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12月11日(Fri) AM 5:50 私は目を突然に開いた。 その行動で自分がびっくりしてしまうくらいだ。 身体を出来るだけゆっくりと起こす。 ベッドの上に座るような形になった。 頭がはっきりしない。 何気なく横を向いた。 閉められたカーテンの間から漏れる光はまだ頼りない。 きっとまだ朝が明け切っていないのだ。 私は気怠い身体を立ち上がらせる。 少しの頭痛を感じて倒れそうになるのを何とか堪えた。 床がとても近く感じる。 でも、脚は床についていないような何とも言えない気分。 そんな不可解なものが私を取りまいていた。 窓際に移動する。 灰色をした光が私の脚を伝って身体までも照らしている。 何の理由もなく口元が緩む。 頭痛が和らいでいく。 カーテンに手をかけた。 そして、ちょっとずつ開いていく。 少しずつ少しずつ朝の街があらわになっていく。 私の視界にちょっとずつ広がっていく。 白く色づいた町並み、山々、そして大海原。 個々の色を保ちつつ全てが統一されている。 人類など寄せ付けない、人類では到達できない自然が今ここにあった。 私が好きな景色。 いつも見るものよりももっと好きになった。 光がないほうが全てがしっとりとしている。 私は窓ガラスに手を当てた。 少しついた結露が朝の手に冷たい。 そして手の周りにまた新しい結露が出来上がっていく。 私の吐く息も窓で白い結晶へと変わっていく。 白い町並みを隠す厚すぎる雲。 そんな風なものと大差なかった。 実を言うとまた、ユメを見た。 現実で起こって欲しい将来の夢ではないほうの。 例の「あの夢」。 私が彼にもう一度会ったことで見る機会が増えた気がする。 そして、より鮮明さを増していた。 少しぼやけていた彼の顔さえはっきりと見える。 私にぶつかったときの彼の顔。 近づいてきたときの彼の顔。 ネックレスを探しているときの彼の顔。 そして、音楽室で会って、その後の顔。 少しのくるいもなくシルエットと彼の顔が重なっていた。 そして、私はまた目覚めたわけだ。 しかも、いつもより早い時間に。 (どうせ眠れないし...コーヒーでも飲も。) 私はカーティガンを羽織って一階へと降りていく。 何の音もしない。 お母さんもお父さんもまだ起きていない。 不気味なほどの静寂があった。 多少の不安が私についてきている。 それから逃げるために脚を早く動かした。 (フローリングが冷たいのもその理由の一つだったけど...。) つま先だけで歩く。 吐く息が白くて私はカーティガンの前を掴んだ。 「ふぅ...。」 何気なく出たため息が嫌に耳に残る。 そして、ドアを開けた。 やはりまだ誰も起きてはいない。 そのために、その場の冷気はかなりのものだった。 すぐにファンヒーターのスイッチをいれる。 ついでにストーブもつけた。 でも、すぐに暖まらないのがこれらのダメな所。 (ちょっとそれは無理かな..。) ファンヒーターは低いうなり声を上げている。 私に反論しているようだ。 「ごめんね、君は役に立ってるよ。」 それに向かってそんなことを呟く。 別に何かが変わるわけでもないのに。 何かしらの淋しさを感じていたからかもしれない。 私は台所へと進んだ。 流しは綺麗に掃除されて昨日の洗い物など残っていない。 私はガラスの扉を開けてコーヒーカップを取り出した。 旅行先で買ったお気に入りのカップ。 白色に赤い線が波打っている普通のカップだけど その平凡さが私の心の琴線に触れたんだと思う。 コーヒーカップをゆっくりと流し台に置く。 陶器の乾いた甲高い音が響く。 思わず目を閉じていた。 この音がとても好きなのかもしれない。 乾いているけど暖かい音。 ガラスではこうはいかない。 鍋を取って水を入れて火にかける。 沸騰するまでの間にコーヒー豆を取り出した。 