「........。」
「........。」
「........遅いな...。」
潤がつぶやく。
その言葉さえも波の中に沈んでいった。
さっきからほとんど会話が無い。
全員が全員自分の中の不安をかき消そうと必死なのだ。
辺りは暗くなり始めている。
平山がまだ帰ってこないのだ。
「俺、迎えに行ってくるから。」
突然潤がそう言って立ち上がった。
やはり心配で仕方ないらしい。
かなり暗い感じの表情をしている。
こいつには珍しい顔だった。
「あ..ああ。」
「二人で待っててくれ。」
「分かった。」
潤はさっそうと車の方へと走っていく。
二人で火を囲んでいた。
「綾ちゃん...どうしたのかな...。」
「なんにもないさ...きっと..夕日でも見てるんだよ。」
「そう..だよね...。」
炎の燃える音。
俺たちの声だけがうら寂しく響く。
夕日なんてとっくの昔に消えていた。
風に身を任せて時間が経つのを待つ。
エンジン音が遠くで響いた。
そんなに遠いわけではない。
ここから見える駐車場なのだから。
しかし、果てしなく限りなく遠くで聞こえたのだ。

「...帰ってきた。」
聞き覚えのある音が聞こえた。
春奈が後ろを見る。
俺もつられてその方向を見た。
ちょうど潤の車が入ってくる所だった。
あれから何分が経ったのだろうか?
どれくらいだったのかよく分からない。
それほど時間はたっていなかった気がする。
でも、十数分は流れているはずだ。
やっと帰ってきた車に近寄る。
日はほぼ沈み切っている。
運転席から降りる潤に声をかけた。
「潤、平山は?」
「救急箱を用意して中で待っててくれ。すぐに連れていくから。」
潤の声はかなり焦っている。
そんな素振りは見せないが。
「何かあったのか?」
「訳は後で話す。早く!」
潤の大きすぎる声が海まで響き渡る。
こいつはそれほど焦っているのだと。
それほどの事が平山に起こったのだと。
そう分かったので、潤の言うことを急いで実行する。
春奈と二人で中へ戻って救急箱を用意して待っていた。

しばらくして潤が平山を抱いて入ってきた。
時折平山の小さな声が聞こえる。
呼吸がかなり荒い。
平山は体中すり傷だらけだった。
「..何があったんだ?」
「ちょっとだけ待ってくれ。手当てが先だ。」
その通りだった。
その通りだが...。
春奈もかなり心配そうな顔をしている。
潤が平山をゆっくりとソファに寝かせた。
ある程度服を脱がせてから潤が消毒を始める。
その度に平山が消え入りそうな声を上げる。
「病院...行ったほうがよくないか?」
潤は手を休めずに答えた。
幾分さっきよりは落ち着いてきたらしい。
「これだけ暗いと、俺はたどり着く自信がない。
 どこにあるのかも分からないからな...。
 明日の朝一で連れていく。」
...全員の顔がすごく険しい。
どこかで滑ったのだろうか?
それならかなりの距離を滑ったらしい。
「...事故にあった....。」
潤が突然、聞き取るのがやっとのような声で言う。
「え..?」
「買い物の帰りだ...。
 車とぶつかりそうになったのをかなり無理に避けて...。」
平山の全身は痛々しい傷だらけ。
潤は淡々と手当てを進める。
(やはり...俺のせい..なんだろうな...。)
目を閉じている平山。
下を向いて手当てを続ける潤。
心配そうに見つめる春奈。
無駄な音など一つもしない。
こんなに波音が大きいなんて知らなかった。
もう此処に10日以上もいるのに....。

空気が緩んでいた。
さっきよりもかなり気が楽だ。
平山はささやかな寝息を立てている。
潤が起こさないようにそっと毛布をかける。
そして潤は俺と春奈のいるテーブルに来て座った。
下を向いて何も言わない。
静寂を壊したのは春奈だった。
「コーヒーでもいれるね。」
立ち上がってカップを3つ出す。
その陶器のぶつかる音だけがここには存在している。
俺たちはいないかのようだった。
火のつく前の小刻みな小さな音...。
重苦しい雰囲気が漂う。
俺は覚悟を決めた。
いつまでもこのままじゃいけないと思った。
だから、潤に言うことにしたんだ。
「なぁ...。」
潤がゆっくりと首を上げる。
そんなことすらもおっくうそうだ。
「なんだ....?」
「話がある。」
「後にしてくれ...。」
そう言ってまた下を向こうとする潤。
「今じゃなきゃダメなんだ。春奈、平山を頼む。」
「え...うん。」
春奈が何が何だか分からない様子で小さくうなずく。
「二階で待ってるからな。」
潤は答えなかった。
そして、数秒間が流れただろうか?
その後だった。
小さな小さすぎる声が聞こえた。
「....わかったよ..。」

