12月13日(Sun) PM 0:20
私の前には今は光しかない。
屋根が無くなった所から、私の下のレールに光が注がれている。
光の筋を辿って空に行き着いた。
太陽がいつも異常に眩しい。
夏ならこれは耐えられないだろう。
でも、今の季節ならちょうどよく心地いい。
コートを通して染み込んでくる暖かさが気持ち良かった。
このまま眠ることが出来たら本当に幸せだろう。
でも、私は今もっと幸せだった。
何故かとは言うまでもない。
左手の時計を見た。
小さな金属の針は定刻を差している。
もうすぐここには電車が来るはずだった。
私を彼のもとへと運んでくれる電車。
(いつも利用する方面とは逆だから少し戸惑ったけど...。)
私はポケットから切符を取り出した。
天川→藍空、と書かれている。
嬉しくなって手で包んだ。
アナウンスが電車の到着を告げる。
私は顔を上げてその方向を見た。
陽射しが照らし出すレールが永遠に続いていた。

電車は間違いなく私を運んでくれた。
間違いがあったら大変だったけど...。
ホームへと降りて階段を探す。
すぐに見つけて改札へと進んだ。
天川駅とさほど変わらない普通の駅。
階段を靴底が叩くカンカンという音だけが聞こえる。
性格に言えば他にも人はいた。
日曜の正午に人が駅にいないほうがおかしい。
ただ、私の耳が反応しなかっただけ。
心が完全にとらわれていて、それどころではなかった。
改札には駅員が立っていた。
まだ自動改札ではないなんて、やはり天川駅みたいだ。
(本当は天川駅だったりして。)
私は冗談でそんなことを考えた。
そして、その状況が頭に浮かんできた。
改札を抜けるといつもの駅前。
何ら変わらない日曜が延々と続いている商店街。
(....やめよ。)
私はその時点でそう思った。
そんなことはありえない。
あったら、私はきっと狂ってしまう。
でも、少しだけ私の心に恐怖が巣くっているのを感じた。
駅員に切符を渡して階段を駆け上がる。
光がだんだんと私を照らし出していく。
何だかその陽射しが何の変化もないようで、また怖くなった。
最後の一段を登った。
顔を上げて辺りを見る。
見慣れない今日初めて見た町並みだった。
(良かった...。って、そんなことあるはずないじゃない。)
自分で自分を馬鹿にする。
何だか滑稽に思えた。
(成瀬君は来てるかな..。)
私は辺りを首だけで見渡した。
そして、そのすぐ後彼の姿を捉える。
私よりも先に着いていたようだ。
私は彼の方に小走りで向かっていく。
「こんにちは。早いんだね。」
「こんにちは。まぁね。」
その一言で何故か彼は固まってしまった。
何かを凝視している...?
不思議そうな顔をした彼に尋ねてみた。
「どうかしたの?」
「いや、服がさ、いつも制服だから。」
少し焦ったように成瀬君は答えた。
私は今日、スカートとロングのコート、髪を結んでいるバンダナと、
別に変な所はないけれど、そういえば成瀬君と私服で会うのは
初めてなような気がする。
「ああ、制服でしか会わなかったもんね。どう?似合う?」
私は調子に乗って笑顔までつくって見せた。
彼もそれにつられてか唇の端でだけ笑った。
「ああ、よく似合ってる。」
「ありがと。そう言ってくれると嬉しい。じゃ行こっか。」
「ああ、こっちだよ。」
私をエスコートするように成瀬君が少し先を行く。
太陽が真上から降り注いでとても暖かい。
(このまま川原でも行って、話でもできたら最高なのにな...。)
まぁ、仕方がない。
今日の目的は彼の勉強をみてあげること。
そう思って空を見上げ直した。
雲が何%が入り交じって浮かんでいる。
白と青のバランスの良い天原だった。

「ここなんだ。」
