クーラーと扇風機
(2002/8/20)
夏。
今年の夏は例年に比べてすいぶんと暑かった。
冬生まれの私は暑い季節が大の苦手なので、仕事もそうそうに切り上げて
毎日家でクーラーを浴びながらぐうたらしていた。
我が家にあるクーラーは、毎年夏は大活躍。
冬にはなんの意味も無くて、
「この、役立たず!」と
何度もののしったりしたのだが、
この季節だけはいつも
「あぁ、いてくれてよかった」
と感謝している。
だけど、毎日毎日あたりまえのように冷やしてもらっていると、
それがあたりまえのような気がして、なんとなく
その扱いもぞんざいになってしまう。
ずっといっしょにいると、そんなものなのかなぁ、などと
感謝の気持ちもすぐに忘れて、私はただひたすらぐうたらしていた。
そんな怠惰な日々を過ごしていると、
ついつい、昔の懐かしい日々を思い出してしまう。
まだ私が若かった頃。
まだ私が田舎の実家にいて、のんびりと学生生活を満喫していた頃。
夏の日の私の傍らには、いつもあいつがいた。
その名は、「扇風機」
あいつは、とても面白いやつだった。
夏の蒸し暑い夜、汗だくの私の体をやさしく包んでくれた。
だけど気まぐれで、いっつも首を振って、私をやきもきさせていた。
そして、ようやくその首をこちらに向けてくれたとき、
安らかな気持ちに包まれて、私は至福の時を感じた。
私があいつに向かって「あ〜〜〜〜」と言うと、
あいつは私の声を「あ゛〜〜〜〜」というふうに変えてしまう。
私はそれが面白くて、あいつをかかえたまま毎晩のように
「あ゛〜〜〜〜」と声を出していた。
あいつのぷるぷると回る羽は、なんだか不思議で、
見様によっては、まるで逆に回転しているように見えるときもある。
それをずっと不思議に思っていた私は、
ある日、あいつに誘われるように、その羽に自分の指を突っ込んでみた。
怖くて、でも興味津々で、
恐る恐る人差し指を、扇風機の中に入れていく。
最初はちょっとだけ痛かったが、
慣れてくるとそれがなんとなく気持ちよくて、
何度も何度も、指を突っ込んではその羽の動きを止めて、
私はあいつをからかっては楽しんでいた。
なんとなく思い出してしまったらいてもたってもいられなくて、
私はお盆休みを利用して久しぶりに帰省することにした。
「あ、もしもしお母さん、あたしだけど…」
「あぁ、どうしたの?ひさしぶりねぇ」
「今年のお盆、そっちに帰ろうと思うんだ」
「あらそう!おいしいものを作って待ってるわよ」
「それでね、お願いがあるんだけど…」
私はすこしドキドキしながら言葉を続けた。
「あたしが昔使ってた扇風機、出しておいてもらえない?」
母はすこし間を置いたあと、受話器の向こうで大笑いをしはじめた。
「あんた、変な娘ねぇ。わかったわ。準備しておきますよ」
私は、帰省客でいっぱいの電車を乗り継いで、
久しぶりに実家に帰った。
実家は昔と変わらない姿のまま、暖かく私を出迎えてくれた。
ただいまの挨拶もそこそこに、私は昔使っていた
自分の部屋へと入っていた。
そこには、すこし古ぼけてしまったけれども、
昔と変わらなあいつの姿があった。
「あはは、元気だった?」
私があいつのスイッチを押すと、
ぶぅぅんと音を立てて、その羽を回し始めた。
私はなんだか懐かしくなって、
クーラーとは違うその感覚に、しばらくその身をゆだねていた。
私は帰省しているあいだ中、あいつと一緒にいた。
昔と同じように、あいつはいつきまぐれに首を振って、
暑さでぼーっとしている私をやきもきさせた。
昔と同じように、「あ〜〜〜〜」と私が言うと
「あ゛〜〜〜〜」というふうに声を変えて私を楽しませた。
昔と同じように、ぶるぶると逆回転しているように見える羽に指を突っ込むと、
がたがたと指に羽が当たって、私を心地よい気持ちにさせてくれた。
そうこうしているうちに昔の思い出がいろいろと蘇ってきて、
私の短いお盆休みは、あっという間に楽しく過ぎていった。
だけど…
ふと思い出すのは、家にあるあいつのことだった。
その名は、「クーラー」
あいつは、扇風機のように
気まぐれでも、
面白くも、
刺激的でも、ない。
だけど、いつも私のそばにいてくれて、
あたりまえのように私を幸せな気持ちにさせてくれた。
まるで、空気のような存在だったけれども、
すぐそばにいないとなると、なんだかとても恋しくなった。
扇風機も悪くはないけど、
やっぱりのんびりと落ち着くのはクーラーのほうがいい。
少しの間だけなら扇風機でもいいけど、
ずっと一緒にいるならクーラーのほうがいい。
そう気付いた私は、多少の未練があったものの
予定よりも少し早めに帰ることにした。
「お母さん、あたし明日帰るね」
「あらそう?もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「ううん、十分ゆっくりできたよ。もう満足」
「はいはい。それじゃあ、忘れ物ないようにね」
家に帰る電車の中、私の心の中はクーラーのことでいっぱいだった。
もう扇風機のことなど思い出さなくなっていた。
「あーあ、早く帰ってのんびりぐうたらしたいなぁ」
クーラーを浴びながら、カキ氷でも食べて、TVの怪談番組でも見る。
それはそれで、私にとっては幸せな日常ではないのかな。
「ごめんね、ちょっとだけ浮気をして。だけど、私にとっては
あなたが一番だよ」
夏の日の、扇風機とのひとときを胸の奥にひっそりとしまいこむと、
私はUターンラッシュで沸き立つ駅の改札をくぐりぬけ、
愛しのクーラーが待つ我が家に向かってその歩調を早めていった。