今日も良い天気。
爽快に晴れ渡る空。
もちろん、雲ひとつない。
男は大きく伸びをした。
「ふう・・・・、今日も、いい天気だ。」
時刻は午前10:00。
すでに気温は30度近いのか、汗ばむほどの暑さだ。
この時間に男が外にいるのは、いつものとおり。
けれど・・・、場所は、いつもと違った。
ここは、畑の横の道。
焼け付いたアスファルトの上。
そして、男の傍には大きな旅行用トランクケース。
男は腕を目の前にかざす。
手首には、今日のために買った腕時計。
「もうそろそろなんだけど、遅いな・・・。」
そう呟き、周囲を見まわした後、脇の畑に目をやる。
つい一週間前までは緑に覆われていた畑は、乾いた褐色の地をさらしていた。
緑は端に数本の木を残すのみ。
「やっぱり、全部抜いちゃうのは、惜しかったかな・・・?」
今更とは分かっていつつも、そう考えてしまう。
しばし男が畑を見て思案していた、その時。
「おはよ〜、ちょっと遅かった?」
後ろからの声。
振り向くと、男の待ち人が立っていた。
「ごめんね、寝坊しちゃって。」
軽くおどけたように舌を出すその仕草に、男は思わず苦笑する。
「ん、別にいいよ。わざわざ来てもらったんだし。電車に遅れなければ、ね。」
その言葉に、女性は慌てて時計に目をやる。
時間を確認すると、ほっとしたような表情で、「大丈夫!」と、笑った。
ふと男は、初めてこの女性と会ったときのことを、思い出す。
『あの時から・・・・、僕の人生がかわったのかな・・・・?』
急に黙り込んだ男を見て、不思議そうに女性が尋ねる。
「どうしたの?気分、悪い?」
男は笑顔に戻り、
「なんでもない。・・・行こうか。」
と、トランクケースを手に持つ。
「よし、Let’s go!」
時々女性は会話に英語を入れる。
そういえば、『留学したことがある』と女性が以前言っていたのを、男は思い出した。
とにかく、元気よく女性が言ったその言葉で、二人は歩き出した。
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或る男の話・・・ 〜其の七〜
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「そういえば・・・」
思い出したように女性が男に聞く。
まだ歩き出して数分。
「さっき畑見てビックリしたんだけど・・・・、野菜全部なくなってたね。
これのために抜いちゃったの?」
「うん、世話できないからね。・・・でも、捨てたわけじゃなくて、委員会の人に引き取ってもらって、
別の畑で育てられてる。」
その言葉に、女性は笑顔になる。
「そっか。良かった。刈り取られたんじゃなくて。」
「さすがにそれは出来ないよ。自分で育ててる野菜達だから。」
いささか憮然とした表情で男はそう言った。
あの日以来、男は自分の感情を表に出すようになってきていた。
以前なら、考えられなかったことだ。
「わかってるよ。あなたがそんなこと、出来るはずないもんね。」
女性はそう弁解した。
その後、しばらく無言で歩く。
しかし、それは心地良い沈黙だった。
男も女性も、楽しそうな表情だった。
駅に着いた。
どうやら、もう少し時間があるらしい。
女性もプラットホームに上がる。
「ごめん。ここまで来てもらって。」
すまなさそうに男が言うと、女性は軽く手を振って「気にしない、気にしない。」と微笑んだ。
「それにしても、そのカバン大きいねぇ。一週間ごとに帰ってくるんでしょう?」
「うん、そうだけど。少なくとも半年は向こうで生活することになるからね。
まとめて生活用品を持っていこうとしたら、こんなになって・・・。」
苦笑いを浮かべて男がそう説明すると、「大変だねぇ。」と、女性がため息をつく。
「・・ねぇ、やっぱり、あそこのほうが良かったんじゃない?
