◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「霧島も来るんだろ?」
「え?何のことだ?」
「テストに向けての勉強会だとよ。」
だるそうにそう言い出したのは新木だった。
今この空間には俺と新木だけ。
大樹は「行く所があるから」と走っていってしまった。
どうせ彼女の所だろう。
なんだかんだ言って結構いれ込んでいるのだ。
秋斗も気づけばいなかった。
というわけで、自動的に一人となった俺は
寂しく部室へと足を運ぶことにした。
途中で水をポットへ汲んでいる永朔さんを見た。
ジャージのハーフパンツと半袖シャツ。
AMAKAWAと格好のいいロゴを入れたTシャツだ。
野球部が独自に作ったらしい。
ユニフォームの方にも同じようなデザインが入っている。
いかにもマネージャーといった感じ。
真剣な表情をしていた。
俺が言葉をかけようとしたら、別の女子が彼女に言葉をかけたので、
挙げかけた手を降ろして、話をしている彼女の横を無言で通り過ぎた。
何か言い切れない感情が広がる。
(声をかければ良かったかな。)と思いつつ俺は少し歩みを遅めた。
何も考えたくなくて部室のドアを開けるとそこには新木がいた。
というわけだ。
どうも時間が早すぎるらしい。
こいつは既に服を着替えて椅子に座っている。
俺はあいさつだけ簡単にして自分のロッカーを開いた所に
さっきの言葉が飛んできた、という状況だったのだ。
「勉強会?いつ?どこで?」
「今度の日曜日。俺の家で。」
「何で新木の家なんだ?」
「知るか。そんなことは俺に聞くな。」
吐き捨てるように毒づく新木。
何だか話が良く飲み込めない。
「...?テストがあるのか?」
俺のすっとんきょうな答えに、新木はズルッときてそして、立ち上がった。
「あるだろーが!あと5日だ。
 だからみんなで勉強するんだってよ。」
どうやらそういうことらしい。
あれ?
そういえば2週間前はテストのことを覚えていたような気がする。
そして、今は完全に知らなかった。
うーん...困った脳をしている。
そうか、テストまであと5日か。
(...ん?それってマズくないか?)
いや、悠長なことを言っている場合ではない。
かなりのマズさを兼ね備えた状況が展開しているではないか。
このままでは中間テストの二の舞いだ。
それはマズい。
追試が5つもあったらかなりやばい。
しかも今回は教科数が多くなっている。
「行く!絶対行くぞ!....でも、誰が行くんだ?」
「テニス部1年の6人、マネージャー、北浦さん、美崎さんだ。
 それと霧島は湖上さんを連れてこいよ。」
新木がスパッと言い放った問題発言。
「はぁ?何で香菜多まで?」
「馬鹿野郎。教えられるのが俺と水沢、白井さんだけだぞ。
 それに俺たちだって自分の勉強がある。
 頭のいい人は多い方がいい。」
「.......。」
力説する新木に圧倒されて完全に沈黙。
「分かったよ。極力連れていくようにする。」
俺の何だか炭酸の抜けたコーラのようなやる気のない返事は
いとも簡単に踏みつぶされるように否定された。
「極力じゃなくて、絶対。」
「了解....。」
それ以外には俺には言えなかった。
だって、新木の顔がかなり恐い。
自分の家、ということにどうやらかなりの不満を持っているらしかった。
なんだかんだ言っている間に着替えは終わっていた。
まだ誰も来ていないが大樹たちを待っていられるほど暇ではない。
「行くか。」
「そう....だな。」
マネージャーもまだ来ていないために
ボールの入ったカゴを自分で持っていく。
こんなことですらも面倒くさくて、おっくうだ。
白井さんが来るまでは全部自分たちでやっていたのに、
彼女が来てからというもの、全部彼女に押しつけたままだ。
白井さんは文句一つ漏らさないが、
それはきっと彼女が根っからいい人だからだろう。
人間が慣れるのは早い。
特に下へと堕落していく場合はさらに、だ。
(お茶も用意しなくちゃな...。)
考えて本当に嫌になっていた。
白井さんの有り難みが身にしみて分かる。
本当にありがとうございます。
だから、早く来ておくれ。
......全然分かってないか?