パックのタイプのものを探したが見当たらない。 仕方なくインスタントのコーヒーをカップにスプーンですくって入れた。 少しばかり多めに。 朝起きたときはとびきり苦いやつが良い。 砂糖もいれないで少し多めの豆で。 私は沸いたお湯をカップに注いでいく。 黒い粒が素早く黒い液体になっていく。 それにともなって香ばしい薫りがあたりには立ちこめていた。 コーヒースプーンでゆっくりとかき混ぜる。 焦る必要など何処にもない。 時間はあり余っているのだから。 私はカップの取っ手を持ってテーブルへと運んだ。 いつの間にかファンヒーターが点いていて 少しずつだけど暖かくなってきている。 椅子に座って口にコーヒーを運ぶ。 熱さと苦みが口中に広がって思わず顔をしかめる。 でも、これが好きだった。 苦みが全てを消し去ってくれる。 私の気分をリセットして今日を過ごせるようにしてくれる。 外も明るくなりかけているようだった。 日の出が近い。 私はコーヒーを持って立ち上がる。 そして、窓際へと寄った。 窓からの冷気が漂うそのあたりはまだ肌寒い。 というか、凄く寒い。 震える手でコーヒーカップを包んだ。 掌からの温もりがここに私がいることをもう少しだけ可能にしてくれている。 外を見ていた。 何となく日の出を待っていた。 それを待ちながら、私はコーヒーをもう一口、 苦い私の好きな飲み物を口へと運んだ。 「ね・い・ろ!」 「ん?」 誰かのいやに明るい声に誘われて振り向いた。 私を呼んでいることは間違いなかった。 「音色」という名前を私以外に聞いたことがない。 テレビでも友達でも。 だからというわけではないけど、私はこの名前が大好きだった。 今は授業が終わって私は帰ろうとしていた所。 (きっと晴花だ。) 私は予想がついていた。 そして、予想は確信へと変わる。 振り向いた先にいたのはやはり晴花だった。 「どうしたの?晴花。」 「音色はさぁ、追試、引っかかってないよね?」 晴花が覗き込むように尋ねる。 「う、うん..。一応ね...。」 「そっか。あ〜あいいなぁ、音色は。」 彼女が不満の声を漏らしている。 でもその顔に不満が満ちていないのを見て私は少しだけ気が楽だった。 自慢ではないけど私は勉強というものがどういうわけか得意だった。 なぜか解ってしまう。 でも、それがあまり嬉しくなかった。 勉強は出来ても他は何も出来ない。 ピアノと料理くらいで運動なんかは全然ダメ。 それに、運動と違って勉強は出来ても人からいいようには見られない。 それどころか皮肉を言われることが往々にしてある。 それが私はすごく嫌だった。 だから、どうしても自分が勉強が何故か出来るなんていうことを 表には決して出したくなかった。 だから、さっきは少しだけ返事に戸惑ってしまった。 晴花はそんなことを言わないと分かっているけど。 でも...。 「音色はどんな勉強してるの? 私もなんとかして追試だけは逃れたいんだ。」 晴花が必死に言ってくる。 さっきも言ったけど自分でもどうして解るのか分からない。 だから、何て言えばいいのか..。 「今回はどうだったの?」 「分かってるくせに〜。数学と英語と世界史と化学。 はぁ〜〜、さぼっちゃおうかなぁ。」 晴花の長すぎるため息が聞こえる。 「ちゃんと受けなきゃダメだよ。 今回さぼったら次もきっと追試だよ?」 「冗談だって。...うん、何とか頑張るね。 次のテストのときはよろしく。じゃあね。」 「うん。バイバイ。」 晴花が手を振りながら少しずつさがっていく。 机にぶつかってこっちに向いて少しだけ舌を出して笑っていた。 そして、振り返って教室を出ていく。 それをずっと目で追っていた。 (私は...これからどうしようかな..。) 鞄に最後の教科書を入れる。 少しだけあったすき間にピッタリと収まった。 立ち上がろうとして窓の外が少し目に入る。 校庭と体育館。 