歩き始めてから10分とたたないうち彼がに立ち止まった。
見れば少し大きめの一軒家が目の前に建っている。
住宅街の真ん中。
土地の点から言えばかなり良い所かもしれない。
「へえ...けっこういい家に住んでるんだね。」
「まぁね。さ、どうぞ入って。」
彼が鍵を開けて自分は入らずに私を招き入れる。
何だかお姫様になったみたいで嬉しかった。
「おじゃまします。」
私は靴を脱ぐとそのまま先へと進んだ。
玄関を抜けるとリビングがあった。
新聞などは綺麗に片づけられて、散らばっているものはほとんどない。
台所の方もかなり綺麗にしてるみたいだ。
(へぇ、何だか結構..。)
「綺麗にしてるんだね。」
「まぁね。俺の部屋、二階なんだ。先に行ってて。何か持っていくから。」
「うん。お構いなく。」
私は彼に誘われるがまま二階へと上がった。
お城のような螺旋階段がとてもお洒落ですごく気に入ってしまった。
木で出来ているけど、その木目と手触りがまた良い。
二階に上がると部屋が3つ見えた。
そのうちのドアが開いている部屋に首だけを突っ込む。
机、ベッド、本棚、ステレオ。
(多分ここ...だよね。)
私は首の所に体を持っていって中に入った。
カーテンが開け放たれた窓から光がこぼれている。
少しずつ脚の方から部屋を満たしていっている。
私は部屋のものに一通り一瞥を投げると何かに導かれるように
窓の方へと歩みを進めた。
壮大な町並み。
右と前で見えるものが一変している。
前には住宅が所せましと並んでいて、
右側には手の届きそうな場所が海になっている。
優しく波が返している。
ここからそこまでは見えないけど、潮騒までも聞こえてきそうだった。
(ここが、成瀬君の育った街...。)
「ここから何か見える?」
後ろから不意に声がしたが、
私は自分がびっくりしてしまうほど落ち着いていた。
声をいきなりかけられたのに少しの動揺もなかった。
そして、ゆっくりとした口調で心の中を言葉にした。
「海が見える...。」
私の言葉の後、彼は少し時間をおいてから答えてくれた。
「ほかには?」
「うーん..成瀬君はこの街で過ごしてきたんだな、って思った。」
「?...どういう意味?」
そうきかれると答えに困ってしまう。
(私、何でそんな風に感じたんだろ...?)
自分でも分からない。
適当に答えたりはしたくなかったから、ありのままに答えた。
「深い意味はないよ。そう感じただけ。さ、はじめよ。」
「あ、ああ。」
訝しげな彼の顔。
何か疑問があるようだけど私には何もきけない。
勉強を始める二人。
どこかぎこちなさを残しながら時間は流れた。
私たちの意志には関係なく。

かなりの間彼はシャーペンを放さなかった。
ざっと時間にして3時間。
あんまり私もこんなにはやらない。
きっと、成瀬君にしてみればすごく疲れたはず。
彼が最後の問題に答えを書き込ん....だ。
「うーーーん。やっと終わった。」
それと同時にシャーペンが空を舞う。
成瀬君の両手は飛んでいきそうなほどに天に伸びていた。
「おつかれさま。ずいぶんがんばったね。」
「一人じゃこうはいかないよ。ありがとう。」
「いいよ、気にしないで。」
私は軽く微笑んで答えた。
外は少し赤くなりかけている。
電車で帰るのだから少し早めに出たほうがいいかもしれない。
(もう少し一緒にいたい気もするけど...。)
そんなことを口に出せれば苦労はなかった。
私は気持ちを振り払って背伸びをする。
「さて、帰ろう..かな?」
私が立ち上がると本を片づけていた成瀬君も立ち上がる。
「あ、送ってくよ。駅までだけど。」
「ありがと。行こっか。」

昼間に通った道がまた違った表情を見せている。
赤い色を水で溶いて優しく塗ればきっとこんな感じだろうか?
