天井が見える。
既に目に焼きついている天井。
俺が絶望するとき、いつも目の前はこの天井だった。
眠いとは言ったものの、全く寝てなどいなかった。
布団に入っていただけ。
ただ、ひたすらに待っていただけ。
春奈が起きていくのを。
少しだけ、春奈がこのまま寝ていたら良いのにと思いながら...。
だが、やはり春奈は10時45分に部屋から出ていった。
かなりの不安が全身を駆け巡る。
行きたくない、いきたくない、イキタクナイ。
春奈がまた死ぬ所などもう見たくない。
でも、このままではきっとまた8月8日になる。
俺も起きて後を追うことにした。
春奈が水に入る前に止めなければ。
そこで時間を何とか引き延ばすんだ。
8月12日がやってくるまで。
未来を変えたかったから....。

砂浜に出た。
サンダルなど見たくもない。
春奈は水に入ろうとしていた。
黒く碧い海の砂を月が包むように照らす。
その中で春奈の肌だけが白く輝く。
俺は夢中で走り寄っていた。
「春奈!」
春奈が一瞬ビクッとしてこっちを向く。
「優..人?」
砂に足をとられて転びそうになる。
でも止まることなどできなかった。
止まれば彼女がいなくなってしまいそうだったから。
また、8月8日午前3時に戻りっしまいそうだったから。
もう天井など見たくもなかった。
「行かないでくれ!」
「えっ...何のこと?」
すぐ近くまで走り寄った。
運動不足だろうか?どうしても息が切れる。
膝に手をついて前かがみになり肩で息をしていた。
春奈の靴が目に入る。
二度見たあの靴だった。
「ちょっとだけ話そう?聞きたい事があるんだ。」
「え..うん。いいけど..寝てなかったっけ?」
「起きてた。..春奈こそどうして?」
「私は夜の海で泳ぎたいなぁ、って。それだけ。」
そんな理由で俺は...。
くらっときた。
かなり悩んでいた自分が馬鹿らしい。
でも、春奈に言っても仕方がない。
「座ろっか。」
「うん..。」
二人で砂浜に腰をおろす。
少し温かい砂の感覚がズボン越しに感じられた。
「で...なに?」
春奈がこっちを見て言う。
「そろそろ良いかなって思って。」
「何が?」
「..春奈が高校に行かなかった理由、それと...。」
「それと?」
「いや..それだけ..。」
「そう..。」
少し春奈が暗い顔をして下を向く。
そして、砂を掴んでは塩を振るように戻している。
「私...中学一年が終わるまで外国にいたの..。」
「..そうだったんだ。」
かなりの間をおいてから彼女は話し始めた。
かなり小さな声で。
「...私、クウォーターなんだ。父方の祖母がイギリス人なの。
 ..そのせいで日本では色々嫌な目にあった。
 外国でアジア人として嫌な思いをすることもあったけど。
 まさか、日本でそんな目に合うなんて思っても見なかった。
 私の母国なのに...。
 髪の色が少し淡いから。目の色が少し灰色だから。
 日本のことが良く分からないから。
 それだけなのに、差別、いじめ..。
 何がいけないの?祖母がイギリス人だから?
 そんなの言われなきゃ誰も分からないのに。
 みんな一緒じゃなきゃダメなの?少しの違いも許されないの?
 私が何か悪いの?私のどこが気に入らないの?
 みんなその質問には何も答えない。
 でも、何もしなくなるわけではなかった。
 そして、生徒だけじゃなかったの。
 教師だって口では良いこと言って結局何もしない。
 した、って言うけど変わらなければしないのと同じ。
 ううん。それよりもっと悪くなるかもしれない。
 ....だから、高校へは行かなかった。
 行きたくもなかった。でも、夢のために大学は行こうって決めたの。
 だから、予備校に通ってた...。」
「..そう..だったんだ..。知らなかったな...。」
「当たり前だよ。誰にも話したことないもの。
 綾ちゃんは大方知ってると思うけど...。」
「......。」
沈黙...。
春奈が一人でいた理由も分かった。
人から拒絶されないように接触を避けてたんだ。
「それで?」
「え..?」
「もう一つ、あるんでしょ?」
「あ..ああ。..俺のこと、どう思ってるのかなって...。」
「どうしてそんなこと聞くの?」
春奈からの返答は予想外のものだった。
少し戸惑う。
どうして俺は聞いたのだろう?
「どうしてって...。」
「ごめん。困らせるつもりはないよ..。」
「.....。」
「.....きに決まってるじゃない........。」
「え...。」
春奈が何かをつぶやいた。
小さすぎて聞き取れない。
春奈は両ひざを手で抱えていた。
そして小さくなって言ったのだ。
「今、何て?」
「好きに決まってるじゃない。
 そうじゃなかったらこんなに一緒にいたりしないわよ。」
「春奈...。」
「それくらい分かってると思ってた。優人って結構、鈍感なんだね。」
そのまましばらく空を見つめていた。
幾千もの星が自分の存在を主張し、瞬いている。
星によって切り取られた空をずっと見ていた。
......
数十分ぐらい経っただろうか?
気まずさはどこにもない。
何とも言えない安らぎと照れくささが漂っていた。
「さて、泳ごうかな。」
春奈が立ち上がって軽く伸びをする。
何となく時計を見た。
その時計を見たら冷静さなど吹っ飛んでしまった。
そこには後70秒ぐらいで12日と出ていた。
「春奈、待て。行かないでくれ。」
頭はかなり混乱していた。
もう8月8日には戻りたくなかった。
「え?..何のこと?..きゃっ。」
俺は夢中で立ち上がって春奈を抱きしめていた。
春奈の髪、シャンプーの良い匂いがする。
それだけで胸が完全につまる。
耳で感じる春奈が漏らす息が熱い。
「優人..?...どうしたの...。」
そう言っても春奈が抵抗しないでいてくれることが嬉しかった。
後数十秒。
春奈を少し引き離し目を見つめる。
春奈はされるがまま目を閉じた。
二人の距離が近づく。
春奈の柔らかそうな唇が近づいてくる。
目を閉じて鼻がぶつからないように少し顔を傾ける。
キスってやつはどうも人間の本能らしい。
誰に教わるでもなくこんなことが出来るのだから。
次の瞬間にやっと繋がった。
春奈のそれはピンッと張っていて崩れそうなほど柔らかかった。
頭が痛い。
ボーッとしてくる。
そして、離れた。
まだ触れるだけの幼いキス。
春奈の顔が赤い。
「もう..何するのよ...。こんな所で...。」
「ごめん....あっ..。」
「どうしたの?」
時計が....。
時間が12時を回っている....。
12日が来た..........!
「春奈、俺、戻れたんだ!やっと帰って来たんだ!」
「えっ?何のこと言ってるの?」
俺は夢中で春奈に抱きついていた。
「ちょっと、優人。どうしたっていうの?」
春奈が俺の耳元で喋る。
でも俺にはほとんど届いていなかった。
(戻って来たんだ。何故かは分からないが。)
でも、嬉しかった。

