7月31日(Fri) AM10:00
今日は出かけることになっていた。
なんと春奈の方から誘ってくれたのだ。
今までほとんどなかったことに少しの戸惑いを覚えた。
大学は既に夏休み。
1年目の夏だからまだまだ楽なのだ。
(やっと慣れてきたし...。)
だが、今日が発端だったのかしれない。
俺の時が狂ってしまう...。

待ち合わせ場所。
もう春奈は待っていた。
いかにも夏らしい格好をしている。
薄い水色のシャツと少し短めのスカート。
肩で切りそろえられた髪が揺れてこっちを向いた。
(少し怒ってるな...。)
「遅かったね。」
ちょっと口調が怖い。
「悪い。」
「それだけで済むと思ってるの?」
「男ってのは遅れて来るんだよ。」
「はぁ、もういいよ。でね...。」
春奈が横目で後ろを見ている。
俺もその方向を見た。
(なんで.....。)
「よう、これはこれは優人、奇遇だな。」
「こんにちは、優人君。」
潤と平山がこっちに向かってきていた。
(ことごとく邪魔しやがって...。)
「ことごとく邪魔しやがって、って顔をしてるな。」
「良く分かってんじゃないか。」
「まぁ、そうかっかするな。」
そう言って潤は手を俺の顔に突きつけてせいする。
何か言うことがあるようだ。
「優人さ、海好き?」
「はぁ?」
「いいから答えろ。」
全く先が読めない。
春奈はといえば...平山と何か話している。
(もしかして...今日って..。)
「で、どっちなんだ?」
「..好きだよ。」
潤が少し笑うのが分かった。
「よし決まった。7日から5日間空けとけよ。」
「待て、話が全く見えないぞ。よく説明しろ。」
「しょうがねぇなぁ。」
こいつの話によると、来週の金曜から火曜まで
平山の父親の別荘に旅行に行こうというのだ。
俺、潤、平山、春奈の4人で。
既に春奈はOKしているらしい。
そして、今日ここへ呼び出されたのも、もちろんこのためだ。
一気に力が抜けた。
今日の気合はどこへ行ったんだ?
どうして空は晴れてるんだ?
「優人、聞いてるか?」
「ああ..で、8月7日にどこへ行けばいいんだ?」
「家で9時までに用意して待ってろ。迎えに行くから。」
そうだった。
こいつは既に免許と車を持っているのだ。
俺は原付もまだなのに..。
「さっきからどうしたの?優人君。」
うなだれている俺に平山が尋ねる。
「あ..ああ、なんでもないよ。」
何でもないことはないが、
いつまでもショックを受けていても仕方がない。
そう思って気持ちを取り直した。
「わかった。」
その時平山が手をポンッと叩いて言った。
「ひょっとして、春奈ちゃんとデートできないのが嫌なんだ?」
一瞬で視線が上がった。
平山の方を向きはするが、図星だったのだから何も言えない。
「え、ちょっと、綾ちゃん。」
少し困った様子の春奈。
「別に照れなくてもいいのに。つき合いだしたばかりでもないんだし。
 じゃあ行こっか、潤。」
「ああ、そうだな。後は2人に任せる。じゃあな。」
「おい、潤...。」
俺の言うことも聞かず二人は行ってしまった。
春奈もあいつらの帰っていく方を見ている。
こうなって欲しかったけど..いざそうなると..。
(これからどうしろっていうんだ?)
それにまだ春奈から「好き」って聞いたことないんだよな。
春奈がゆっくりとこっちを向く。
目があって妙な照れくささが場に満ちていくのを感じた。
どうしようもなくて目をそらす。
彼女がゆっくりと口を開いた。
「...今から、どうしよっか?」
「...。」
時計を見た。
11:45、ランチにしてもいいかもしれない。
「何か食べにいこうか。」
「そうだね...。」
二人で歩き出した。
照れはしていたものの、二人の間にあった線が一本消えた気がした。

