人が言うと書いて「信」である
信じるとは すなわち
誰かが自分に対して
声に出して何かを言ってから始まるもの
それを信じ、また疑心を持つのは
相手と自分の信頼関係の次第である

心が生きると書いて「性」である
性とは すなわち
生きる事。
性欲、性能、性別
性格、性質、性癖
全て生まれながら持っていて
ある意味
生きている証拠である

人が動くと書いて「働」である
働くとは すなわち
自分を動かす事
それが体であれ頭であれ
動かしている事に変わりないのなら
働いている事に大差はない
自分には自分の他人には他人の
働き場所があるものである

人に幸せと書いて「倖」である
倖とは すなわち
人が持っているのである
きっと私たちは
生まれたときから倖を持っているのだ
それなのに気付かずに欲張って
もっといい倖を探しすぎだ
身近な倖に有り難みを感じない人は
一生、倖なんてわからない

亡くす心と書いて「忘」である
忘れるとは すなわち
心を亡くすこと事
そして心に深く残る出来事や人物
何であれ、ふと消えてゆく
しかし我が心さえあれば
忘れないと同じことである

口の衣と書いて「哀」である
哀れとは すなわち
口から泣いている人に
温かな衣を纏わせるという
意に違いない
ただ相手の哀れを見極める
目を持つべきだ

口からの虚ろと書いて「嘘」である
嘘とは すなわち
顔の表情を変えず
何気なしに口から出してくる
中身のない言葉で
自分を守る事に使用する
虚ろで守られた盾など直ぐに壊れるが
時には、
虚ろにも真実があるので注意すべき

羽に異なると書いて「翼」である
翼とは すなわち
異人が持つ道具に過ぎない
人間が持つべきものは
翼でなく足である

水を戻すと書いて「涙」である
涙とは すなわち
感情をあらわすシグナルであり
自身の感情を清める
物質でもある
それなのに最近は
感情もなく
涙を流す奴が増えてきた

心を受けると書いて「愛」である
愛とは すなわち
心を受け渡し
心を受けたまわるところから始まり
愛は常に心あるものに向けられる
それが一生に一度なのか
一生に数回のなかは
心の糸の本数によって人それぞれ

足を折ると書いて「逝」である
逝くとは すなわち
自分が壊れてゆくこと
たとえ狂おうとも
足を折ることはせず
折れるまで歩き続けよ
それを非難するものはいない

人の間と書いて「人間」である
人間とは すなわち
架空の生き物であり、
私たちは人間にはなれない生き物だ
なぜ、人間という言葉があるのか
不思議でならない