風が吹いては砂を巻き上げている。 何か感慨のようなものを感じたけど、それが何だったかは良く分からない。 きっと色々なことを考えすぎたせいだ。 そう思った。 きっとそうだと、納得させた。 鞄の取っ手を掴む。 手に馴染んだ皮がちょっとだけすり減ってきている。 そのまま鞄を机から降ろして、ゆったりと肩にかけた。 教室にはまだ生徒が残っている。 追試を逃れた人、またはその逆。 いろんな表情、声、雰囲気がこの空間を取りまいていた。 私はそれらに一瞥を投げると放課後の喧騒を背中に受けるように 教室を後にした。 「えっ?!追試、ひっかかっちゃったの?」 私の驚きをあらわにした声が響いた。 別にこの空間には二人しかいないのだから、そんなに問題ではない。 でも、少し恥ずかしくなって目を俯けた。 「そんなに言わないでくれ。余計暗くなっちまう。」 彼の暗い印象を受ける声が聞こえてくる。 きっと、ほんとうに沈んでいるのだろう。 「だって...。」 私の声はそこで詰まってしまった。 彼−成瀬君は今日もここ音楽室に来ていた。 どうも晴花同様追試に引っかかってしまったらしい。 今までの口調から勉強があまり得意ではないことは分かっていたけど。 彼は椅子に座って下を向いている。 どうも、相当こたえたようだ。 「で、どうするの?」 「どうするもこうするも..がんばるしかないんだけど...。」 聞き取るのが難しいくらいの声。 呟いているようにも、自分に言っているようにも聞こえる。 「だめだね。」 私は気づくと簡単に答えていた。 少しだけ後悔に似た感情が込み上げる。 「そうなんだよな。」 彼は「お手上げ」といったポーズをとっている。 先と成瀬君の表情は少しも変わらない。 ずっと沈んだまま。 明日世界が崩壊すると言われても、 こんなに顔色が悪くなったりはしないと思う。 「.....。」「.....。」 沈黙。 彼は言いたいことを言ったようだし、私は何を言えば良いのか窮している。 起こるべくして起こった静寂だった。 「しょうがないなぁ。」 「え?」 気がつけばそんな言葉が口を突いて出ていた。 彼が顔を上げて驚いている。 きっと、あまり意味が分かっていないようだ。 私はその意味をもう一度繰り返した。 「手伝ってあげるよ。」 「本当に?」 言葉を発してからみるみるうちに彼の顔が明るくなっていく。 「もう見てらんないよ。数学だけでしょ。なんとかなるよ。」 私は何故か嬉しかった。 いや、何故かのわけなどとっくに分かっている。 彼の勉強を手伝うというのは口実だったことも。 好きな人と少しでも一緒にいたいための適当過ぎる理由。 勉強が得意なことを初めて喜んだ。 「じゃあ、いつやろっか?勉強。」 「とりあえず、明日と日曜。」 「わかったわ。」 私の答えの後すぐに彼から質問が来た。 「でも練習は?」 私は少し首を傾ける。 しないわけにはいかない。 (でも、あんまり家ではしたくないんだけど...。) 考えたけど、その前から答えは知っていた。 家でしなくては彼といることが出来ないのだから。 「うーん、家でがんばるから心配しなくても大丈夫。」 「ありがとう。」 先とは別人のような顔つき。 本気で嬉しいみたい。 それを見ていると私まで微笑んでしまう。 「受かってからね。お礼は。」 「うん。よし。」 成瀬君は突然立ち上がってそう言った。 軽く握りこぶしを作っているようにも見える。 「?..どうかしたの?」 私は彼に尋ねた。 立ったまま自分の手を見ていた成瀬君がこっちを向く。 「俺帰って勉強する。」 「いまから?」 「ああ、明日、明後日の分を少しでも減らしておかないと。」 そう言うと彼は少しだけ微笑んでいるように見えた。 夕日が差していて彼の顔が赤い。 きっと私の顔も赤いのだろう。 「それがいいよ。がんばってね。」 「それじゃあ、バイバイ。」 「さよなら。」 手を振る彼に私も応える。 振り返った彼は一度も振り返らなかった。 