「待って!」
最後尾を走っていたクレミィの声。
その声にはしっかりと恐怖と燥焦の気がこもっていた。
立ち止まるクレミィ。
振り向いた俺たちもそれに従うように止まった。
「どうかしたのか?」
俺は平静を装って尋ねる。
実を言えば、既に気づいていた。
気配があったことに、ではない。
クレミィが言った言葉の真意が、だ。
「....来た。」
「え?」
ラークの声。
ダットも同じような顔つき。
つまり、この2人は気づいてはいない。
クレミィが殊更ゆっくりと森の奥を指さす。
それに応え、木の陰から2人の見知らぬ人間が出てきた。
赤い服を全身にまとった女とその色を青くしただけのような男。
「誰だ?」
俺はその2人にありふれた質問を投げかける。
その2人の無表情さは微妙な変化も見せない。
数秒後、その2人の口から出た言葉は俺への答えではなく、
予想できうる奴等の主張だった。
俺たちから見て右側に立っている女が左手を上げて言う。
「ここから先に行かせるわけにはいかないわ。」
男が右手を上げその言葉に続く。
「貴様等をゾディエ様に逢わせるわけにはいかぬ。」
「ちっ...ゾディエ..。」
ラークが少しきつい口調で呟く。
「..ラーク...。」
「...どうした..?」
「...俺が1人を何とかする...。
 ..その間に先を急げ..。」
俺の提案は受け入れられなかった。
「馬鹿野郎。ルクスだけにそんな役を押し付けられるか。
 俺が行く。お前が先に行け。」
「ラーク、お前の<fry>があれば万が一のときでも
 逃げることが出来る。だから...。」
「貴様等に選択の余地などない。」
男が言う。
もうあまり時間はなかった。
ここで、4人全員が死ぬわけにはいかない。
俺はラークを置いて走った。
「無理にでも通らせてもらうぞ!」
俺はダッシュした。
1人でも倒せば何とかなる、そう思っていた。
「愚かしい餓鬼だ。自分と相手の実力差も感じぬか。
 ならば味わえ。貴様とゾディエ様の腹心の力の差を。」
青い男が俺の前に立ちはだかる。
俺はナイフを左手で抜いてその手を少し引いた。
だんだんと距離が縮まっていく。
ナイフを突き刺すように突き出した。
予想通り男の右手に俺の左手はいとも簡単に掴まれた。
(馬鹿が。)
俺はその刹那、右手で銃を抜き構える。
その一秒後には奴は死んでいる。
はずだった。
だが、銃を抜いた俺の前に奴はいなかった。
そうではない。
俺が「いなくなった」のだ。
その根拠はこの空間。
上の下も方角も分からないこの空間だ。
俺は浮いている。
「ここはどこだ?」
俺の口から出た言葉は辺りの黒と灰に吸い込まれていく。
完全なる静寂。
完璧なる孤独。
「俺は掴まれてどうなったんだ!?」
さっきよりも幾分強い口調。
でも、状況には何の変化も見えない。
辺りを見回しても此処が何処なのかはさっぱり分からない。
一つだけ分かったことは、此処は俺のいた世界ではないということ。
どういう分けか出来上がった異空間。
無重力、静寂、漆黒、冷気、他多数の入り混じった世界。
そして、後ろを向いたときだった。
不意に光が襲ってきた。
パチパチという音がしている。
そして、眩いばかりの光が俺を包み込む。
ドサッ。
背中に鈍い痛みが走る。
「ぐっ...ここは?」
風を肌に感じる。
うなじをなでる芝の感覚が心地いい。
目の前には空が広がっていた。
何とか先の空間からは出ることが出来たようだ。
どうも外に寝転んでいるらしい。
頭がはっきりしない。
ぼーっとしていてそのまま空を少しの間見詰めていた。
自然を感じるということは、どうやら天国ではないらしい。
死人には感覚がないなどと誰が決めたのか分からないが。
ゆっくりと起き上がる。
そして、少しの郷愁を覚えた。
眼下には村が広がっている。
変わり果ててしまったミティスの村。
家々は壊され廃墟と化している。
俺は驚きを隠せなかった。
「..村?..どうして...。」
