12月7日(Mon) AM 8:20
今日の朝は澄み渡っていた。
が、心まで晴れている奴はそうはいないはず...。
逆に憎たらしいくらいだ。
今日から5日間テストなのだ。
今日は璃乃ですら、本をもって登校している。
「...Because he had to run as 
 fast as possible....。」
「おまえ英語好きだなぁ。」
暗い顔で璃乃が答える。
「璃乃、英語好きじゃないよ。
 でもテストなんだからしかたないじゃない。」
「今更じたばたしたってしょうがないだろ。」
「しょうがなくないよ。
 ここでしたのがいきなり出てたことあるんだから。
 それに、もともと何もしない霞瑞に言われたくない。」
「うっ...。」
すべての言葉が的を射ている。
なんだかんだ言っても結局俺も憂鬱なのだった。
後五日こんな朝を迎えるのか...。
(はぁ....。)
ため息さえも空の中にかき消されてしまった。

ダメだ。もう後戻りできない。
俺は一人苦しみながら、机に座って窓の外を見ていた。
(....追試かも...。)
それはまずい。
もし、追試もクリアできなかったら...早朝補習。
(遊んでいる場合ではない。気合を入れねば...。)
とりあえず、すでに終わってしまった3つは悔やんでもしかたない。
いますぐ帰って明日に備えるのだ。
そう思って帰ろうとする。すると、
ぐはっ...後ろから強烈に抱きしめられる。
鈍い痛みが腹の辺りを駆け巡る。
いや、これは抱きしめているのだろうか...。
むしろ、締め上げていると言ったほうがいい。
ことの元凶が話しかけてきた。
「霞瑞、一緒に帰ろ。」(やっぱり璃乃か...。)
「わかった、わかったから早く放してくれ!」
俺は必死で頼み込む。
局部的な力はかなりのものだった。
「逃げたりしない?」
「しないしないしない。」
すうっ..っと力が抜けていく。
まじでやばかったかもしれない。
「じゃあ帰って勉強しよ。」
「ああ..って、はぁ?」「?」
不思議そうな顔をしている璃乃。
「勉強って誰が?誰と?」
「璃乃と霞瑞。」サラッと言ってのける璃乃。
(冗談じゃないぞ..。何で俺が..。)
単純明解に言いたいことだけを述べる。
「俺は一人でやるからな。」
「えーー、何で?分かった、って言ったじゃない。」
いつものように一筋縄ではいかない。
「いやなものはいやだ。」
「しよーよ、勉強。霞瑞と一緒なら、はかどりそうなんだから。」
(どうしてそうなる?)
このままでは押され切ってしまう...。
何か、何かいい手はないものだろうか..。
思いつかない。
やっぱり、どうしようもないのだろうか..。
(はぁ...。)「わかったよ...。」
「やった。じゃあ帰ろ。」
喜ぶ璃乃を眺めながらついていく。
こうして帰って勉強したわけだが、
もろもろの事情であまりできなかった。
(どうしようかな...まじで。)
月を見て悩んでみる。
答えを与えてくれるはずもなかった。