私は、来たときとは違って私の隣にいる、成瀬君に話しかけた。
「明日、がんばってね。」
「ああ、やれるだけのことはやる。」
何だか自信に溢れた顔つきをしている。
きっと、これなら大丈夫だろう、と思った。
「今日は早く寝なきゃダメだよ。」
「ああ、わかった。」
「じゃあ、私行くね。」
着いたばかりの駅に向かって駆けていった。
少しずつ階段が近くなり、少しずつ彼が遠退いていく。
(もっと距離があれば良かったのに...。)
そんなどうにもならない思いを抱いて流れ込んできた電車に飛び乗った。
ドアが私のすぐ後ろで閉まる。
そのままうなだれるようにドアにもたれると、
家の近くの駅をただただ、待った。

12月14日(Mon) PM 0:10
「はぁはぁ...。」
少し息を切らして階段を駆けのぼっていた。
十何段かのぼると方向転換。
それを幾度となく繰り返した。
やがて階段の先が廊下ではなくなる。
そこにあるのは大きなドア。
鉄で出来た少し黒ずんでいる重いドア。
両手をつけて体重を乗せて開いた。
本当はそんなに重いはずはないのだけれど...。
ドアが開くにつれて、少しずつ光の帯が太くなっていく。
すき間から漏れる、私を縦に照らし出す筋。
そして、完全に広がった。
目が慣れなくて思わず目を細める。
手をかざして見渡した中には成瀬君がいた。
「ごめん。待った?」
私は彼に走り寄りながら尋ねた。
「そんなには待ってないよ。気にしないで。」
「そっか。よかった。」
私は彼のすぐ横に腰をおろすとカバンの中をまさぐった。
自分のお弁当とは違う包みの箱が中にはあった。
それは、成瀬君の分。
今日は朝早く起きて彼の分まで作ってきた。
嬉しいから、苦になるとかいったことはない。
私はお弁当を取り出して蓋を開けて差し出した。
「嫌いなものとかなかったよね?」
「いっぱいある。」「えっ?本当に?」
私は驚きで思わず大きな声を出していた。
彼の目元が少し優しくなる。
「冗談。ほとんどないけど、トマトだけはちょっとな..。」
「なんだ。安心して、今日のには入ってないよ。」
「よかった。」
成瀬君は心底安心したような顔。
かなりトマトが嫌いらしい。
「それ食べて追試、がんばってね。」
「ああ。」
彼が弁当を受け取り箸を持つ。
私がちょっと前まで使っていたものだけど、まぁいいか。
最初の一口が少し遅かったので心配した。
(見た目はそんなに悪くないと思うんだけど...。)
「どうかな?おいしい?」
「おいしい。冗談ぬきで。」
私は自分の顔が笑っていることに気づいていた。
きっと鏡を見たら想像と全く同じ顔をしているはず。
「そこまで喜んでもらえると作りがいがあるよ。よかった。」
彼が次々と口へおかずを運んでいく。
ずっとそのまま成瀬君を見ていた。
(新婚だったらずっとこんな感じなのかなぁ...。)
ぼーっと彼を見ながら思っていた。
想像と理想を重ねていたのだろう。
でもすぐに自分の想像が恥ずかしくて思わず赤面した。
彼にそれがばれないようにちょっとだけ俯く。
コンクリートの地面が視界を埋め尽くす。
私は少しの間そのままだった。

(もうテスト中かな?うまくいくと良いなぁ。)
ピアノの鍵盤にタッチしながらそんなことを考えていた。
授業も終わっていつものように音楽室にいる。
テストは確か50分間。
(4時からだったから...。)
終わるのは4時50分。
テストの結果を聞きに行って5時10分って所かな?
(私がいつも帰る時間よりも少し早いけど、別に良いよね。)
何が良いのかと言えば、彼と一緒に帰るか、ということだった。
きっと成瀬君は疲れ切っていてここには来ないと思う。
だから、私が待っててあげたい。
(これでは彼が私を欲しているみたい...。)
じゃなくて、私が成瀬君を待ちたい。
鍵盤の滑りがいつもより悪い気がする。
ミスタッチが頻繁に起こる。
その度に変な音が鳴って不協和音が部屋に満ちていく。
綺麗な音は浸透に時間がかかるのに、不協和音は一音で十分だ。
いきなりやる気をそがれる。
私はそれのごとに手を止めて窓に近寄った。
銀色の枠で切り取られた空は既に赤い。
もう何時間もしないうちに暗くなっていく。
その大きすぎる普遍的な流れに身を投じると、
全てを洗い流してくれる気がする。
そして..。
「あ..。」
凄じい不協和音が鳴った。
私は手を鍵盤から離して深呼吸をする。
そして、少し立ち上がった。
窓からはテニスコートが見える。
成瀬君の姿は見えない。
(当たり前か...。まだ4時45分だものね...。)
私は気を取り直して椅子に座った。
鍵盤に手を置く。
シューベルト作曲のノクターン第二番。
今度の発表会ではとりあえずこれを弾こうと思う。
私は手を動かした。
慣れた道筋を優しく辿り、メリハリを吹き込んでいく。
音と指の紡ぐ布を心で感じていた。

私は今下駄箱にいた。
現在の時間、5時12分。
(そろそろ来てもいいのに...あ。)
彼の姿を捉えた。
何気なく物陰に入る。
成瀬君がだんだんと近づいてる。
少し浮かばない顔をしているのは不合格だったから?