俺はその時長老の家の前にいた。
ルナが風を感じていた場所。
吹き抜ける風と、穏やかな草の匂いだけがあの日のままだ。
彼女は今はここに立ってはいない。
彼女の視線に自分の視線を重ねる。
あのときはルナでいっぱいだった視界が今度は空で埋まっていく。
空と森の境を山脈がなしている。
その先は肉眼では確認できない。
おそらくこの見渡せるだけの
森の中でも今、何人もの村人が戦っているのだろう。
だが、此処だけが切り取られたかのように静かだ。
今この辺りで起こっていること全部を否定しているかのように。
(人の気配が全くしない...。)
俺はゆっくりと後ろを向く。
崩れ掛けの長老の家が目に入る。
壁が壊され、ルナの部屋が見えた。
二階の端の部屋。
数回しか入ったことはないが、やけに覚えている。
かわいく装飾された部屋ではない。
白で整えられた落ち着いたシンプルな空間だった。
俺はそこで考えるのを止めた。
これ以上感傷に浸っていると決意が崩れそうだったから。
目線を反らし丘を降りる。
広場にも誰もいなかった。
物音一つしない。
近づいてみると破壊が一層ひどいことが分かった。
崩され荒らされている物ばかりがここら一帯を埋め尽くしている。
そして、気づきたくもないものに気づいてしまった。
いや、あまり良い傾向ではないが「それ」には慣れてきていたはずだ。
でも、こんなに近くで。
しかも、あまりに非道い。
「それ」は死体だった。
村人のもの、ソルジャーのもの。
どれもその二つに分類できる。
俺に一番近い死体を見てさっきの言葉を思っていたのだ。
完全に目を見開きこっちを見ている。
それもよく知っている人のものだ。
何度か食べ物をもらったことがある。
気さくな良いおばさんだった。
その人が今はヒトではなくなっているのだ。
地面を紅く染めている人々の血液。
それと、この辺りは気を付けていると何かが臭っている。
(ヒトの臭いだ....。)
数人分の死体から異臭が放たれているのだ。
俺は吐き気を覚える。
どうしても目を合わせることができない。
いや、そんな事したいとも思わない。
俺は目をそらし村を見渡した。
どうやら、ここでの戦闘は終わったらしい。
遠くでもヒトだったものがいくつか寝ている。
そこで気づいた。
さっきは知り合いの人だったからあんな感情になっただけだったのだ。
今は何とも思ってはいない。
いや、近くに行けば先みたいになるかもしれない。
でも、少なくとも今は「普通に」見ている。
そして「普通に」考えている。
以前なら距離をおいてでもいい気分はしなかったはずだ。
...慣れてきてしまっている。
人の環境適応能力の高さを悟った。
何処まで狂っていても、どんなにおかしくても、
いつかは慣れていくのだ、と。
俺は際限のない思いを駆け巡らせていた。
だが、そこまで考えてやっと思い出したのだ。
(しまった。あの2人組を倒さなければ。)
一瞬で振り向き森を見る。
ほんの3日前の夜、俺とルナはここから走ったのだ。
あの時はまだ俺の手には温もりがあったのだ。
血で染まり切ってなどいなかったのだ。
右手を握りしめて走る。
手に何かの液体を感じる。
爪の間に漏れた少しの液体。
俺の皮膚を破って流れ出ている。
自分の血液だとはとっくに分かっていた。
でも、力を緩めない。
どんなに血が俺を紅く染めようとも俺は立ち止まらない。
そんな暇など存在しない。
きっと皆は「そんな事をしてもルナは喜ばない。」とか言うだろう。
そんなことは俺が一番分かっている。
「ルナのため」と言いながら「自分のため」に相違ないことなど。
そう、簡潔に言えば「復讐」だ。
俺はゾディエを許さない。
貴様が10年前に村を出た結果がこれだ。
他の2人をたぶらかし、リレットを連れ出しやがって。
誰が何と言おうとも俺がこの手で始末してやる。
もしそれがルナとリレットを傷つけることになっても。
神に背くことだとしても。
俺は絶対に....許さない!

