「諦めの悪い子ね...。」
女は身を少し引きながらそんなことを呟く。
そして、自分の前に女を守るようにCの字のような壁を作った。
つまり壁が二重になって女をガードしているのだ。
丸にしてしまったら自分が出られないから。
ナイフはいとも簡単にはじかれる。
音も立てずに。
いや、そんなことはとうに分かっていた。
それにナイフの役目はそれではないから。
俺は銃を拾いマガズィンを抜き、別のそれを挿入する。
そして、構えた。
右手がグリップをすっぽり囲み、左手をそれに添える。
自分の右手が小刻みに震えていることが分かった。
理性では感知できなかったかすかな恐怖。
体は敏感にそれを感じ取っていたのだ。
だが、一瞬の後、壁の向こう側には誰もいなかった。
今の今まで女がいたはずだ。
だが、壁を透けて見えるのは途方も無く広がる森。
(な...どこにいった?)
俺はその時に気づいていなかったのだ。
自分の周りの気配に。
何のせいかは分からない。
だが、完全に見落としていた。
恐怖に刈られていた一瞬のことだったのだろう。
そして、それは不運にも俺の命に関わるものだった。
いや、関わるという言い方は生ぬるい。
俺の命を奪うには十分なものだったのだ。
それは、俺の周りにある一本の光。
俺を囲んでいる。
(しまった!)
だが、後ろを向いたとき既に手遅れだった。
光が線からせり上がる。
一瞬で壁が完成した。
この薄すぎる壁一枚を通して女の微笑する顔が見える。
例によって壊れない。
殴っても叩いても。
そこで一つの事実に気づいた。
(これでは俺を殺すことも出来ないではないか...。)
一体何がしたいのだろう?
俺を監禁することが目的ではあるまい。
だが、答えはすぐ近くまで迫っていたのだ。
次の瞬間、女の笑みの理由が明らかになった。
「...!これは、温度が異常に上昇している!?」
自分の肌が汗をかいていることに気づいた。
それはこの筒の中の温度のせいだ。
この中だけが異常に高温になっている。
もう既に40度近いはずだ。
だが、止まる様子は見えない。
いまだ上がり続けているようだ。
肌が焼けるように熱い。
「とうとうお別れだね。坊や。」
今までと寸分違わぬ笑顔で女はほほ笑んでいる。
俺は自分の胸を押さえた。
息が出来なくなってきていた。
(このまま続けば..そう長くはもたない。)
俺はそう確信していた。
数秒で何度とかいう変化はしないが、確実に上がってきている。
この女のことだ、どうせ生き延びられる時間では消えないに違いない。
段々と思考する力さえも消えてきた。
視界が歪み逆さまになったかのような錯覚を覚える。
俺は壁に両手をついた。
そして、そのまま壁にすがるように落ちていく。
自動的に俺は膝立ちに状態になっていた。
信じられないほどの高温が俺を包んでいる。
「はぁ、はぁ、はぁ...ぐわぁぁぁぁ!」
発狂しそうだ。
自分が何を出来るのか、何をしたいのか。
何も考えたくない。
そう思い始めたときだった。
「苦しそうだね。大丈夫だよ。そう長くは続かないからさ。
 もう少しで快楽が待っているよ。」
「...誰が決めたんだ...?」
「え?」
「誰が死ねば楽になれるって決めたんだよ!?
 だったらてめぇが死ね!楽になれるんだろうが!
 俺はまだ生きたいんだ!生きていたいんだ!