2年生はこのごろは全くと言って良いほど来ない。
小太りも、哲学者も、だ。
俺はドアに手をかけた。
それだけでやる気がそがれて、手を離したくなる。
だって、かなりの熱を持っていて掴んでいることはできないから。
こんなに暑い日に外に行こうとしている俺と新木はきっと馬鹿だ。
「何やってんだよ。早く行こうぜ。」
俺の気も知らず急かしてくる新木。
俺は渋々ドアを開けた。
少しずつ光が零れてくるのが分かる。
それと同時に焼けるような暑さも。
(えーい、行ってやるさ。)
俺は思い切ってドアを勢いよく押し開ける。
そして、ためらわずに外へと踏み出した。
やはり...予想以上に暑い。
冬になっても「夏がいい」なんて言いたくなくなるほどに暑い。
ノドもと過ぎれば....。なんて言うけど
過ぎるのを待ってなんていられない。
今すぐこの太陽が引っ込んで欲しかった。
俺は手で握ったラケットに力を込めた。
既に汗で濡れているグリップが強く手のひらに張りつく。
カゴを持った手を持ち直してコートの方へと歩き出した。

        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

待ちに待たなかった日曜日が来てしまった。
あと2日で大嫌いなテスト。
つまり今日は勉強会なわけだ。
何でこんなに勉強しなければならないのか?
それは学生だから、と言われてしまえば元も子もないが、
分かっていてもやはり文句は言いたくなってくる。
特に俺のように勉学というものがあまり得意でない人にとっては。
大勢でせっかく集まるというのに遊ぶことはできない。
(まぁ、そのうち雑談に変わるのが関の山だろうけど...。)
なんて思っている所からして、あまり真剣ではない。
そもそも半分強制的に連れてこられたのだからそれも仕方ないだろ?
俺は今、本屋でマンガを読んでいる。
午後1時ピッタリ。
ここで、新木以外の全員が集まることになっていた。
新木の家のすぐ近くの本屋なのだ。
ここから歩いて数分とかからないという。
(噂をすればなんとやらだ。)
店の前に2台の自転車が止まるのが見えた。
どうも香菜多と大樹のようだ。
マネージャー、北浦さん、成瀬に美崎さん、そして秋斗は既にここにいる。
(あとは正だ...。)
俺が数を数えている間に、大樹と香菜多は中へと入ってきた。
香菜多はピンクの花が一つだけ小さくあしらわれている白いシャツと
薄いグリーンの薄手のスカート。
大樹はブルーのTシャツに長いジーパンというごくごく普通の格好。
「よう、蒼真。」
「おう、大樹。それに、香菜多。....正は?」
「え?知らないぜ。まぁ、そのうち来るだろ。」
「そうだな。」
大樹がそう言うので待つことになった。
全員が全員、勉強とは全く関係のない自分の好きな本の所へ。
俺もそのままマンガを読むことにした。
でも、その後俺たちは少しばかり後悔を強いられることとなった。
正を待っていたことに対する後悔。
新木の不満そうな顔などのことだ。
というのも、大樹の言った”そのうち”が30分後だということを
俺たちが知ったのが30分後だったのだ。

「遅い。」
「悪い。正の馬鹿がかなり遅れて...。」
俺たちを出迎えたのは、金剛力士像のように怒った顔をして
玄関に現れた新木だった。
俺が先頭にいたために謝ることになったのも俺だった。
(遅れたのは正だぞ。)
そう心の中で毒づく。
でも、極力顔に表さないようにしていた。
(あとで正のやつ、覚えてろよ...。)
当の本人は既に何事もなかったかのように白井さんと話している。
「まぁ、いいや。上がれよ。」
「おじゃま..します。」
なぜか縮こまっている俺。
これでは俺が悪いみたいじゃないか。
新木はそう言うと時々こちらを向きながら二階へと登ろうとする。
結構広い、いい家だ。
でも、普通の一軒家だから限度はそれほど遠いものではない。
9人が一斉に靴を脱いだらそれだけで玄関はパンクしそうだった。
靴だのサンダルだのミュールだのがその土間に散らばっていた。