森の中はあの日と何も変わっていなかった。
どの道を通ったのかも完全に覚えているから迷う心配はなかった。
でも、敢えて違う道を走っている。
それには理由があった。
その道をそのまま辿るのならばルナに会ってしまう。
今度ルナと会うのは平和を掴んでからにしたい。
だから、その場所を避けて走った。
理由はそれ以下でもそれ以上でもなかった。
(おそらくあの青い男の能力は物質移動。
 あいつに掴まれるわけにはいかない。
 ....でも、あの力は間違いなく<Force>だ。
 だが、あいつは村人ではない。
 では何故奴は<Force>を持っている?)
答えなど出るはずもなかった。
歩いて3日の距離を走り続ける。
できる限り早く着きたい。
後の3人が心配でならなかった。
道には何人もの死体が転がっている場所もあった。
色々な戦いで息絶えたのだろう。
横目で森を見渡しながらも立ち止まりはしない。
そして、走り続けていた途中のことだった。
ガサッ、という音がした。
俺は刹那、その方向を見る。
そして、右手は銃を抜いていた。
もうあまり残弾数も多いとは言えないのだが...。
「誰だ!?」
「..た..助けてくれ...。」
一人の兵士がはい出てきた。
どうやら足をケガしているらしい。
その男に敵意がないことはすぐに分かった。
「た、頼む。俺たちはただ雇われただけなんだ。
 家族もいるんだ。死にたくない。」
男は俺のズボンを引っ張り上目づかいに俺を見ている。
「分かった。できる限りのことはする。」
俺はしゃがんで言った。
男の顔が少しだけ緩くなる。
だが、実を言うともう助からない。
今気づいたのだが、腹に大きな銃創がある。
大量の血が既に流れ出ているのだ。
俺に出来ることは何もなかった。
「あり..がとう..。恩に..き、る!!」
突然、男が目を見開き大きすぎる声をあげる。
何があったのか分からずに男の背中を見た。
「なんだ...これは...。」
男の背中には不可解なものが突き刺さっていた。
光を放つ筒状のもの。
円柱で長さは5mはある。
半径は5cm程度だろうか?
完全に身体を貫き地面にまで到達している。
俺は手でそっと触れた。
物質の感覚がしない。
触っているのに触っているという感覚がないのだ。
「なんなんだ...。」
「私の能力よ。」
そんな声が先の方から響く。
俺は頭を上げ立ち上がった。
そこには先の赤い女が立っていた。
「あんたの<Force>か?」
「そうよ。驚いた?」
「まぁな。それより村人でもないあんたが<Force>を使える?」
「私にはその質問に答える義務も義理もないわ。」
「そりゃそうだ。」
女が右手を握りしめるのが分かった。
その瞬間、光の筒が消え、女がかかってきた。
見た所、女は何の装備もしていないようだ。
女の左手での突きをすんでの所で避ける。
横を流れていく女の顔がこっちを向いている。
心なしか、にやっとしているように見えた。
(何だ...?)
その次の瞬間だった。
女は立ち止まり身体を一瞬でこっちに向ける。
そして女の右手が宙に円を描いた。
まっすぐ、俺に向かって。
俺から見れば手で描いたとは思えないほどの綺麗な円。
その光が繋がる。
完全な円になった。
刹那−−
その輪から光の筒が現れる。
俺の方に猛スピードで迫ってくる。
「な...。」
俺は胸を貫かれそうになるのを紙一重でかわす。
その下にしゃがんだのだ。
さっきの兵士を殺した技だ。
俺は横に抜けて女を見据える。
女は不敵に笑っていた。
「私の<barrier>をかわすなんてね。」
「<barrier>..だと?」
ふふ..と女の微笑する声が響く。
この辺り一帯には俺たち以外はいないらしい。
「そう。その壁は絶対に壊れない。
 何が起ころうと、何をしようともね。」
(つまり、本当は自分を囲んで身を守る力なんだ。
 それを宙に描いて攻撃に使っているわけか...。)
「どうしても壊れないのか?」
「時間が経つ以外にはね。
 そもそも物体でもないし、エネルギーでもないの。
 そんなものがどうすれば人間に壊せるのかしら?」
「ごもっともだ..。」
いまだ不敵な笑みを浮かべたまま立ちすくむ女。
俺は間合いを広げることも縮めることも出来ない。
今動くのは危険だと、俺の本能が囁いている。
(きっと、あの壁は一度に一枚しか出せないはずだ。
 それに描き初めてから完了するまでのタイムラグがある。
 どうにかなるはずだ...。)
俺は自分を何とか抑える。