今までみたいに、のんびりやってた方が・・・・。」
いいにくそうに女性はそう言い、じっと男をうかがう。
男は答えない。
向かい側のプラットホームを見つめている。
その目は鋭く、女性はそれ以上何か言うのをはばかられた。
沈黙。
さっきとは違う、気重い沈黙。
男は行き交う人々を見ている。
女性は、男を見つめている。
さんさんと照りつける太陽は、プラットホームの屋根を焦がす。
更に暑さが増したようだった。
不意に、男が口を開いた。
「僕は・・・・、昔から電車が好きだった。」
まったく予期しないその言葉に、女性は訝しげに男を見つめる。
かまわず、男は続ける。
「乗るんじゃなくて、走ってる電車を畑から見るのが好きだった。
理由は、よく分からなくて・・・・、でもいっつも手を止めて数秒間、通り過ぎるまで見てたんだ。」
男が女性のほうを見る。
視線がぶつかる。
「だから、もしかしたら、僕は前からどこかに行きたかったのかもしれない。
僕は「ここが一番いいんだ。」って思ってたけど、本当はそう思い込んでただけかもしれない。
・・・もちろん、全然自信はないけど・・・・。でも、今は・・・・。」
男は言葉を止め、空を見上げる。
屋根の向こうにある空は、何処までも高く、澄んでいた。
男は女性のほうに向き直り、言葉を続けた。
「今は・・・電車に乗ること、緊張もあるけど、すごく、楽しみなんだ。」
男は笑顔だった。
一陣の風が、プラットホームを吹きぬけた。
男の表情はとても穏やかで、曇りのない眼をしていた。
その表情を見て、女性も微笑む。
「そっか。じゃ、私が言うことなんて、何にもないよ。」
女性はポンっと男の背中を叩く。
そのとき、構内アナウンスが響いた。
<三番ホームに、福岡行き特急が到着します。白線の内側まで、お下がりください・・・・。>
「来たみたいだね。」
「うん。」
男は置いていたトランクケースを手にする。
白線の手前まで歩き、女性を見る。
わずかに照れたように頭をかく男に、女性は不思議そうに聞く。
「どうしたの?」
「その・・・・」
しきりにあたりを見回した後、急に真面目な顔つきになる男。
「本当に、ここまでありがとう。いろいろ助かった。
その・・・君がいなかったら、『農業指導者』になろうなんて、思えなかった。
感謝してる。・・・自信ないけど、何とかやってみるよ。」
ゆっくりといったその言葉に、思わず女性は口元に手をやる。
照れたときによくする仕草。
それと同時に、女性はこみ上げるうれしさをこらえられないようだった。
電車が迫ってくる。
女性は、軽く頭を下げる。
慌てて男も一礼。
「なんか、懐かしいなあ。初めて会った時もやったね、こんなこと。」
苦笑して男が言った。
ようやく気持ちが落ち着いたのか、女性は手を下ろした。
一つ大きく深呼吸し、男の目の前に手をかざす。
「なに?」
不思議そうに男が聞く。
女性は答えず、かざした手を握り、人差し指を立てた。
「ひとつだけ!・・・・アドバイス。――この前、私に聞いたじゃない?
『他人が自分に笑顔になることを求めたらどうするか?』って。
私、思うんだけど・・・・。」
電車が着く。
女性は手を下ろし、にっこりと笑って言った。
「人が自分に笑顔を求めてる、って分かるあなたは、きっとちゃんと人と向き合えるよ。
Don’t worry!あなたはうまくやっていける!」
男は呆然とした。
思わずトランクを握っていた手を離してしまう。
はでな音をたてて倒れるトランクを、慌てて二人で起こす。
「これも、前にやったよね?」
悪戯っぽく女性が言った言葉に、思わず男は赤面する。
<三番ホームより、福岡行き特急が発車します。ご注意ください・・・・。>
慌てて女性が「早く!」と言う言葉にせかされ、男は電車へと飛び乗る。
「あのっ・・・・!」
閉まろうとする扉に向かって、女性は言った。
「こちらこそ・・――!」
無情にも、女性の語尾は扉にさえぎられる。
しかし男は微笑んで女性に手を振る。
ゆっくりと、電車が動き出す。
離れてゆく女性の姿。
電車は急激にスピードを上げてゆく。
あっという間に電車は男の故郷の景色を流しながら、走ってゆく。
男は扉に持たれ、うれしそうに女性の最後の言葉を、女性に言うように繰り返し呟いていた。
男の前途には、雲ひとつない青空が広がっていた。