12月13日(Sun) PM 0:45
藍空駅前。
まだ月下は来ていなかった。
部屋も居間も玄関も家中掃除した。
歯磨きなども一通り。
何故こんなに気にしているかと言うと少し緊張しているのだ。
璃乃以外の娘を家にいれるなんてこのごろなかったから...。
プラットホームに電車が滑り込んでくる。
(おそらくあれに....。)
その通りだった。
改札をぬけ、何かを探して左右を見る娘。
そして、俺の姿をとらえたようだ。
一直線に走ってくる。
「こんにちは。早いんだね。」
「こんにちは。まぁね。」
少しの違和感を感じた。何故だ...?
(服装かな....。)
多分そうだろう。
いつも黒い制服だったからな....。
今日の月下は髪に肩より少し下でバンダナを結んでいる。
何を着ているのかは白いロングコートで分からない。
スカートだということだけ。
「どうかしたの?」
考えている時間が少しばかり長かったようだ。
「いや、服がさ、いつも制服だから。」
「ああ、制服でしか会わなかったもんね。どう?似合う?」
と言って月下は笑ってみせる。
「ああ、よく似合ってる。」
「ありがと。そう言ってくれると嬉しい。じゃ行こっか。」
「ああ、こっちだよ。」
歩き出した。
既に日は高く、そのためかいつもより幾分暖かい。
このまま二人で散歩っていうのもいいかもしれないな...。
(追試じゃなかったらな...。)
晴天とまではいかないが、雲が少しだけあるちょうどいい空だった。

「ここなんだ。」
歩き始めてから10分とたたないうちに立ち止まった。
「へえ...けっこういい家に住んでるんだね。」
「まぁね。さ、どうぞ入って。」
といってドアを開け彼女を招きいれる。
「おじゃまします。」
月下はそう言って入り靴をそろえて居間の方へ行った。
今の高校生にしては礼儀がすごくできているな...。
俺も見習わなくては...。
そんなことはいいとして、彼女の後を追う。
「綺麗にしてるんだね。」
「まぁね。俺の部屋、二階なんだ。先に行ってて。何かもっていくから。」
「うん。お構いなく。」
そう言って月下が上がっていく。
引き出しからティーパックを取り出し、
カップを二つ並べその中へお湯と一緒にいれる。
ビスケット、クッキーをその横へ並べて、紅茶と一緒に二階へ。
彼女はベランダに出る窓のところに立って何かを見ている。
その背中にありふれた質問を投げかけた。
「ここから何か見える?」
「海が見える...。」
そうなのだ。俺の家はけっこう海に近い。
「ほかには?」
「うーん..成瀬君はこの街で過ごしてきたんだな、って思った。」
「?...どういう意味?」
「深い意味はないよ。そう感じただけ。さ、はじめよ。」
「あ、ああ。」
彼女の目には、何が映ったのだろうか?
窓の外にはありふれた街と、いつも通りの空が広がっている。
さっきの彼女の横顔が...焼きついていた。

PM 4:20、既に3時間も勉強している。
もう間もなく最後の問題が終わる。
.....やっと終わった。
「うーーーん。やっと終わった。」
「おつかれさま。ずいぶんがんばったね。」
「一人じゃこうはいかないよ。ありがとう。」
「いいよ、気にしないで。」
彼女が少し笑う。
そう言ってもらえると助かる。
これで明日はなんとかなりそうだ。
本当によかった。
この気持ちをなんとか彼女に伝えられないものだろうか...。
「さて、帰ろう..かな?」
「あ、送ってくよ。駅までだけど。」
「ありがと。行こっか。」

外は暗くなりかけたところ。
昼に感じたものとはまた違ったすがすがしさがあった。
「明日、がんばってね。」
「ああ、やれるだけのことはやる。」
自信はあった。
実際、テストをやり直したところ余裕でクリアしていた。
これもそれも月下のおかげだった。
「今日は早く寝なきゃダメだよ。」
「ああ、わかった。」
「じゃあ、私行くね。」
いつの間にか着いていた駅へ月下が駆け込んでいく。
一度だけ振り返って手を振っていた。
見えなくなるまで見送ってから、家へと帰り出す。
(もう少しくらい遠くてもよかったのに...。)
家に着くとやるべきことだけをして今夜は10時に寝たのだった。
窓のカーテンを開け、三日月を見ながら....。