「もう5回も過ぎちゃったんだね。」
その声でオムライスを食べる手を止める。
春奈の方を向いた。
彼女はスパゲッティのフォークを回している。
どうも、窓の外を見ながらつぶやいていたようだ。
「なにが?」
「春、夏、秋、冬、そして、春。もう一年以上もたつんだ。
 優人と出会ってから。」
こっちを向く春奈。
その穏やかな顔に答えた。
「そうだな。2人で大学も行けたし言うことはないな。」
「優人が浪人したからだね。」
春奈が微笑んで答える。
「あの時は落ち込んだな。B判定だったのに..。」
「..そんなときの電車だったね。」
「あんなことは初めてだったよ。
 知らない娘が肩にもたれてきたなんて。」
「すごく眠かったんだ。あんまり寝てなかったから。」
「そういえば、その前の夜何してたの?」
ちょっと考え込む春奈。
反射的に、聞いてはいけなかったのだろうか?と思ってしまう。
「うーん...ちょっとね。」
曖昧な答えが返ってきた。
そう彼女は俺にまだ大事なことを何一つ話してくれていない。
一人でいた理由、高校へ行かなかったわけ。
聞きたいことは多かったが、まだ聞けなかった。

太陽の照らす中、俺たちは歩いていた。
商店街をぬけ駅へ。
この辺りは活気があった。
まだ3時半なのだが、今日は春奈は用事があるのだそうだ。
駅前に着くまで会話らしい会話が存在しなかった。
俺は少し不安になる。
(春奈にとって俺って何なのだろうか...。)
だが、次の瞬間少しだけ心が楽になった。
「私たち..つき合ってるんだよね..。」
春奈の背中が尋ねてきた。
「ああ。」
先を歩いていた春奈がこっちを向く。
「じゃあさ、うーん...明後日、デートしない?」
「え?」「今日の代わり。ね?」
「ああ、いいよ。」
「よかった。」
春奈の顔が少し緩む。
今までにないぐらいの笑顔だ。
ちょっと彼女のイメージが砕けた。
「じゃあさ、明後日の10時に、ここ。」
そう言って彼女が下を指さす。
そこは駅の前の噴水だった。
「わかったよ。遅れないようにする。」
「今度遅れたら許さないからね。..じゃあね。」
「ああ、バイバイ。」
手を振ると笑って応えてくれた。
駅の中へ消えるまで見送る。
心の距離が縮んだ気がした。

8月2日(Sun) AM 9:55
(はぁ、はぁ、はぁ...くそ、間に合うか。)
走っている。
このくそ暑い太陽の下を。
しかも全速力で。
これまで見たこともないようなスピードな気がする。
時間に遅れるのだけはまずかった。
もう少しで噴水。
そこに見える人影は時計を見ていた。
(あと...3分。...大丈夫だ。)
噴水の横で膝に手をついて呼吸を整える。
汗がアスファルトを黒く染めていくのが見えた。
「ギリギリセーフ。危なかったね、優人。」
「はぁはぁ...遅れなくてよかったよ。」
春奈がくすっと笑う。
「じゃあ、行こっか。電車の中は涼しいからさ。」
「あ、ああ。」
言われるがままついていく。
彼女は短いスカートに白い肩までのシャツ。
肌の露出が妙に多い。
それだけで俺は目のやり場に困ってしまう。
だから、ずっと空を見ていた。
後ろでついていきながら、太陽を見ていた。

「ふぅ...。」
春奈の言った通りだった。
電車の中は涼しい。
春奈は横で窓の外を眺めている。
目の前には、母親とその子供らしい親子が座っていた。
「なぁ春奈、今からどこへ行くんだ?」
窓から目を離しこっちを向いて彼女が答える。
「いいところ。」
「いいところって...。」
切符の値段を見る限りそんなに遠い所ではない。
そんなことを考えていたときだった。
「お兄ちゃんたち、コイビト?」
目の前に座っていた男の子だった。
母親が必死で「すみません」的な顔をしている。
(最近の子供は...。)
何て答えようか困っていると、
春奈が座席の間に降りて子供の両肩に優しく手を置いた。
「うん、そうだよ。」
その横顔がとても柔らかで少しドキッとしてしまう。
今まで見たことのない優しい笑顔。
こんな顔もするんだなと思ってしまう。
親子が降りていくと後は何も特に話さなかった。
その時間がどういうわけか気持ち良かった。

改札をぬけると太陽の独壇場だ。
今までの涼しさはどこへ行ったのやら。
「ここから少しだけ歩くの。..行こ。」
「ああ..。」
2.3歩先を歩く春奈についていく。
何を話そうかな...。
「さっきの子供には困ったね。」
「え?どうして?」
春奈がさも不思議そうに聞いてくる。
「どうしてって..。」
「恋人同士でしょ、私たち。」「ああ。」
(はっきりと言いにくいことを言ってくれるな。)
「じゃあ、いいじゃない。それとも照れてるの?」
「そういうわけじゃないけど..。」
「冗談だよ。..もう少しだから。」
大きな建物が見えているのに気づいた。
(あれかな...?)
「あれに行くの?」
「そう、水族館。私好きなんだ。」
そうだったのか。
全く知らなかった。
「久しぶりだな、小学校の遠足以来だ。」
「ずいぶん来てないんだね。」
「機会がないとね。」
楽しそうな彼女を見て少し嬉しくなる。
やっぱり俺、好きなんだな、と思った。

