学生最後の旅行。レッカーあり、フェリーあり。
無事、大学卒業をし、卒業式の翌日。学生生活で最後の旅行、いわゆる卒業旅行に出かけた。朝、友人Kの家まで迎えに行き、そこから名古屋IC、一路、西へ。初日の目的地は広島。カーナビでは、7時間かかると言うが、その時間は適切だった。男二人で運転を交代しながら、高速をひた走る。名神から山陽道に入り、まだ西へ。結局、広島のホテルに着いたのは17時頃、チェックイン予定時刻ぴったりだった。ホテルは広島駅の近くで、広めの部屋を用意してくれていた。KはPS2を持ってきており、ホテルのテレビで「実況パワフルプロ野球」をやっていた。私はそれを見ていた。別に広島に来なくても出来る事である。しかし、ここに来て良かった事がある。そば入りのお好み焼き、「広島風お好み焼き」を現地で食した事。広島駅2階の混んでる店で、うまかった。平和記念公園や原爆ドームは翌日に行くことにして、この日は床についた。
2日目、チェックアウトすると、記念公園へ向かった。公園近くの道に路上駐車し、記念公園へ行った。まだ朝早く、資料館は閉まっていたので、原爆ドームに行き、携帯で写真を撮る。そのとなりの広島市民球場を見、朝飯を食い、再び資料館を訪れ、中に入った。家庭教師の教え子が「広島は一生のうちに一度は行った方がいいと(学校の)先生が言ってた。」と言っていたが、私は大学生活を終えようとしているこのときに訪れることになったのである。資料館で原爆についていろいろ見てまわると、たった1個の爆弾でとんでもないことになったことがよくわかった。イラク戦争でもこのように悲惨な目にあっている人たちがいると思うと、少し心が痛い。資料館を見終わると、車に戻ったが、車はなかった。焦った。盗まれたか、と思った。近くで働いている人の話によると、警察がレッカー移動していたらしい情報をつかみ、タクシーで中央署へ向かった。タクシーの運転手さんがいかにも広島弁って感じで、路上駐車した場所がよくレッカー移動されていることを教えてくれた。いろいろ手続きをして、やっと愛車ファンカーゴの元へ戻れたのは1時間以上経ってからだった。その足でそのまま次の目的地、福岡へ向かった。この旅行の目的は九州、なかでも別府の温泉が目的である。広島でレッカー移動という災難を受けつつも広島をあとにし、福岡へ。福岡では、ホテルでボーリングのタダ券をもらったのでボーリングをして、夕飯はすし屋で「ひらめ」を食べた。この「ひらめ」もホテルのプランの一部である。夕飯を食い終わると、Kは部屋でゲーム。私は博多駅へ行ってみた。けっこう活気のある街だった。九州新幹線ができたからか、「つばめ口」という乗り場まであった。家電量販店にも行った。人で賑わっていた。500mlのペットボトルを買ったぐらいですぐにホテルに戻った。九州一の街だけはあると思った。
3日目、ホテルをチェックアウトすると、Kの希望とせっかく福岡まで来たのだからと福岡ドームへ行った。ただ、朝なので野球をやっているわけでもなく、本当に観光に来ただけなので、私は車の中で待ち、Kはカメラ片手に降りていった。私の場合、外見が見れたのでそれで満足したからである。しばらくして、Kが戻ってくると、彼も満足したようであった。その後は、再び、高速の旅である。次の目的地は長崎。ちゃんぽんとカステラ目指してレッツゴーである。広島に続いて、2度目の平和記念公園アンド原爆資料館である。(2度目と言っても世界に2箇所だけのような気が‥‥)広島の方が生々しい感じがした。長崎は石畳のちょっとおしゃれな街だったが、路面電車が走っており、車で走るにはとても走りにくい街だった。ホテルに着くと、スペイン坂やグラバー園まで歩いて行った。斜めのエレベーター(珍しい)を上まで行くともう一つ、普通のエレベーターがあって、その上にグラバー園があったが、金かかるアンド、夕暮れ時で時間があまりないということで、入口まで来ておきながら、引き返していった。ホテルに戻り、一段落すると、夕飯食べに長崎の中華街に行った。ここで、名物ちゃんぽんを食べた。おいしかった。後で旅行ガイドに載っている店だとわかった。おいしいはずだ。そして、ホテルでKのゲームを見ながら、長崎の夜は更けていった。
