12月17日(Thu) PM 0:15
もう既に授業は終わった。
まだ昼飯も食べていないのだが...。
(まぁ、冬休み前だからな...。これからどうするかな。)
教室のベランダでパンを食べながら考えていた。
昨夜の月は姿を消し、太陽が自己主張をしている。
放課後の学校にはクラブにがんばる生徒、
これからの過ごし方を話している女生徒たち、
何をしているともなくぶらぶらしている奴などでけっこう騒がしかった。
(でも、そのうち静かになってくるんだろうな....。)
そんなときだった。
「What are you doing now?」
いきなり英語で話しかけられた。
かなりびっくりしたが、この声は忘れない。
「いきなり英語で話しかけることないだろ。」
振り向いて音色に言ってやる。
そこにいたのはやっぱり彼女だった。
「ちゃんと英語で答えて。ほら。」
「わかったよ...えーと、I am doing nothing in particular。」
「英語はできるんだね。」
「このくらいはね。」
少しだけ得意げに答える。
「横、座ってもいいかな?」「どうぞ。」
何してるの?と聞かれたとき正確に言えば考え事をしていた。
あの日や、今や、これからのこと。
このごろ頻繁に起こる。
特に意味もなく不安になる。
理由もなく何もしたくなくなる。
こうなったのはいつからだったかな...。
もう思い出せない。
じゃあいつかは解消されるのだろうか?
見当もつかない。
今は、何も考えないのが一番だ、すぐそう思ってしまう。
横を向くと音色は空を仰いでいた。
「いい天気だね...。」
そう言うと音色は気持ち良さそうに背伸びをする。
その横顔を見つめていた。
(.....。)
「そうだな...。で、何をしに来たの?」
「用がなくちゃダメ?」
「いや、そういうわけじゃないけど..。」
彼女がくすっと笑う。
「冗談よ。今からどうするのかなーって思って。」
「また音楽室へ行くつもりだったさ。」
「そっか...。」
音色はそう言って空を見上げた。
ベランダに風は際限なく吹いている。
この上なく気持ち良かった。
「ねぇ...。」
まどろみかけていた俺に音色が話しかけた。
「ん?...何?」
「成瀬君ってさぁ、音楽に興味ある?」
不意に心臓が不整脈を打つ。
何気ないその質問が昔の事の核心を突いているようで....。
「どうして?」
「初めて会った頃に言ってたじゃない。」
「そういえば...。」
音色がいたずら娘のような顔をしてこっちを見ている。
「昔の知り合いにさ、ピアノの上手い人がいたんだ。
 その人に感化されたって言うのかな。」
「そっか...。その人って...女の子?」
「ああ、そうだけど...。」
どうしたんだろう?
何もまずいことは言ってないぞ。
....
俺はまた「俺」に一本の線をひいて話をしている。
いつもそうだ。誰に対しても。
俺は「俺」が傷つくのが一番こわいんだ。
一度大きすぎる傷を負っているからよけいに。
そのせいで..人を傷つけることになっても。
少しだけ、音色に悪いと思った。
「弾くのはピアノだけ?」
「ああ、でも前はさ、曲を書いたりもしていたんだけどね..。
 色々教えてもらったし..。」
「その人は...どうかしたの?」
「えっ?」
俺の声だけがうら寂しく響く。
「どこかへ行っちゃったとか?」
「ああ...そうなんだ....急にね。」
「そっか...。私その人となら仲良くなれそう。
 成瀬君と仲よかったんでしょ。」
「ああ、そうだな..。」
答えていると言うよりは
簡単な言葉を並べているだけのような気さえした。
思い出すことがあり過ぎるから...。
いつものように空を見る。
いつものように空がそこにある。
鳥が空を飛んでいる。
すごく高く、とても優雅に...。
そんな鳥に少し劣等感を抱いた。
人は自由には飛べない。
人は必ず何かに縛られている。
人はすべてを忘れることはできない。
たとえ忘れたいと願っても、
忘れたのではなく忘れた気になっているだけ。
心の奥底にしまって、なくしたと勘違いしているだけ。
そんな考えばかりが頭の中を駆け巡っている。
だが思考などそう長くは続かないのだ...。
こんな太陽のもとでは...。

