12月23日(Wed) AM 10:00
まだ暖かくならない空気の中にインターホンの音が鳴り響いた。
私がその音を出したのだが、その当人も何故か固まったまま、
インターホンのボタンに指をくっつけたままだった。
何度か足音が鳴る。
少しずつ私に近づいてきている。
そして、ドアがゆっくりと開いた。
「いらっしゃい。」
「おはよう。おじゃまします。」
小さく会釈をして通されるがまま玄関へと足を踏み入れる。
そしてそのままリビングへと進んだ。
光の差し込むリビングは外よりも幾分穏やかに暖かくて、
こんな状況でなければ私は眠ってしまうほどに。
私の後ろからきた霞瑞君はキッチンに入ってコーヒーを持ってきてくれた。
「あ..ありがとう。」
「あ..うん。」
「.....。」「.....。」
「答えを聞いてもいいのかな...?」
「...うん。」「じゃあ...聞かせてほしい。」
そう言って霞瑞君の視線が私の瞳に一直線に飛び込んできた。
今までのように少し、ほんの少しさえも逸れていたりはしない。
彼も自分のことは言ったのだから、後は私の番だ。
少しのためらいを何とかかき消して、私は口を開いた。
「私...私は..雪音さんのことを聞いて...
 最初はちょっとつらかった。でも...
 私もやっぱり霞瑞君といたいの...。
 雪音さんのこと完全に忘れてなんて言わない。
 そんなことできないのも分かってる。
 でもね..私にうそつかないでほしいの..。
 信じられなくなっちゃうから..。」
「音色....。」
そして......。
「ねぇ、覚えてるかな..?最初にあった日..。」
「ああ..音楽室で...。」
「それ..違うんだ。」
「え?」
「私たちもっと前に会ってた...。昨日間違いない、って思った。」
私の言っていることが全く分からないと言った様子の霞瑞君。
少し微笑んだ顔で言ってあげることにした。
「3年前...12月24日...。」
「...あの時の....?」
「そうなの..私のせいでもあるの...。
 私にかまっていたせいで...。」
自分の口調がだんだんと強くなってきているのに気づく。
それは私の感情が少し高ぶっているのを忠実に表していた。
「でも、それで終わりじゃなかった。私その時にもう好きになってた。
 運命を信じた。そして..また出会うことができた...。
 だから音楽室であったとき..あっ...って気づいたの。」
「そうだったのか...。」
言葉が繋がらない二人。
そして、誰にともなく尋ねる私。
「私が...霞瑞君と一緒にいても...いいのかな?」
「...いいと思うよ。多分雪音なら分かってくれる....。
 勝手な解釈だけど...。」
「うん...。そうだといいね。」
私は雪音さんを全く知らないけど、何だか会ってみたい気がしていた。
霞瑞君がこんなに好きになった人、愛していた女性。
きっとすごく優しくて綺麗でいろんなことの出来る人だったのだろう。
色々なことを聞きたかったけど、今日は止めておいた。
少しだけ漂っている良いムードを壊したくなかった。
いつか霞瑞君が少し微笑んで、そして郷愁のような感情を浮かべた表情で
私に自分から話してくれるのを待とう、と心に決めた。
それから、霞瑞君はいっぱい話をしてくれた。
何でもないことから少し真剣な話まで。
私はただその横で笑って聞いていたけど、
今までで一番楽しくて、気を使わなくて良い時間だった。
そして彼の話が止まったのは、日の傾いた夕方だった。