二階の俺と春奈の部屋。
潤と俺が一つずつ、それぞれのベッドに向かい合うように座る。
何も聞こえない。
一つだけついているランプがいやに明るい気がした。
「なんだよ..話って..。」
「ああ、どこから話そうかな...。」
「....。」
何も言ってこない。
ショックが大きすぎたようだ。
「実は..平山がけがしたのは、俺のせいかもしれない。」
平山の名が出た途端、順は顔を上げこっちを見つめる。
「どういうことだ...?」
「俺が、平山が指を切らないようにかばったから...。」
「指を切る..?どういうことだ?」
潤は2度目の質問を口にした。
じっとこっちを見つめる。
平山のこと以外何も考えられないらしい。
俺は心に決めた。
「俺は...時を繰り返してるんだ...。」
潤の顔が不思議そうな顔になる。
「なんだと?」
「言葉の通りさ...。」
俺の言った言葉を完全に理解したらしい。
その後、怒りが込み上げてきたような顔になった。
「ふざけろ!!そんなことを言うために俺を連れてきたのか?!
 馬鹿馬鹿しい!」
「待てって。..冗談ならそうしてほしいよ...。」
潤は俺の表情を読み取ったようだ。
とりあえず、ふざけているのではないことは伝わった。
潤から力が抜けていく。
そして3度目。
「どういうことなんだ?」
「俺はもうここで10日以上を過ごしている。
 今回でもう3回目なんだ。みんなで囲んだ火も、海で泳いだことも。」
「何を言って..だって俺はそんなこと知らないぞ?」
「そうらしいな。誰も、俺以外の奴は気づいていないらしい。
 でも、事実なんだ。俺が知っている言葉を全員が繰り返す。
 これほど悲しいことはないぞ。」
「悪い..想像もできない。」
「いいさ。俺だってこんなことを言われたら信じるはずがない。
 でも、真実なんだ。...最初から話す。
 俺は一回目の8月8日の夜、夢を見たんだ。」
「夢?」
「そうだ。春奈の死ぬ夢。海にいたら、春奈がいなくなってた。
 そして、目が覚めた。その時が8月8日の午前3時12分。
 それから、普通の5日間を過ごした。」
「ちょっと待て。その時も綾はこうなったのか?」
「違うんだ。最後まで聞いてくれ。
 そして、8月11日の夜、春奈がいないことに気づいた。
 そして、誘われるように海へと出た。
 そこには春奈の靴だけがあった。春奈は死んだのだと分かった。
 そして...目が覚めた。
 この部屋のこのベッドで。
 海岸にいたのに、いきなり此処だそ。
 しかも、俺はまた8月8日の午前3時に戻ってきていた。
 それから、それをもう一回繰り返した。
 俺は春奈が死ぬ所をもう3回も見ている。
 どうしようもないんだ。..平山のことに戻るぞ。
 本当なら8月10日、つまり今日、平山は指を切るはずだった。
 それを俺が止めたんだ。3度も指を切ることはないって。
 だから、本当ならおまえが行く買い物に彼女が行った。」
「そして..事故にあった。」
「そう、指を切っていたら自転車で行くなんて言い出さなかったんだ。」
潤は黙りこくっている。
「すまない....。」
「おまえは....。」
「え..?」
「優人はいつまでそのままなんだ?」
それが分かったら苦労はしない。
俺が一番知りたかった。
「わからない....。」
だが、その答えは潤には届いていなかった。
「俺たちはどうなるんだ?12日になったら優人が消えるのか?
 それとも、俺たちが消えてまた8日に戻るのか?
 そうなったら今の俺たちはどうなるんだ?」
かなり潤が興奮している。
いくつもの質問をほぼ同時に出してきた。
だが、その質問のどれにも答えることが出来ない。
それが出来たなら苦労はしない。
それが出来るのならこんなに悩んだりはしなかった。
「すまない、何も分からないんだ...。」
そう言って下を向いた。
その瞬間だった。
いきなり襟を掴まれる。
潤だ。
そのこぶしが小刻みに震えているのが分かる。
「..なんとかしろよ....。」
聞き取れない声を潤が発する。
前にいる潤はうつむいていた。
「え...。」
俺のその声に呼応するように潤は頭を上げた。
「なんとかしろよ!おまえの見た夢だろうが!」
潤の大きすぎる声が響く。
俺も無意識のうちに熱くなってしまっていた。
「俺だって見たくて見たわけじゃない!
 なりたくてこうなったわけじゃないんだ!
 ....このつらさが、悲しみが潤には分かるか?
 春奈が死ぬ所をもう2回も見てるんだぞ?
 このつらさが分かってたまるか!」
自分でも驚くほどの声が出ていた。
部屋の中に何度も鳴り響いている。
言ってから春奈に聞こえなかっただろうかと思った。
潤がゆっくりと手を離す。
そのまま下を向いてしまった。
2人の荒い息づかいと、優しい波音だけが聞こえる。
「優人、悪い...。俺、もう何が何だか分からなくて...。」
「ああ..俺の方こそ...。」
言ってしまった。
だが、状況の変化は何も見られない。
全く何も変わらなかった。
と、思っていた。

