「鱗 粉」

(4)



 店の裏口を出て、しばらく頭の中がうまくまとまらない状態でただ歩き続けていた。
ここ(風俗)に面接に来るまでの心の葛藤は夫にも告白出来なかったし、当然親兄弟にも相談していない。
もう一度だけ、この道に入るかどうか・・・・じっくり考えてみたかった。しかし時間がないのだ。
昨日担当医から検査の結果、髄膜炎の可能性が大きいと言われた。悪化すればこれが脳炎になり最悪の場合 は死亡する事も考慮しておいたほうがいいと。それは生死のかかった重大な問題であるが同時に、入院の費 用、検査・治療費は驚くほど高い。今は保険適用の枠内分は補償が出るが、検査費用に補助はない。あと2 月後の4歳の誕生日までで医療補償は打ち切られる。
 夫の会社は神田にある小さな出版社。おりからの不景気の波をもろに受けていつ倒産してもおかしくない 状況だという。その夫の親はこの結婚に反対し無視を決め込む冷たい両親だった。結婚後ろくに顔を合わせ たこともない。  
結婚してすぐに家庭に入ってしまった自分が夫の収入だけでやりくり出来たのも、自分の親のスネを囓った 時代があったからで、その親も今は長兄夫婦に介護を受ける身となった。

  愛し合った夫との逃避行のような結ばれ方が今となっては頼るものを無くしていた。
パートや保険の外交も考えてはみた。しかし息子の側に一瞬でも付き添っていてあげたいのだ。 この身勝手な条件を満たして、週に2,3日の労働で月数10万円が稼げるバイトなどあるのだろうか。
そしてもし、息子の病状が悪化していったとすればこの先何ヶ月も働くことは不可能なことかもしれないのだ。その 時のことを想定すれば蓄えがなければいけない。
治療にしてもお金さえあれば他の専門病院に再検査をして貰うことだって出来る。その紹介状にしてもお金 が物を言う世界なのだ。命がお金で買える時代なのだ。
そして何よりも自分が何かに耐える事が、今は息子の明るい展望への条件の様な気がする。ただ安穏と医 者任せにしていて良いのか・・・。その病院や医者に全てを任せていて良いのか・・・・。
世界の果てに特効薬があるとしたら、今それを取りに行く役目は自分しかないのではないか。その費用を稼ぎ 出すことは、何にも優先されるべきではないのか・・・。息子には悪いと思う。1秒でも1分でも側にいてあげたいのは事実だ。
 明日の実技指導を受けてみようと思った。それでもう一度考えることも出来る。すっかり暗くなったその 街を顔を上げて足を早めた。




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