12月10日(Thu) AM 11:45
テストも終わった..。
(結果は、まぁ.....おいといて、どうしようかな..。)
視線を上に向ける。空が透き通った。
青空と雲がちょうどいい割合で混じっている。
蒼い空に白の絵の具をあまり溶かないで塗ったみたいだ。
晴天よりも、こんな空の方が好きだった。
完璧ではない方が....。
おもむろにパンを取り出しほおばる。
(クラブにでも行くかな..。)
屋上のベンチ。たまにここに来たくなる。
テストが終わってすぐこんな所にいるのは俺だけだが。
また空を見上げると、そこに空はなかった。
代わりに見えるのは月下の顔...(月下!)
「うわっ!」
驚いて思わず大きな声を上げてしまった。
「きゃっ!こっちがびっくりしちゃった。」
「ごめん。考え事してたから。」
月下はくすっと笑う。
「ふふ、そうみたいだった。
 私がここへきても全然気づかないんだもん。..ここ、座っていい?」
彼女の長くて綺麗な指が俺のとなりを差している。
「どうぞ。」「ありがと。...ふぅ。」
そう言って彼女はベンチに座る。
少しだけさっぱりした気持ちのいい香りが漂った。
目を閉じて、空を仰いでいる。
「気持ちいいね...ねむっちゃいそう。」
(!)その横顔を見たことがある。
デジャ・ヴというやつだろうか。
そのことに気づいた瞬間ひどく後悔した。
それはイコール彼女と彼女を重ねていることに相違なかったから..。
「どうかしたの?」
こっちをむいて尋ねる月下。
極力平静を保って答える。
「いや、なんでもないよ。」
「そっか、あーあ、私もここ、もっと来ればよかったなぁ。」
「そうだな..。月下、お昼は?」
「もう食べちゃった。...あれ?」
彼女が何かに気づいたようだ。
俺の方を向いている。
「どうしたの?」「それ...。」
彼女の指の先が示しているもの、
それは、俺の右手首の銀のブレスレットだった。
針金を丸くしただけのような腕輪だ。
「ああ、溶接しちゃって。
 荒っぽいことしても、そうそう外せないんだ。」
「へぇ、何か言われたりとかしないの?先生とかに。」
「まぁないこともないけど..小さいし、外したくないんだ。」
「なにか理由でもあるの?」
いかにも「教えて。」的な響きをにおわせている。でも...
「うん..まぁね。」
「そっか..ねぇ、これからどうするの?」
「えっ、これからって?」
「今からまた音楽室でつき合ってくれる?」
「ああ、そういうことか。今日はクラブに行こうかなと思って。ごめん。」
「あやまらないで。...そっか。」
少しだけ彼女が残念そうに見えたのは俺の思い過ごしだろうか?
見つめていたら目があってしまい、お互い顔をそむけてしまった。
横で月下が立ち上がる。
「じ、じゃあ私行くね。」
「ああ、また明日。」
「うん、バイバイ。」
そう言って手を振りながら歩いていく。
校舎の中へ長い髪をなびかせ入っていった。
パンを食べ終わったので、
(さぁ、俺も行くか..。)
久々の部室へ向かった。
快晴微風、テニス日和だ。

「おい、霞瑞。」
部室に入ろうとした所を呼び止められた。秋斗だ。
既にコートで打ち始めているようだ。
「さっさと来い。今日こそ打ち負かしてやる。」
「分かったから少し待ってろ。」
部室に入り服を着替える。
ジャージとTシャツだけだが..まぁ暑くなってくるさ。
外に出ると既に奴は待っていた。
「秋斗、最初は少し流してくれ。」
「分かってるよ。調子を取り戻してもらわないと倒しても意味がない。」
「口だけは一人前だな。」
「ふふっ、今までの俺と思うなよ。」
そう言うと秋斗はさっそくボールを打ってきた。
それを軽く返してやる。
空はこれだけ晴れているのだ。
しかも、しなければいけないことはなし。
こんなときは何をやっても気持ちがいい。
久々のテニスはかなり楽しかった。

「何故だ?何故勝てない?」
地面に手をついて秋斗が何かぶつぶつ言っている。
こいつは上手くはなっているがツメがあまい。
ここぞという所を決められないのだ。
「まぁ実力の差だな。」
「く、いま一度勝負しろ!」
(なんで戦国の武将っぽいしゃべり方になってるんだ?)
そんなことはどうでもよかった。
「やなこった。何回やっても一緒だからな。」
「逃げるのか?憶病者め。」
「そんな心理攻撃につき合ってられっか。もう日が暮れそうだ。」
時計を見るともう5時半を回っている。
「じゃあ俺帰るわ。」
そう言って秋斗を残しコートを後にした。
奴が何か言っているのが聞こえる。
既に日は傾きかけていた。