やってくるときに降りた駅に着いた。
霞瑞君が此処まで送ってくれて、少し先を歩いていた彼が
ゆっくりと振り返った。
私はとても自然に笑っていた。
昨日まであんなに笑えなかったのが嘘だったように。
「じゃあ..ね。」
「ああ。」
「バイバイ...。」「またかよ。」
私が電話のときと同じような反応を見せると彼は笑っていた。
それにつられて私も少し声を上げて笑う...はずだったけど...。
「う..うん....」
「おいっ...。」
身体からふっ、と力が抜けた。
足に力が入らず、目を開けていられない。
閉じていく視界がすごいスピードで上へ上がっていく。
(私が...倒れてるの...?)
薄れかけていく頭の中でそんな悠長なことを考えていた。
そして、地面に落ちる、と思ったとき...。
「大丈夫か?音色。」
霞瑞君がすぐに走って私を抱きかかえてくれた。
意識の戻っていく頭で目を開けるとすぐ前に霞瑞君の顔。
薄く霞がかった彼の表情は心配の色を浮かべている。
今考えれば朝から少し調子がよくなかったかもしれない。
でも...彼にあまり心配はかけたくなかった。
「...ふぅ、心配した?」
「な....あたりまえだろ。」
照れているのか、霞瑞君は無理して笑っている私に気づかない。
「ふふ..霞瑞君優しい。」
「え...。」
「さて...帰らなきゃね。」
私は体を起こす。
少しふらつきはしたけど、立てないほどではないようだ。
「また...明日ね。遅れないでよ。」
笑って、手を振って、振り返って、駅へと入っていく。
頭はまだぼーっとしている。
今日は早く寝たほうがいいかもしれない。
そんなことを思って改札を通り抜け、
ちょうどよく滑り込んできた電車にその身を委ねた。

12月24日(Thu) PM 5:50
人混みの中をかき分けて改札を何とか抜けた。
外には溢れるほどの人がいた。
いつもより少し明るい服を着た人々が思い思いに聖なる日を過ごしている。
街もそれに答えるようにクリスマスカラーで彩られて、恋人達を迎えた。
私も霞瑞君もその”恋人達”に入るのだと思うと顔が緩まずにはいられない。
駅前のベンチで待ち合わせ。
と言っても、ベンチに座っている人は五万といた。
きょろきょろと辺りを見渡して、彼に気づこうとする。
これだけの人の中から彼を見つける自信はあった。
(えーと.......あ!)
やっぱり見つけた。
はやる足を押さえられずに、霞瑞君に駆け寄る。
「あ、早いんだね。」
彼がその言葉にこたえて振り向き、目だけで笑う。
「ああ、遅れるなんてできないよ。」
「ありがと。さて、どこから行こっか?」
「まかせるよ。」
「そっか..じゃあさ服見に行こ。服。」
ベンチに座っている彼の手を取って引っ張る。
そして、人混みの中へと入っていった。
でも私たち以外はいないような感じがしていた。
きっと周りの人たちもこう感じている。
既に自分たちの世界に入っていて、周りの人なんて気にならない、と。

「ねぇ、こういうのどうかな?」
お姫様のように少し回ってみせる私。
私が似合うか確かめていたのは、少し厚手の淡い緑のワンピースだった。
「うーん..白い方が好きだな。」
「そう?じゃあこっちかなぁ..。」
彼のご要望に答えて薄い青色の上下とその上から着るまっ白のブラウスを
身体の前にぶら下げるようにして鏡を見てみる。
「こっちのほうがいいな。」
どうやら少し気に入ってくれたらしい。
「じゃあ...どうしようかな..?」
高い、とは言わないけど安くもない。
それほど家も裕福なわけではないので、あまり高い買い物は出来ない。
「やっぱり、今日はやめておく。ちょっと高いね。」
「俺が買ってあげようか?」
「ううん、そんなの悪いよ。もうちょっと我慢する。」
私は服をもとあった場所に戻す。
そして、足早に外に出た。

「音色、そろそろ夕食にしない?」
完全に人込みに混じって、どうでもいいことを笑いながら話していた。
特に何をするでもないこんな時間が一番楽しかった。
そして、霞瑞君が不意に言い出したのがさっきの言葉。
「あっ、そっか。もうそんな時間か..。
 うん、いいよ。どこで食べる?」
「うーん..イタリアンぐらいかな?」
「そうだね。そうしよっか。」
特に考えていなかったので、霞瑞君に着いていくことにした。

「たしか...8時だよね。」
私は思い出したように文脈を無視してそう言った。
霞瑞君が不思議そうに首を傾げて、聞き返してくる。
「なにが?」
「イルミネーションの点灯。」
「あ、そっか。そういえば、ここの店からよく見えるはず。」
「そうなの?楽しみだね。」
今私たちは店の前で順番待ちをしていた。
クリスマスの夜なのだから人が多いことぐらい気づきそうなのに...。
予約をしておけば良かった、と最初は思った。
でも、それも最初だけで今はこんな時間さえも楽しいと感じていた。