12月14日(Mon) PM 0:10
屋上で人を待っている。
今日は風もないのでそれほど苦にはならない。
もう少し待てばやってくるだろう。
そのとき、鉄製の少し重いドアが開いた。
「ごめん。待った?」
「そんなには待ってないよ。気にしないで。」
「そっか。よかった。」
月下はほっとした顔を見せた。
そう。今日はお弁当を作ってきてくれたそうなのだ。
彼女は一直線に走ってきて俺の横に座る。
そして、月下からふたをもう取ってあるお弁当箱を渡された。
「嫌いなものとかなかったよね?」
「いっぱいある。」「えっ?本当に?」
少し驚いたようだ。
一瞬でこっちを向いた。
「冗談。ほとんどないけど、トマトだけはちょっとな..。」
「なんだ。安心して、今日のには入ってないよ。」
「よかった。」
「それ食べて追試、がんばってね。」
「ああ。」
ありがたくいただくことにした。
パクッ...
一口食べたら止まらなくなってしまった。
本当においしい。
(手作り弁当か...なつかしいな..。)
「どうかな?おいしい?」
「おいしい。冗談ぬきで。」
月下の顔がパッと明るくなるのが分かった。
「そこまで喜んでもらえると作りがいがあるよ。よかった。」
もう追試は大丈夫だと思った。
根拠も何もなくそう確信していた。

目の前には紙が伏せてあった。
この前の紙が示していたもの...そう、追試だ。
開始まで後3分...。
教卓の教師は何とも面倒くさそうだ。
多分、暇な人ということで決められたのだろう。
(まぁ、いい。きっとクリアできるさ。昨日あんなにがんばったんだ。)
自分に言い聞かせるように繰り返す。
そして...
「始め。」
開始の合図とともに紙をめくった。

下駄箱。
靴を取り出そうと手を伸ばしたら、
横から手が伸びてきて靴を取り出してくれた。
「待っててくれたのか。」
「どうだったの?追試。」
月下だった。この寒い中待っててくれたらしい。
「どうだったと思う?」
この学校は追試なら当日結果を聞くことができるのだ。
言うのか言わないのかはっきりしてほしいシステムだ。
聞くか聞かないか迷ってしまう。
今日はそんな事も言ってられなかったが...。
「受かってると思う。」
「どうして?」
「どうしてって、昨日あれだけやったんだもん。受かっててほしいよ。」
じっと目を見つめてくる。
(月下はいつも一生懸命なんだな....。)
無言で月下の前に親指を立てた手を出してやる。
だんだん笑顔になっていくのが分かった。
「よかったぁ。」
「ありがとう。本当に月下のおかげだ。」
「がんばったからだよ。」
二人でひとしきり喜び合った。
夕日の照らす中のことだった。

公園。そうあの駅前の公園だ。
月下と帰っていて、寄って行こうということになったのだ。
ベンチに座っている月下を横目にジュースを2つ買う。
がかんで取り出し熱いのを我慢して持っていった。
「はい。熱いから気をつけて。」
「あ、ありがと。」「ふう。」
そう言って月下の横に座る。
問題の解決した安堵の息だ。
「よかったね。」
「ああ、やっと肩の荷が下りた。」
「自分で載せた荷物だけどね。」
「ははは...。」
そう言われるとちょっときつい。
太陽は後1時間もすれば完全にその姿を隠しそうだ。
もう東の空には月が姿を現している。
「月下ってさぁ...。」
「なに?」
「何かさ..好きなものとかある?」
「好きなもの?うーん、コーヒーと甘いものが好き。」
「コーヒーと甘いものか...。」
月下が顔をのぞき込ませる。
少し嬉しそうだ。
「何?連れていってくれるの?」
「ああ...お礼が何かしたいな..って思って。」
「そんなのいいよ。こっちは好きでやってたんだから。
 あっ..好きってそういうのじゃないからね。」
月下は少し必死になって否定する。
(そんなに必死にならなくても...。)
「分かってるよ。」
「.....ない...。」「?」
月下が何か小声でいったようだ。
小さい声だったので聞き取ることができなかった。
「今、なんて言ったの?」
「え、あ、うん。何でもないよ。」
「そうか..ならいいけど...。」
「.....。」「.....。」
少しの間ができた。
ちょっと前はこの間が嫌いでしかたなかったのに....。
今は少し心地よく思うことさえできる。
(俺はやっぱり.....。)
「暗くなってきたから帰ろっか。」
月下が誘ってきた。
突然、静寂が壊れたので多少の戸惑いを覚える。
「あ、ああ。」
「じゃあ、また明日ね。」
「またね。」「うん。」
そう言って歩き出した後ろ姿は
間違いなく月下のものだったのに....。
さっきから何かがココロにひっかかっている。
気になってしかたなかった...。