(寒い..。俺はどこにいるんだ?)
「ううっ..。」
目が覚める。日が少しだけ傾いている。
時計を見た。
「3時...2時間くらいか...。ん?」
自分に何かが掛かっていることに気づいた。
見覚えがあるものだった。。
「音色のオーバーコート....。」
それは音色のひざまでくらいある白のコートだった。
「掛けていってくれたのか...そういえばどこに行ったんだろ?」
だが見当は付いている。
コートをたたむとカバンをもって立ち上がる。
空はまだ暗くはなっていない。
グラウンドにはクラブをがんばる生徒。
それらを横目に音楽室へと向かった。

おかしい...。
足らない....。
(練習していないのだろうか...。)
廊下は静まり返っていた。
その状態は俺の足が止まるまで続いた。

ドアを引き開ける。
同時に窓際からの視線に気づいた。
音色だ。
ピアノの前ではなく窓際に立っていた。
「あ、おはよ。起きたんだね。」
「ああ、コートありがと。」
「ううん。いいよ、別に。」
少しだけ違和感が漂っている気がした。
「?」
音色がこっちを見て、どうしたの?、っていう顔をしている。
夕日に照らされている部分がいやにまぶしかった。
「...練習、してないんだな。」
「あ、うん。ちょっと休憩。」
「そっか...。」
(長い休憩だな...。)
思っていても口には出さない。
言ったからといってプラスになるとは思えないから。
「じゃあ、始めようかな。」
音色がピアノの前に歩き出す。
少しうつむいて...。
ピアノの前に座る。
メロディーが流れ始めて....止まった。
「どうかしたの?」
やっぱり少し変だ。
ためらっているようだった音色が口を開いた。
「さっきからね、少し気になってたんだけど,,..。」
「ん?」「どうしてなの?」
訴えるような目でこっちを見つめる音色。
「なにが?」
「どうしてやめちゃったの?..音楽。」
「え...。」
「さっきの人に関係するんだよね。」
「ああ...。」
言葉はそれ以上出てこなかった。
その瞬間俺の意識は遠い過去へと...。
どうしても忘れられなかった思い.....。
何があっても忘れたくなかった想い....。

[...くん。成瀬君。大丈夫?」
何秒間だったのか?
何分感だったのか?
それとも何時間だったのだろうか?
気づいたさきには音色が心配そうな目で見ていた。
「ん...ああ、大丈夫。」
「そうは見えないよ。」
「本当に...大丈夫だから。ごめん。」
「あやまらないで。人に言えないことだってあるよ。
 いくら、恋人同士でもさ..。」
時が止まった気がした。
音色にこんな事を言わせていいのだろうか?
どんな気持ちで言っているのだろうか?
「...気になる?」
「そりゃ気になるよ。成瀬君のことだもん。
 でも...無理には聞けないよ。」
「.....。」
「...ごめん。忘れて、ね?」
これでよかったのだろうか...。
(言えなかった。彼女を傷つけたくなかった。そんなの詭弁だ。
 本当は自分が傷つきたくないだけ。
 そう、彼女を忘れたくないだけなのだ。)
自分の汚さに吐きそうなぐらい嫌になる。
分かっていても、賢い頭はそれを外に出さないのだ。
音色が俺をまっすぐ見つめている。
そしてこう言った。
「いつか、ちゃんと話してくれるよね。待ってるから..。」
体を巨大な槍で貫かれたようだった。
彼女は既に傷ついている。そしてそれに耐えている。
耐えていることを表に出さず笑っているのだ。
一言でそれが分かった。
「...ごめん..。」
「いいよ。私だって成瀬君に何もかも話してるわけじゃないんだから。」
少しだけ気が楽になった気がしたが..。
でも、その言葉は彼女が自分を言い聞かせているものでもあった。
そう。
本気でそう思っているわけではない。
俺に気を使っているのだ。
「さぁ、始めなくちゃ。」
ピアノの音が鳴り響く...。
夕日はすべてを深く深く照らしていた....。

12月20日(Sun) AM 11:00
(俺は今どうして服を着替えているのだろう?
 どうして出かける用意をしているんだ?)
それを思い出すために時計の針を30分ほど戻すことにしよう。
俺はまだ俺が寝ていた頃だった。