 生きてやりたいことが山ほどあるんだよ!」
叫んだせいで息が完全に切れる。
限界はもう見えていた。
「負け犬が吠えたって何にも変わらないよ。」
「...諦めないぞ....。」
「...?」
女が相変わらず微笑して言う言葉に俺は耳を傾けなかった。
大分この温度にもなれてきた。
もとい、麻痺してきたのかもしれない。
何とか残っている感覚でマガズィンを取り替える。
壁越しに見える女の姿。
さっき感じた違和感など吹っ飛んだ。
俺は生き延びることに専念する。
おそらく俺は後数十秒で死ぬ。
死ぬ前にできる限りのことはしておきたい。
これはただの自己満足にすぎないかもしれない。
だが、やらねばならぬのだと思っていた。
そうしないと、彼女が限りなく遠くなってしまう気がして...。
だから.....今しかない。
(この弾ならきっと...。)
そんな望みをかけて不思議そうな顔の女に向けてトリガーを引いた。
聞き慣れた銃声が耳を振動させる。
発射された弾はガラスを割るように壁にヒビを入れそして、貫いた。
そのヒビが全体に行き渡り壁は完全に消えてなくなる。
まるで、シャボン玉が消えるのように。
一瞬で高熱も引いた。
何とか生きている。
そして、弾は壁を貫いたあと、女に命中していた。
「何?この弾。どうして私の<barrier>を貫くの?」
女は明らかに動揺している。
腹の銃創を抑えながら。
予想は的中したのだ。
L.Crystalなら<Force>で作られた壁を壊せると思った。
でも、もう少しも動くことはかなわない。
その場にふっぷしてしまわないようにするのがやっとだった。
女が今蹴りを入れてきたら俺は十中八九死ぬ。
俺は頭だけをその方向に向けた。
女は依然、腹を抑えたままだ。
そして、何かをぶつぶつ呟いている。
そのすぐ後だった。
女がのたうち回り始めた。
目を見開きその視線の行く先は定まらない。
「ぁあぁぁあああぁぁぁぁ!!
 私のG.Crystalが!G.Crystalが負けるだと!?
 何なんだこの弾は?!ああぁぁぁぁ....。
 私の<Force>が消えていく。
 私の<Mystic Force>が.......。」
額を押さえのたうち回り続ける女。
俺は呆然と見ているほかなかった。
俺に何が出来る?
何もなかったはずだ。
だが、その激痛もやがて引いていったようだ。
そして、動かなくなった。
率直に言うと「死んだ」。
俺はその語数十秒間ずっと見詰めていた。
「なんだったんだ....。」
俺は何とか立ち上がる。
それぐらいはもう出来るらしい。
(回復できる奴がいたら良かったのに....。)
確か村の10才の奴等の中に一人だけ
回復の<Force>を持っていた奴がいたはず...。
まぁ、今となってはどうでもいい。
考えても仕方がない。
現状で状況を打開するほかないのだ。
俺は女に近づく。
女は目を閉じて横を向いていた。
女の右手が開いていて、その中には青く光る結晶があった。
砕けていてよく分からない。
どうも血が付着しているようだ。
そして、女の額にも傷がついている。
何かをえぐり取ったような...。
(この石がこの傷の場所に?...まさかな...。)
おそらくこれがG.Crystalなのだろう。
どういうものかはさっぱり分からない。
だが、もうそんなことは考えたくない。
とりあえず...。
「俺、助かったんだな...。」
俺はほっと安堵の息を漏らす。
そして、安心したからか船をこぎ始めた。
もう止まらない。
完全に岸から離れてしまった。
誰が来ても起きないだろう。
俺は熟睡していた。
完全に、深く、永遠なる闇へと誘われていた。

足の裏を通して土の硬くもなく柔らかくもない感触が伝わる。
踏み締める度に少しだけ沈みまたせり上がる。
この動作を幾度となく繰り返した。
脚を上げ、下げてはまた別の脚を踏み出す。
俺は可能な限り走っていた。
木々の間を滑るようにすり抜けていく。
木の陰から出るとまた別の陰。
それをまた横に出ることで回避し続けてきた。
辺りは何の変化もない。
まるで森が永遠に続いているかのように。
もしくは、森が流転しているかのように限りなく先は続いていた。
度々目に入る陽射しは苔で反射し青色を一層碧く輝かせている。
脚が軽く感じるのは環境のせいだろう。
少しの不穏な気配も感じない。
完全に安心して走っていた。
体の痛みもかなり直ってきていた。
創傷や銃創でない限り時間がたてば引いていく。
今、俺の体で痛みをともなっているのは左肩の傷だけだった。
厳密に言えば打撃が痛くないはずはない。
だが、傷が出来ているものとそうでないものを
比べればその差は歴然だった。
今までの奴等があまり武器を持っていなかったのは不幸中の幸いか。
そんなことを考えながら脚をさらに急がせる。
早く、できる限り早くもといた場所に着いて
あの青い男を倒さなければ...。
後の3人がどうなったのかは全く分からない。
(ちっ...俺はどうしてあの場面で飛び出した?