それからまた20分ほどの時が流れた。
数組のカップルが出てきてやっと私たちも入れることとなった。
店に入ってちょうど空いていたのは窓際の席。
イルミネーションを見るのにはおあつらえの席だ。
向かい合うように座って二人で少し照れくさそうに笑った。
やってきたウェイトレスに注文をする。
「いい席だね。早くイルミネーションつかないかなぁ。」
窓枠に手を置いて外を眺めた。
何本かのツリーが商店街の真ん中を走る道に立てられて
光が点いていなくとも綺麗に見える。
そして、眺めていて不意にあのことを思い出した。
「あっ、そうだ、プレゼントがあるの。..はい。」
カバンをまさぐって、昨日の夜までかかったマフラーを取り出す。
そして、きっとはにかんでいるだろう顔で彼に手渡した。
少しおそるおそる手を伸ばしてきた彼は受け取って気づく。
「これ...マフラー...。」
「あたり。4日もかかっちゃった。
 急いだから変な所があるかも...。」
「ありがとう。.じゃあ俺も..。」
「霞瑞君から?うれしい。」
「右手出して。」
「うん..。」
言われるがままに手を差し出す。
嬉しさと期待と少しの不安とで私は微妙な心境だった。
そこに彼の手が伸びてくる.....。
「はい。」「これ...。」
「そう。これといっしょ。」
気づいた私が感嘆のような声を上げると、彼は自分の右手首を示した。
私の手首に今あるもの、銀製のブレスレット。
いつだったか彼が見せてくれた物と同じデザイン。
雪音さんが霞瑞君にプレゼントしたもの。
自分の右手首についた、光を反射して輝くリングをまじまじと見詰めていた。
ヒンヤリとした感覚がブレスレットが動く度に手中に広がる。
そして、その裏側が少しだけ見えた。
「あれ..何か彫ってある..KAZUI.N...。」
少しだけ照れてしまって、言葉が続かなかった。
霞瑞君の意外な大胆さが何だか恥ずかしいくらい。
「こっちも見て。」
今度はもう一つブレスレットを取り出して、
その裏側を私に見せてくる。
そこにもやはりアルファベットが刻印されていた。
「え..NEIRO.T。」
私が読んだ声に応えて彼はそれを自分の手首にはめる。
二つになったブレスレットがぶつかってキン、という乾いた音を響かせた。
「それと..これ。」
「なに?」
「開けてみて。」
渡されたものは少し厚みのある茶色の紙袋。
その蓋をゆっくりと開けて、中の紙の束を丁寧に取り出す。
少し日にやけた紙には、音楽が刻まれていた。
題名は消しゴムで消してしまったのか、
少し黒く滲んでいるだけで読み取ることは出来ない。
「これ...楽譜...。」
「そう。俺の書いた曲。もらってほしいんだ。」
「ありがとう...。大切にするから...。」
気づけば自分の声はいつの間にか涙声になっていた。
感動のような気持ちが一斉に込み上げてきて、半分くらい押さえられない。
「喜んでもらえてうれしい。」
「でも...溶接はちょっとね...。」
鳴きそうなことを隠すようにブレスレットに手をあてた。
「どうして?」
「だっていつも付けているわけにはいかないから..。」
「まぁ、それならそれでかまわないよ。」
「あっ....。」
「どうしたの.....あ..。」
窓の外が煌いた。
一瞬の狭間を経て、光が満ちた。
窓から少しずつ漏れてくるツリーからの輝き。
この辺りの人々全員が息を呑んで、音を押し殺して、
ただ、ただ聖なる夜の聖なる時間を親身になって感じ取っていた。
「きれい...。この席でよかったね。」
「ああ...すごく贅沢だ。」
二人の会話もどこか抜けていて、いまいち言葉が出てこない。
それはきっとまだ余韻が残り過ぎているから。
いや、余韻という言葉さえもまだ適当ではないと思う。
私たちは、感動にまだ完全に浸っていた。
そこへ、いいと言うか悪いと言うかのタイミングで
ウェイトレスが料理を運んでくる。
「さ、食べよう。」
「うん。」
料理をたべて、時々外を見て、くだらない話で笑って、
少し真剣に喋ってみたり、恋人同士のような会話だったり、
ドラマみたいな台詞だったりを、二人だけの世界でしていた。
何か、何処かでずっと終わりの来ない物語のように感じていた。
この時間がずっと続くだろうと。
今は時が止まっていて、私たちだけが話せるのだ、と。
幸せ過ぎるせいで、そんなことを、
霞瑞君の顔を見詰めながら思っていた。