部屋に戻ると1時を回っていた。
「寝よっか。」
春奈が小さな声で言った。
「なぁ..一緒に寝ないか?」
「...エッチな事考えてるんでしょ?」
「ちがうちがう。」
俺は必死で否定する。
本当にそんな気はなかったのだ。
「キスしたからって、すぐにそうはいかないから。おやすみ。」
そう言って春奈は眠ってしまった。
少しだけ残念に思った。
窓の外を見つめる。
いつもと変わらない波が寄せている。
その景色だけを見ているとまだ8月11日なのではないかと思えてくる。
でも、それは違った。
今から何が起こるのかなど見当もつかないのだから。
13日前の夜のように。
俺も布団に入る。
(ふぅ...。やっと戻ってきたってのに...。
 今回は一緒に寝てないんだよな....。)
不満を抱きつつベッドに仰向けになった。
そして、忘れていたのだ。
こういう展開が存在し得ることも...。
ギシッ...。
隣で布団がゆっくりと持ち上げられる。
心臓が大きく脈を打った。
俺はことさらゆっくりと左を向いた。
春奈が少しはにかんで寝ていた。
そして、彼女は10日に言うはずだった台詞を口にする。
「今夜だけ...だからね。」
優しく春奈の唇が動く。
不整脈がさっきよりも強くなる。
先のキスの感覚がよみがえってきた。
何とも言えない気持ちになる。
(あのピンク色の唇と....。)
「春奈...。」
「何...?」
「いや、幸せだな、って..。」
「何それ、変なの。」
くすくすと笑う春奈。
その振動がこっちにも伝わる。
それほどすぐ近くに彼女がいるのだ。
「ねぇ、うでまくら、して。」
「え?」「うでまくら。早く。」
こんなにかわいい顔で頼まれては断れる男などいない。
俺は春奈の持ち上げられた頭の下に左手を伸ばす。
ゆっくりと春奈は顔をおろした。
その髪の感触がくすぐったい。
俺はずっと天井を見ていた。
時々動く春奈を左手に感じながら。
春奈の優しい息づかい、ずっと変わらぬ波の音が聞こえる。
この13日が思い出される。
(実は夢ではなかったのだろうか?)
そう思いながら、12日の天井を見ていた。