彼が下駄箱に向き合った所で私は出てきた。
そして、彼が靴を取り出す前に手を伸ばして取り出す。
そして、彼の靴を地面に置いた。
「待っててくれたのか。」
「どうだったの?追試。」
「どうだったと思う?」
彼がありきたりな質問をする。
こんなことをするのは余裕があるから?
でも、さっきの顔は?
そんな風に考えて私は思い直した。
(きっと受かってる、って信じてるんじゃなかったの?)
思い直した上で答えた。
「受かってると思う。」
「どうして?」
「どうしてって、昨日あれだけやったんだもん。受かっててほしいよ。」
私は彼の瞳を見詰めた。
澄んだ目が私を見詰め返してくる。
そして、成瀬君がくすっと笑った。
そして、彼の手が親指を立てた状態で私の前に差し出される。
”good”というときの形だ。
つまり...。
「よかったぁ。」
「ありがとう。本当に月下のおかげだ。」
「がんばったからだよ。」
二人で少しの間笑いあった。
緊張の糸がちぎれた。
しかも、それは最高の終わり方で。
夕日の中で赤く照らされるお互いの顔を見ながら
ずっと喜び合っていた。

公園のベンチから夕日に暮れていく空を見ていた。
と同時に視界の端には成瀬君が映っている。
缶ジュースを買ってくれるらしい。
私は言われた通りにその場で待っていた。
彼が少しして戻ってくる。
そして、缶コーヒーを渡された。
「はい。熱いから気をつけて。」
「あ、ありがと。」「ふう。」
彼が安心したような声を出して私のとなりに座る。
彼が今漏らしたのは安堵の息だった。
「よかったね。」
「ああ、やっと肩の荷が下りた。」
「自分で載せた荷物だけどね。」
「ははは...。」
私は少し冗談めかして言った。
結構こたえたのか苦笑している。
その顔を見て何だか可笑しくなった。
「月下ってさぁ...。」
彼がいきなり言い出した。
私の方を向かずにずっと前を向いて。
「なに?」
私の言葉に反応してやっと彼はこっちを見た。
「何かさ..好きなものとかある?」
「好きなもの?うーん、コーヒーと甘いものが好き。」
「コーヒーと甘いものか...。」
成瀬君は私の言葉を反復した。
何か含みがありそうな言い方。
私は予想できうる範囲で成瀬君に尋ねた。
「何?連れていってくれるの?」
「ああ...お礼が何かしたいな..って思って。」
「そんなのいいよ。こっちは好きでやってたんだから。
 あっ..好きってそういうのじゃないからね。」
私は少し勢いで出してしまった自分の心のうちを必死で否定する。
まだ知られたくない。
でも、自分の本当の気持ちを、隠したいのだとしても、
否定するのは自分に嘘をついているような気がしていい気分はしなかった。
「分かってるよ。」
成瀬君は優しくそう言う。
「....分かってない...。」「?」
私は自分も言ったのかどうか分からないような声で呟いた。
でも、先よりは気分がいい。
彼にはやはり聞こえなかったようで、不思議そうな顔をしている。
「今、なんて言ったの?」
「え、あ、うん。何でもないよ。」
少し言葉につまりながらこたえた。
彼は訝しげな顔をしながらもそれ以上何も言わない。
ここで彼が追及してきたら、言ってしまったかもしれない。
私の想いを。
「そうか..ならいいけど...。」
「.....。」「.....。」
多少の沈黙が漂う。
でも不思議と気まずさはない。
むしろこの時間が続くことを願っている。
でも、この沈黙は私の決断を揺さぶる。
”告げたい”という気持ちに勝てなくなりそう。
だから、自分から静寂に罅を入れた。
「暗くなってきたから帰ろっか。」
「あ、ああ。」
ちょっと戸惑った彼の答え。
でも私はそのまま続けた。
