「慕 恋」
第二話
(2)
私の夫は、平凡な田舎の真面目な青年、そんな感じの人だった。あまり遊びも知らない誠実なタイプの人ではあった。その頃の私の正直な気持ちは−とにかく東京から抜け出したい−だった。これは夫も知らない過去・・・他人には知られたくない過去があること、それに必ず付いてくる「レッテル」という評価基準。一生懸命に努力しても自分は必ずそれを理由に評価される・・自分ではどうしようもない人生の枷(かせ)のために。
私が物心ついた頃にはすでに母親は独り身であったと思う。幼い姉と私を育てるための職業としてホステス業を選んだこと。それが多分私の一生を大きく変えたと思う。
私が小学生の頃に母は店の客と再婚した。中学に通う姉との二人姉妹に二人の男の子が加算され、一度に大家族となってしまった。母は結婚後も職は辞さず、夕方になると化粧をして出て行った。幼心に化粧品の臭いがすると母がいなくなる・・・そのために私は成人してもしばらくは化粧品の臭いが嫌いだった。
それは、新しい父が来て1月経った頃に起こった。夜、既に寝ていた私は父に起こされた。私は自室から父の寝ている布団に連れて行かれた。おもむろにパジャマを脱ぎ捨てた父は「明日、好きなものを買ってあげるよ」といいながらそれを私の口の中に無理矢理押し込んで来た。わけも分からず、どうしていいかも分からず、私は父が許してくれるまで何分も何分もその状態を続けさせられた。
私は週に1度自分がそれを無理強いされることで、姉は助かっていると思っていた。しかしその悪魔のような男はこともあろうに私よりもっと取り返しのつかない事を姉に強いていた。昼間は父の連れ子にいじめられた。梅干しを無理矢理口に詰め込まれ、吐き出すと顔を殴られた。毎日がその繰り返しだった。私は今でもそれを口に出来ない。
私と姉は母の姉の家に逃げ込んだ。1週間後に施設に入った。そこに入った時どれほど安堵したか・・・いまでも忘れない。ところが執拗な父は施設を探し出し私たちを何度も連れ戻そうとした。母が家出したというのだ。嫌がる姉は一緒に母を捜すという名目で連れ戻され地獄の日々を送った。
その後母はその「男」とも別れた。私達姉妹は叔母の家で暮らすことになった。
私のこの過去を今の夫は何も知らない。
話そうと思ったことはあった。しかし、田舎で堅い職人の家庭で育った夫がもしその暗い過去を知ったら・・・。また義母の耳に入ったら私は確実に追い出されたと思う。
今日は彼とゆっくり、メールが出来る。メールも見つかったら大変だね・・と彼は自分の「ホームページ」を作ってくれたのだ。これなら、二人だけで好きなときに、好きなだけ話せる。彼は今の私にとって何なのか・・・自分でもよく説明がつかない。
午後のひととき、いつもならメールで家庭のことを話し合う同性の友は数人いた。
しかし、お互いの感情を損なうような本音の意見は言い合わない。無意味に同意したり、羨ましがったりして相手とのバランスを考えたトークになる。
でも、彼の言うことは違った。家庭のこと、夫のこと、子供のこと。別々な悩みも全て彼にかかると納得のいく納まり方になる。自分の曲がった解釈も時には厳しく叱ってくれる。
私は東京での過去を捨てて、新しく生きるつもりでここに来た。ところが、田舎の人の好奇の眼は都会から来た花嫁に、異常なまでの視線を浴びせかける。何処の産まれ?親は?兄弟は何人?質問責めの毎日。客商売とはいえ、ここまで何故話さなきゃならない?と思うこともしばしば。のんびり気楽な田舎など夢のまた夢だった。その上に母親の号令で皆が動くような女性上位世界。私は尽くすタイプではあるが限界もある。誰かに話したくても近くには身よりもない。
そこに彼が突然現れた。「そんなひどい仕打ち受けて黙ってたの?」その言葉だけでも嬉しかった。毎日愚痴を聞いてくれて、少しは我慢もしなさい・・という彼は、私の中で日増しに大きい存在となった。
話がしたくなると掲示板に書き込む。いつもの彼の言葉「一人じゃないよ。ここに逃げてくればいいんだよ。これまでそんな場所もなくてよく頑張ったね。俺が兄弟か父親ならすぐに連れ戻しに行ったよ。」
実際に二人目のお産の時は産んだ翌々日には、店の手伝いを余儀なくされた。自分でも涙が止まらなくなった。上の子の面倒のほかに一家5人分の朝夕の食事の用意、全員分の洗濯もしなければならなかった。そして頻繁に要求される夫との行為。でも、このネットの世界が出来たことで私の生活にメリハリが付くようになった。そして義母に対しても「強い態度」で意見ができるようになった。これまでの自分には全く考えられないことだった。ただ、耐えるんだという生活からの脱却。自分の存在を後押ししてくれる人。その人は今、どこで何をしている のだろうか?私の中に、もっと若い頃に感じた「じりじりするもの」が生まれ始めていた。
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