部室へ戻る。
ドアの外に女生徒が立っている。
誰かを待っているようだ。
(おおかた秋斗だろう。あいつはもてるからな..。)
だが、近づくにつれてその女生徒がはっきりしてくる。
(見覚えがあるような...。)
「あ、おかえり。」月下だった。
「何やってるの?」
「何やってるの?はないでしょ。待っててあげたのに。」
「あ、ごめん。すぐ着替えるから、ちょっと待ってて。」
「うん。急がなくてもいいからね。」
(待っててくれたとはな...。)
急がなくてもいい、と言われても急がないわけにはいかない。
素早く着替え、ロッカーを閉め、外へ出る。
「はやいね。」
「待たせるわけにはいかないからね。」
「そっか..じゃ、行こっか。」
「ああ。」

帰っている途中、月下が不意に言い出した。
「成瀬君ってさ、テニス上手いんだね。」
「見てたのか。」
「うん。水沢君に勝ってたね。」
少しだけ月下が微笑む。
「あいつには負けたことがないんだよな。」
「そうなんだ。ちょっとだけかっこよかったよ。」
「はは、ありがと。」
不意に風が通り抜けた。
少し変わった感じを受けてその風の方へ振り向く。
その透明で、冷たく、荒い風の通り抜けた先には、星が輝き始めていた。

12月11日(Fri) PM 3:35
マズイ。非常にまずい..。
とうとう恐れていた事態が起こってしまった。
目の前には...紙。
12月14日 月曜日 15:40 会議室
そう走り書きされたもののコピーだ。
その上の行には....数学科追試。
(まずいぞ...。)
英語はなんとか難を逃れた。
その他の教科もしかり。だが....
「やっちまったぁ。」
「バカ霞瑞。追試だってな。」
後ろから声をかけられる。
こんなに馴々しいのは、男の中には一人だけだ。
「秋斗、おまえはどうなんだよ。」
「自分に追試があってこんなこと言えるかよ。」
(うっ、そういえばそうだな..。)
「まぁ、早朝補習がんばれ。
 それと、今度部活に来た日がおまえの最後だ。」
そんな事をほざきながらこっちを指さす秋斗。
「まだ補習って決まったわけじゃねぇぞ。」
「決まったも同じさ。じゃな。」
「おい、待ちやがれ。」
だが、言い切ったとき既に秋斗は駆けていっていた。
(秋斗がクリア...俺は追試。)
なんとかして補習は回避しなくては...。
(璃乃に頼んでも...いや、そんなことしたらダメになっちまう。
 何か妙案はないものだろうか?)
うーーーん。
窓を通して空に願いをかけてみる。
雲の流れがいつもより速い気がする。
俺の悩み事などよそに空はまた晴れていた。

「えっ?!追試、ひっかかっちゃったの?」
「そんなに言わないでくれ。余計暗くなっちまう。」
「だって...。」
音楽室。どうしようもなくまた来てしまった。
つまり、目の前にいるのは月下なわけだ。
そして追試のことを言ったらひどい言われようだった。
彼女に悪気はないのだろうが。
「で、どうするの?」
「どうするもこうするも..がんばるしかないんだけど...。」
(がんばれたりしたらこんなに悩まないんだよなぁ。)
「だめだね。」
「そうなんだよな。」
いかにも、お手上げ、っていうポーズをとってみせる。
「.....。」「.....。」
「しょうがないなぁ。」「え?」
「手伝ってあげるよ。」
「本当に?」
「もう見てらんないよ。数学だけでしょ。なんとかなるよ。」
月下は、しょうがないなぁ、という色をあらわにしている。
俺にとっては女神にも見えそうな勢いだった。
(ああなんていい娘なんだ。璃乃ではあてにならないからな。)
「じゃあ、いつやろっか?勉強。」
月下が尋ねてきた。適当な日を答える。
「とりあえず、明日と日曜。」
「わかったわ。」
「でも練習は?」
彼女は顔を少しだけ傾ける。
ちょっと考えているようだ。
「うーん、家でがんばるから心配しなくても大丈夫。」
「ありがとう。」
「受かってからね。お礼は。」
と言って微笑む月下。人のためにここまで..。
「うん。よし。」
「?..どうかしたの?」
「俺帰って勉強する。」
「いまから?」
月下が少し不思議そうに尋ねる。
「ああ、明日、明後日の分を少しでも減らしておかないと。」
「それがいいよ。がんばってね。」
「それじゃあ、バイバイ。」
「さよなら。」
手を振る月下を残して音楽室を出る。
赤い廊下を通りぬけた。