 自分を制御できないくせに他人を守れるはずがない。)
俺は心の中で毒づいた。
自分を責め戒める。
(落ち着いて出方を伺えば何とかなったかもしれない...。)
そんな考えが脳裏によぎり、同時に燥焦が大きくなる。
右手を握り、唇を噛む。
生臭い錆びた鉄の味が口の中を満たしていく。
決してその力を緩めなかった。
(これは誓いだ...。
 俺は絶対にこれからを切り開くという誓約だ。)
自分にそう言い聞かせて走り続けた。
俺の脚がより一層の速さを増す。
先だけを、未来だけを見詰めて。
あるいは、無心に。
またあるいは、2人で見た絶壁からの村の光景を
もう一度眺めることが叶うのをを願いながら。
静寂の中を刃になって切り進んだ。
だが、形あるものは壊れる。
それに形があったのかと問われると答えには窮してしまうが。
どちらにしても、壊れたのだ。
俺とこの際限のない森を包み込んでいた静寂が。
一瞬の音のない銃声で。
俺の声にならない声で。
「...な......?」
何が起こったのかなど分かるはずもなかった。
何の前触れもなしに脚がもつれる。
いや、故意にもつれたわけではない。
自分の意志に反する痛みがそうさせたのだ。
突然、強烈な痛覚が働く。
右足がその瞬間に動かない。
俺はその場に倒れる。
もとい、倒れそうになるのを紙一重で防いだ。
そして、急いで木の陰に入る。
幸い近くに大きな木があった。
その陰に隠れもたれて、様子をうかがう。
おそらく−といってもほとんど勘だが−
弾の飛んできたであろうと思われる方向に背を向けて。
脚を少しばかり粘性を伴う体液が伝っていく。
多少の熱を持ち同時に痛みを持つ。
右足のふくらはぎの外側を綺麗に貫通している。
顔をしかめはするがそれだからどうということもない。
俺は頭を少し反らして木の外を見た。
実を言えば気にかかることがあった。
まず、銃声がなかったこと。
まぁこれはサイレンサーを着けていればそう問題にはならない。
だが小さすぎる。
少しの音もなく俺の脚を貫通するなんてありえない。
そして、弾がなかった。
地面にめり込んだわけでもない。
俺の脚に残っているのならば、反対側に銃創がないはずである。
しかし、脚の反対側にもはっきりと傷があった。
つまり、弾は発射されなかったのでは?
つじつまの合わない答えだけが交錯する。
つぎに、気配が全くなかったこと。
いくらスナイパー(狙撃手)であろうにも少しばかりの殺気が出る。
それなのに微塵の殺気も感じなかったのだ。
俺が未熟なだけ、そう考えれば何もないのだが。
どうも腑に落ちない。
だが、本当にスナイパーだとしたら俺には倒す手段がない。
奴等は自分の身を隠し超長距離から狙ってくる。
こんなハンドガンで勝てるとはとても思えない。
(ちっ...だが、足のケガがあっては...。)
そうなのだ。
この足のケガがどうにもならない限り
俺が無事に森を抜け出すことは不可能だ。
(いや、もう既に無事ではないか...。)
そんなどうでも良い屁理屈ならいくらでも浮かぶのに。
俺は自嘲気味に笑った。
いや、声を上げてというわけではなく、自分の中でだけ。
だが、そんな暇などなかった。
俺の前の土が吹っ飛ぶ。
第2波かやってきたのだ。
たが、方向の変化にかなり戸惑う。
俺の予想とは正反対から飛んできたのだ。
例によって例のごとく、銃声など微塵もなく。
俺は振り向いて銃を構えた。
先ほど勝てないと思ったのは自分であるのに、
これ以外に頼るものもない。
俺は神経を集中してその先を見透かそうとした。
この不可思議な空間そのものまでも。
「ぐっ..。」
だが、第3波はまたもや俺を混乱させる。
左手からの攻撃だった。
いままでと全く同じ。
音がない。
気配もない。
3方向に人がいるのならば、1人ぐらいの気配は掴める。
3人の人がいないのならば誰かが動いたのだろう。
だが誰も動かなかった。
移動していないはずだった。
これだけは言い切れる。
根拠のない自信ではなくこれは確信だった。
あるいは、そう信じていた。
だが、そんなにゆっくりもしていられない。
先の弾は俺の左ひじを貫いている。
そして、気づいた。
ここは此処ではない。
誰かによって擬似的に作り出された空間だと。
