もう恋なんてしない… 2002/8/21

 

 

 

「もう、恋なんてしないと思っていた……」

 

 

 

なんとなく落ち着かない気分を引きずったまま、

いつのまに眠ってしまったのだろう。

気が付くと、もう朝になっていた。

目覚まし代わりのブラックコーヒーを無理やり喉の奥に流し込むと、

急激な刺激に驚いた胃が反抗的な声を上げた。

 

 

目はばっちり覚めている。

だが、まだ気持ちは昨日からずっと浮ついたままだった。

約束の時間までは、まだまだたっぷりとある。

だが、この、なんともそわそわする状態でいつづけることは

俺には耐えることはできなかった。

 

 

しばらく自分の部屋の中をうろうろと歩きまわりながら

朝食代わりのカロリーメイトをほおばってみたものの、

状態が好転することは無かった。

 

だんだんたまらない気分になってきたので、

俺は意を決して携帯電話を手に取ると、

メモリーの中からひとつの番号を探し出してコールボタンを押した。

 

 

とぅるるるるる。

とぅるるるるる。

とぅるるるるる。

とぅるるるるる。

ちょうど4回コールがなったとき、ぶつっという音がして

眠そうな親友のタケシの声が聞こえてきた。

『もしもしぃ。なんだよマサヒコ。こんな朝っぱらから……』

「すまんタケシ、なんか落ち着かなくてさ」

『ククッ、そうかそうか…』

電話の向こうでタケシはさも可笑しそうに笑うと、

ちょっと待てと言ってしばらく静かになった。

居住まいを正したのか、ごそごそという音が聞こえてきた。

 

『うしっ。準備完了。待たせたな』

「いや、こっちこそ、こんな土曜の朝早くからすまない」

『なにいってんだよマサヒコ。今日はお前の大事な日だろ?』

「あぁ…だからなんかもう、昨日の夜から緊張しててさ」

『……ったく、しょうがねぇなぁ。俺でよければなんでも話を聞いてやるよ』

俺はタケシに感謝の言葉を述べながら、なにから話そうかと頭をめぐらせていった。

 

 

「なぁタケシ、お前と最初に出会ったのは高校のときだったよな」

『おぉ、そうだぜ。俺達同じクラスで同じテニス部に入ってよぉ』

「そうそう、あの担任の先生、あだ名なんだったっけ?」

『バカヤロー。パゲゴンだよパゲゴン。禿げてるからパゲゴンな』

「あははは!そうだそうだ、パゲゴンだ」

『マサヒコはまじめだったら被害なかったかもしれないけど、

俺はいっつもあいつの怒られてさ…』

「そういえば、ほら、あの子はどうしたのかな?お前が高校時代に付き合っていた

アキコちゃんだっけ?」

『んん?なんかどっかの年上のサラリーマンと結婚したらしいぜ。なんでも

もう2児の母だって聞いたけどな』

「ふふっ。俺らも年を取ったよなぁ…」

俺はそう言ったあと、ふと続ける言葉を見失ってしまった。

あれは、遠い昔だったような気がする。

そして、次に思い出したのは……やはりあのことだった。

「なぁ、タケシ……」

『ん?なんだ?』

「俺…」

『……』

 

 

「もう、恋なんてしないと思っていた……」

 

 

 

電話口の向こうで、タケシは大きく息を吸い込んだようだった。

一瞬の空白のあと、受話器の向こうからあの聞きなれた太い声が響いてきた。

『あれは5年前だっけなぁ?ミサコちゃんだっけ?』

「あぁ、そうだ」

『お前、かなりこっぴどいフラれかたをしてたよなぁ』

「あぁ……3年も付き合ったのにな。本気で……結婚も考えてたのにな」

『そうだったよなぁ。お前、いっつも俺に彼女の自慢ばっかりしてたもんな。

美人で料理がうまくて、性格もやさしくてって…』

「ついでに、SEXもよかったよ。けっこう胸もでかかったしな」

『ケッ!言ってろや!』

俺達はお互いに笑い合った。

ミサコをネタにして笑ったのは、もしかしたら初めてのことかもしれなかった…

 

 

『でもお前、ほんともう、あの頃のことを笑って話せるようになったんだな』

「あぁ。別れてからもずっと引きずったけどな…」

『そうだぜ、まったく。マジで俺は心配したんだぞ。

毎日泣きそうな声で電話してきたり、突然失踪したりしてさ…』

「いや、ほんとすまなかった。あのときはずっと、まだ、ミサコが戻ってくるんじゃないかと

ずっと信じていたんだ。そして、2人で旅行に行った場所をまた一人で訪れてみたりとか…」

『おいおい、マサヒコ!おまえそんなことやってたのかよ!』

「いやすまん、今なら時効だろ?」

『あははは、まぁ確かにな』

「それもこれも、ぜんぶお前のおかげだよ。タケシ。

お前が落ち込んでいた俺の気晴らしに付き合ってくれたりしてくれたから…

そしてなにより、マリコを俺に紹介してくれたから……」

『バーカ、なにクサイこといってんだよ!背筋に虫が100匹くらい走るぜ!』

 

 

 

「いや、まじめにお前には感謝してるんだ。

3年間もずっとミサコのことを忘れられずにいて、

ずっと自分の殻に閉じこもっていた俺を外の世界にまた呼び戻してくれたのは

マリコだから…」

『けっ、オノロケかい。だったら聞き飽きたよ』

「…ごめん」

 

 

「最初、お前が紹介してくれたとき、正直そんなに乗り気じゃなかったんだ。

だけど、なんだか話していくうちに……自然と、自分らしく話せることに気付いて……

気が付いたら、自分が抱えていたことを全部マリコに話していたんだ。

ミサコのことも、ずっと忘れられずいいることも」

『……』

「それでもマリコは、そんな俺をすべて包み込んだ上で、愛してくれた。

俺はそんなマリコに…どんどん惹かれていったんだ」

『……』

「そしたら、なんだか毎日が今までと違って見えるようになったんだ。

あんなに憂鬱だった仕事も、なんだかめりはりもついたし。

マリコとだったらどこに行くのも楽しいし、ケンカをすることでさえも、

楽しいんだ」

『……』

 

 

 

 

「……もう恋なんてしないって思ってたこの俺が、

 

見事なまでにまた……

 

………恋に、落ちたんだ」

 

 

 

『ふっ、よかったな』

そう言うタケシの声は、今まで聞いたやつの声の中で、一番やさしかった。

「……おっといけない、そろそろ待ち合わせの時間だ」

『おぉ、そうだな。もうそんな時間だったんだな』

「いろいろ話を聞いてくれてありがとう」

『気にするなよ。それよりも…』

 

 

 

『……がんばれよ、プロポーズ』

 

 

 

「……あぁ、ありがとう。未来の義理のお兄様」

 

 

 

『けっ、やめろってんだ、気持ちワリィ!』

 

 

 

俺はタケシとひとしきり笑った後、電話を切った。

 

 

 

さぁ、もう時間だ。でかけよう。

愛しい彼女が……あるいは未来の俺の花嫁が待つ、

いつもの駅の改札口に。