立ち上がって彼の方に向き直す。
いつの間にか彼も立ち上がっていた。
「じゃあ、また明日ね。」
「またね。」「うん。」
手を振って振り返って歩き出した。
私の足音しかしないから、彼はきっとまだ後ろにいる。
(言うなら、今なら間に合う。)
でも、私は一度も振り返らない。
そのまま公園を抜けるまでずっと歩き続けた。

12月15日(Tue) PM 0:10
「音色さ、本当に好きな人とかいないの?」
晴花の突然の質問にも最近は慣れてきた。
お弁当を食べていたけれども私は微動だにしなかった。
そして、少し冷たい口調で言い放つ。
「いないよ。」
「ふーん...。」
「って、前にも言ったでしょ?」
「そうだっけ?」
とぼけているのか、本気なのか。
晴花の考えはいま一つ私には分からない。
何がしたくてこんなことばかり聞いてくるのやら。
「でもさ、今日の音色、何か違うよね。
 いつもだったら”何でそういうこと言うの?”とか、
 ちょっと驚きながら言ってきそうな感じだけど。」
晴花の鋭い指摘は私を深く悩ませた。
きっと、晴花はそんなつもりではなくて、
これも彼女お得意の唐突に思いついただけだったのだろう。
でも、私は何で黙ってるの?
私は何で今日は”慣れてきた”って思ったんだろう?
「実は....本当はいるから驚かなかったとか?」
晴花が言ったことに今度は反応してしまった。
箸から卵焼きが滑り落ちそうになるのをお弁当箱で何とか受けようとするが、
卵焼きは後少しのところでぎりぎり踏みとどまった。
「図星でしょ?この晴花ちゃんに見抜けないものはないわ。」
私のすぐ横で天狗になっている私の取り敢えず親友は
そう言いながら心なしか胸を張っているように見える。
「そんなこと、勝手に決めないで。」
「で、相手は誰なの?」
全く聞いてはいない。
私がここにいてもいなくてもきっと晴花は気づかないだろう。
「もしかして....あのたまに一緒にいる人?」
私は敢て、というか何も言えなかった。
考えて考えて考えて、何を言っていいか分からなくて、
結局黙るのが得策かと思った。
晴花の言う人が成瀬君なのは間違いないだろう。
その証拠に....。
「あの水沢君の友達の人でしょ?」
やっぱりそうだった。
水沢君、というのは私が1年のときに一緒だった人で、
なかなかに私たち女子に人気がある。
見た目がかっこいいという所が大きいのだろうと思う。
その点では成瀬君も負けていないのに、
成瀬君は少し目が切れ長で恐い印象を与えてしまうのだと思う。
私がそう思ったことはないけど、
1年で成瀬君と一緒だった友達はみんな口を揃えてそう言っていた。
(私が一緒にいてもむしろ優しいのだけれど....。)
そこまで考えて、はっとした。
見れば晴花が私を覗き込んでいる。
そして、私が気づいたことに気づいて、にやっとした。
私も苦笑をして返す。
「ふーん..そうだったんだ。音色にもついに春がねぇ。
 で、告白はしたの?」
わくわくした表情の晴花。
私はどうも遊ばれているらしいが、これ以上の抵抗は無意味にも思えた。
だとしたら、晴花には言ってほかの人には
黙っててもらうのが最良の手だと思う。
晴花がそこまで信用できたら、の話だけど...。
「.....みんなに言わない?」
「みんなって、京子もダメ?」
「ダメ。」「泰花にも?」
「ダメ。誰かに言うなら言わない。」
そう言ってそっぽに私が向いたので、晴花は少しばかり考える。
何を考えているのか知らないけど、きっとろくなことではない。
「うーん...分かった。絶対誰にも言わない。」
「うん..........まだ。」
「なーんだ。なに?もしかしてしないつもり? 