プルルルルル...プルルルルル...
(やかましいな...誰だよ、こんな朝っぱらから...。)
でもまだ鳴り止みそうにない。
(ちっ...。)
俺はふとんから手を伸ばし電話の子機を手探りで取った。
「もしもし、成瀬...。」
「あ、霞瑞。起きてた?」璃乃だ。
「起きてるわけねーだろ....まだ10時だぞ...。」
「もう10時半だよ。」
「で...?」
「一緒にさ買い物に行かない?」
「行かない。」
「ね?行こうよ。」
璃乃にしては何か変だな。
押しが弱いとでも言うのだろうか。
そんな何でもないような事が気になってしかたなかった。
「...分かったよ。どうすればいい?」
「やった。じゃあさ、11時にそっちへ行くね。じゃあね。」
(11時...もう時間ねーじゃん....。)
なんとか起き上がり用意を始めた。
カーテンを引き開けるとまぶしさに目を閉じてしまう。
晴天。この光の束に心ごと洗われるようだった。
(いい天気だから、まぁいいか。)
......
そうだった。
そろそろ来るはず...。
ピンポーン...。
(やっぱり...。)
「霞瑞、用意できた?」
「ああ..なんとか。」
「じゃあ、行こっか。」
璃乃が俺の二の腕をつかんで歩き出す。
「あっ、ちょっと待て、鍵しないと。」
「あ、ごめん。うれしくって。」
気づいてつかんでいた腕を放す。
既にいつもの璃乃だ。
(考え過ぎだったかな?)
少し軽はずみな事をしたかな?と思った。
だがもう遅い。
されるがまま璃乃についていった。

何とも普通な買い物だ。
服、小物、アクセサリー....商店街で一通りのものを見る。
昼飯を食べたら今度はデパートへ。
さっきまで見ていたようなものをもう一度見た。
(女の買い物には時間の概念がないのだろうか?)
と思ってみたりもするが極力そんなそぶりは見せないようにしていた。
朝感じた違和感をなかったものにしたかったから...。
いつも通りの日曜にしたかったから....。
「悪い予感」があたりそうな気がしたから....。

既に日は暮れた。
何事もなかった安堵感で胸を撫で下ろす気分だった。
「霞瑞。」
(まぁこれでよかったんだよな。)
「霞瑞ったら。」
(璃乃が何か言い出すんじゃないかと思ってたけど..。)
「霞瑞!聞いてる?」
「あ、ああ。聞いてるよ。」
「うそ。」
「嘘じゃないって。で、なに?」
少し怒った顔を隠すようにして璃乃が話し出す。
「...ちょっとだけ散歩していかないかな?って思ったの。」
小さな針がココロをちくっとする。
行ってはいけない。
そう警告しているのだ。
だが行くことを拒否することはできなかった。
ここで断れば何か大切なものを失いそうだった....。
どうはぐらかしても、何をどれだけ並べても、 
璃乃は俺にとって大切な人だったから...。