体にまとわりつく恐怖を何とかはがそうとする。
実を言うと自分とこの女の差はかなり広かった。
さっきは女と俺の距離は十数mぐらいはあったのだ。
だが、俺に出来たのはぎりぎりでかわすことだけ。
今はさっきほどの距離もない。
左側には光の筒が浮かんでいる。
こいつが邪魔で仕方がない。
状況は芳しくなかった。
おそらく、今の俺では勝てない。
いや、ほぼ間違いなく勝てない。
(でも...やるしかない。)
俺は決めた。
どうせこのまま立っていてもいつかは死ぬ。
ならば、俺から仕掛けてやる。
一瞬でナイフを左手で抜き走った。
女は微動だにしない。
いつも以上に速く走っている。
もう間合いは詰まっていた。
俺は勢いを殺さずにナイフを振りおろす。
ヒュッ、という音と共に刃が女に近づく。
(俺の勝ちだ...。)
だが、そう思っていただけだった。
ナイフは難なく女の右手に掴まれている。
力を入れてもびくともしない。
抜くことも、振ることも、だ。
「なんだと...。」
「ふふ..私を本気で倒したいなら殺す気でないと無理よ。
 ねぇ、坊や。」
(この女...次元が違う。)
「ちっ..言われなくてもやってやる!」
俺はそう叫んだ。
銃を抜き、銃口を女の腹に当てる。
腹に先が少し食い込む感じ。
このまま引き金を引けばいくら何でも助からない。
俺は人さし指に力を込めた。
だが...パンッ!
そんな音がして俺の右手が払われる。
それに伴って銃も飛んでいってしまった。
見れば女の左手が俺の右手を払ったようだ。
「な...。」
「甘いね、坊や。」
淀みなく森の苔の上を滑っていく俺の銃。
その方向をほうけたように見ていた。
そんな事をしている暇などなかったのに、だ。
「がはっ...。」
水月に鈍い衝撃が走る。
今まで何度か経験したことのある痛み。
だが、大きさはその比ではなかった。
俺の周りの風景が前に流れていく。
いや、そうではない。
俺が後ろに吹っ飛んでいるのだ。
止まる気配もしない。
どうも、腹に思いっきり蹴りを受けたらしい。
ドガッ!という音。
後ろの木にぶつかったのだ。
だが、そのお陰で止まれた。
背中の痛みなど腹の痛みでかき消されてしまっている。
「はぁはぁ..はぁはぁ..ぐっ...。」
肋骨が何本かいってしまっているかもしれない。
息が辛い。
視界が歪み、上下の認識さえもままならない。
このまま死を迎え入れることさえも本気で考えた。
だが、そうはいかない。
いつもそうやって思い留まる。
いや、そこで考えを改めるからこそ人間なのだ。
俺は諦めないことにした。
何か策はあるはず。
そう考えて状況を見渡しつつ回復を図ることにした。
今思えば蹴られたときにナイフを放さなかったのが救いだ。
数秒するとほんの少しだけ良くなって来るのを感じる。
痛みを必死で堪えて頭を上げる。
赤い女は俺がいた所から動いてはいないようだ。
こっちを見ている。
表情はそれほど読み取ることは出来ない。
だが、笑っているという感じはしなかった。
むしろ、何か良くない感覚を受け取りさえした。
でも、そんな時間は長くは続かない。
女は少し苦笑したかと思うと右手を俺の方へ持ち上げる。
そして右手は円を描き始めた。
何の淀みもなく宙に出来上がっていく光の輪。
美しささえ感じる光輪が輝いていた。
(やべぇ。あれが繋がったら....。)
俺はすぐに左へ飛んだ。
いや、性格には飛ぶ事は出来ずに四つんばいでふためいていた。
その次の瞬間、俺のもたれかかっていた木が光の筒に貫かれる。
何の音も立てずに。
真っ直ぐ木を突き抜けて後ろにまで及んでいる。
俺がそこにいたら木と運命を共にしていたのだろう。
だが、急に動いてせいで痛みが返ってくる。
腹の痛みが取れずに悶えていた。
「はぁ..はぁ....。」
「小賢しい坊やね。」
(やっぱりな...こいつは2本の<barrier>を
 同時に出すことは出来ない。)
だが、戦況が一転したわけではなかった。
いや、俺が今その事実を確信したからといって、
今からそうなるわけではなく、今までもそうだったのだ。
つまり、何も変わってはいない。
俺の気分が訳もなく軽くなっただけ。
銃はいまだ遠くに転がったまま。
いや、銃が自分の意志で返ってくるのならば苦労はしない。
そういうわけで、俺の現在の装備はナイフのみ。
なんという貧弱な装備だ。
間合いが小さすぎる。
これでは象に立ち向かう蟻に大差ない。
それほど俺と女の力の差は開いていた。
どうすればこの状況を切り抜けられるだろうか?
