この新興住宅地が完成したのは一年前だった。

五年間という、決して長くない期間で施行され、実際に計画どおりに街が出来上がった。

その技量もさることながら、地元住民を尊重した街づくりに、世論はこぞって賞賛を上げた。

そんなわけで、男の家も昔からの状態で今も健在だし、他にも少ないながら数件同じような家があった。

新興住宅地に住む新たな街人ともそれなりに親交はあるが、

やはり男としては、昔からのなじみの人々に同郷の想いを感じていた。

しかし、時代は流れる。

新鮮な刺激をもたらす街の人々に感化され、家を建て直そうと考える人も少なくない。

そしてついに、一軒目の再築戸が現れた――。







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或る男の話・・・                        〜其の弐〜

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2016年の初夏、時候の挨拶を兼ね、家を立て直す予定のあることを告げる手紙が男に届いた。

男はたいそう驚いた。

何か、哀しい思いが胸のうちに起こるのを男は感じていた。

しかし、「めでたいことだ。」と思い直し、出来たばかりの春キャベツを段ボール箱に入れて持ち、其の家へと向かった。

今日も天気はよかった。

じわじわと夏の熱気が増しているようにも思われたが、まだ爽やかな風が吹いていた。

初夏というのは男にとって一番過ごしやすい季節だった。

朝は涼しい風が吹き、昼は木陰が心地良い。

夕方は頃よい頃まで明るく、夜は星が綺麗だ。

男は高貴な風流をたしなむほどの性惰は持ち合わせていなかったが、

自然に対して対等に付き合うことを知っていた。

現代人にはない、もはやそれは特技といってもよかった。

そして男はそれを誇りに思っていた。

自分が自然と対等に居られることを、ではない。

自分が自然の傍で暮らせることを、心底ありがたく思っていたのだ。

時雨れる蝉の声を聞きながら、男はアスファルトをのんびりと歩いていた。

午前10:00ごろだから、人通りもなかった。

見通しのよい一本道を右へ左へ視線を移し、景色を楽しんでいった。





男がふと止まったのは、目指す家まであと200メートルあたりのところだった。

そこは新興住宅地が密集しているところで、規則正しく整備された道が、かえって行く人を混乱させる場所だった。

前方に白い人影が見える。

よーく男が目を凝らすと、それは男よりも5,6歳ほど若く見える女性だった。

全体を白を基調とした清楚な服装でまとめ、しかし右手には大きめの、およそ似つかわしくないビジネスケースを持ち、

左手には一枚の紙を持っていた。

再び男は歩き出した。

一歩一歩近づくほどに、表情が見えてくる。

身長は男よりも10センチほど低いようだった。

美人ではないかもしれないが、かわいらしい目鼻立ちをしていた。

なにやら困った表情をしている。

あと10メートルほどの地点で、女性は男に気がついた。

軽くお辞儀されて慌てて男も頭を下げる。

「あの、ここのあたりに住んでいらっしゃる方ですか?」

澄んだ声だった。

半ば予期していた言葉だったが、それでも男はいくぶん表情をかたくし、

「ええ、そうです。」

と答えた。

ぱっと女性の表情が明るくなり、弾んだ声で男に聞いた。

「あの、ここの住所わかりますか?道に迷ってしまって・・・。」

差し出された紙を男はぎこちなく受け取り、目を走らせる。

ほっとしたように男は答えた。

「ええ、知ってます。場所は・・・。」

と言いかけ、男は困ってしまった。

本来、口下手な男は人に説明するということが極端に苦手だった。

おまけに、初めて会う人。

男は思案した後、恐る恐るひとつの提案をした。

「これからいくところなんですが、その・・・。」

少し驚いた様子で女性が後を引き継いで言う。

「じゃあ、同行してもかまいませんか?」

必死でなんといえば良いのか考えていた男は、女性が先回りして言ってくれたことに感謝しながら、首を縦に振った。

「ええ、どうぞ。」

そうして、2人の男女が並んで歩くことになった。

歩き出して男は重大なことに気付いた。

異常に緊張していく自分がわかるのである。