ポチャン...
河原で璃乃が石を投げる音が響いている。
その他には何の音もない。
(何か言いたい事があるんじゃないのか?)
言いたくても言えなかった。
待つことしかできないのだ。
「霞瑞さ、音色ちゃんと...つき合ってるんだよね。」
突然振り向いてそんなことを言う。
璃乃の顔をすべて見るようにして言った。
「あ、ああ、そうだよ。」
「璃乃分かってたんだ。こうなるんじゃないかって。」
何て返せばいいのだろう?
璃乃は何が言いたいのだろう?
夕日が璃乃の後ろからさしている。
逆光でその表情を完全にうかがい知ることはできなかった。
「....雪音ちゃんは今、どうしてるんだろうね...。」
体が動かなかった。
巨大過ぎるナイフで体を半分にされたような痛みが全身を襲う。
声もでない。すべてが歪んで見える。
何も考えられない。
...音色..璃乃.......雪音。
「別に...責めてるわけじゃないよ。
 音色ちゃんが悪いわけでもない...。でも...私...。」
璃乃の声が泣き声に変わってきている。
夕日で璃乃の顔を見つめることができない。
「私も霞瑞のこと、大好き..だったんだから...。
 でも...雪音ちゃんだったから..許せた。雪音ちゃんのことも
 大好きだったから...。でも、雪音ちゃんがいなくなって....
 私...もうどうしようもないよ...。」
何も言うことができない。
何を言っても璃乃を傷つけるだけのような気さえした。
こんなことを言うのもなんだが、うすうす感づいてはいた。
俺だって鈍感なわけじゃない。
でも、何も、どうすることもできなかった。
当然璃乃が嫌いなわけではない。
でも、恋愛対象ではないのだ。
いつも隣にいる、当たり前の存在...。
そんな感情が先走って、雪音のようには見れなかった。
璃乃は少しだけ泣きやんだようだ。
「...霞瑞は知ってる?..噂のこと...。」
秋斗の言っていたやつだ。
あの時の予感は的中した。
璃乃は既に知っていたのだ。
「秋斗君と何か言い合ってたでしょ....?」
「聞いてたのか...。」
「ちょうど帰ってきた所だったんだ...。」
「.....。」
「何とか言ってよ...霞瑞。」
「ごめん..。璃乃には本当にすまないと思ってる。
 もっと、何とかできたかもしれない..。本当に..。」
言葉がつまってしまった。
何を言われてもしかたがない。
だが、俺は璃乃のことを知っているようで
何も知らなかったのかもしれない。
長く一緒にいただけだったのかも...。
そうなのだ。璃乃は優しい娘だった。
優しすぎた。
「そう言うと思った..。霞瑞、本当は私にすごく優しいもんね...。
 噂だってあんなに真剣になってくれてた...。
 ...言ったらすっきりしちゃった。
 音色ちゃん...泣かせちゃダメだよ。」
「あ、ああ。」
予想外の答えに少し動揺してしまう。
「じゃあさ、先に帰って...。
 私、もう少しだけここにいるから..。だから...。」
赤い目をして笑っていたがまた泣きそうだ。
「明日になったら..また笑っ...て会えるから..。」
「また..明日な..。」
「う..ん。」
俺は帰り始めた。
考えることはあり過ぎた。
頭がどうかなってしまうのではないだろうか?
璃乃のこと、音色のこと....雪音のこと。
(俺はどうすれば....。)
空を見上げた。
月が光っていたが、答えを与えてはくれない。
月はまた満月に戻リ始めていた....。

家のベッドの上。
仰向けに寝転んでいた。
薄暗いのは電気をつけていないせいだ。
天井だけが見える。
このまま、夜が明けない気がした。
実は時が止まっているのではないかと疑いたくなる。
完全な静寂が訪れていた。
だが、こんな時に限って....
プルルルルル...プルルルルル...
「はい、成瀬。」
「あ、霞瑞君。..私..音色。」
「あ...。」
「どうかしたの?何か暗いなぁ。」
「いや、何でもないんだ..。ちょっと眠くなってきたから...。」
「まだ9時半なのに。霞瑞君らしいね。」
音色がクスクス笑っている声が聞こえる。
「で、なに?」
「あのさ..クリスマス..ひま?」
「クリスマス...。」
「何か用事?」
少し音色の声が変わった。
「いや、暇だよ。ちょうどよかった...。」
「そう..じゃあさ、買い物に行こうよ。ね?」
「ああ、いいよ。」
「天川駅の噴水の見えるベンチに...6時でいい?」
「OK。..遅れずに行く。絶対。」
「うん、約束だよ。...じゃあ、おやすみ..。」
「ああ、おやすみ。」
「バイバイ...。」
「バイバイ。」
「また、明日ね...。」
「なんだよ、何度も。」
「なんでもないよ。じゃあ。」
「ああ..。」
ガチャッ...ツー...ツー...
(クリスマスか...楽しくなるといいな...。)
自分で思っていることなのにどうも心がこもってない気がする。
まぁ、音色のおかげで少しだけ気が楽になった気がする。
考えても答えなど出るはずもないのだ。
そう思ったら、色々あり過ぎたせいだろうか?
眠りについてしまった...。

       *  *  *
「ねぇ、霞瑞。」「ん?」
「来週は何がある?」
「うーん、冬休みが始まるな。そういえば最近寒いな。」
「じゃなくて、他には?」
「あー、特に。」
「本気で言ってるの?」
少し雪音の顔が怒っている。
冗談が過ぎたか...。
「分かってるよ。冗談だって冗談。誕生日だろ。」
「いじわる。」
「はは。」
冬休み直前の屋上。
風もなく晴れていた。
本当に空が透き通っている。
そのまま浮いてすり抜けていってしまいそうになる。
「でさ、クリスマス、遊びに行こうよ。」
「どこへ?」
「電車でちょっと行けばイルミネーションの綺麗な所があるんだって。」
それは俺も知っている。
天川駅から5・6目の駅前だ。
「そこへ行くのか?」
「いや...かな?」
雪音がのぞき込むように尋ねてきた。
その目を見つめ返して答えた。
「そんなわけないよ。すごくうれしい。」
「じゃあ決まり。5時半にさ天川駅前。遅れるんじゃないぞ。」
こっちを見つめる雪音の顔に少しどきっとしてしまう。
「楽しみだね...。」
「うん...。とっても..。」
会話が終わって風の優しい音だけが聞こえる。
心の赴くまま空に目を向ける。
2人の見上げた先には1つの雲もなかった。
     *  *  *