翌朝、長崎の街は濡れていた。昨日の雨と小雨の影響だ。小雨の中、オランダ商館まで行き、Kは写真を撮っていた。オランダ坂でも写真を撮り、愛車で別府を目指した。またまた、高速の旅である。意外と早く別府に着き、ホテルで温泉につかった。久しぶりの広い風呂、しかも温泉。気持ちよかった。風呂から出ると、Kは部屋でゲームをしていたが、私は別府駅の周辺を見て回った。博多駅に行ったときと同じパターンである。大都市とは違い、大きなビルやデパート、近代的なデザインの建物等はなく、いかにも温泉街、ちっちゃな町の都市部って感じで、ちょっと大きめのスーパーや昔懐かしの商店街がメインとなっていた。ホテルに戻ると、Kはまだ、ゲームをやっていた。ゲームをやってると私は見てることしかできないので飯を誘って、風呂にも入って、寝た。決して私がゲームをしないのではなく、彼の持ってきたゲームソフトが私に合わなかっただけである。ただ、Kがゲームをやっているとき、私は見てることが多いのは事実である。
今回の旅行も残すこと2日間となってしまった5日目、大分で「地獄めぐり」をしてきた。青色や赤色の池、動物園のようなところや、泥から泡が出ているようなところ、温泉の吹き上げてくるところ、ワニがいるところ、いろいろあった。お土産も売っていたが、何も買わなかった。午前中に終わってしまったので、ホテルに駐車場だけ利用させてもらい、駅周辺で飯を食った。そして、この旅行最後の楽しみ、フェリーに乗るため、別府港に向かった。フェリーに乗せる車を置く場所に行くと、名古屋ナンバーを発見(私は三河ナンバーですが)。遠く九州の別府で地元のナンバーを見ると、なぜか、安心した。しばらくして、名古屋ナンバーのおっちゃんが私の車の横に来て、話し掛けてきた。最初は愛知のどこから来たかという話から始まり、仕事の話へ、「あんな会社やめてやったわ!!」おっちゃんはN鉄道(通称:M鉄)(以下おっちゃんをM鉄のおっちゃんと言う)をやめたという話だった。いろいろあったらしい。乗船した部屋にはM鉄のおっちゃんと車置き場でM鉄のおっちゃんと話していた夫婦A。乗船手続きの際に見かけた、Kが気になっていた女の子を含む家族(Kの彼女に感じが似ているけど)。あとは、母娘Bが一組と、もう一組の夫婦C。男子学生一人。昼間から飲んでるいかにもあっち系の男二人だった。あっち系の男二人、HとAはM鉄のおっちゃん、夫婦Aの夫と四人で大声で話しながら、ちっちゃな宴会を始めてしまった。夫婦Cと母娘を含む勢いだった。
私が部屋を離れているときに夫婦Aの夫と会って、彼は宴会がうるさいかどうか聞いてきた。私はかまわなかったが、部屋には他に人もいたし、彼の提案もあって別の部屋で宴会をやってもらう事になった。部屋は平和になった。寝始める人、テレビを見る人、それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。夕食も船内で済まして、風呂も船内で済ませた。大分港では修学旅行生が乗ってきていた、おそらくそのおかげで2等船室しか空いてなかったのだろう。船内アナウンスでHの呼び出しが数回あった。その後、船内をぶらついてるとHを発見。Hはソファで寝ていた。Kにも報告し、KもHを見てきたらしい。そのときは、それだけだった。夜、そろそろ寝ようかという頃にAがぐたぐたに酔って戻ってきた。母娘Bの母が、Aをなんとか布団に寝かしたが、Aは消灯しているにもかかわらず、大声で(たぶん夢の中で)取り立てをしていた。それに負けじと母娘Bの娘はイヤホンで「浜崎あゆみ」を大音量でかけて
何の曲かわかってしまうぐらいだった。そんなことお構いなしに、私は眠りについた。
卒業旅行最終日、結局、Hは夜に部屋に戻らず、朝、戻ってきた。朝早くに神戸港に寄港。実家と大学の帰省にフェリーを利用していた男子学生と夫婦AとC、Kの気になる娘を含む家族はここで降りた。朝は母娘Bの母がNHKの連続TV小説を見たいと言い出したぐらいで何事もなく、過ぎていった。ただ、Aとトイレで二人きりになった時は少し戸惑ったけれど‥‥。大阪南港で車ごと降りるときに、M鉄のおっちゃんに「プッ!」とクラクションで別れを告げ、帰路に着いた。今までの人生の大半を占める学生生活16年(小、中、高、大)にピリオドを打ったのが、この旅行で、最後にM鉄のおっちゃんを始め、人生の先輩に少しためになる話(部屋での会話から:省略してます)が聞けてよかった。
今は、社会人として働いている。今まで、支えてくれた沢山の人のためにも、これから、頑張っていきたい。