
聖なる場所と言う意味の建物が各地にある。神々と人とが語り合う場所だ。
キアラナイと呼ばれている。
キアラナイは、人の言葉を神々に伝える巫女達の住処でもあり、また、その国や街、村々の宝物殿、歴史博物館などの役割も果たしていた。キアラナイと人とは密接に関わり合い、巫女達は敬われる存在であった。
巫女達の能力も様々で、一級神エルと語り合える者はスゥサイ・エルと呼ばれ、大きな都市を中心に、主要なキアラナイに住み、エルと直接会話をした。7名の二級神と語り合えるリセルト達は、スゥサイ・エルのいないキアラナイで、人々の願いを神に届ける仕事をしていた。三級神そしてそれ以下の神々と語り合うことのできる巫女達は、スゥサイ・エルやリセルトの手助けをしていたが、巫女でない者にもこの能力を有する者は稀にいた。
貴重なスゥサイ・エルには二種類あり、生まれたときから呼吸をするようにエルと語り合える者と、才能を見出され、訓練の末スゥサイ・エルになる者といる。
ここは、スゥサイ・エルになる才能のある者を訓練する、一般の者は立ち入りを禁止されているキアラナイの一つであった。
広大な敷地の真中に聳え立つ巨大なキアラナイを取り囲むように庭園があり、そこには草原や湖、林、神々の息吹を感じる様々な風景が広がっている。敷地の端からでは、キアラナイはようやく見えるか見えないかくらいの大きさにしか見えない。
ガサガサと、草をかき分けて一人の青年が湖の方に進んでいた。
「いってー・・・。親父のヤツ、思いっきり殴りやがって」
切った唇の端を、ぐいっと袖で拭った。
広大な庭のあるこのキアラナイは、立ち入りを禁止されているのは分かっていたが、見たところ人も多くなく、何よりも美しかった。
タトの家の裏からすぐのところにある壁に穴があるのを発見したのは、幼い頃だった。入ってみると、美しい林と湖が広がり、キアラナイの建物自体は、遙か彼方にあった。
疲れたとき、悲しいとき、落ち込んでいるときにこの庭に来ると、聖なる場所だからだろうか、嫌な気持ちが癒されて行くのを感じた。見つかったら罰せられるのが分かっていても、安らぎを求めて、度々湖の畔まで来ては、昼寝をしていった。
最近は、父親と喧嘩をした後に来ることが多い。
喧嘩、と呼べるほどのものでもない。タトが、威勢がいいのは最初だけで、だんだんと父の迫力に圧され、最後は逃げるように家を出てきてしまう。
思い通りに伝えられない、強い父に抗えないイライラした気持ちをここで癒してもらう。
ごろんと寝転がった瞬間、何か大きくて温かいものにふんわりと包まれるような心地がして、息の詰まってしまいそうな気持ちが、少し穏やかになる。
淡い緑の葉が、日を浴びて気持ちよさそうに揺れる。
さらさら…と栗色の髪を撫でる風が、まるでタトを慰めているようだった。柔らかい栗色の髪も、すっきりと筋の通った鼻筋も、細い顎の線も、母に似て生まれてきた。しかし、力強い藍色の瞳だけは、父のものだった。鏡をのぞくたび、圧倒される父の瞳に見据えられているような気がして、自分の瞳が嫌いだった。
それに、この骨格も父のものであった。骨太だがまだほっそりとした肢体も、これから父のようにがっしりと力強くなっていくのであろうという予感をさせるものであった。
その手足を草の上に投げ出し、ぎゅっと目を閉じる。うっとおしいことすべてを忘れるために、ここに来たのだ。
ゆるく暖かい風が、優しくタトを抱きしめる。
それを全身に感じると、ふっと力を抜いて、そして、そのまま地面に吸い込まれそうだった。
と、その時
ぱしゃ・・・と、湖で静かに音がする。
ハッと飛び起きて、慌てて目を向ける。
湖の中に、光を受けながら白いものがゆっくりと動いていた。
そして、こちらを見る。
「・・・誰?」
高い、鈴のような声。
日を浴びて光る亜麻色の髪。
日に溶けそうな白い頬。
若草色の瞳。
湖の中にたたずむ少女は、真っ直ぐタトを見つめていた。