家について鍵を開けドアノブに手をかける。
月を見ていて上手くつかめなかった。
ノブとブレスレットがぶつかって甲高い金属音が鳴り響く。
右手首より少しひじよりな所を左手でつかんだ。
銀の輪が月明かりを反射した...。
(雪音....俺はどうすればいい?)
家に入るのをやめ、月を見に近くの公園へと向かった。

   *  *  *
「たまにはさぁ、霞瑞も弾いてよ。」
ベランダにいる所を後ろから声をかけられた。
俺は動かしていた鉛筆を止める。
今日は彼女の家に来ていた。
日は真南よりちょっと西。
2時くらいだろうか。
気づくと雪音が隣に来ていた。
「どうして?」
「だって私も聞きたいんだもん。」
少し不満そうに雪音が答える。
「俺は聞くか書くほうがいいよ。雪音にはかなわない。」
「そんなことないと思うけどなぁ。
 ...ねぇ、今度のはどんな曲?」
「うーん..雪の降る音、っていうのを表現したかった。
 それと流れる感じ。」
「雪の降る音?それって...。」
思い出したようだ。
そう、彼女が俺に言ったのだ。
「そう。雪音の名前の由来。」
「うれしい..題名は?」
「For Y。」
「Y?..Yってもしかして...。」
「そうだよ。雪音のY。」
雪音がくすっと笑った。
ちょっとだけ頬が赤く染まるのが分かる。
「霞瑞、すっごくきざ。恥ずかしくない?」
「冗談だよ。このYはYouのYさ。」
「あなた...?」
「そう。それぞれの人にとっての「あなた」。
 つまり俺にとっての雪音なわけだから、雪音のYでもかまわない。」
雪音がちょっと間をおいてから言った。
「さっきよりもっと恥ずかしいと思う。」
「...やっぱり?」
「ふふふ..でも、うれしい。ねぇ、弾いてもいいでしょ。」
「ああ。」
そう言うと彼女はピアノの前に戻っていった。
妙に伸ばす記号の多い楽譜。
そして休符が少ない。
鳴り出した音は街をすべて包み込むように感じた。
大きな音の流れに飲み込まれていく。
そして妙に気持ちのいい空間。
数分なんて一瞬で過ぎてしまった。
「いい曲だね...。」
「自分でいうのも変だけどな。」
「自信もっていいと思うよ。別のパートも作らないとね。」
「ああ。」
透き通り碧に染まっている天。
少し冷たい風に冬が来るのを感じた。
   *  *  *

12月15日(Tue) PM 0:10
「霞瑞、おまえ最近月下さんと仲いいそうじゃないか。」
「そうじゃないか、って誰かに聞いたのか?」
「まぁ、強いて言えば俺の誇る情報網の力だな。
 それと...否定しないんだな。」
「まぁな、仲よくなったのは事実だ。
 たまに一緒に帰るぐらいだけどな。」
「まぁ、そっちはいいんだ。」
「そっち?」
もう一つあると言うことだろうか?
少し深刻そうな顔をしている秋斗を見る。
「ああ、それが、霞瑞が璃乃ちゃんをふった、
 って言うのも出て来てるんだよな。」
「な...どれくらい広まってるんだ?」
秋斗が身を乗り出して小さい声で言う。
「もしかして..実話?」
「バカ言え!そんなことがあるはずがない!かけらすら含まれていない。
 そもそも璃乃とは幼なじみだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 絶対広めるな!..いいな、これだけは約束しろ。」
一通り言い切ってから我に帰る。
このごろないほど熱くなってしまった。
「....わかったよ。全員に口止めする。
 人の中傷がしたいわけじゃないからな。」
「ああ、頼む。」
「しかし、そんなに嫌なのか?」
その秋斗の質問は答えにくかった。
嫌...ではない。
そう。嫌なわけではないのだ。でも...
俺は窓の外の遠くを見て言った。
「そうじゃない。璃乃は...
 あいつならきっとすごく..傷つく...。」
「わかったよ。...さぁ、飯食おうぜ。」
「ああ。」
そんなことになっているとは...。
秋斗が友達で本当によかった。
こういうときにすぐになんとかできる。
(璃乃がまだ何も聞いていないといいんだが....。)
何か嫌な予感がしてならなかった。

