「鱗 粉」
(5)
翌日、病院には昼過ぎまでいた。息子は集中治療室に入れられた。抗生剤の服用と睡眠剤の投与で眠っている。
幼い子供はただ泣くだけで症状の説明は出来ない。だが母を求めて夢で彷徨い、泣き叫び暴れることもある。
今はそれが一番治療の妨げとなる。眠らせるしかない時もある。
後ろ髪を引かれる思いだがその子の為に働かなくてはならない。今はそう考えるしかない。
昨日の事務所に着いた頃には朝から降っていた雨が上がった2時過ぎであった。
見覚えのあるボーイ風の男に促されて、また同じ応接間に向かった。
ものの5分でカキヤが一人の女性を伴って現れた。
年齢は25,6歳だろうか。見るからに高級そうなブランド物の時計をしていた。
着衣は一見するとホステス風とでも言うのか普通のOLが着るには派手目な感じのスーツだった。手には大きめのメイクケースをぶら下げている。化粧品だけが入っているとは思えない。
カキヤが口を開いた。
「今日は結論を出す日ですから、まず色々実情をね・・・・知っていたほうがいいでしょう。で、こちらは“アヤカ”さんですが、彼女の話を聞いて貰って、それから良ければ実技ということでいいですか?」
カキヤが「実情をね」と言うところで少し間を置いたことが何か特殊な裏事情を感じさせた。
良いも悪いもなくすでに決意しているのだから素直に従った。
カキヤはさも忙しそうに部屋から立ち去り、そこに“アヤカ”という多分年下の女性と自分だけが残された。
「煙草吸ってもいい?」と“アヤカ”が聞いたので本心では嫌だなとも思ったが作り笑顔でどうぞと言った。
長めのメンソール系の煙草に今度はさも安そうなプラスティックのライターで火を着けながらアヤカは言った。
「あぁ、お名前は言わなくても結構ですから・・・そうねーまず名前だわね。」
と言いながらいきなり部屋を出て行った。
2,3分後にコピー用紙のようなもの2枚を持って小走りに戻ると、その紙をドンとテーブルの上に載せた。
それは縦横に細かい桝がある表のようなもので、一番左端に平仮名かカタカナでずらっと名前が書いてある。
多分出勤簿のコピーのようなものかもしれない。その中の名前から幾つかの名前を読み上げ始めた。
「えーと、あさみ、あかね、あけみ・・・とこんな名前が空きなのよ。今から言うから好きなの選んでね。」
「はぁ」と答えたがまさか源氏名が自由にならないとは予想していなかった。これからまるで自分がペットのような扱いを受けるような錯覚を受けた。
「かずみ、けい、ひとみ・・・どうする?何か気に入ったのある?」と煙草の灰を灰皿にポンポンと落としながらアヤカは聞いた。逡巡していると少し悪戯っぽく笑いながらアヤカが言った。
「こういうとこの名前ってさ、大事なんだよ。その名前に運命があってさ代々その名前だと早く辞めることになるとかお客とトラブルをよく起こすとか、病気になるとかね。」
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