8月12日(Wed) AM 8:30
(左手...痛い..。)
何とも寝づらい体勢だ。
春奈はまだ眠っている。
ちょつとだけ開いている窓からの風でカーテンが優しく揺れる。
やっぱり波の音が聞こえた。
春奈が寝返りを打ってこっちを向く。
そんな彼女を見た。
目を閉じて少し笑って寝ている。
いい夢でも見ているのだろうか?
俺はもう一度だけキスしたくなって顔を少し近づけた。
その時だ。
ドアが乱暴に開く。
「起きろ!朝だ、12日だ。優人。」
潤が入ってきた。
突然のことでそのままの体勢だった。
(やべぇ....。)
「あ、悪い。邪魔したな。...おまえら、もしかして...。」
潤がこれでもかってくらいの笑顔でこっちを見ている。
俺は左手を抜いて起き上がって反論した。
「ばか野郎、何もしてないぞ。」
「またまたぁ、キスしようとしてたじゃないか。」
「キスしようとしてたの...?」
「え?」(げっ...。)
下を不自然な程ゆっくりと向いた。
春奈がベッドからこっちを見ている。
潤のせいで起きてしまったのだ。
「まぁいいや、なんでも。とにかく起きてきて準備しろ。
 10時には帰るぞ。」
「あ、ああ..。」
潤が来たときとは大違いな様子で帰っていく。
「優人...私に何したの?」
「何もしてないって。」
春奈がこっちをじっと見つめる。
過去に何度かあったパターンだ。
「ふ..ふふふ..。」
突然春奈が笑い出した。
「...?」
「冗談冗談。私も後から行くから先に行ってて。」
「あ..ああ。」(ふぅ...。)
起き上がってカーテンを勢いよく開ける。
「..まぶしい...。」
俺の思っていたのと同じ言葉が後ろから聞こえた。
そっちを向くと光がまっすぐ春奈の顔に当たっている。
「いい天気だな。」
「うん。気持ちいい。」
手早く服を着替える。
春奈がまだいる部屋を後にした。
廊下にも部屋と同じ光が溢れている。
8日でも9日でも10日でも11日でもない、12日の光だ。
12日の朝だった。