「おいしかったね。」
「ああ、なかなかだったな。」
「あ..。」
先のお店から出て二人で満足そうに話していた。
その時、私の視界に映り込んだもの。
それは、今日一番大きいモミの木だった。
言葉途中に私は駆け寄る。
そのすぐ下に立って、首を思いっきり上向けた。
ツリーが天に向かって、延々と伸びている。
その大きな身をいくつもの電灯でドレスアップしていた。
私が何も言わずに見上げていると、霞瑞君もその横で黙っていてくれた。
意識が遠退きそうなほどに綺麗。
本当に今日二人で来れて良かった、と実感せずにはいられなかった。
でも........予想外の事態が私を襲う。
「あ...。」
目を閉じた。
これは自分の意志でそうした、と思った。
でも、それは間違いだった。
私のからだから、昨日のように力が抜ける。
目を閉じていても自分が倒れているということが一瞬で認識できていた。
でも...もう一度ちゃんと立つことは出来ない。
頭が妙にはっきりとしているのに、身体は私のものじゃないみたいだ。
そして、そのまま重力に任せて落ちた。
記憶に残っているのは、この数秒後まで。
霞瑞君の少し太い腕が私をぎりぎりで支えてくれた所まで。

そこからは夢を見ていた、と思う。
ふわふわと浮いて空を漂っているような感じ。
意識ははっきりとしなくて、体も異常な気怠さを抱いているのに、
何故かすごく気持ちが安らいでいて心地いい。
誰かの体温を頬で感じている。
少し揺れる空間の中で私を必死にかき抱いていてくれる。
そんな安心感が私を包み込んでいた。
そして、心の中でもう一度目を閉じたような気がする。
少し頭の中で考えるのも辛かったから。

12月25日(Fri) AM 7:00
私は今、温かい何か液体のようなものに包まれている。
水に潜って体中の力を抜き切ったような感触が、
ずっと心の中まで浸透していた。
とても気持ち良くて、現世界から逸脱したような空間。
そんな中に浸り切っていると思っていた。
でも、何か大きな音が鳴った。
それは私のすぐ耳元で鳴り響き、私を空想から連れ出すには
申し分ないほどの大きさを持った物音であった。
ややゆっくりとその少しばかり重いまぶたを開ける。
少しずつ開かれていく視界に此処ぞとばかりに光が差し込んできた。
でも、私はそのまま目を開ける。
ちょっとだけ光になれてきた私の目には、
もうすっかりお馴染みとなってしまった顔が映った。
少し驚いたような顔を浮かべているのが、なぜか可笑しくて仕方なかった。
「おはよう。」
「あ、おはよ。気分は?」
「うん。もうだいぶ平気。...もしかして、一晩中いてくれたの?」
少し頷いて言った私の言葉に、霞瑞君は優しい声で返してくれた。
「心配で帰れないよ。...それよりどうして風邪なんか?」
「ちょっと恥ずかしいんだけど...。」
「けど?」
少しだけふとんを引っ張り上げる。
「マフラー編んでてここ3日ぐらいあんまり寝てないの...。」
「肺炎にならなくてよかったよ。 
 全く、そこまで無理して作らなくてもよかったのに...。」
恥ずかしそうに言う私に霞瑞君の口調は少しだけぶっきらぼう。
でも、私は知ってる。
こんな言い方をするのは照れてるからだ、と。
「せっかく作ってあげたのに...。」
「音色が倒れちゃ意味ないだろ?」
「え..あ...ゴメンネ。」
目があって少しだけお互いに視線を反らす。
そんなに初々しい関係でもないのに、と自分で可笑しくなった。
そして、少しの沈黙が訪れる。
光がゆらゆらと揺れて、窓からの景色が
今日は晴れていることを明白に告げている。
「ふぁ〜。」
霞瑞君があくびをして、手で口を押さえた。
「あ..眠そうだね。霞瑞君さ、もう帰ってもいいよ。」
「そういう言い方はないだろ。一晩中つき合ってあげたのに。」
「そういう意味じゃなくって...
 でも、霞瑞君が体をこわしても困るし...
 私はもう大丈夫だからさ。ね?」
「わかったよ、また来るから。発表会までには治せよ。」
「うん。..バイバイ。」
「ああ。」
霞瑞君が重い腰を上げる。
こっちを見て、いつも以上に優しい笑顔で私を見てくれた後、
彼は振り返り、進んでドアを開けた。
それから、また振り向く。
照れたように笑う霞瑞君を私はずっと見ていた。
彼に手を振って応える。
ドアが開いて閉まっても、私はずっとその方向を見たままだった。