12月21日(Mon) AM 7:30
俺は今既に学校にいる。
周りには1人の生徒もいない。
今日は早起きしてしまったのだ。
というのは建前で、なんだかんだ言っても璃乃には会いにくい。
同じクラスだからいやでも会ってしまうのだが...。
とにかく、2人きりでは会えなかった。
周りに人がいてくれればよかった。
(今からどうするかな...。)
考えるまでもなく眠ってしまうのだが...。

「おーい。もしもーし。起きてー。」
誰だ?俺の邪魔をするのは?
俺のささやかな楽しみまでも奪おうと言うのか?
血も涙もない奴め。
そもそもオキルってなんだ?
目を開ければいいのか?
おっくうだな...。
パシッ。
いてぇ、何かでたたきやがった。
しょうがないな...。
「...なんだよ。」
「あ、起きた。」
目の前にはノートを丸めて振りかぶっている璃乃がいた。
「おはよう。」
璃乃が俺に優しく微笑む。
その笑顔はいつもの璃乃だった。
だが、頭は急激に覚醒していった。
昨日のこと、一字一句がはっきりと思い出される。
「どうかしたの?」
「璃乃...俺.。」
「やくそく。」
そう言って小指を立てている。
「え?」
「もう、そのことは言わないっていう約束。..ほら。」
璃乃は俺の右手を左手でつかんできて璃乃の右手とつなぐ。
その小指は小さくて柔らかかった。
「ゆーびきーりげーんまーん
 うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます。
 ゆびきった。....約束だよ。」
「ああ。」
キーンコーン..キーンコーン。
「じゃあね。」
「ああ、また後でな。」
璃乃は自分の席へと戻っていった。

授業もまた終わった。
冬休み前なので3限..と言っても寝ていただけなのだが..。
チャイムと同時にカバンに机の中身を詰め込み背負う。
そして、屋上へ向かった。
ドアを何とか押し開ける。
幽霊部員にはつらい重さだ。
そこには空との境界線が存在していないようだった。
先客がいた。その横へまっすぐ行って座る。
「今日は早いんだね。」
「あ、霞瑞君。まぁね。」音色だ。
「今日も晴れてて気持ちいいね...。」
「ああ、そうだな。」
「ね、お弁当食べよ。今日のはちょっと自信あるんだ。」
「それは楽しみだな。」
「うん。....はい。」
という言葉と共に青い布で包んだお弁当を俺に手渡してくれる。
丁寧に包みを開けふたを取った。
何とも彩られた綺麗なお弁当だ。
「いただきます。」
パクッ...これはまたうまいな。
卵焼き、ウインナー、唐揚げ...
入っているものは定番なのにそれらがすごくおいしいのだ。
「どう?」
彼女が期待した目で尋ねてくる。
「うん、すごくおいしい。」
それを聞くと音色はニコッと笑った。
「よかった。私も食べよ。」
と言って音色も食べ始める。
(何かすごく幸せだな...。俺にこんな資格があるのだろうか..?)
......
ふぅ、うまかった。最高だ。
「ごちそうさま。」
「おそまつさま。早いね、食べるの。」
「男だからね。」
「そっか。....ふぅ、ごちそうさま。さて、どうしよっか?」
「俺は今日はピアノが聞きたいなぁ、なんて。」
「クラブはいいの?」
「いいさ。たまには。」
「たまにならね。ふふ。」
少し意地悪な口調だ。
でも本気ではないのはよく分かっている。
上には空が広がっている。
横には音色がいてくれる。
気にすることはほとんどない。
雲はなかった.....はずだった。