間近でみるとさらに大きく見える。
自動ドアが開いてそのまま中へ進んだ。
「涼しい...。」
「暑かったからね...。」
一通り休んでチケットを買った。
そして奥へと進む。
そこには多すぎる魚がいた。
そのそれぞれに春奈は違った表情を見せた。
俺に見せてくれる何倍もの顔を...。
魚じゃなくて春奈を見ていても飽きなかった。
(いつか...俺を向いて見せてくれるよな...。)
その願いは尽きなかった。

帰り道。
朝来た道をそのまま戻っていた。
もう太陽は赤くなっている。
すごく一日が早かった。
「楽しかった...。本当に。」
「魚が本当に好きなんだな。」
「うん。私さオーストラリアとかで
 保護されたイルカの世話がしたいんだ。」
「へー、大きな夢だね。..日本じゃダメなの?」
「うーん..日本ではちょっとね..。」
少しだけ顔をうつむける春奈。
前の顔に戻ってしまった。
だから、これ以上は何も聞かなかった。
何か聞いたら春奈が先に行ってしまいそうで..。

電車が俺の降りる駅に着いた。
彼女はこのまま乗っていくので降りるのは俺だけ。
「じゃあ、またね。」
「ああ、また電話する。」
「うん。旅行...楽しみにしてる。」
「バイバイ。」
「バイバイ..。」
会話が終わるのを待っていたかのようにドアが閉まった。
春奈はこっちに向かって手を小さく振っている。
俺もそれに答えた。
紅く染まったプラットホーム。
人もそんなに多くなかった。
俺はずっと彼女を乗せた電車が見えなくなるまでそこで見送っていた。

8月7日(Fri) AM 7:00
ピピピ..ピピピ..ピピピ..
耳障りな目覚ましが鳴り響く。
(まだ7時だぞ..誰がこんな...。)
そこまで考えて気がついた。
(今日から4泊5日の旅行だった...。)
少しずつ意識がはっきりしてくるのが分かる。
少し頭がましになったため起き上がって服を着替えた。
昨日用意しなかったから今からそれもしなければ。
2時間でできるだろうか?
まぁ、十分だろう。
軽快なステップで階段を降りてテレビをつけた。
下の部屋は既に温かかった。
母親は婦人会の旅行。
父親は仕事でもういない。
(俺の部屋、カーテン開けるの忘れた。)
気づいても実行しようとはしない。
これが朝ってやつだ。
パンを取り出しオーブンへ。
その間にハムと卵を炒めコーヒーを入れる。
並べ終わったときにちょうどチンッという音が鳴った。
ここまで慣れてくると自分で感心してしまう。
手早く朝食を食べ、二階へ。
カーテンを開けると光が部屋を包んだ。
まぶしすぎる太陽。
これでもかというほどの晴天だった。
タンスの中を調べる。
(4泊5日分の服となると...。)
洗濯して2回着るのがあるとしたら上下4着位かな?
まぁ、これだけあれば足りるだろう。
大きめのボストンバッグを取り出す。
そこに、適当に取り出した服を詰めた。
夏服だからそれほどかさばりもしない。
(これぐらいなら..いいか。)
後は身の回りのもの。
歯ブラシやタオルなど。
こういうとき自分でも信じられないくらいマメなのだ。
用意が一通り終わり、もう一度確認。
その時既に8時20分を回っていた。

外で車のエンジン音が聞こえた。
おそらく、と言うか間違いなく潤だろう。
もう全員いるのだろうか?
まぁ、考えている暇などない。
バッグを持って外へ出た。
1BOXの黒い車が家の前に止まっていた。
運転席から潤が右ひじを突きながら指で「来い」と合図している。
「おはよ、早いな。」
「まぁな、早く乗れよ。優人で最後だからさ。」
後ろへ回ってトランクを開ける。
なるほど。
既にバッグが3つと箱が1つ。
これにはいろいろ入っているのだろう。
バッグを載せて、トランクを閉める。
そして、後ろの席に乗ろうとドアを開けた。
「あ、優人。おはよ。」
「優人君、おはよう。」
春奈と平山が既に乗っていた。
(つまり、俺はどこに?)
そんな俺に潤が声をかけた。
「優人は助手席だ。」
なるほど。
慌てた素振りを見せないように答える。
「わかってるよ、そんなこと。」
席に座り、シートベルトを閉める。
出発しようとしている潤に尋ねた。
「で、今日の目的地までどのくらいかかるんだ?」
「空いてたら2時間くらいかな。」
「道は分かってるのか?」
「地図があるさ。」
(3時間はかかるな..。)と思った。
車は走り出す。
朝の住宅地を滑るように走っていく。
完璧な晴天だった。