12月29日(Tue) AM 10:00
会長の挨拶が今、やっと終わった。
内容は緊張でそれ所ではなかった。
胸に手を当てるとすごく感じる。
周りにこの音が聞こえているのではないか、と思うくらいに。
パイプの安っぽい椅子に座って地面を見た。
いつもよりちょっとだけお洒落をしたスカートが見える。
その上に置いた右手には、彼から貰ったブレスレットが輝いていた。
私を霞瑞君の代わりに元気づけてくれているみたいだ。
左手で触れる。
ヒンヤリしているけど、どこか温かく感じたのは決して幻ではない。
楽譜を手に持っている。
あの日に貰ったのをちゃんと清書して一冊の本にした。
それを今、手に持っている。
彼が手書きしてくれた方は、私の机の中。
宝物とも言えるほど大事だから、ちゃんと閉まってある。
開こうか、とも思ったけど、止めた。
題名の書いてある表紙だけを見ていることにした。
中身は全て覚えている。
目を閉じていても弾く自信がある。
それほど練習したし、それ自体もすごく楽しかった。
消してあった題名は、霞瑞君が後で教えてくれた。
For Y.....。
Yはきっと雪音さんなのだろうと思ったけど、私は聞かなかった。
どうしてだか、そうすることがすごく嫌だった。
でも、それでもよかったんだ。
霞瑞君が昔誰を好きだったかなんて関係ない。
今は少なくとも間違いなく今だけは、私だけを見ていてくれるのだから。
それで....いいと思った。
私の前の番の人が終わった。
今日は発表会で、私は今立ち上がる。
白いスカートが優しく揺れる。
霞瑞君が好きと言った白。
ステージの袖から出て、観客の前へと進む。
そんなに人が多いわけでも、コンサート会場ほど大きいわけでもない。
でも、この小さなホールには一杯の人がいた。
きっちり礼をして、頭を上げて微笑む。
その中に霞瑞君の顔が映った気がしたけど、
やっぱり何処にいるかは分からなかった。
ピアノの前に座る。
学校よりも少し堅い椅子が妙に気になる。
そして、楽譜を開いた。
鍵盤に手を置いて、深呼吸をする。
会場全体からは人の息の音さえも消えうせ、私の演奏に耳を傾ける。
極度の緊張と、焦燥感。
それを打ち消すかのように....弾き始めた。
果てしなく広がる音の波が、全てを包み込んでいくような曲。
私がノクターンぐらい好きになった曲。
霞瑞君が愛した人のために書いた曲。
そして、私に贈ってくれた曲。
会場全体のために、霞瑞のために、私はできる限りの力で、
有りったけの想いで、音を紡いだ。

少しだけ日の傾き始めた道を霞瑞君と一緒に歩いていた。
発表会は今さっき終わった。
何の賞にも選ばれはしなかったけど、私にとっては満足だった。
今までで一番の演奏を人々に聞いて貰うことが出来たから。
「どうだった?」
すぐ横を歩いていた霞瑞君が私に話しかけた。
「うーん、楽しかったよ。何の賞にも選ばれなかったけど。」
「審査員が悪い、どう考えてもおかしい。」
私は「クスッ」と笑って、真剣な表情の霞瑞君をからかいたくなった。
「まぁ曲があんまりよくなかったものね。」
「え!?本気?」
すごく驚いてこっちを見る霞瑞君。
その顔があんまり可笑しくて、私は笑いを堪えられなかった。
「ふふふ、冗談に決まってるでしょ。...私は大好き。
 ねぇ、寄り道して行こ?」
「ああ、どこへ?」
「うーん...公園。」

