欲しい、そう願う。
何も分からぬままそう祈っている自分がいた。
「いいよ、行こうぜ、海。」
俺は殊更明るく振る舞った。
何かが心に引っかかっていることなど
香菜多にも大樹にも悟られたくはない。
香菜多は顔をこちらに向き直した。
笑っている、が、やはり表情がどこか硬い。
さっき自分の気持ちを漏らしかけたからだ。
「うん...よかった...。」
微笑んで、俺を見て、空を見た香菜多は、そのあとあくびをした。
「はは、何だよ。寝不足か?」
「ううん、違うよ。ちょっと気持ち良かっただけ。」
その顔は間違いなく香菜多だった。
大樹はいつの間にか視線を上げて香菜多を見詰めている。
俺のことなどは片隅にも捉えてはいない。
何かを思い詰め、悩み、心配しているように、目を凝らしている。
「楽しくなるといいね。」
香菜多の言葉は俺たちの気分を安らかにさせてくれる。
見上げた空には瞬き始めた星々。
その星の名をほとんど知らないように、俺だけが知らないことがある。
そしてそれはとても言えるものではない。
大樹は知っていてそして悩んでいる。
香菜多に深くかかわったこと。
さっき香菜多が言いかけたこと。
今度は来ない夏。
俺だけが一線をまたいで香菜多たちと一緒にいる。
大樹はその線の向こう側。
新木たちはそんなに近すぎる存在ではないからそういう対象ではない。
俺だけ、なのだ。
.......違う。
”今”知らないだけだ。
これからきっと香菜多は話してくれる。
俺に、まっすぐ俺をその綺麗な瞳で捉えながら告げてくれる。
そう信じるしかなかった。
俺の真上には黒いシートとその上に散りばめられた幾千ものクリスタル。
この景色を全てまとめて香菜多にプレゼントしたかった。
この景色を全部彼女だけのものにしたかった。