既に3時間が経過している。
まだ着く気配すらも感じられない。
どっちを向いてもどこだか分からない。
実を言うとかなり迷っていた。
俺の予感は大当たりしたわけだ..しかもおまけ付き。
当たらなくていいものほどよく当たる。
人生の教訓だ。
なんて事を考えている暇はない。
おつむの弱い潤の代わりに俺ががんばらねば。
人のことを言えた頭じゃないのだが...。
後ろの二人はすっかり寝こけている。
だが、俺が寝ようものならこいつは一生たどり着けないだろう。
(ナビぐらい付けろっての。)
必死になって車を走らせる潤。
この後さらに1時間半を要した。

「ふぅ....。」
「やっと着いたな....。」
二人の言葉が海風にさらわれてその姿を消していく。
車から降りて風を感じていた。
海の見える駐車場。
横には俺の家くらいのログハウスが立っている。
これが別荘だってんだから驚く。
とりあえず中の二人を起こすことにした。
「春奈、起きろって。」
「綾、着いたぞ。」
「う..ん?」
二人はほぼ同時に目を覚ました。
眠そうな目をこすりながら聞いてくる。
「着いたの?」
「ああ、やっとな。」
時計の針は既に1時とあと半周回っている。
太陽が照っていてどうしようもなく暑い。
でも、なぜかすっきりとした気分だった。
荷物を下ろし、家の中へ。
潮風、海の匂い、波音が妙に気持ち良かった。

紅い太陽が水平線に沈む。
今日は掃除、片づけ等で費やしてしまった。
すぐに日は沈むだろう。
手早く料理を作って食べた。
この家の一階はリビングとつながったキッチン、
その他にバス、トイレ、バルコニーがある。
二階にはベッドが2つずつ並んだ部屋が3つと
リビングと吹き抜けになっている所があった。
何とも洒落た造りだ。
部屋のそれぞれの窓からは海が見えた。
そして、俺は潤と寝るのだとばかり思っていたのだが...
「おまえらも2人で寝ればいいじゃん。」
という潤の一言で、俺は春奈と、潤は平山と寝ることになってしまった。
おそらく、何事も起こらないのだが...。
何とも落ち着かない気がする。
(同じ部屋で春奈と寝るなんて..。)
一日目はこうやって幕を閉じた。
夜はずっと窓の外の海を見ていた。
春奈の寝息が聞こえてきてなかなか寝つけなかったから...。

足の裏の砂の感覚が心地いい。
空には月だけが出ている。
海はその月明かりを反射して輝いている。
その輝く海で春奈は泳いでいた。
寄せては引いていく波に身を委ねて、
彼女は気持ち良さそうに泳いでいる。
その光景を見ていることがとても贅沢な気がした。
座って空を見上げる。
波音だけが聞こえる。
昼間の暑さがうそみたいだ。
不意に大きな波の音が聞こえた。
その方を見る。
....春奈が....いなくなっていた。
「春奈...?...春奈!」
俺は立ち上がって海を見渡した。
見つからない。
(春奈!)
走って海の中へ入っていく。
服が濡れたって構わない。
...彼女が..助かれば...。
1時間経っても彼女は見つからなかった。
春奈は俺の前から姿を消してしまった。
..........永遠.....に。

「!!!.....。」
目覚めた辺りは暗かった。
汗で服が少し湿っている。
(夢...だったのだろうか...?)
横から春奈の寝息が聞こえる。
何事もなかったようだ。
(何故...あんな夢を...。)
俺は枕元の時計を見る。
デジタルの光が8/8 AM 3:12
と光っていた。
「ふぅ....。」
それが安堵の息なのか、ため息なのか分からない。
窓からの青い光が部屋の中を照らす。
こっちを向いて眠る春奈の顔も。
先の夢が離れなくてずっと春奈を見ていた。