 それはダメだよ。そんなのは絶対に相手に伝わったりしないんだから。
 なんなら私が言ってきてあげようか?」
「そんなのを余計なお世話って言うの。
 自分のことだもん、自分で決める。」
やけに興奮してテンションがハイになってきている晴花に
私はそれとは全く逆の態度で言った。
晴花もそれに気づいたのか、ただ偶然なのか、
少しばかりは落ち着いて冷静になってきたみたいだ。
「親友として真面目に言っておくね。」
晴花が私を見据えるようにして箸を置いて
じっと私の瞳を覗き込んできた。
私はその変化についていけなくて少し戸惑う。
「...なにを?」
「そういうのって一回チャンスを逃すと二度と来ないんだよ。
 絶対にその時を逃しちゃダメだからね。」
「うん..分かった、けど、晴花はそんな経験あるの?」
何だか妙に説得力があったので私は好奇心で聞いてみた。
「え?私?私はそんなことないよ。
 だって、自分から人を好きになったことってほとんどないもん。」
「じゃあ、今の彼氏は?」
「何となく。かっこいいし、頭いいし、嫌いじゃないし。」
はぁ、と私は心の中でため息にも似た嘆息を漏らした。
こんな娘だとは分かっていたけど、そんな事実を突きつけられると
再確認して、悲しいような、うらやましいような。
どちらにしても、適当な性格がはっきりと出ている。
でも...。
「でも...。」
「何?」
「これでフラれたら晴花のせいだからね。」
私は結構真剣な目で言う。
でも、晴花にはあまり通じなかった。
「音色がもてないのを私のせいにしないでよ。」
「あーっ、そういうことまたはっきり言う。
 私だってそんなにもてないことないんだからね。」
「はいはい。男子と付き合ったことない娘が
 そういうこと言っても説得力ないよ。」
晴花はそう言うと私を見て「クスクス」笑った。
別に私を馬鹿にしたいのではなくて、
怒った顔の私を見てただ笑ったのだろう。
私もそれを見ていたら何だか可笑しくなってきた。
一通り笑い終えて外を見る。
やっぱり雲は流れていく。
(告白かぁ.....。成瀬君にとって私ってなんなんだろ?)
そんなことを考えて晴花の言葉を思い返していた。
(一度きりのチャンス、かぁ。いつ来るのかなぁ?)
私は尽きない考えを残したまま身体の向きを机に戻す。
「あれ?」
いきなり変な声を私は上げた。
(何か足りないような....。)
箸を掴んでそう思った。
さっきまではあったのに...。
私のお弁当の唐揚げがなかった。
訝しげに思いながら、顔を上げる。
そっぽを向いて必死で口を動かしている晴花がそこにはいた。

「なぁ、今日さ、ちょっと寄り道していかないか?」
私が練習を終えてピアノを片づけていると、後ろにいた成瀬君に
突然、予想も出来なかった言葉をかけられた。
私は驚いて振り向き、決まりきった質問をする。
そして、返ってきた成瀬君の答もやはり決まり切っていた。
「いいけど...どこへ?」
「行けば分かるよ。」
微笑んでそう言う成瀬君。
私は少しばかり急いで片づけを済ませると、
彼はそれを待ちわびていたように、立ち上がって私を促した。
「じゃ、行こうか。」

私と成瀬君は夕日の差す中を歩いていた。
先ほど駅前を抜けて、その少し横道に入った所。
家には近いのにあまり来たことがない所。
少しの不安と好奇心で私は彼についていった。
私より2歩ほど先を歩く成瀬君は何度か私に振り返っては
はにかむような笑みを浮かべて、また前に向いた。
そんな彼を見ると何だか可笑しくなってくる。
そして、不意に彼がその足を止めた。
立ち止まった成瀬君の前にあるのは
レンガで作ったような少しお洒落な喫茶店。
私も立ち止まってその店をよく見た。
(こんなに近くにこんなに良いお店があったなんて知らなかった。)
まだ中に入っていないので何とも言えないが
外見の雰囲気は私の好きな感じだった。
落ち着いて統一感のあるシックさ。
「ここなんだ。」
「へぇ、私初めて。楽しみ。」
「コーヒーがおいしいから。入ろ。」
やはり彼が先にドアを開ける。
小さなベルがカランカランと鳴って
「いらっしゃいませ」という声が聞こえてきた。
中も外見とほとんど一緒でやはり茶色で統一されている。
窓際にくっついたテーブル席とカウンター。