後はドアを開けて外に出ていっただけ。 ドアが完全に閉まるとそこには 誰もいなかったかのような雰囲気が立ちこめた。 何も聞こえない。 私は数十秒間そのままで、はっと我に返る。 そして、鍵盤の方を向いた。 指から力を抜いて、白い鍵盤に乗せる。 深呼吸をして、弾き始めた。 ゆっくりと、いつもよりもゆっくりと。 私の好きな曲を弾き始めた。 部屋を徐々に満たしていきもうすぐここは 完全に音の世界となる。 優雅に雄大に広がる音響の交錯を肌で感じることの可能な空間がここに出来る。 この小さい部屋を満たしていく大きな音々。 私の指が紡いでいく、一織の音色の布。 私を包んでいく、透明な夜想曲。 私に染み込んでいく、優しいNOCTURNE。 12月12日(Sat) PM 0:05 「どこでしよっか?」 私の声は口から離れた途端に風にかき消されそうになっていた。 少しだけ吹いている風。 そんなに強いわけじゃないけど、 校舎に挟まれた中庭はどうしても風が強くなる。 「うーん、図書館とか?」 彼が適当な場所を言ってきたけど...。 「あ、今日は閉まってるって言ってた。」 「うーん...。」 私の容赦ない否定のために成瀬君はまた考え込んでしまった。 こんな時間が勿体無く思いながら、何故だろう、 ずっと続けば良いのにとさえも思っていた。 成瀬君が何気なく手に持っていたパンを口に運ぶ。 購買で売っているごく普通のカレーパン。 「そういえばさ、いつもパンなんだね。」 「ああ、母親がいないからな。」 私の特に意味のない質問は彼を少しだけ俯かせてしまった。 故意ではないにしても、思い出したくなかったに違いない。 私はほとんど反射的に謝っていた。 「あ..ごめん。」 「気にしないで。もう5年も前の話さ。」 彼はこっちを向いて少しはにかむ。 私はそれを見て話を戻した。 「お弁当は?」 「うーん、あったら嬉しいけど、自分では作りたくない。 秋斗にも言われたけど。」 「そっか...。」「ああ...。」 沈黙。 言いたいことはあるけど、彼の反応が気になる。 私の期待通りにいかなかったら...。 そんなことを思ってしまって言葉が出ない。 私は横目でさりげなく彼の顔を覗いた。 成瀬君は何処を見るでもなくパンをほおばっている。 覚悟を決めて、言ってみることにした。 (きっと、良い返事が来る...と思う。) 「ねぇ...。」「ん?」 成瀬君がゆっくりとこっちを向く。 目が合いそうになって少しだけ視線を反らした。 「私が...作ってきてあげようか?お弁当。」 「え?本当に?」 彼の声は1オクターブ高くなっている。 「うん。毎日はちょっと無理だけど。これも私が作ったの。」 そう言って私は自分のお弁当を差し出した。 自分で見れば何てことのない普通に徹したお弁当だった。 「ありがとう。すごくうれしい。」 笑った彼がそう言ってくる。 思わず顔が微笑んでくるのを止めることが出来なかった。 「とりあえず、月曜日作ってきてあげる。味は期待しないでね。」 「十分だよ。ありがとう。」 「そんなにお礼ばっかり言われると照れるね。」 私はきっと赤くなりかけている顔を見られたくなくて 顔を下を向いて隠した。 「弁当なんて、何年ぶりか分からないからさ。」 「うん。...さて、これからどうしよっか?」 私はもう一度話を戻した。 一番最初の所まで。 ここにいる理由はもともとそれだった。 彼はまた少しだけ考えているよう。 どうも適当な所が浮かばない。 (成瀬君と行きたい所なら山ほどあるのに...。) そんなことを心と頭の隅っこで思った。 今の彼の瞳に映る私は勉強を教えてくれる同級生。 それ以上でもそれ以下でもない。 そんなことは分かっていたはずなのに何だか少し淋しくなってしまった。 「ファーストフードでも行こうか?」 彼がこっちを向いて言う。 私は顔を上げた。 きっと少しまだ沈んだ顔をしているに違いない。 