公園と呼ばれるこの空間には今私と霞瑞君しかいない。
この私たちの視界に広がる世界全てが私たちのためだけに存在し、
光と影が微妙なバランスを保ってくれているのだと思うと、
何だか嬉しくて、赤く染まり始めた空を思いっきり仰いだ。
「ねぇ..霞瑞...。」
「あ...名前..。」
「やっぱり、ちょっと恥ずかしいね。」
少しだけ視線を反らす私。
「そうかな?..でもそのほうがいいな。」
「そっか。..ねぇ..霞瑞....。」
「うん?」
そこで私は一度言葉を切った。
ジッと霞瑞の瞳を覗き込む。
霞瑞が視線を反らさずにいつも通りの笑顔で
見詰め返してくれているのが嬉しかった。
「キス..しよっか?」
「え?!...って、はぁ?」
驚いた後、気の抜けた顔になる霞瑞。
でも顔がまだ赤いから照れているのは間違いない。
「いや..かな?」
「いやって...そうじゃないけど...。」
視線をあっちに向けたり、こっちを見たり、頭をかいたり、
地面に視線を落としたり、と色々忙しい霞瑞。
その仕草は私を笑わせるには十分だった。
「ふふふ..。」
「?」「冗談よ。赤くなっちゃって。けっこう幼いんだね。」
霞瑞は黙って一つの言葉すらも失ったという様子。
銅像のように固まって何か考えているみたい。
でも(霞瑞の考えていることなんてお見通し。)
最近まで霞瑞が分からなかったのに、今は何だか手に取るように分かる。
反応や次の言葉や表情の変化や癖やその他色々。
きっと、霞瑞はこう思ってる。
「璃乃ちゃんに似てきたって思ったでしょ?」
「な....。」
再び驚いてこっちを急いで見る霞瑞。
その顔から私は視線を外すと大きな空へと投げた。
赤く染まった雲にぶつかって、それが流れて行く先を見ながら言った。
「図星。違うよ。本当の私になってきたんだ。霞瑞のおかげで。」
「....。」
(....アリガト。)
思ったけど、言葉にはしなかった。
何がそうさせたのかは分からない。
でも自分がそうしたかったのも間違いなかった。
きっと、きっと霞瑞なら分かってくれている。
そう信じて疑わなかった。
ずっと、朱色に濃い赤を少しだけ垂らしたような光の中で、
その光がいつしか黒に染め変わるまで、二人で、ただ二人で座っていた。
何か特別な想いがあったとか、険悪な何かが流れていた、
というわけではなくて、二人が二人とも自分の感情の中に浸り、
そして、お互いのことだけを想っていたのだと思う。
いっぱいのことを話したわけでも聞いたわけでもない。
でも...霞瑞のことを今まで以上に知った気がしました。

1月1日(Fri) AM 5:00
ジリリリリ....ジリリリリ....
一年間のうちで数回も使わない目覚まし時計の音がけたたましく鳴り響いた。
でも、実を言えば私はそれを待っていた。
というのも、私は既に10分前には目覚めていた。
....また、あの夢を見た。
彼と出会ったときの夢。
でも、今日のは違った。
私にぶつかったときに霞瑞が微笑んでくれた。
すぐにネックレスを探してくれると、優しく手渡してくれた。
そして、私の手を取って、どこか遠い所へと連れていってくれた。
....そんな夢だった。
今までのような切ない夢ではなく、思わず恥ずかしくなるような夢。
それを見たせいで私は目覚めた。
今日から新年。
カーテンがまだ少し黒い所を見ると日はまだ登ってはいない。
私は起き上がってカーティガンを着るとカーテンをゆっくりと引き開けた。
そこには、白い白い町が悠然とした広がりを持ち、存在していた。
霜が降りているのかしっとりとした街はどこか儚げで、
悲しい雰囲気を受けるけど、
それが風流さを帯びていて私はとても好きだった。
まだ眠っている街には人の気配はほとんどなく、
山の際さえもまだ光ってはいない。
私がこんなに早起きした理由というのは一つしかない。
「一緒に見るのは難しいから
 一緒の時間に起きて見ようよ、初日の出、ね?」
と私が言ったのだ。
(霞瑞もちゃんと見てるかなぁ?)
少し照れくさいような笑みを自分にしか分からない程度に浮かべながら
きっと彼も同じように眠い目をこすりながら見ている空に出てくる、
新年の初日の出を待っていた。