カウンターでは頑固そうなマスターらしき人がグラスを丹念に磨いている。
そんな光景を横目に私は成瀬君の行くがまま窓際に腰をかけた。
夕日は何処と無く穏やかで辺りを分け隔てなく包み込む。
いつもはない感慨深さがやってきて私は少しぼーっとしていた。
そこへウェイトレスの人がやってくる。
今レジに誰もいない所を見るとこの人とマスターだけでやっているみたい。
「なににいたしましょう?」
「ブレンドコーヒーとサンドウィッチ。」
「私、ブレンドとチーズケーキを。」
「かしこまりました。」
決して大きなお店ではなかった。
でも、この雰囲気は人を引き寄せる効果がある。
私は何度でも来て良いと思った。
お店の中に流れる曲は80’を象徴するジャズだった。
バラード調がほとんどで耳を澄ませば良い音量というほど小さい。
やがて耳を澄ませ目を閉じている私の所に
先ほどのウェイトレスがやってくる。
そして、お盆から注文の品を降ろし、
盆を足の前で持つと決まりきった文句を言った。
「ブレンドコーヒーを2つと、サンドウィッチと、
 チーズケーキですね。ごゆっくりどうぞ。」
そして、今来た道をそのまま巻戻しのように戻っていく。
体の向きは逆じゃないけど...。
私の前に置かれたカップは薄いブルーの凄く綺麗なもので
その中の濃い色のコーヒーがとても美しく見える。
白く立ち上る湯気が辺りに良い匂いを漂わせて
私は我慢が出来なくなってきた。
その香りに誘われるようにカップの箸を口につけて、
まだ暑いままのコーヒーを一口いただく。
そして私は口の中に広がる感想を脚色を交えずに簡潔にいった。
「...おいしい..。」
「よかった。」
成瀬君の顔が少しほころぶ。
「うん..いいね。この店。」
私はそう言いながら何度目かに辺りを見渡した。
見れば見るほど良い作りをしている。
店長(あそこのマスターかな?)のこだわりが
一つ一つ手に取って分かるようだ。
「喜んでもらえて嬉しい。」
「インスタントじゃ、こうはいかないね。」
成瀬君は一緒に頼んだサンドウィッチに手をつけている。
それの一つを取っては口へと運ぶ。
その仕草を見ながら色々考えていた。
(今って...「チャンス」なのかなぁ?
 ああもう、晴花があんなこと言うから何だか意識してきちゃった。
 今言ってもいいのかなぁ?本当に、フラれたら一生恨んでやる。)
晴花に心の中で告げながら、成瀬君を見た。
どうやっていいのか良く分からない。
いきなり言ってしまうものなのだろうか?
(ずっと好きでした。付き合ってください。
 ....こんな安っぽい使い古された台詞なんて言えないよ。
 あー、どうしたらいいんだろ?)
「どうしたの?」
成瀬君がこっちをみて不思議そうな顔をしている。
何も言わないわけにもいかない。
適当な言葉を考えなくちゃ。
そして「適当に」出た言葉がこれだった。
「成瀬君ってさぁ...璃乃ちゃんとつき合ってるの?」
成瀬君はあからさまに吹き出しそうになる。
コーヒーを飲んでいる所でなくて本当に良かった。
そして、少しずつ表情が変化していく。
驚きと訝しさ。
当然と言えば当然の反応だろうけど...。
「何をいきなり...。」
「ちょっと気になっちゃって。ねぇ、答えて。」
少しの間を取ってから成瀬君は答える。
その間が数秒かその程度なのに、永遠に感じるほど永かった。
そして、私の心はこの時点で決まったのだと思う。
「そんなのじゃないよ。あいつはただの幼なじみだよ。」
「そっか...じゃあさ、私とつき合う気、ある?」
口をついて出た言葉。
何を考えているでもなく、本能が言ったように。
彼は、また同じ反応。
思わず出た手がコーヒーカップを倒しそうになっている。
「わたしはさ、そうしたいなぁって思ってたんだ。
 出会ってすぐくらいから..。」
此処まできたらもう引き下がれない。
晴花の言葉を信じて、私のこのチャンスをつかみ取ろうとした。
私は、成瀬君と一緒にいたい。
「俺は....。」
成瀬君の口が動いて、その瞬間に反応した私は
そんな言葉を受け取っただけだった。
その先は何もない。
成瀬君も何も言葉にはしていない。
ただ、俯くように下を向いて何かを考えているようだ。
そこに誰かいて、その人と相談しているかのようにも見える。
(俺は....何?ダメなの?私のこと嫌いなの?