全員が流れに逆らわずに二階へと登っていく。
その中で香菜多だけがみんなの靴を並べ直していた。
こんな所だけ妙に几帳面なのだ。
せっせと直しているが何処か遅い。
(ふぅ、仕方ないな。)
「手伝うよ。」
「あ、ごめん。」
2人であと5人の靴を並べた。
白井さんと北浦さんは揃えてあったのだ。
そして、そのあとについていく。
でも.....。
「狭いな...。」
大樹がそう言い漏らした。
「ちょっと無理か...。」
それを肯定意見として新木が答える。
どうも新木の部屋が狭すぎて全員が入るのは無理らしい。
とは言うものの、広くても10人は少しきついと思う。
勉強をするのだったら多少のゆとりは欲しい。
それは絶対条件だ。
俺たちは諦めて今度は一階へ。
どうやらリビングでやることになったらしい。
階段を降りて廊下を通って。
そして出た所は光の満ち満ちている気持ちいい部屋だった。
日当たりが良くて全てが輝いて見える。
冷房がきつ過ぎずゆる過ぎずちょうどいい。
外は気持ち良く晴れていて中は涼しいなんて最高だ。
最初からここでやることにしておけば良かったのに、と思う。
リビングには向かって左側に椅子が4つのテーブル。
右側に背の低いテーブルとソファが2つ。
座布団もあるから右側には6人座れるだろう。
左側はキッチンもついていてきっといつもはここで御飯を食べるのだろう。
どちら側にも出窓か大きな窓があって白いレースのカーテンがあった。
風はないから揺れてはいないがキュッと結ばれて窓の両側を飾っている。
それだけでカーテンの存在意義があるような気さえしてきた。
「えーと、こっちのコタツに6人。
 そっちのテーブルに4人座るように分かれてくれ。」
新木が俺の予想と一緒の指示を出す。
本当に適当に、最初に立っていた位置でほとんど決まった。
テーブル組が、俺、香菜多、白井さん、正。
コタツ組はあとの人々。
取り敢えずコップに麦茶だけ注いでもらって勉強を始めることとなった。
各自が自分の勉強をする、というのが普通なのだが、
集まっているのだから正や大樹はすぐに質問を始めていた。
俺は気合をいれて数学の問題集を開く。
その問題集は簡単なA問題と難しいB問題があって
それらがセットで1ページとなっていた。
それの7ページが今回の範囲。
A問題から解き始める、が...。
(わからねぇ....。全く、欠けらすらも。)
さすが俺だ、なんて少し感心してしまった。
簡単な方の問題も解けないとは...。
とにかく教科書を見返す。
見落としている公式はないか、と。
でも、少しの進展も、ない。
(ヤバイかもしれない....。というかヤバイ。
 こんなんじゃ追試は決まったようなものだ。)
俺は雑巾のように頭を絞りたかった。
それで分かるのならば本当に絞っていたかもしれない。
考えて考えて考え抜いた。
が、普段使わないせいでか、クモの巣が張ったかのように、鈍い。
頭を抱えて肘がテーブルにつく。
基本的な「分からない」ポーズだ。
「分からないの?」
「え?」
何か天使のようにも聞こえる優しい声をかけてくれたのは、
俺の前に座っている白井さんだった。
俺は頭を上げる。
それと同時にマネージャーは体を少し乗り出してきた。
「これ?ここはさ、2次関数の問題だからさ、まずね...。」
「......。」
彼女の真剣な眼差しを見ながら、俺は説明に没頭していた。
絡まっていた紐が少しずつでも確実にほどけていく。
悩みは解けていく。
彼女の説明で俺は自力で解けるようになってしまった。
何に詰まっていたのかも良く分からないほどに。
類題も自分で何とか解ける。
しかも、答えはちゃんと合っていた。
強い感動を覚えずにはいられなかった。
「本当にありがとう。俺が数学分かるなんて滅多にないよ。
 白井さんの説明だったら教師よりずっと良いよ。」
「いえいえ。そんなことないよ。」
そう言って彼女はもとの状態へと戻っていった。
そして、また自分の勉強を始めたようだ。
見た所英語だろうか?