でも、今は彼の勉強を最優先しなくてはならない。 だから、考えないことにする。 ”今すぐ”彼がこっちを向いてくれなくてもいい。 ”いつか”私の方を向いてくれたら。 「うん、そうだね。何か食べながらしよっか。」 頷いて彼を見る。 駅前へと向かった。 風の中を二人で歩いた。 ちょっと見上げた彼の顔はいつも通りだった。 いや、違う。 いつもとは違う感情が混じっている。 (どういう理由で何を考えているのかは分からないけど...。) 彼の心に今ある感情はきっと...切なさ。 とても微妙なセンチメンタルな顔をしている。 成瀬君の頭にあるのは、今彼のとなりを歩いているのは 私じゃない。きっと、月下音色じゃない。 そんなことを思った。 きっとそれが分かるのは、私も彼がしているような顔で 彼が感じているような切なさで彼を想っているからだと思う。 でも、その顔を見て私が感じたことは....。 すぐ隣にいる成瀬君がとても遠い気がして、 彼と私の心の距離が永遠な気がして。 彼から目を離して、アスファルトが段々流れていくのを見ながら、 黙って歩き続けた。 駅前には大勢の生徒がたむろしていた。 他校の生徒も混じっている。 テスト期間というのは大体重なってくるからそれも珍しいことではない。 駅前を少し抜けると駅にくっついたファーストフードショップを見つけた。 私が彼に指で指し示しながら言う。 「あそこでいいよね。」 「うん、そうだな。入ろっか。」 「うん。」 店に連れ立って入った。 中も外と変わらぬほど人が溢れている。 店中から楽しそうな話し声が聞こえてきている。 高校生がきっと放課後を楽しんでいるのだと思う。 私はあまりこういう所に来たことがなかった。 だから、少しの新鮮味を覚える。 (もっと、来れば良かったかなぁ...。) そんな後悔にも似た気持ちになった。 でも、今更言ってもしかたがない。 後悔先に立たず、とは良く言ったものだ。 とりあえず飲み物だけ注文をして 窓際の空いている席に向かい合うようにして座った。 彼の顔から先の表情が消えているのを見て少しだけ嬉しかった。 と同時に、そんなことばかり気にする自分が嫌になりもした。 「じゃあ、数学始めよっか。」 「ああ..。」 そう言って彼は教科書を開ける。 どうも、すぐに拒絶反応を起こしているみたい。 根っからの勉強嫌いみたいだ。 「今回のテスト範囲っていうのはさ....。」 私は教科書を指で示しながら、説明を加えていく。 あまり人に教えるのは得意ではないけど、 やれるだけのことはやりたいと思った。 「ねぇ...。」 私がとっさに口を開いた。 彼の問題の合間を見て言った。 成瀬君は顔を上げてこっちを見る。 「何?」「璃乃ちゃんとさぁ...いつから一緒にいるの?」 それは何気ない質問だったのか、 ずっと聞きたかったのか自分でも良く分からない。 「いつからって....生まれてすぐ...ぐらいかな。」 成瀬君は少し戸惑ってから答えてくれた。 きっと、色々考えていたのだろう。 私は彼の答えに多少の戸惑いを覚えた。 「生まれてすぐ?」 「ああ。璃乃とはさ、よく似た日に同じ病院で生まれたんだ。 そのうえ、親どうしの仲がよかったときてさ。 だから、16・7年のつきあいになるかな。」 淡々と話し続ける成瀬君。 「いつなの?」「なにが?」 私の脈絡のない質問が分からない成瀬君。 「成瀬君の誕生日。」 私がそう付け加えると、分かって軽く頷いた。 「ああ、6月2日。」 「璃乃ちゃんは?」 「6月5日だけど。」 私は考え込んでいた。 (成瀬君は璃乃ちゃんのことが好きなの?) そう聞きたくても聞けなかった。 簡単に言えれば苦労はしない。 そこで、彼の唐突な質問。 唐突というか、私がほうけていただけ。 「どうかしたの?」 「えっ?なにが?」 私は彼が怪訝な顔をしているのに気づいた。 そして、自分の行動に気がついた。 