やる気であふれていた。
言うまでもなく月下のおかげだ。
彼女に必要以上の世話をかけないためにも、今夜は必死でやらねば。
駅前をぬけていく。
人通りも減り始めている。
そんな中、足も自然に加速していった。
(そういえば...一人で帰るのも久しぶりだな。)
このごろなかった。
そう...月下と出会ってから..。
いや、あの満月の日あたりから...。

    *  *  *
不意にピアノの音が鳴りやむ。
「どうかしたの?」秋の終わりの夕暮れ。
音楽室の中の温度はちょうどよく、まどろみかけた矢先のことだった。
「...ねぇ、帰ろっか。」
「ああ、いいけど..。」(唐突だな..。)
いきなりの言葉に少し戸惑いを覚える。
「よかった。ちょっとだけ待ってて。」
そう言うと雪音はピアノを片づけ始めた。
その横顔にぎこちなさが見え隠れしているような気がして、
少しだけ、心にひっかかっていた。

駅までの道。いつもと変わらない風景。
雪音もいつも通り世間話に花を咲かせている。
「それでさ、璃乃ちゃんがね..」
「ああ..。」
「璃乃ちゃんの所だけはちゃーんと反応するんだぁ。」
雪音がのぞきこむようにして、いたずらっ娘っぽい笑顔をうかべている。
そのせいで少しどぎまぎしてしまう。
「そんなことないさ。」
「いいよ。..幼なじみだもんね。....いいなぁ。」
「?」「なんでもないよ。」
また前を向いて歩き出す。
いつもとの微妙なズレを感じてやまなかった。
(なにかあったのか?)
いつもより口数が多い。
まるで、必死で間を作るまいとしているようだ。
何かを押し殺しているような感じ。
間が空いたらそれらが一気に出てきそうな気がした。
だが...少しの空白が訪れた。
どうしていいか分からなくて俺は空を見上げる。
そしてまだ少し明るい空に、あせって出てきた月を見つけた。
(何で途中でやめたんだろ?いつもより30分位早いのに..。)
「月....きれいだね。」雪音が口を開いた。
俺の思っていたのと寸分違わぬ言葉。
そのとき駅は既にすぐそこだった。
そこから雪音は歩いて帰る。俺は電車。
いやでも別れなくてはならない。
(公園で話しでもしていかないか?聞きたいことがあるんだ。)
口には出せなかった。
いざとなったら、どうやって聞けばいいんだ?
そのまま聞くわけにもいかない。
「公園にさ、ちよっとだけつき合ってくれない?」
はっとした。心を読まれたかと思った。
だが、ここで黙り込んではいけない。
「ああ、いいよ。まだ帰るには早いしな。」
「行こっ。」
雪音の足が少しだけ速くなる。
日は傾きかけているのだが、今は帰る気にはなれない。
どうせ家にはだれもいないのだ。
空では月が出番をただ待っていた。