彼女が音楽室のドアを引き開ける。
その音色を後ろから見ていた。
音楽室の中から冷たい風が吹き抜ける。
「ちょっと寒いね..。さぁ、入って。」
「ああ。」
と言って招かれて入る。
本当だ。何度か気温が低い。
カーテンが閉まっているせいだろうか...。
薄暗いのもそう思わせるのに一役買っているようだ。
「あ、カーテン開けて。すぐ温かくなるから。」
カーテンをかたっぱしから開ける。
その間に音色はピアノを開け、音を確かめる。
ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド ....
「うん。大丈夫。」
俺は椅子に座って眺めていた。
「さて、今日もがんばろう。」
「あのさ、発表会で曲って何を弾くの?」
「うーん、まだ決めてないんだよね。
 とりあえず私の得意な交響曲でいこうかなって。」
「とりあえず?」
「うん。今回はさ2月にあるやつの練習みたいなものなんだ。
 だから先生は、好きな曲を弾きなさい、だって。
 決めてくれた方が楽なのに。」
「そっか。」
「うん。....よし。」
音色は真剣なまなざしでピアノを見つめる。
肩から力が抜けていくのが分かった。
その瞬間小さく強い音が鳴り始める。
俺は眠くならなかった。
このごろ様々なことが起こり過ぎた。
そのせいだろうか、すごく気が安らいでいるのだが、眠るのではなく、
....今までを思い出していた。
「ね、お弁当食べよ。今日のはちょっと自信あるんだ。」「やくそく。」
「天川駅の噴水の見えるベンチに...6時でいい?」「あ、霞瑞君。.
.私..音色。」「何とか言ってよ...霞瑞。」「私も..霞瑞の..
こと、大好き..だったんだから...。でも...雪音ちゃんだったか
ら..許せた..。雪音ちゃんのことも...大好きだったから...。
でも、雪音ちゃんがいなくなって....私...もうどうしようもない
よ...。」「....雪音ちゃんは今、どうしてるんだろうね...。
」「いつか、ちゃんと話してくれるよね。待ってるから..。」「どうし
てやめちゃったの?音楽。」「What are you doing now?」「わたしはさ
そうしたいなぁって思ってたんだ。出会ってすぐくらいから..。」「そ
んなのいいよ。こっちは好きでやってたんだから。あっ..好きってそう
いうのじゃないからね。」「どうかな?おいしい?」「ああ、制服でしか
会わなかったもんね。どう?似合う?」「璃乃ちゃんとさぁ...いつか
ら一緒にいるの?」「しょうがないなぁ。」「えっ?!追試、ひっかかっ
ちゃったの?」「何やってるの?はないでしょ。待っててあげたのに。」
「霞瑞、一緒に帰ろ。」「霞瑞ってさぁ....。」「..きれいだね.
..。」「璃乃ちゃんじゃなくて、残念?」「どうしたのかなぁ?私が「
霞瑞」って呼んじゃダメ?」「月、きれいだね。」「なに?照れくさいと
か?自分から誘っておいて。」「私は..、もう少しだけ..。」「いつ
もこの時間なの?」「はい。あ、月下と言います。月下音色。あなたは?
」「..すごく..うれしい。」「ねぇ..私じゃ..だめ?..やっぱ
り、璃乃ちゃんが..いいの?一緒に..いた時間が長かったから...
もう止められないよ..。」「月....きれいだね。」「クリスマス・
イブなの。」「私の貸してあげる、っていったのに..。」「?...私
..変かな?」「ふふ..わたしも。何だか霞瑞君ぼーっとしてるんだも
の。」「...桧弓雪音..。あの..もういいですか?」......
「霞瑞....君?」
「えっ...?」
音色が心配そうにこっちを見つめている。
「どうしたの?」
「何が..?」
「何がって...。」
ポツッ....
何かが手の甲に落ちた。
かがみこんでこっちを見ている音色も気づいたようだ。
その落ちた場所を見ると...。
「....涙......。」
「ねぇ....どうして泣いてるの?」
その言葉を聞いた瞬間、動揺が隠せなかった。
俺は自分が泣いているのにまったく気づいていなかったのだ。
激しく混乱する。
どうすればいいのだろうか。
どうすることもできないが...。
「ごめん....俺帰るね。」
夢中でカバンをつかんで走った。
「あ、霞瑞君....。」
音色が何ともいえない声で俺を呼んだ。
俺はその言葉を背中で受け逃げるように音楽室から去る。
(俺はどうしようもないバカだ.....。
 俺を想ってくれる娘がいる....。
 それを....どうして....。)
予感はしていたのだ。
少し前からこうなってしまうのではないかと.....。

いつか..いつか君を傷つけることになりそうで....。