よく真意の見えない質問を繰り返していた自分。 それを見れば誰でもこんな顔になる。 私は何か夢中になっていて何も見えてなかった。 「今の月下さ、何か変な気がしてさ。」 彼の顔が少しずつ心配の色に染まっていくのが分かる。 その瞳はまっすぐ私を捉えていた。 私を通して「誰か」を見ているのではなくて ちゃんと「私」を見てくれている。 そう思った瞬間に少しだけ目をそらした。 これ以上彼の目を見ていたら透けてしまいそうだったから。 私の密かな思いさえも。 だから、話をもとに戻した。 「気のせいだよ。そんなことないって。で、解けた?」 かなり強引だけどさっきの私より変な人はいない。 「あ、ああ。これがちょっとさ....。」 彼も勉強に戻る気になったようだ。 私も何も考えずに勉強に集中....したかった。 「ふう。とりあえず終わったね。」 「ありがとう。本当に助かったよ。」 「うん、よかった。」 駅前の商店街を二人で歩いていた。 空は既に赤く染まり切っていて、そのうちに暗くなっていく。 彼の勉強にも一応の終幕が下りた。 でも、十分とは言えない。 私は本当を言えば勉強どころではなかった。 何か頭の隅に引っかかって取れない。 優柔不断な行動を見るような、 何とも言えない燥焦感ともどかしさがあった。 でも、私は見ない振りをしていた。 後ろから肩をたたかれているのに、そのまま過ぎ去ろうとしている。 その一端として彼に念を押していた。 「明日もちゃんと勉強するんだよ?」 「あ...ああ。」 彼の返事には力がなかった。 どうも、既に疲れ切ってしまったみたい。 「なんかたよりないなぁ。」 「しょうがないなぁ。」 私はあることを決めた。 本当を言えば、始めからこうしたかった。 「何が?」 彼が振り向いて不思議そうに尋ねる。 「明日もつき合ってあげるよ。ここまできたらね。」 私は格好は「しょうがないなぁ」というポーズをとっていた。 でも、本当にしょうがないのは私の方。 素直になどなれない。 私が本当はどんなことを思っているのかなど知られたくない。 私は控えめに彼を見上げた。 「いや..かな?」 「え、嫌なわけないよ。嬉しすぎるくらいだ。」 ぎこちなく首を振る成瀬君。 思わず顔が緩んでしまう私。 「よかった。で、どこでやろっか?」 「うーん、もう今日の所へはいけないしな...。」 「...成瀬君の..家は?」 恥ずかしいことこのうえなかった。 言った瞬間に下を向いてしまう。 地面を見て落ち着いてきてから、おそるおそる首を持ち上げた。 彼が少し驚いたようにこっちを見ている。 答えを聞いて私の顔はまたもとに戻った。 「俺の家?月下がいいなら構わないけど...。」 「うん、きまり。どこへ行けばいいかな?」 「そうだな...天川駅から乗って藍空っていう駅で降りて。 10分くらいだから。そこに1時くらいに待ってるようにする。」 「わかった。1時に藍空駅だね。」 彼の言ったことを繰り返す。 私は天に手を伸ばして背伸びをした。 意識が飛んでいきそうになるほど気持ちいい。 「うーーん、じゃあ帰ろうかな?バイバイ。」 手を振りながら、後ろに下がるように私は進み始めた。 彼が少しずつ遠くなっていく。 成瀬君も微笑んで手を振って応えてくれた。 「ああ、本当にありがと。」 「ふふ、また明日ね。」 そう言うと私は後ろをむいた。 駅が見える。 彼はここから電車で帰る。 私は駅の前をずっと線路に沿って歩いていく。 いつもここでお別れが来る。 あまり嬉しいとは言えないけど、 明日に予定があるからそれもいつもよりずっとましだった。 胸を張って、視線を上げて歩く。 夕日が私の右側から差している。 影が私に合わせて行進していた。 それを見て何だか嬉しくなって、私は走った。 家までのつもりが何処までも行けそうな気がしてまた笑いが込み上げてくる。 軽やかに持ち上がる脚で夕日に向かって走り続けた。 |