その後、進級し、5年生となった私は他の学校から転任してきた「かば」という先生を担任として、課外活動をしていた。 その「かば」先生こそ恐怖のバスケ部顧問だったのだ。 バレー部から来たらしくバスケも全く知らない人だった。もちろん、僕らも入ったばかりで何も知らなかった。 「一からのスタート」まさにそんな感じだった。先生も初心者だったので技術の指導はできない、そこで「かば」は 基礎体力をつけることから始めた。それが地獄だった。要するにとても厳しく体力的に限界である毎日が続いた。 その厳しさのためか夏休みを乗り切ったのは、僕を含めて4,5人ぐらいであった。 そこである日、「かば」は部員全員集合させ、何で部活に来ないのかいろいろと話し合った。5人いなければ試合に出れないし、 人数が少なければ、すぐに番が回ってきて休むことが出来ない。「えらいんだ。」そう「かば」は言っていた。 その後、今まで来なかった部員たちも来るようになり、順調に練習を重ねていった。
6年生の先輩が引退し、新人戦を迎えることとなった。僕らはいろいろな人たちから「よく走るチームだ。」と言われていた。 それは、まぎれもなく「かば」の基礎体力作りの成果であった。 試合の方は、1回戦、2回戦ともに順調に勝ち進み、迎えた準決勝、宿敵となる若園小との試合だった。 ぼくらは善戦をしたけれど、勝てなかった。結局、市内大会で3位という結果に終わった。
さらに時が過ぎ、6年生になった夏の大会、僕らの引退試合でもある公式戦が始まった。1回戦は順調に勝ち進み、 2回戦、僕らは苦戦を強いられた。相手のペースに呑み込まれ、「かば」はタイムアウトをとった。 そのとき、「若園とやるまでは負けられません。」そう誰かが言った。 その後の僕らは、勢いにのりその試合に勝つことが出来た。 そして、ついに若園との試合になった。確かに彼らは強い、しかし、先取点を取ったのは僕だった。相手のファールからの フリースローでちゃんと入ったからである。でも、それからの彼らは動きがよくなり、どんどん突き放されていった。 最初は10点以内に点差を収めることが目標だった、それはクリアできたのだが、次の第二クウォーターで追いつくはずが、 点差は縮まらなかった。第三クウォーターでは離されていく一方で、最後の第四クウォーターで少しは追い上げたものの、 結局、点差をひっくり返すことはできなかった。