俺の左手を貫通した弾は俺の体にかすりもしなかった。
いや、もともと弾などなかった。
存在すらしていなかったのだ。
何かしらのエネルギーの塊が飛んできただけ。
だけ、と言ってもかなりの驚異であることに変わりはない。
(とにかく、ここを出ることが先決だ。)
俺はありきたりな結論に行き着くと立ち上がる。
そして、一目散に北へと走り出した。
(これはおそらく、いや、間違いなく<Force>だ。)
そう思いながら走る。
苔を踏み荒らし、草花の上を進む。
後ろで土の弾ける音が幾度となく聞こえる。
つまり、俺の足跡を弾くように狙ってきているのだ。
奴等からすれば俺を狙っているのだろうが、
走っている人間を確実に狙うことはそうそうできる芸当ではない。
だが、その感覚が縮まってきていた。
つまり、弾の着弾点と俺の距離が無くなってきているのだ。
俺が足で地面をけった直後にその場所を弾が射抜く。
おそらく右足のせいだろう。
脚からは惜しみなく血が流れ出ている。
このままでは、出血多量で死に至るまでそうかからないかもしれない。
だが、立ち止まるわけにはいかなかった。
その行動をとった時点で俺は死ぬ。
だが、どうしてもかばうように走ってしまうために追いつかれてきたのだ。
(俺に弾が当たるのも時間の問題か....。)
そう感じ始めたときだった。
俺は不意に地面にひれ伏していた。
自分の意志でこうなったのではない。
何かにつまずいたわけでもない。
しかしながら俺は本当に見事に転んでしまったのだ。
(何が起こったんだ...?)
さっぱり分からず顔を上げる。
先ほどと変わった所は何も感じられなかった。
だが、数秒して今までとの相違に気づく。
まず、弾の音がしなくなった。
全くの静寂が回帰してきていた。
次に、脚の傷が治っている。
左手の傷も同様に。
先の傷が出来てからまだ数分しか経っていないのだ。
自然治癒したとは考えられない。
(どうゆう事だ...。)
俺は地面に座り直して考えていた。
さっきの現象が<Force>の力であることは間違いない。
では、一体どんな<Force>を使っているのだろう?
森の中にはやはり何も感じない。
感じることと言えば、脚と左手の違和感だけ。
今の今まで動かなかった部位が完全に治癒したなんて。
それも、ほんの一瞬で。
違和感が残らない方がおかしい。
そして、自分が数瞬後一斉に汗をかいたことに気づく。
背後からの不穏な気配。
何を考えていたのか、ここが戦場であるということを忘れかけていたためだ。
その気配に気づいて飛びのく。
だが、後ろにも何もない。
だが、気配は変わらずにそこにあった。
まるで、透明な何かに追われているかのようだ。
俺は自分に言い聞かせる。
「冷静になれ。」と。
冷静さを失った時点でその人間は勝ちを放棄したも同じだ。
俺はゆっくり吐息を吸い込み見えない敵に向かって質問を投げかける。
「誰だ?」
答えはない。
いや、確かに何かが存在している。
その気配がろうそくの炎のように揺れるのを感じた。
そして、今なお静寂を保っている。
自分の姿を公表するのが嫌いらしい。
俺はもう一度繰り返した。
「誰だ?」
「早いね。気づくの。」
俺の予想とは正反対の方向。
俺の背後から声の持ち主は出てきた。
一瞬でそちらを向く。
そこに立っていたのは俺より一回りは小さい男の子。
あの女と同じような格好で緑色の服を着ている。
(ちっ...あいつらの仲間か....。)
だが、これではっきりした。
やはり<Force>だったのだ。
俺は無言で男をにらみ付ける。
男と言うよりは少年に近い。
「.....。」
「どうしたの?気づいてたんでしょ?
 さっきのが<Force>だ、ってこと。」
「やっぱりそうか。」
少年は淀みなく続ける。
「そうだよ。
 あれが僕の能力<world>の力さ。
 一定範囲内を僕の理想の世界に変えることが出来るんだ。」
「そして、そこから出るとその効果は消える。」
俺が奴の言葉に続けた。
奴は俺のことなど気にしない様子で続ける。
だが、俺の言った部分を反復したりはしなかった。
「でもね、死ぬと別なんだ。」
(かなりヤバげな能力じゃねぇか。
 何で俺にはこんな奴等が集まるんだ?)
