I Seek You
! 2002/8/26

なんとなく始めたインターネットの世界が、
いまの私にとってのほとんどすべてと言っても過言ではなかった。
仕事から帰ってくると、まずやることがパソコンの電源を立ち上げることだった。
そして、夜寝る前に最後にやることが、パソコンの電源を落とすことだった。
家にいる時間のほとんどを、私はインターネットのために費やし、
その架空の世界の中で繰り広げられる非日常的な出来事に
毎日心ときめかせながら彷徨いつづけていた。
私がインターネットにのめりこむきっかけとなったのは、
偶然
Yahooで見つけたとあるチャットに参加したことだった。
そのチャットは、私が大好きなアーティストの同好会のようなところで、
最初のうちは興味本位で覗き見るだけだったが、
私と同じ想いを抱いている人たちが他にもたくさんいることを知ると
いてもたってもいられなくなって……
気が付くと、私もその会話の輪の中に入っていた。
毎日、毎日。夜遅くまで寝る時間も忘れておしゃべり。
それが、今までごく普通の人生を送ってきた私にとっては
すべてがはじめてのことで、
すべてがおどろくべきことで、
すべてが魅惑的なことで……
気が付くと、大好きなアーティストの話から
なにげない自分達の日常的なことに話題が移っていて、
まるで女子高校生時代に戻ったかのような錯覚さえ覚えてしまった。
好きなアーティストのチャットで味を占めた私は、
それから手当たり次第にいろいろなチャットに手をつけていった。
趣味の手芸のチャット。
めずらしい家庭料理を自慢しあうチャット。
面白い映画について語り合うチャット。
そして…男女が出会いを求めるようなチャットにも。
時には変な異性の人と出会うことで、
ストーカーのようにしつこく付きまとわれることもあったが、
そこは不思議な魔法の世界「インターネット」。
魔法を使えばあっという間に、見ず知らずの別人に変身することができた。
そんな危機も、持ち前の明るい性格で乗り越えて、
私はこの世界の中での我が世の春を謳歌していた。
私が「
ICQ」という、摩訶不思議なツールに出会ったのはその頃だった。
あるチャットの友人から
ICQの話を初めて聞いたとき、それが一体どんなものなのか、まるで見当がつかなかった。
そこで、私はさっそく教えられたとおりに
自分のパソコンに
ICQをインストールしてみることにした。
」
外国のとある
HPから、マウスを何度かクリックして手に入れた「
ICQ」。初めてそれを使ったとき、私のインターネットの世界は
驚くほど劇的に変化を遂げた。
ICQ
は一言で言うと…「相手がインターネットの世界にいるかどうかわかる携帯電話」
のようなものだった。
今までは仲の良い友人と出会うのにも、
いろいろなチャットサイトを探したり、と大変手間がかかったのだが、
ICQ
を導入すると、相手がこの世界に来た瞬間に私に「〇〇ちゃんが来たよー」と教えてくれた。
今までの苦労がウソのようだった。
「
ICQの語源って、『I Seek You(私はあなたを探している)』なんだって」と友人に教えられたときには、
あぁ、なるほどな、と、妙な感心をしてしまったものだ。
アメリカ人はなんとも面白いネーミングセンスを持っているものだ。
そんな
ICQが私にもたらしてくれたものは、インターネットの世界での「便利さ」だけではなかった。
私が「彼」と出会ったのは、
とある映画評論のチャットだった。
彼は落ち着いた口調で、数々の映画の評論をしてくれた。
彼の言葉を聞くだけで、
見たことも無い映画のワンシーンが蘇ってくるようだった。
キーボードから打ち出される彼の知的な「言葉」は、
まだまだ文章の世界の奥深さを知らない私に、
言葉だけでもいろいろなことを相手に伝えることができるのだということを教えてくれた。
彼と
ICQの番号を交換してとりとめのない話を繰り返してしていくうちに、
いつしか、彼といろいろなことをお話することが
私にとって大事な日課となっていった。
そんなある日。
彼の仕事が忙しくて、
ICQに出没するのが夜遅くになることが頻発するようになったときがあった。
彼がインターネットという仮想世界に現れてくれるまで、
私はパソコンを立ち上げたまま、
ただただ、彼が帰宅するのを待ちつづけていた。
その時間は長くて、切なくて、苦しくて……
彼は仕事が忙しいのかな?
とか、もしかして、飲み会とかに参加してるのかな?とか、
……誰か、女の人とどこかに行っているのかな?とか…………
いつもの私らしくない、不安な気持ちが
私の本当はか弱い心を苛めていた。
だが、どんなに仕事が遅くて大変な日にも、
どんなに疲れているときでも、
彼は毎日必ずインターネットに接続してくれた。
彼の名前が
ICQに出現した瞬間には、私の心は躍りだしたくなるような気持ちになった。
「かっこー」
という、場違いな鳥の鳴き声のようなメッセージ着信音を聞いた瞬間には、
コンマ一秒でも早くメッセージの中身を見たくて
自分でも信じられないくらいのスピードで、マウスをクリックしていた。
そして、彼は私とこの仮想空間で、
あいもかわらないとりとめのない無駄話をしてくれた。
私はそのときになってようやく気付いた。
私はこの、まだ一度も会ったことのない、
インターネットという仮想世界にしか存在していない彼に
「恋」をしているのだということに。
そして、今日も私はこのインターネットの世界の中で、
帰りの遅い彼が出現するのを今や遅しと待ちつづけている。
自分の気持ちに気付いてからからは、
なぜか前よりもおちついた気持ちで待つことができるようになった。
顔も見たこともない相手への自分の想いを受け入れて、
その生活を楽しめるようになったからかもしれない。
彼の名前が
ICQに上がったとき、私は彼に対して最初に言う言葉を決めている。
それは、
「愛してる」でも、
「おかえり」でも、
「お疲れ様」でもなくて。
キーボードの3つのボタンを押すだけだ。
魔法の言葉の正体は、
「
I・C・Q」
「なにそれ?」
何度か彼に聞かれたことがあるが、
答えをはぐらかす私に諦めがついたのか、
今ではなにも聞かなくなってしまった。
それは、長い時間彼の帰りを待たされている
私の唯一の抵抗であり、愛情表現。
「
I Seek You!!(私は、あなたを探していたのよ!)」
この仮想空間で、私が見つけた、「探し物」。