「出発するぞ。」
潤がハンドルを握りしめながら尋ねた。
「ああ..。」「うん。」「おねがい。」
3つの答えが返ってきた。
それに応えるように車が滑り出す。
とうとう旅行も終わった。
やっと、終わった。
春奈もここにいる。
(抜け出せないときはどうしようかと思ったが...。)
来たときと同じ座席に座っている。
後ろから春奈と平山の声が聞こえる。
平山には本当に悪いことをした。
「平山。」
「ん?優人君、何?」
平山が後ろを向いている俺の方を向く。
「本当にごめん。俺のせいで..。」
「え?優人君のせい?」
その時、横から言葉が帰ってきた。
「優人、おまえのせいじゃない。綾が自分で転んだだけだ。」
「そうだよ、優人君。」
(潤...。)
「いいじゃないか。優人の問題も解決したんだから。」
「ああ、そうだな。ありがと。」
そう言われると気が楽になる。
窓の外に目を向けかけたときだった。
肩に叩かれるような感覚がある。
春奈だった。
「何?」
「優人の問題って...何?」
(そう来たか...。何て言おうかな...。)
「え...あー、それは...。」
俺は完全に答えに窮してしまった。
だが、潤が助け?をくれたのだった。
「春奈ちゃんがなかなかキスさせてくれないよ〜、ってさ。」
「え...。」「な....。」
(な...何を言ってるんだこいつは...。)
潤に少しでも期待した俺がばかだった。
平山がくすっと笑うのが聞こえた。
一方、春奈の頬は赤く色づいている。
そして、予想通りの言葉が春奈から返ってきた。
「優人のバカ。」
......
俺の時はまた動き始めた。
繰り返しから逃れて...。
永遠の日々を免れて...。
未来が見えたらいいのに、なんて思わない。
時間を戻せたらいいのに、なんて思わない。
それほど面白くなく、悲しいことなどないのだ。
そんなことが出来たら、人類など一瞬で消え去るだろう。
そんなことが可能になったら、ヒトなどヒトでなくなるに違いない。
未来がダメになればやり直す。
未来が気に入らなければ消す。
それを永遠に無限に繰り返すだろう。
そのうちにやり直すことしかできなくなる。
少しの妥協も欠陥も許せなくなる。
完璧だけを好むようになる。
でも、万人共通の完璧なんてあるはずがない。
ならばどうなるのだろうか?
収拾がつかなくなるだろう。
永遠に既に「知っている」時だけを過ごすようになる。
あげくの果てには予想外のことに少しの対処もできなくなる。
だから、今までと「同じ」行動だけをするようになる。
これが「生きている」と言えるだろうか?
俺は言えるとは思わない。
そして、いつか滅亡していくだろう。
分からない、変わっていくから人は生きていくのだ。
これからに希望を持って、明日を信じていくのだと思う。
たとえ、これから先に何もないのだとしても...。
希望など淡すぎる期待でしかないのだとしても...。
ずっと生きていくのだと思う。
起こりもしないことを諦めたりしないからヒトなのだ。
止めたりしないから生きて行けるのだ。
生きていかねばならないのだ。
ヒトである限り。
時間に逆らうことなどできない。
逆らおうとも思わない。
その先に待っているものは決まっているから。
こんなことを言っていても俺はそんなに深くはない。
結局俺は春奈さえ隣にいればそれでいいのだから。
......
「優人君、何か深刻そうだね。」
平山が尋ねてきた。
どうやら外を向いてぼーっとしていたようだ。
いつの間にか高速道路の上だった。
「ああ..まぁね。」
「何考えてたの?」
「いつまで...いつまで春奈といられるのかな..ってさ。」
「どう?春奈ちゃん。」
「え...。」
少し困った顔の春奈。
潤が少し笑うのが分かった。
「ずっと一緒にいられるよな、春奈。」
少しの間、春奈は下を向いている。
その間ずっと春奈を見ていた。
そして、春奈が顔を上げる。
少しだけ笑ったとてもいい顔でこっちを向いている。
春奈の髪が窓からの風で優しく揺れている。
春奈の瞳をまっすぐ見つめていた。
春奈も同じように見てくれている。
そして、春奈が消え入るような声で
恥ずかしそうにうなずいて言ったのだ。
「....うん。」

This is  
   the end of Etarnal Days....

 As time goes by,
      everything is changing...

  So we can live hard eternally...

   So we love others eternally...