第4話 動き出す歯車

 

                                                    present by ちひろ


 

 その暗い海を見つめながら、ボクは、しばし自失呆然となっていた。

自分が何者なのか、それを探す方法がまったく思いつかなかったのだ。

「ボクはいったい・・・」

このまちから忘れ去られた廃屋のように、ボクの昨日までの記憶も、ふたたび表に出ることはないのだろうか。

窓の外は、ボクの都合とはお構いなしに、その様態を刻一刻と変化させている。

ここに忘れ去られた、ボク一人をおきざりにして。

トゥルルルルルル!

突然の携帯の電子音に、ハッと我に返る。

静まり返ったこの部屋に、無遠慮に響き渡るこの音が、ボクの神経を逆なでする。

受け取るべきか・・・いや待て。

もし受け取ったとして、今のこの状況で、どう受け答えするのか?

電話の相手は?

ボクの友人?

恋人?

それとも両親?

どちらにしても、まともにコミュニケーションが取れるわけがない。

だが、取らなければ、この状況は永遠に終わりそうもないとも思えた。

ボクは、考えた。

今のボクにとっての最優先事項は何だと。

それは、自分の名前、自分の職業、自分の生年月日、そして、自分の生まれ故郷。

この電話の向こうに、その答えがあるような気がした。

「はっ、はい。もしもし・・・」

まるで、未知との遭遇のように、ボクは、ボクを知っているであろう電話の相手に話し掛けた。

声が、震えていた。

心臓の鼓動が、ピークに達していた。

が、ボクの期待と不安をよそに、携帯の向こうからは、一向に返事が返ってこない。

次第に、焦りと苛立ちが体中を支配してきた。

「もしもし?・・・・・・・・・教えてくれ!ボクは誰なんだ!」

「・・・・・・・・・知りたい?」

若い女性の声だった。

「あっ、あぁ、たのむ!自分が知りたいんだ!不安で不安でしょうがないんだよ。自分が何者なのか、それを特定するものが何一つないんだ!」

すがるような声で、ボクは携帯の向こうに訴えた。

「・・・・・・・・・」

「おいっ、なに黙ってんだよ!切らないでくれよ、キミが唯一の頼みの綱なんだ!」

「・・・・・・・・・」

「何とか言えよ!」

「・・・・・・明日、ひとりの人物が尋ねてくるわ。」

「アス・・・・・・?なんだ、どういう事だ!?。」

プツンッ!

「おいっ!こらっ!ふざけんな!」

行き場のない怒りを携帯に込め、それごと床に叩きつけた。

ボクは落ち着かず、狭い部屋の中を頭を掻きむしりながら、せわしく右往左往する。

混乱するこの現状を、自ら体現するように。

「・・・・・・・・・明日、あのドアをたたくヤツがいる・・・」

言いながら、そのドアのノブを凝視する。

不気味に光を反射している。

なぜか、そこだけ真新しい。

あらためて、確認してみる。

「どうなってんだ・・・コレ。」

ここで、ボクは気づいた。

「外側からカギがかかってる。」

ガチャガチャとノブを回すボクの力に激しく抵抗するかのように、ドアが、頑なまでに立ちはだかる。

あくまで、ボクを外に出さないつもりだろう。

しかし、考えればおかしな構造だった。

こちら側に、カギを解除するものが一切見当たらなかった、何一つ。

ふつうではなかった。

昨日の夜から今日の朝にかけて、何者かが取り替えたとみるべきだろう。

なんのために?

なにが目的で?

だが、そんなボクの思考を停止させる体の異変が起こった。

「ハラ減ったなぁ・・・」

部屋を見渡した。

窓際のベッド、その脇の自分の腰ぐらいの高さの本だな、そして、部屋の隅に配置してある、小さな黒塗りのカジュアルテーブル。

テーブルの上には、雑誌に、食いかけのピザや飲料水等が散らかっていた。

とりあえず、胃を満足させるために、それらを口に放り込む。

次第に満たされて行く満腹感に、ふと、昨日の夢であったであろう光景を思い出す。

「なんだったんだろう・・・アレ。」

そう呟いた。

遠くで、汽笛の音が響いている。

窓を眺めれば、今にでも後ろから自分を呼ぶ声が聞こえてきそうだった。

アナタ!

パパ!

ボクを形容する呼び名。

振り返れば、きれいな奥さんに、かわいい子供。

食卓を囲んでのあたたかなひととき・・・

なにか、ひどく懐かしい、それでいてせつない思いが胸にこみ上げてきた。

だが、それも長くは続かなかった。

最後の一切れのピザの冷たさを口にしたとき、急に現実に引き戻された。

先ほど投げつけた携帯が、床にさびしくころがっていた。

「さてと・・・」

とは言ったものの、カギのかかったこの部屋から出られるはずもなく、ましてや、4階ほどの高さのある窓から飛び降りる気にもなれなかった。

ボクには、もうすることがなかった。

唯一あるとすれば、明日まで寝ることだ。

何が起こるのか・・・・・・まぁ、そのための休眠だと思えば、体内時計も誤魔化せるだろう。

明日になれば、ボクを救ってくれるであろう人物があのドアをノックする。

すでに、その人物が救い主であると決め付けてしまっている自分。

もはや、疑問も感じなかった。

ベッドに横たわりながら、ボクは、深く息を吸い込んだ。

遠くで、汽笛の音が響いている。

ウトウトとする中で、その日最後に耳にしたであろう音が聞こえた。

 

 

つづく


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