自分は英語をしながら人に数学を教えられるなんて...。
俺は感心しながら少しぼーっとしていた。
彼女のショートカットからこぼれた匂いがまだ辺りに少し香っている。
「マネージャーに見惚れてんじゃねぇよ。」
「うわっ!」
いきなり横から新木の顔が現れた。
俺は驚いて後ろに飛び出しそうになる。
白井さんの可愛い顔が
いきなり新木に変わったらびっくりしない奴はいない。
俺は何とか後ろに倒れていくのを防いだ。
「見惚れてねぇって!」
「いや、絶対、何かうっとりしてたな。」
新木はきっぱりと言い切り俺の言葉など聞こうとしない。
腕を胸の前で組んで仁王立ちしている。
白井さんは俺の前で口を押さえてクスクス笑っていた。
「どうでもいいから、自分の勉強してこいよ。」
「へいへい。」
かなり苦しい俺の反論。
にやけた顔で新木が言う。
そして、こっちを向いたまま後ずさりするように戻っていった。
俺は小さく「ふぅー。」と息をついてまた問題集を見た。
そして、横目でちらっと香菜多を見た。
さっきからずっと彼女は正に数学を熱心に教えている。
こっちに目くばせしようともしない。
その仕草が何だか怒っているようで、気にかかって仕方なかった。

窓からの光は既に絶えていた。
光の角度が変わってここからは入らなくなったのだ。
そして、それと一緒に色も変えて空と大地を色づけている。
薄く情熱的な朱色。
一般に夕焼けと呼ばれる時間。
俺はこれからもう少しあとの黄昏時が好きだった。
勉強会の終幕はとっくに降りている。
10人も人がいれば勉強などというものが長続きするはずがない。
雑談が雑談を呼び、雑談が勉強を遠ざける。
それを幾度となく繰り返した後に、勉強会は崩壊した。
それがおそらく....2時間くらい前のことだ。
まぁ、3時間しただけでも十分としよう。
(後2日しかないけど....。)
範囲は終わったのか?と聞かれれば首を横に何回か振るしかない。
でも、此処まで来たらあと出来るのは神頼みと腹をくくることだけ。
みんなきっとそう考えているはずだ。
一部の余裕な人々を除いて....。
「飯でも喰いに行くか?」
新木の唐突な提案。
勝手に話をしていたみんなが一斉に振り向いて新木を見た。
「何処かにおいしいお店ってあるの?」
何処か楽しそうな印象を受ける美崎さんの質問。
どうやら彼女も俺と同じで勉強が得意ではないらしい。
「ここから歩いて3分ぐらいの所にイタ飯屋があるぜ。」
「行く!ね、みんなで行こうよ。」
いやにテンションの高い美崎さんは顔全体で笑っている。
そして、みんながその提案に乗らない理由はなかった。
全員で家を出る。
締め切った空気から解放されて
何だか体のそこから綺麗になっていくみたいだ。
昼間の肺を焼く暑さも何処かへ姿を潜めた。
どこか乾いた涼しい風が全員を優しく撫でていく。
暗闇の迫る道を、全員で楽しく歩いた。

        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

あの日が2日前の出来事となった。
つまりあの日の2日後、つまり今日はテスト当日というわけだ。
朝の空は晴れきっていて、いつもより遠くの空まで見える。
遠くに見える山が青々としていてとても生命力に溢れている。
今の俺とは大違いだ。
今すぐあそこまで飛んでいきたい。
そうすれば、テストを受けなくてすむ。
でも、逃げるわけにはいかないのだ。
それに今回は中身もともなった自信があった。
(みんなで頑張ったのだから大丈夫だ。)という自信が。
手を握りしめて前を向く。
延々と続くいつもの道。
俺は息を吐いてゆっくりとまた歩き出す。
「よう、蒼。」
「おはよ、ソウ君。」
突如としてかけられた声が俺を後ろに振り向かせた。
そこにいたのは、分かっていたが、いつもの2人。
「おはよ、香菜多。」
俺は香菜多に優しく微笑みかける。
制服に身を包んだ香菜多はいつも通りに穏やかな笑顔をしていた。
「俺は?」
「よう、大樹。」
大樹の不満そうな声に応えて俺は軽く手を挙げた。
でも、不満は治まらなかったらしい。
「なんで香菜多には”おはよ”で、俺には”よう”なんだ?」
「そんなことが不満か?」
「不満って言うか、気になるだろ?」
どうでもいいことが気になる男だ。
「大樹だって”よう”って言ったじゃないか。」
「そりゃそうだけどさ...。」
「はいはい。もういいでしょ?あんまりそんなことばっかりしてると
 テストの点が悪くなっちゃうよ。」
香菜多が、近所の優しいお姉さんって感じで、俺たちの間にわって入った。
そこで俺たちのくだらない口論は終了。
本当にくだらないどうでもいいことだ。
「そうだ...な。」
「まったくだ。どうでもいいな。」
そして、顔を見合わせた3人で軽く笑い合う。
テストの当日にこんなにリラックスしていることは珍しい。
風が吹いて3人はその方向に向いた。
学校の校門が立っていて生徒を何人も飲み込んでいく。
俺たちもその生徒たちに混じった。
その風に誘われて、中へと入った。