男は歩いた。
早足で。
迷いがないわけじゃない。
「でも、行くしかないんだ!」
まるで自分に言い聞かせるようにそう呟くと、ひたすら歩いた。
ただ、前だけ見つめて。
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或る男の話・・・ 〜其の六〜
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茶色のレンガ調の壁。
黒いドア。
大きな天窓。
その家は、新しくなった外装を誇らしげに青空の下、立っていた。
二階のベランダから吊られている2本の万国旗。
10人ほどの人が楽しげに話している。
「いやぁ、なかなかシックでいいじゃないですか。」
「ありがとうございます。」
「やっぱり、新築はいいねえ。私も立て直そうかなぁ。」
「それもいいかもしれませんね。」
人の集まりの中央に立っている女性。
次々とあびせられる賞賛と質問に、にこやかに答えている。
その姿を確認した時、男の胸は高鳴った。
声をかけたい。
話したいことが、たくさんある。
そう思いつつも、そこへ行くことはできなかった。
簡単なことなのに。
「やぁ。」と軽く手を上げ、笑って挨拶をすればいいだけなのに。
『でも、気付かれないで、行ってしまったら・・・。それどころか・・・人がこんなにいるところで迷惑・・・。』
男はうつむき、唇をかんだ。
女性との、二十メートルほどの距離。
どうしようもない、無力感。
来た時の足取りは、何処にも感じられなかった。
「じゃあ、そろそろ中へ・・・。」
その声に、男はハッと顔を上げる。
外観を見終えた客たちが、次々に家の中へと入ってゆく。
客が全員入り終わった後、女性が最後に入ってゆこうとする。
思わず男は叫んだ。
「あの・・・!」
女性が振り向く。
男の姿を目にした瞬間、笑顔がこぼれる。
「あ、こんにちは!・・・そっか、キャベツを持って来てくれてたから、よばれるのは当然だよね。」
昨日と変わらない笑顔。
男の中で、何かが弾けた。
まるでもやが一気に晴れていくような感覚。
男は今まで悩んでいたことに、おぼろげながら答えが出たような気がした。
立ち尽くす男を見て不思議そうに女性は尋ねる。
「どうしたの?入んないの?お祝い、始まるよ。」
男は微笑んだ。
「振り向いてくれて、ありがとう。」
「え?」
女性は何のことか分からず、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で男を見つめる。
もう1度、男は繰り返して言った。
「ありがとう。・・・今まで踏み出せなかった一歩が・・・踏み出せたような気がする。
・・・そう、俺の意志の問題だったんだ。」
穏やかな声だった。
ますますわけのわからないといった顔で、女性が聞く。
「・・・どういうこと?」
わずかに男の笑顔がその種類を変える。
「なんでもない。その・・・『この度は、改築おめでとうございます』、と伝えてくれないか。
それだけでいい。」
苦笑まじりの言葉だった。
女性が驚いたような表情で聞き返す。
「せっかく来たのに、会っていかないの?」
「うん。・・・・それに、手ぶらだし。」
新築祝いのために来たんじゃないし、と男は心の中で付け加えた。
「それじゃ。」
まだ腑に落ちない様子の女性に手を振り、男はきびすを返して去っていく。
その足取りは、来た時よりもずっと重みのあるものだった。
しっかりと大地を踏み、正面を見据えて、男は歩いてゆく。
まるで、見えない未来を捉えようとするかのように。
数日後、男と女性は再会する。
あの畑で。
まるで、あの日のように。
そして、男は口を開く。
これからのことを・・・・・・。