8月11日(Tue) AM 7:30
天井がぼやけている。
焦点をうまく合わせることが出来ない。
波に揺られているみたいだ。
いつもならそれはそれで気持ちいいのだろう。
だが今はそうも言っていられなかった。
(気持ち悪い...。)
こんなにゆっくりと目覚めて何がいけないのだろう?
どうしてこんなに気持ち悪いのだろう?
病気とかそんな類の気持ち悪さではない。
一種のうつ病のような、脱力感が漂っている。
おそらく、色々なことが起こり過ぎたせいだ。
この10日余りで一生かかっても体験出来ないようなことが起こった。
いや、過去形ではない。
今「起こっている」のだ。
そして、それから抜け出せる保証などない。
永遠に巡り続けるかもしれない。
だから、現在進行形なのだ。
波音が聞こえている。
ここに来てからこういう空間が多い。
単に海に近いというわけではなく、それだけが気になるのだ。
ぼーっとしていると、どうしても耳につく。
だから、きっとそう思うのだろう。
でも、その中に今は別の音を聞き取った。
すぐ近くで、すごく優しく...。
(春奈だ...。)
隣でまだ寝ている春奈の寝息だった。
いつも通りの寝顔で寝ている。
心が和むのが分かった。
俺の心の清涼剤のようなものだ。
でも、それと同時に思い出したこともあった。
今日は8月11日。
明日は来るのだろうか?
この疑問の答えなど明日にならないと出ないことも分かっている。
ゆっくりと起き上がる。
ふらつく足をなんとか抑えた。
服を着替える。
春奈のまだいる部屋のドアを開けた...。

洗面所で一通りのことを済ませる。
それからリビングへ。
そこには一人しかいない。
平山だった。
どうも足を折ったらしく歩けない。
だから、そのままソファへ寝かせておいたのだ。
体の節々に包帯などが見える。
彼女を起こさないように冷蔵庫を開けミルクを取り出した。
コップとそれをもってベランダへ。
そこは光のためだけの空間だった。
だがその世界の住人は俺を受け入れてくれた。
仲間のように体を優しく包んでくれる。
昨日起こった事も、今日俺がここにいる事さえも忘れてしまいそうだ。
空は白い雲を少しだけ浮かべている。
蒼い水に白い絵の具を少しだけ垂らしたような空...。
このままどこかへ飛んでいけたら良いのに...。
過去も今も未来もない世界へ...。
本気でそう思った。
俺と空の境界線が薄くなっていく。
このまま俺は空になる。
そして、溶けて消えていきそうだった。
いきたかった。
椅子を引く。
軽く床と擦れてギギと音を立てた。
そこに座ってミルクを注ぐ。
一口飲むと、ガチャッとドアの開く音が聞こえた。
その方向にゆっくりと振り返る。
「おはよう、優人。」
潤だった。
いつもと変わらぬ表情、態度で接してくれている。
それがとても嬉しかった。
俺の言葉を信じてくれた上でそうしてくれるのだから。
「平山、どうする?」
「今から病院に連れていく。凪原と二人で待っててくれ。」
「わかった。」
潤は服を着替えながら喋っている。
そして、パンを取り出しほおばりながら俺に言った。
「綾を車に連れていくの、手伝ってくれ。」