「なぁ、今日さ、ちょっと寄り道していかないか?」
音楽室。片づけを始めている月下の背中に声をかける。
「いいけど...どこへ?」
「行けば分かるよ。」
いつの間にか、一緒に帰ることは前提になっている。
いつからだっただろうか....。
日常なんてこんなものだ。
「じゃ、行こうか。」

学校から歩いてきた足を不意に止める。
駅前から少し離れた所にある喫茶店。
ここのコーヒーがおいしかったはずだ。
過去二回ほど来たことがある。
「ここなんだ。」
「へぇ、私初めて。楽しみ。」
「コーヒーがおいしいから。入ろ。」
店に入る。
いらっしゃいませ、とカウンターから声をかけられた。
少し暗い茶色でそろえた感じのいい店だった。
窓際の席に向かい合うようにして座る。
柔らかく差し込む夕日が心地いい。
すぐにウェイトレスがやってきた。
「なににいたしましょう?」
「ブレンドコーヒーとサンドウィッチ。」
「私、ブレンドとチーズケーキを。」
「かしこまりました。」
注文を取ると中へ戻っていく。
大きい店ではない。
だが何度も来たくなる店だった。
しばらくすると注文の品を持ったウェイトレスの娘がやってきた。
「ブレンドコーヒーを2つと、サンドウィッチと、
 チーズケーキですね。ごゆっくりどうぞ。」
と言って今来た道をそのまま戻っていく。
月下がさっそくコーヒーを飲んでいる。
「...おいしい..。」
「よかった。」
「うん..いいね。この店。」
俺も一口飲んでからサンドウィッチに手をかける。
「喜んでもらえて嬉しい。」
「インスタントじゃ、こうはいかないね。」
サンドウィッチを食べる。
晩ご飯代わりだ。
しばらくして、彼女がこっちを見ているのに気づいた。
「どうしたの?」
「成瀬君ってさぁ...璃乃ちゃんとつき合ってるの?」
思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえる。
唐突過ぎて予想もできなかった。
「何をいきなり...。」
「ちょっと気になっちゃって。ねぇ、答えて。」
こっちを真剣に見つめる月下。
目をそらしたり、曖昧にはできない。
「そんなのじゃないよ。あいつはただの幼なじみだよ。」
「そっか...じゃあさ、私とつき合う気、ある?」
さっきと同種の質問にまた吹き出しそうになる。
(何が、じゃあさ、なんだ?おもいっきり唐突に告白してきたぞ...。)
「わたしはさ、そうしたいなぁって思ってたんだ。
 出会ってすぐくらいから..。」
微笑むような顔でこっちを見ている月下。
「俺は....。」
先の言葉が続かない...。
(何て言えばいいんだろう...雪音...。)
「...ダメだよね...。」「え?」
「ごめんね、忘れて。」
月下が下を向いている。
その声だけがいやに耳に響いている。
まるでこの店の中に俺たち以外いないみたいだ。
「違う、そうじゃないんだ。月下に一緒にいてほしい。
 俺もそう思ってる。でも....。」
(いつか..いつか君を傷つけることになりそうで....。)
「...でも?」
「いや、何でもない。」
「....YesかNoで答えて。」
「...Yes。」
(この答えに間違いはないんだ。俺には月下が必要なんだ。)
自分の答えというよりは自分に言い聞かせているみたいだった。
そして意味をなさない言葉のようだった。
「本当に?...信じて..いいんだよね?」「ああ。」
月下の顔から力がぬていく。
曖昧だった顔が喜びと安心の色に染まっていく。
「よかった....。」
(これでよかったんだよな...俺が月下と一緒にいたいのも事実だ。
 月下が俺を好いていてくれるのも...。
 じゃあ...この心が落ち着かないのは何故なんだ?)
「ふう、じゃあさ、そろそろ帰ろ?ほっとしたら疲れちゃった。」
そう言って立ち上がって、帰ろうとしている彼女の背中に声をかけた。
「ああ...音色。」
音色がこっちを振り向く。
少しだけ顔が赤い。
「名前....。」
「ダメかな?」
「ううん、そのままね。」
すごく嬉しそうな顔をして言った。
まっすぐ見られると、さっきまではなかった恥ずかしさで照れてしまう。
2人で店の外へ出る。
もう暗かった。
「じゃあ、また明日ね。」「ああ。」
手を振って度々こっちを向いてはにっこり笑う。
俺も何度かそれに答えていた。
でも何度目かに振り返ると、音色の姿は見えなくなっていた。
一人歩き出す。
寒さが肌を刺すようだ。
特に考えることもなかった。
気にかかることと言えば...月が..。
月が、薄い雲をかぶっていることだけだった。