半年間の部活動
僕が、大学の2年生になる春休み、ある決意を胸にスポーツ用品店を訪れていた。新しいバッシュを買うためである。目的は、大学のバスケット部に入る事。1年のときに上南戦(上智大学と南山大学の体育会のそれぞれの部活動が試合をするもの)を見て、試合前に、先輩がダンクしてアピールしたにも関わらず、南山は負け、来年こそは勝ちたいと思ったからである。
バッシュを買い、入部を果たし、練習に参加するようになったけれど、大学受験と1年生の1年間、まともな運動をしていなかったため、始めた頃は、体力的についていけなかった。さらに、キャンパスが違うので、週に4回も名古屋まで行っていたので、疲れも増していった。
そのころは、本当に大変で、家庭教師とスタンドでバイトしつつ、バスケや学校にも行っていたため、一月に休みが1日ぐらいしかなく、追い討ちをかけるように、母親が盲腸で入院してしまったのだ。疲れすぎていた。このとき一度、事故を起こしている。居眠り運転をして、中央分離帯に乗り上げ、ポールを一本へし折ってきたのである。車のライトが壊れただけで、人体に被害はなく、多少、車の修理にお金がかかっただけなので、大して問題はなかったが、自分の疲労が蓄積されていることを実感した。
そのときの状況としては、こんなもんで、肝心の部活動としては、始めたての頃は体力的に厳しかったが、6月初めの上南戦のころには練習にもついていけたし、体力的にもついてくことができた。入部したきっかけでもある上南戦は、前の年、南山でやったので、この年は、上智でやることになっていた。そのため、東京まで行く事になった。着いたその日にバスケ部男子の試合があり、なぜか僕はキャプテンにビデオを取るように言われ、仕方なく、ビデオを取る事にした。本当は、応援して勝って欲しかった。なのに、ビデオ係である。ビデオを取っているので大声で応援するわけにもいかず、見てるだけで、結局、この年も負け試合だった。(何で、応援させてくれなかったんだ)と思いつつ・・・。
男子の試合、できなかった分、女子の試合では、思う存分、声が出せれた。応援というより、指示に近いような気もするけれど、選手の見えないところを声を出して教えてあげたりする。(本当はベンチにいる選手がやることだと思うのだが)この試合、上智はオールコートのゾーンプレスでディフェンスしていて、こっちも攻めにくくなっていた。相手の10番はシュートが入る。こっちも負けじと入れ返す。逆転につぐ逆転で、見ていて、おもしろい、とてもいい試合だった。最後に、同点でこちらのシュートを相手がファールして、フリースローに。二本中一本入って、1点差での勝利。みんな喜んで、マネジャーさんが「感動した。」(注:小泉さんではありません。)と言っていた。いい試合だったなあ。と感心して、上南戦の試合は終わった。その夜、飲まされまくったのだが・・・。
上南戦から一週間後、六大戦というのがあったが、南山は、またもや負けてしまった。裏事情はあるのだが、これは私だけの秘密である。
大学での部活動で、注目された必殺技がある。高校時代に考えたものだが、偶然、大学での部活動で出来てしまった。先輩に「ハイループ」と呼ばれたもので、何人かの人には、話してしまったので、ここでも話そうと思う。まず、ドリブルをしている状態から片手で、そのままパスできるだろうか? ボールの縦方向の動きを横方向に変えるだけである。これの応用で、ディフェンスからは、自分の体でボールが見えない状態でドリブルをついている時、そのボールを下ではなく、上に投げ上げるのだ。ディフェンスは大抵、ボールマンの目を見ているので、ボールが消えたように見えるのである。ただ、真上に上げるのではなく、手首を使って落下地点をコントロールできれば、そのまま、ゴールに入れることもできるし、もちろん、パスにも使える。後輩には自分しか出来ないと言われたが、俺に出来て、他人に出来ないわけがない。と思う。確かに、小学生のときから個人的にフックシュートの練習はしていたけれど・・・。
話を元に戻すと、六大戦が終わり、一段落すると練習試合以外は、当分、試合は無かった。というか、大きく「半年間」とかいてあるように、この六大戦が最後の試合になってしまった。夏休みにリーグ戦というものがある。これには、フィリピン(旅行日記 海外編を読んでください)に行っていて出ていないし、その後の飲み会を最後にやめてしまったのだ。やめた理由は追求しないで欲しい。半年間だったけれど、やってよかったと思う。いろんな人に出会え、いろいろ教えてもらった。家庭教師で教えてる子にもバスケ部の子がいて、バスケのことを話したりもしてた。やめてしまって後悔したこと、太った。明らかに運動不足。現在、クラブチームに入ってもいいかなあ? と考えている。