「せーのっ。」
「よし。」
平山をなんとか車に乗せることが出来た。
傷に触れないように、足がだらんとしないようにとかなり気を使った。
「優人君、ありがと。」
平山がこっちを向いてほほ笑みながら言った。
「気にしないで。それより、早く治るといいな。」
「うん、じゃあね。」
「優人、留守番を頼む。」
「ああ、分かってる。」
「じゃあ、行ってくるから。」
そう言って潤が平山の席のドアをゆっくりと閉める。
それから反対側に回って自分は運転席に乗り込んだ。
「ああ、気をつけてな。」
ゆっくりとエンジン音が大きくなっていく。
車が黒い排気ガスを出しながら駐車場の中を回り始めた。
道に出られる方向に直しているのだ。
その方向を向いた所でいったん止まる。
少し黒い窓を通して潤の真剣な横顔が見えた。

部屋に戻ると春奈が着替えを終えた所だった。
いつも通り露出の多い服。
夏だからしょうがない。
窓からの光をその白い肌が反射している。
きっと今の春奈には誰も敵わないと思った。
それほど眩しく見えた。
「春奈、おはよう。」
春奈がこっちを向く。
「おはよう。...もしかして、綾ちゃんもう行っちゃった?」
「ああ、今さっき。」
「見送りしたかったのに...。」
いかにも「残念」的な表情の春奈。
そして少ししてからこっちを見てきた。
「綾ちゃん、大丈夫だよね?」
「ああ、きっと大丈夫だよ。」
「そうだよね。..優人、ご飯は?」
「ん?まだだけど..。」
「作ってあげる。ちょっとだけ待ってて。」
そう言って春奈が開けっ放しのドアをすり抜けていく。
静まりきったログハウス。
二人しかいないのだ。
階段を降りる春奈の足音だけが響いていた。

日は真南を少し回った所。
既にすることがなく二人でベランダに座っていた。
(暑い...。)
直射日光は当たらない。
でも、そんなことは何の関係もないのだ。
空気中の暑さが漂ってここまで余裕でとどいている。
「...暑いな。」
「...暑いね。」
さっきからこんな不毛の会話が続いている。
何を話そうかと考える気すらも起こらない。
そんな時だった。
「ねぇ..。」
横を向くと春奈がこっちを向いている。
彼女もかなり暑そうだ。
「何?」
「昨日の夜、潤君と何話してたの?」
「え...。」
どうしよう?
言うべきなのだろうか?
でも、言えるわけないじゃないか...。
「春奈が死ぬ」なんて...。
だから、誤魔化すことにした。
はぐらかしてこの話題から反らさなくては...。
それでなくても一度言いそうになっている。
これ以上彼女を困らせたくない。
そして、作戦を実行しようとしたときだった。
「..帰ってきた!」
春奈の言葉で勝手に会話は終わった。
特に考える必要など無かったわけだ。
「綾ちゃん、どうだったのかな?」
春奈が立ち上がってドアの方へ向かう。
俺も少し早足でそれについて行った。

玄関のドアを開ける。
その時ちょうど平山が車から出てきた。
それを潤が手伝っている。
「綾ちゃん、大丈夫?」
走り寄る春奈。
平山が笑って答えた。
「うん、まぁね。ギブスがちょっと邪魔だけど...。」
平山の左足を見た。
白い石膏で固められたギブスが目につく。
(やっぱり骨折してたんだな。)
潤が平山に松葉杖を渡した。
「でも、平山が平気そうで良かったよ。」
「優人君も心配かけて、ごめんね。」
少し返答に困った。
平山に謝られても困る。
こうなったのも全部...。
そう思って少し下を向いた所だった。
肩をポンと叩かれた。
うつむいていた視線を上に上げる。
潤だった。
何か言うことがあるようだ。
春奈と平山は何か楽しそうに話している。
「気にするな。おまえのせいじゃない。自分のことだけ考えてろ。
 優人と俺たちのためにもな。」
潤は小さく強い声で俺にそう言ったのだった。

夕飯も食べた。
今となってはかなりズレも戻っていた。
今までとあまり変わらぬ「今」が展開されている。
(つまり、きっと春奈は今夜も..。)
横で笑いながら話している春奈を見る。
(何とかならないのだろうか...。)
「ん?..どうしたの?」
春奈が気づいてこっちを向く。
いつもと寸分違わぬ顔。
何も知らないで今を過ごしている。
目が合ったがそらしたりはしない。
「いや..眠くなってきたなぁ、って。」
春奈がくすっと笑う。
今まで何千回見てきたほほ笑み。
何万回聴いた声。
「まだ9時半だよ?...優人らしいね。」
そう言ってもう一回笑う。
この笑顔がずっと続くと思った。
今夜こそは大丈夫だと思った。