 嫌いなのにこんなお店に連れてきてくれたの?
 そうじゃなかったら、何で黙ってるの?
 早く答えが聞きたい。でも、拒絶は聞きたくない。)
彼の顔はいっこうに良くなるような雰囲気はなく、
ただ、下を向いて微動だにしない。
何かいい断り方を考えているの?
それだったら、もしそうなんだったら、あなたの口からは聞きたくない。
そんなくらいなら、自分で言い出したほうがまだマシかもしれない。
「...ダメだよね...。」「え?」
「ごめんね、忘れて。」
私は自分でそう言って下を向いた。
彼の言葉を聞く前に。
言った後から、もしかしたら...、という考えばかりが浮かんでくる。
やっぱり言わなきゃよかった。
そう思って止まなかった。
ダメだよね、という言葉ではなくて、告白の言葉を。
そうすれば、少なくとも友達でいられた。
でも、今からはきっと廊下ですれ違っても
お互いに何も言わず、目くばせさえもしない。
そんな、関係のない関係になってしまう。
と、そこまで考えて完全に沈み切る寸前のことだった。
いや、そんなに長い時間ではなかった。
「違う、そうじゃないんだ。月下に一緒にいてほしい。
 俺もそう思ってる。でも....。」
「...でも?」
彼の言葉は私を天に連れていきそうなほど嬉しかった。
でも、でもの続きは、何?
何かあるの?
それは....悪いことなの?
「いや、何でもない。」
でも、答えてはくれない成瀬君。
私は、思い切った。
これでダメなら、今夜は泣いて、明日晴花を責めよう。
「....YesかNoで答えて。」
私の顔を見ていた彼の顔がまた下へと向いていき、
そして、上へと戻ってきた。
「...Yes。」
そう、短く簡単な言葉が私まで伝わる。
そして、耳を疑いながら私は聞き返した。
「本当に?...信じて..いいんだよね?」「ああ。」
そう言いながら成瀬君は優しく微笑んでくれた。
私の心も芯の芯からほぐれて、体中の力が抜ける。
さっきまで文句を言っていた晴花に感謝。
あなたは間違ってはいませんでした。
色々と言ってごめんなさい。
そんなことを本当に言いたくなるほど、気分がよかった。
「よかった....。」
短い自然な言葉が宙へと漏れて、そして見えなくなる。
私は凄く落ち着いていて、同時に疲れを感じていた。
「ふう、じゃあさ、そろそろ帰ろ?ほっとしたら疲れちゃった。」
私は立ち上がる。
彼はそのまま座っていたけど特に気にも止めずに
すぐに立ち上がるだろうと思っただけだった。
それほどに浮かれていたのかもしれない。
そして、私を赤面させる後ろからの一言。
何らおかしい言葉ではないのに異常なほどの反応を示す私。
「ああ...音色。」
いきなり呼ばれた自分の名前。
驚きと嬉しさが私の言葉を邪魔している。
「名前....。」
「ダメかな?」
「ううん、そのままね。」
私は、自分でも分かった。
私は今顔全体で「幸せ」ほ表現している。
そう言っても過言でないほどに笑っているはずだと思う。
だって、顔が緩んでくるのを止められないもの。
店の外へと出て、何となく向き合う。
目があって今までにない恥ずかしさと照れがあった。
「じゃあ、また明日ね。」「ああ。」
私は手を振りながら自分の家の方へと度々振り向きながら歩いていく。
私が振り返ると成瀬君はまだ私を見ていた。
より一層手を大きく振ってまた振り返る。
数回それを繰り返すと成瀬君の姿は見えなくなっていた。
嬉しさが少しずつ形をなしていく。
具体的な形を持っていく。
少しだけ夢だったのでは?と疑いたくなる。
一カ月前が凄く前のことみたいだ。
こんなことになるなんて夢でしか考えなかったから。
空には、月が光っていた。
少しの雲のヴェールをかぶって、見入ってしまうほど綺麗だった。
成瀬君も見ているであろう月を見ながら、
私は弾む足で家路へと着いた。