(最善の策、策、策....。)
どうにかならないものだろうか?
女はといえばどうも俺の出方を伺っているらしい。
もしくは、先に出した光の筒が消えるのを待っているか、だ。
(しまった...。そうだった。)
この<barrier>が消える前に倒さなければ俺が勝てる可能性は低い。
一転して時間は迫ってきた。
いきなり地下で落盤にあったみたいだ。
いや、それの起こることは前々から分かっていたはず。
俺が落盤が起こることについて考えなかっただけ。
だが、まだ起こってはいない。
すぐに地下から抜け出せば...。
だが、そんな時間が残っているかどうかさえ危うい。
此処で決めた。
こんなことを考えている事さえ時間の無駄だ。
此処で死ぬ気か?
(そんなつもりはない。)
そのためにはどうすればいい?
(あの女を倒す。)
そのためには何をするのだ?
(今すぐ動く。)
自問自答の上、俺は動いた。
すぐに立ち上がって銃の方を向く。
女はこの時点で気づいたようだ。
だが、そんなことを気にしている暇などない。
俺はすぐに走り出した。
一歩が地面を蹴る度に腹が疼く。
(痛みは忘れろ...完全に消しさってしまえ。)
走る走る走る。
(何とか銃を拾って、それから...。)
目的のものがだんだんと近づいてくる。
俺と銃の間には何もない。
手を伸ばせば届くかと思った。
(よし..。)
そう思っていた。
だが、期待など往々にして裏切られるのだ。
ドガッ!
そんな効果音が聞こえてきそうな音がする。
俺はいきなり地面に伏していた。
背中に激痛が広がる。
何も出来ない。
手を伸ばすことも、上を見上げることも。
どうやら女に背中から蹴られたらしい。
いや、踏まれたという方が適当だろうか。
ハンマーで殴られてもこんな衝撃はこない。
目の前には銃。
だが、酷い痛みで視界が歪む。
今は息を保つことで精一杯だった。
「はぁ..はぁ..ぐっ..。」
顔と体に草や土がまとわりつく。
微妙な感覚が俺を包み、意識を連れさってしまいそうになる。
必死で感覚を覚醒させるがそう長くはつかない。
今の状況を抜け出さない限りは。
「無駄な抵抗は止めたら?みっともないわよ。
 せっかくの美少年なんだから。」
上から声が聞こえる。
何とか向いたずっと先には光の筒が存在していた。
まだ消えてないようだ。
俺は力を振り絞る。
後に残すなど考えない。
「今」で終われば「次」などないのだ。
「無駄かどうか...やってみないと分からないだろうが!」
俺は左手を背中に抜けて振る。
その手にはナイフが握られていたからだ。
ナイフが女の足首に触れる前に女は飛びのいた。
銀色に光る刃が風のような音を作り出す。
俺はこの間に何とか起き上がりしゃがんだ状態になった。
そこで気づいたのは光の筒が無くなっていること。
つまり、女はいつでも作り出すことが出来る。
(こいつに能力をつかわせなければ...。)
そう思った瞬間、俺はナイフを投げていた。
女と俺の距離がそんなにあるわけではない。
いや、むしろほとんどないと言った方が語弊がないだろう。
だから、女には避けることはかなわないはず。
(もしかしたらこの女ならやりかねないが...。)
そんな考えが脳裏をよぎる。
だが、予想は的中した。