「もしあの時,ああしていたら。」

アドルフ・ヒトラーは首相官邸地下室の中で,銃口を脳天に突きつけ,その最期に,いつ何時のことを後悔したのだろう。

 

人間として生きている以上,今までに一度もこう思わなかった人はいないのではないだろうか。

一度限りの人生。人間は日々の暮らしの中で、大きくは進学,就職,結婚,小さくは夕食の献立,マスターペーションの惣菜,ホチキスか輪ゴムか,ゴムを着用するか否か,といった数多くの決断を行っている。いや,むしろ日々の決断の連続が一連のものとして人生とよばれているのかもしれない。

「現実味がない。」

「リアルじゃない。」

「面白いことが無い。」

そう,少年たちは呟く。

彼らにとって人生とは約80年の時間の塊なのだろうと思う。そういう考え方からすると人生のイベントとはそうあるわけではない。面白い,劇的なこととはそうその辺に転がっているわけではない。どうしても薄味なのっぺりとした時間の山になってしまうのだろう。

しかし,逆に,一瞬の連続が人生と考えてはどうか。

刹那的になれ,という気はさらさらないが今の若者,いや今の日本人にとってもう少し一瞬一瞬を楽しむ気持ちが必要なのではないだろうか。

「筑紫哲也の多事争論のテーマに一喜一憂する」

「今日の曽我ひとみさんの動向を予想する」

そんなスリリングな瞬間を味わいながら生きる。

そんな人はきっと年老いて意識が途切れる瞬間にこう思うだろう。

「ああ,楽しい人生だったな。」と。

瞬間を大事に生きてきた人の特権,である。

 

話は変わるが「もしああしていたら」が現実に戻せるとすれば,本当に話が変わる。

ただ現実にはそれは無理な話。ドラ焼き好きなネコ型ロボットに出てきてもらって「タイムマシン」に乗せてもらえるのなら良いのだろうが,現実的にはつんくの作った「ラブマシーン」をカラオケで歌うか,B級ドラマで「宅麻伸」の硬い演技を鑑賞するのが関の山ではないか。

 

しかし途方に暮れるのはまだ早い。

現実的に無理なら,そういうことにしてしまえば良いのだ。

例えば様々な契約にはそのようなものがある。

民法上,公序良俗に反しない限り,私人間の契約には規制は無い。

例えばA君が道で「大人のおもちゃ」を善意無過失で拾ったとする。まあ,バイブを拾うのに悪意も何もあったものではないが(笑),そうとする。

彼は10年間,バイブを所持すると10年後,正式な所有権を有することになる。これはいわゆる時効取得というものだ。

これは真の所有者はバイブを落とした大馬鹿者だが,何年もその所有権を認めると,商取引の安全性が損なわれる,といった理由からその権利を拾ったA君のものにして,A君が晴れて皆の前で公然と大人のおもちゃを使用せしめるものである。そもそも,バイブを公然と使うと「公然猥褻罪」で立派な犯罪になるし,他人が使ったバイブを10年間もタンスに入れておくか,という批判も予想されるが,そこは適切な事例を挙げることが出来なかった筆者の不徳の致すところとご勘弁いただきたい。

 

話を戻そう。

ここで問題なのはA君のものになる時点が10年後かどうかなのだ。正解は「バイブを拾った時に遡って,A君のものとなる」のだ。つまり所有権は拾った時に遡及して主張出来る。

このような民法上の契約では遡及も許されるが,こと刑法になるとまた話が別物になってくる。考えてもみたまえ。例えば,国会で「Hなビデオ試写室を使用した者は去勢の刑とする」という法案が通ったとする。これでは今後,皆怯えて試写など出来たものではないが,「今年の4月に遡ってこの法律を施行する」としたらどうか。今年の4月の時点では何も悪いことではなかったのだから少なくない数の人々が試写しただろう。筆者に至ってはチンチンが何個付いていても足りるものではない。

しかし現実的に刑法上,そのような遡及は許されない。罪とは人間が社会生活を営む上で後発的に創造したものであり,罪あるところに罰があり,何をして罪とするのかは,その国,その時代,その社会情勢によるのだ。

時を同じくして,近年の不況のため,私の職場でも賃金カットが行われることとなった。この経済的危機を思えば致し方ないところであるが,これがどうも春に遡って賃金カットすると言う。これが通ると春の給料から引かれていたこととなり,年度末にその分も一気に搾取されるというのだ。「嫌なことを遡ってまでするな」つまり「不利益を遡及するな」「不利益は不遡及だ」と組合もカンカンだ。確かにこれにはさすがに参ってしまう。一度貰ったのだから返せと言われるとは思わなかったし,こんなことならあんなにビデオ試写室に通わなかった。お金を戻せと言われたから試写しなかったことにしてくれ,とビデオ屋に言っても掛け合ってくれない。ビデオ屋に「なら,見なかったことにして忘れろ」と言われても,そらで思い出せるほどあの場面この場面が脳裏に焼きついてしまっている。

 

「さあ,今日は何を観よう」

喜び勇み試写室の扉をギィと開ける。

何億もの生命を純白のティシューへ回帰させた後,

「もし,あの時あのまま家へ帰っていたら」

哀愁の中,サナトリウムと見まがう試写室の扉をキィと閉める。

 

結論として,一般的に物事が遡及することなど滅多にあることではないのだから,一瞬一瞬の決断を大事に生きて行かなければならないと思う。その時その時に最良の決断を積み重ねることが,最良の人生を送ることである,と言えるのではないだろうか。

そう考えながら,今宵もビデオ試写室を背にし,ふと思う先に立たない後悔は,後に立()った一物に支配される男である限り,繰り返してしまうのかもしれない。

 

これは我が闘争である。

 

 


 

金太の多事争論