公園のベンチ。
「なつかしいね..。」雪音が先に口を開く。
既に子どものいない公園。
落ち葉が多い。誰かがわざわざ敷きつめた絨毯みたいだ。
思わず寝転んでみたくなる。
その葉を落とした木が天に向かって枝をのばしている。
そう、春を待っているのだ。
「ああ。」
「覚えてないんでしょ?ここは、霞瑞と初めて帰った日によった公園。」
「そうだったな..。」
「座ってはみたものの、何も話しできなくて、
 2人でずっと空、見上げてたよね。」
雪音が上を向いて目を閉じている。
「ああ..。」「....。」
どうしたのだろう?
雪音じゃないみたいだ。
何かを待って、恐れて、つぶれそうになっている。
そんな感じがした。
「雪音..あのさ..」「ねぇ?」
と言って雪音は立ち上がる。
その背中を向け、その体で夕日を遮りながら続ける。
小さくて少し震えた声だった。
「霞瑞はさ、私のこと嫌い?そんなことはないよね...。
 じゃあさ、どう思ってるの?友達なの..かな?やっぱり..。
 そこでとまっちゃうの?...ずっと聞きたかったんだ。
 でもね...私..ね..。」
最後はほとんど泣き声になっていた。
雪音は俺に告げているのか、自分に言い聞かせているのか。
どちらだとしても雪音の言おうとしていることはわかった。
「ねぇ私じゃ..だめ?..やっぱり、璃乃ちゃんが..いいの?
 一緒に..いた時間が長かったから...もう止められないよ..。」
振り向いて涙でいっぱいの目をした雪音を見上げる。
「ねぇ..」
雪音が次の言葉を言うのを待たず、
立ち上がって無意識に彼女を抱きしめていた。
「もういい..もういいから..。」
月並みな言葉でも今はよかった。
彼女になら届くから。
雪音は何も言わないで、泣き続けている。
夕日に照らされた雪音の髪は本当にきれいで、
その柑橘系の香りに胸が痛いほどしめつけられる。
俺は思っていたことをすべて告げた。
「俺も..雪音に側にいてほしい。
 璃乃じゃ...こんな気持ちになれないよ。
 雪音じゃなきゃだめなんだ。」
「...ほんとうに..?」
顔を上げて雪音が聞いてくる。
雪音の頬をつたう涙を親指でぬぐう。
そんな彼女をすごく愛しく想った。
「ああ。」「..すごく..うれしい。」
いくぶん涙はおさまったようだ。
「これからは、もっと一緒にいような。」
「うん。」
それから、公園のベンチで座っていた。
会話など存在しなくてもよかった。
2人だけでこの時を過ごせていたから。
空の満月も俺たちを見守っていてくれるようだったから..。
     *  *  *

12月12日(Sat) PM 0:05
「どこでしよっか?」
「うーん、図書館とか?」
「あ、今日は閉まってるって言ってた。」
「うーん...。」
授業の終わった午後。
中庭でパンを食べながら、月下と話していた。
今日、これから俺の勉強を見てくれるという。
今時いない、いい娘だった。
「そういえばさ、いつもパンなんだね。」
「ああ、母親がいないからな。」
「あ..ごめん。」
ちょっと月下が申し訳なさそうな顔をする。
「気にしないで。もう5年も前の話さ。」
「お弁当は?」
「うーん、あったら嬉しいけど、自分では作りたくない。
 秋斗にも言われたけど。」
「そっか...。」「ああ...。」
少しの間があった。
何かを月下は考えているようだ。
「ねぇ...。」「ん?」
「私が...作ってきてあげようか?お弁当。」
「え?本当に?」
「うん。毎日はちょっと無理だけど。これも私が作ったの。」
そう言って自分の食べているお弁当を見せる。
見た目はすごくおいしそうだ。
「ありがとう。すごくうれしい。」
少しだけ月下の顔が明るくなった気がした。
「とりあえず、月曜日作ってきてあげる。味は期待しないでね。」
「十分だよ。ありがとう。」
「そんなにお礼ばっかり言われると照れるね。」
月下は赤くなってちょっとうつむく。
「弁当なんて、何年ぶりか分からないからさ。」
「うん。...さて、これからどうしよっか?」
そうだった。
当面の問題を解決しなくては...。
「ファーストフードでも行こうか?」
「うん、そうだね。何か食べながらしよっか。」
そういうことになったので二人で駅前に向かった。