「どう?似合う?」
私はそう言いながらに回って晴れ着を彼に見せた。
少し気分が高ぶっていたのかもしれない。
止まって彼をまっすぐに見詰めて、ニッコリ笑った。
「ああ、すごく似合ってる。」
「お世辞じゃないよね?」
「ちがうって。」
そう言われて笑わないことはなかった。
本当に嬉しくて抱きつきそうになるのを堪えるのが一杯だった。
そして、彼の口が開く。
「でさ、音色、初詣に行かない?」
「え、どこへ?」
私は少し驚いたように尋ねた。
彼は簡単に答える。
「このあたりの神社。」
「うん。いいよ。」
迷わずに答えて、私はまた笑った。
今度は口元を緩めるだけで。
そして、二人連れ立って家から出る。
いつのまにか自然に繋がっていた二人の手が、とても温かくて、
とても、とても心地よく嬉しかった。

「そういえば...元日から霞瑞といるんだね。」
「そうだな。」
思いついたように私が言った。
3年前に知って、一カ月前に知り合って、数日前に付き合い出した。
とても早かったようにも、気が遠くなるほどに永かった気もする。
「出会ったのが11月の中ごろ。ずいぶん早く仲良くなったよな。」
「だって私は3年越しだもん。」
私がクギを差すように言うと、彼は気づいたように笑った。
「あ、そうか。」
取り留めもない会話がずっと続く。
(二人の関係もこんな風だといいなぁ。)
そう想いながら彼を見上げると、霞瑞は私と目があって視線を反らした。
照れたようなその横顔がすごく可笑しかった。

神社に人はほとんどいなかった。
お参りをしている家族が一組。
父親、母親、息子、娘とお婆さん。
そんな感じの家族で、その後ろ姿はすごく和やかに見えた。
「昔はよくここで遊んだなぁ..。」
「そうなんだ。私の家の周りにはこんな所ってなかったな。」
「それもちょっとさみしいね。」
「うん。」
二人で階段を上り、神社の境内を抜けて、鐘の前に立つ。
すれ違った家族に礼をすると小さな女の子がかわいく笑いかけてくれた。
二人で鈴を揺らして、願いをかけた。
(ずっと、霞瑞と二人で歩いていけますように....。)

「ねぇ、霞瑞さぁ、何をお願いしたの?」
「え?」「おしえてよぅ。」
私が彼の手にしがみつく。
そして、覗き込んでおねだりするように言った。
「音色とずっと二人でいられますように...。ってさ。」
照れたようにそういう霞瑞。
二人して同じようなことをお願いしていた。
そして、突然彼がこっちを向く。
「音色は何てお願いしたの?」
「え?..どうしようかな?」
(恥ずかしくて言えないよ。)
「自分だけ聞いておいて。」
彼もさっきの私のような口調だった。
さすがに私の腕にしがみついてきたりはしないけど....。
「聞きたい?」「聞きたい。」
「どうしても?」「どうしても。」
「また今度教えてあげる。」
(霞瑞、絶対”今度っていつだよ?”って言う。)
そう確信しながら霞瑞の言葉を待っていた。
「今度っていつだよ?」
思わず吹き出しそうになる私。
予想と全く一緒の言葉が彼の口から出てきた。
私は優しく微笑む。
そして、霞瑞の顔を覗き込んだ。
少しだけ驚いたような照れているような顔の霞瑞。
私は何だか嬉しくなって、少しだけ意地悪な口調でこう言った。
「今年のクリスマスに教えてあげるネ。」

  This is ”reverse”...
    But this is ”obverse”...
      Which is your rearity,     
        ”reverse” or ”obverse”...