これは相手が女性だから、ではなく単純に人と行動を共にするのが苦手なためだった。

『どうしよう・・・。』

見る見るうちに男の顔が赤くなっていく。

それに気付いた女性が、心配の色で声をかけた。

「あの・・・大丈夫ですか?」

男はうろたえて大げさに手を振った。

「ええ、だ、大丈夫です。」

しかし、やはり男は気が動転していた。

勢いよく手を振って否定したのはまずかった。

両手に持っていた春キャベツ入りの段ボール箱がドサリ、と地に落ちる。

ゆっくりと倒れ、中から数個の球体が飛び出す。

いっそう男は赤面し、

「すみません、すみません。」

といいながら、必死に転がるキャベツを追いかける。

あっけに取られた女性は、やがて手を口元にあて、笑いを抑えながら拾うのを手伝った。

「ホントにどうも・・・。」

全てのキャベツを段ボール箱の中に入れ、両手に力をこめて頭を下げた。

「いえいえ。」

そう言いながら、女性が笑いをこらえているのが見て取れる。

とりあえず男は女性から視線を外した。と――

「あ、これです。」

案内しておきながら、男は驚いて目の前の家を指差した。

キャベツを追いかけるうち、いつのまにか家に着いていたらしい。

「どうも、ありがとう。」

女性の口調はくだけた感じになっていた。

先ほどの一幕で、男に親しみを覚えたらしい。

もちろん、当の本人はそんなことにまるで気付かず、

「いえ、何のおかまいも出来ませんで・・・。」

と、緊張してとんちんかんな返事をしている。

玄関の前に着き、ベルをおそうとして、ふと男はあることに思い当たった。

「あの・・・もしかして、家を建て直すって言う・・・。」

なんといってよいか分からず、男がどもってしまうと、女性はまたも男の考えを先読みし、口を開く。

「はい、建築アドバイザーをやってます。・・でも、どうしてそれを?」

また男は考え考えしながら、この家の住人から葉書がきたこと、そのお祝いとしてキャベツを持ってきたことを説明した。

「そうだったんですか。」

女性はにっこりと笑い、再度御礼を述べた。

男も深くお辞儀を返し、目当ての家の住民にキャベツを渡して、早々に帰った。









その日は帰ってお昼のおにぎりを食べ、そのあと畑仕事に精を出した。

夕方、鍬を振るっていると、後ろから声をかけられる。

振り向くと、昼間の女性だった。

何事かと駆け寄ると、狼狽したように手を振る。

「ごめんなさい、邪魔しちゃったみたいで。」

申し訳なさそうに女性は謝りながら、もしかしたら昼間の人かも・・・と思って声をかけたのだ、と言った。

自分の早合点を男は照れたように笑って謝った。

「いつもここで?」

女性にそう聞かれ、慎重に言葉を選んで男は答えた。

「大体は・・・。土をいじるのが好きだから、別に必要がなくてもここに・・・・。」

女性はにこっと笑った。

「私もそう。だから建築の仕事はじめたんだけど、なかなか実際に土に触る機会がなくて・・・。」

それでも今の仕事は楽しい、とひとしきりしゃべって、はっと気がついたように顔を赤らめる。

「ごめんなさい、ひとりでしゃべって。」

男は慌てて首をちぎれんばかりに横に振りながら、否定した。

「そんなことはない・・・です。僕がしゃべるのが苦手だから・・うらやましいです。

 というより、人といるのが苦手で、自分でもよく分からないことしちゃったり・・・。」

「そうなの?」

そう言いながら、昼間の一件を思い出したらしく、女性はクックックっと鳩がなくように笑い声を立てた。

男が再度赤面したのは、言うまでもない。





それから女性は、週に一度くらいのペースで畑に現れた。

再築の相談を受けた帰りによっているのだ、と言っていた。

男もだいぶん、気を落ち着けて話せるようにはなっていったけれど、それでもやっぱり女性が帰ると疲れていた。

男は期待して待つほど楽しみではなかったが、それでもたまに思い出したように来る女性との会話は、

今まで味わったことのない感覚をもたらしてくれていた。

2、3度会った時、家の再築工事が始まり、それにつれて女性が訪れるペースも、

徐々に遠のいていった。

男はあいかわらず、畑仕事に精を出していた。





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