駅前には多数の高校生がいた。
そりゃそうだ。
こんなときから勉強しようなんていう奴は
追試にひっかかった奴くらいだ。
周りは楽しそうに土曜の午後を楽しんでいる。
少し勉強しなかったことを後悔した。
「あそこでいいよね。」
不意に声をかけられた。
月下の指の指し示すのはなんて事はない普通のファーストフードだった。
「うん、そうだな。入ろっか。」
「うん。」
店の中には会話を楽しむ高校生があふれていた。
今が一番楽しい、という幸せいっぱいな顔をしている。
(そう、幸せなんてそんなものなのだよ。)
そんなことを思ってみたりもする。
とりあえず飲み物を注文して空いている席へ座った。
「じゃあ、数学始めよっか。」
「ああ..。」
やっぱり、教科書を見ると少し憂鬱になる。
「今回のテスト範囲っていうのはさ....。」
とうとう始まった。
月下に迷惑をかけすぎないためにもがんばるぞ。
今日は半日勉強につぎ込むのだ。
補習なんてまっぴらだから。

「ねぇ...。」
月下がこっちを見ている。
ちょうど問題の切れ間のことだった。
「何?」「璃乃ちゃんとさぁ...いつから一緒にいるの?」
唐突な質問だった。
だからといって答えないわけにもいかない。
(まずいことでもないしな....。)
「いつからって....生まれてすぐ...ぐらいかな。」
「生まれてすぐ?」
彼女は不思議そうな顔をしている。
当然かもしれないな。
「ああ。璃乃とはさ、よく似た日に同じ病院で生まれたんだ。
 そのうえ、親どうしの仲がよかったときてさ。
 だから、16・7年のつきあいになるかな。」
「いつなの?」「なにが?」
「成瀬君の誕生日。」
「ああ、6月2日。」
「璃乃ちゃんは?」
「6月5日だけど。」
(何か変だな。月下らしくないとでもいうのだろうか。
 「らしさ」を語れるほどつき合いが長いわけではないが....。)
いったい、何かあったのだろうかと思ってしまう。
「どうかしたの?」
「えっ?なにが?」
少しあわてた様子の月下。
ぼーっとしていたようだ。
「今の月下さ、何か変な気がしてさ。」
「気のせいだよ。そんなことないって。で、解けた?」
「あ、ああ。これがちょっとさ....。」
数学を解いていても、考えてなどいなかった。
さっきのやり取りの中で、
彼女の心が少しだけ透けた気がしたから...。
いつも見えなかった月下の心が....。

「ふう。とりあえず終わったね。」
「ありがとう。本当に助かったよ。」
「うん、よかった。」
駅前を歩いている。
空は青から赤と変わり始めている。
一通りの勉強を終え店を出たのが少し前。
店員に嫌な顔をされたのは言うまでもない。
「明日もちゃんと勉強するんだよ?」
「あ...ああ。」
「なんかたよりないなぁ。」
夕日が彼女を照らしている。
その月下といえば、ダメだね、という表情をあらわにしていた。
(そうなんだよな...。
 自分のことなのに自分じゃ実行できないときがあるんだよな...。)
そのときだった。
「しょうがないなぁ。」
前にも一度聞いたようなせりふ。
彼女が何かを決めたようだ。
「何が?」
「明日もつき合ってあげるよ。ここまできたらね。」
(なんて優しいのだろう。人のためにそこまで...。)
「いや..かな?」
「え、嫌なわけないよ。嬉しすぎるくらいだ。」
「よかった。で、どこでやろっか?」
「うーん、もう今日の所へはいけないしな...。」
「...成瀬君の..家は?」
少しだけ恥ずかしそうにこっちを見て月下が尋ねてくる。
「俺の家?月下がいいなら構わないけど...。」
月下がこっちを嬉しそうに見た。
「うん、きまり。どこへ行けばいいかな?」
「そうだな...天川駅から乗って藍空っていう駅で降りて。
 10分くらいだから。そこに1時くらいに待ってるようにする。」
「わかった。1時に藍空駅だね。」
そう言うと月下は天に手を伸ばし背伸びをして言った。
「うーーん、じゃあ帰ろうかな?バイバイ。」
「ああ、本当にありがと。」
「ふふ、また明日ね。」
と言って月下は駆けていく。
駅前の道の奥に彼女の姿が隠れるまで見つめていた。
リズムにのって揺れる、長い髪を....。