少年はさっきからずっと変わらない笑顔を続けている。
それ以外の顔を知らないのか。
もしくは、それ以外出来ないのか。
どちらにしても分かった事がある。
かなり気味の悪い子供だということ。
「だからさ、僕の世界で死んでね。」
少年が悠長に手を振る。
俺はその場から動けなかった。
そして、少年の姿が消え世界が歪む。
数十秒後、俺は見知らぬ世界に居た。
いや、俺が知らない世界ではなく、俺を知らない世界に居た。
どちらもあまりかわらないが...。
今、俺の脚には草花の感触がある。
四方何処を向いても緑。
俺の膝までぐらいの背丈の草が生い茂っている。
完全に草原だった。
俺は限りなく広がる草原に一人たたずんでいる。
遥か向こうに山が見えた。
この広すぎる草原を囲う柵。
そんな風にその山は見えた。
「へぇ...これはまた、メルヘンチックな世界だこと...。」
俺は皮肉たっぷりに毒づく。
奴は聞いているのかいないのか、関係のない話を始めた。
と言っても奴の姿は見えない。
何処に居るのかもさっぱりだ。
聞こえたのは何処からともない声。
それだけだった。
「僕の一番好きな世界さ。楽しいよ。
 ここで狂い死ぬのなんかもう最高。」
「こんなわけの分からない世界で、誰が死ぬか。」
俺は吐き捨てるように言った。
だが、男は何も気にしていないように続ける。
「きっと君は死ぬよ。
 抜け出しいたのなら頑張ってみれば?
 君が絶望するのを見下ろすのも良いかもしれないな。」
「せいぜい粋がってろ。
 俺がすぐに倒してやる。」
「楽しみだよ。ゾディエ様を出し抜けるなんてね。
 そうは思わないかい?」
俺は何も答えなかった。
辺りを見渡す。
さっきも確認したのだが、やはり森は見えない。
だが、進むしかない。
俺にはそれしか残っていないのだ。
方向を決めるとそちらだけを見た。
永遠に続くように見える草原。
優しく風になびき、穏やかな音色を奏でている。
(敵なら敵らしくもっと嫌なイメージを出せよな...。)
特にどうでも良いことを考えながら走り始めた。
(おそらくこいつの<Force>の広さは数万uだろう。
 つまり、一辺は何百m前後だ。
 このまま走り続ければそう長くはかからないはず。
 それにこの能力にも限界があるはずだ。
 この領域から出ることを際限なく侵害することは出来ない、とか。
 そうでなければこいつがゾディエの下で働いているはずがない。
 つまり、勝機はまだ残っている。)
俺は脇目も振らずに走り続ける。
だが、奴がそれを邪魔しないわけはなかった。
いきなり脚が前に出ない。
俺は重力に逆らえずに転倒した。
顔から倒れたためかなり痛い。
香ばしい草の匂いが鼻につく。
俺は何が起こったのか全く分かっていなかった。
突然脚が動かなくなったということ以外。
俺は仰向けになり脚を見た。
俺の足首を一本の腕がしっかりと握っている。
「な...。」
思わず声を上げていた。
自分の顔が見えるのならば、
きっと驚愕した俺の顔がしっかりと見てとれただろう。
その手の持ち主がそこに居た。
俺の足首を掴んで放さない手の持ち主。
「..ルナ....。」
そこに居たのはルナだった。
彼女は血で赤く染まった目でしっかりとこっちを見ている。
俺は何も言えない。
その目が俺を縛りつけて俺の呼吸能力さえも奪いそうだった。
息が苦しい、思考が止まる、汗が流れる。
ずっと血みどろの彼女を見ていた。
いや、よく考えれば俺がこんなになる必要など何処にもなかった。
もしかしたら既に頭の隅では分かっていたのかもしれない。
そうではない。
分かっていたことは分かっていたのだ。
彼女が本物でないことなど。
彼女をこの世界でみたときから、奴の作り出したものだということなど。
だが、そんなものは理由にはなり得なかった。
ほとんど条件反射なのだ。
俺はずっと彼女を見ていた。
彼女もずっと俺を見ていた。
どこか焦点の合わない紅い瞳で。
ルナの鮮やかなブルーの瞳はどこかへ隠れてしまった。
そして、ゆっくりと殊更ゆっくりと彼女が口を開いた。