「この絵は、ワシが生まれる前からそこに飾っておった。」
「生まれる前?」
ナミエとボクが、同時に問いただす。
「そう・・・生まれる前。」
老人の瞳は、店の奥を向いていた。
見えているのかも定かではない、その小さなまなこをさらに細めて。
止まっていた時間の針が、逆に回り始めた・・・・・・
第9話 老人と少女(前編)
present by ちひろ
「どういうこと?おじいさん。」
ナミエが、その絵を見つめる老人に不安げに話かけた。
その声に、”ど〜れ”といった感じで話し始める店主。
息を殺して、固唾をのんで見守るボクら。
シンと空気が張ったように、静まりかえる店内。
時計の針の音が、やけにうるさかった。
「さて、少し昔話をしようか・・・・・・」
そう言って、おもむろに、自分のよれよれのシャツの胸ポケットから、黒ぶちのメガネを取り出す店主。
それに、はぁ〜とヤニくさい息を吹きかけながら、オレンジのメガネ拭きでレンズの表面を磨き始める。
ボクらは、黙ってその行為を見詰めていた。
左右、うら、おもてとまんべんなく、そのオレンジの布をこすり付けて、綺麗に手入れをするシワくちゃの手。
時折、思い出したかのように宙を仰ぎ、また、メガネに息を吹きかけて、拭き掃除を始める老輩。
まえと同じ箇所を念入りに撫で回している。
傍観者のボクらとしては、先ほどの言動とこの目の前で繰り広げられている行為が、一体全体どういう関係にあるのか、まったくといっていいほど見当がつかないでいた。
ひょっとして、ボケ?といえなくもないこの行動に、いささか不安をおぼえるボクら。
そんな、ちょうど4回目のメガネ拭きに入ったところであろうか、このエンドレスな行為に耐えきれなくなったナミエが、口をはさむ。
「おじいさん、クルミまだぁ?」
「・・・・・・あ、そうだったね、あいよ!」
ナミエの注文の催促に、急に我を取り戻した老人が立ちあがる。
そして、そそくさとカウンターへと入ってき、手早く調理に取りかかる。
それを見たナミエが、あきれた顔でつぶやく。
「だめだこりゃ。」
「なぁ、かえで、次の授業なんだっけ?」
わざとらしく、後ろの席に話し掛けるボク。
それを、視線を逸らして”まだ私は、アンタを許してないからね!”と暗黙のうちに伝える彼女。
子供のように、ぷ〜と頬を膨らましている。
それを見て、思わずククッと笑いそうになるが、なんとか堪える。
昨日の事を怒っている雰囲気ではなかったが、なにかしら、ボクに許してやれる口実をつくってほしがっている様だった。
ひじょうに簡単に思える事が、なかなか思い浮かばなくて頭をかくしかないボク。
「な、なぁ悪かったよ。昨日はどうかしてたんだ。」
あくまでも、無言の彼女。
その後ろの席のナミエが、ニヤニヤしながらボクたちのやりとりを見物していた。
「ホント、ごめん!」
「・・・・・・」
「このとおり!」
「・・・・・・」
「この埋め合わせは、いつか必ずするからさぁ。」
「・・・・・・」
「モチと言わずに、かえでの好きなものなんでもいいよ!」
その言葉を”マッテました!”とばかりに、とたんに動き出す口元。
「じゃあ、”ろじーな”の”タルトレットフレーズ”ねっ!」
先ほどまでの膨れっ面はどこへ行ったのか?
そう思わせる満面の笑みが、そこにはあった。
でもうれしくて、ボクも顔がほころぶ。
「ろじ〜な?ろじ〜なって、あの高いので有名なケーキ屋?」
「なんでもいいよって言ったでしょ!」
「おいくらでしょうか?」
「1500円、もちろん税別だよ!」
「一桁間違ってない?」
「なんなら、ストロベリープリンセスでもいいよ。」
「それは・・・」
「1850円。」
「タルトなんたらでいいや。」
「タルトレットフレーズ!」
「じゃあ、アタシはマロンシャリティ。」
ナミエが、ボクらの会話にスルリと入ってくる。
違和感のないそのタイミングの絶妙さに、彼女のセンスを感じる。
「あのねぇ〜。」
どうしてそうなるのとばかりに、ボクがナミエを呆れ顔で覗く。
ワンテンポ遅れて、かえでが口をひらく。
「あ〜、それもあったか!」
かえでがポンと手の平をたたき、ボクに対する注文の品にマッタをかける。
それを見たナミエが、かえでに何やら耳打ちをする。
視線はあくまでも、ボクに向けて。
悪知恵を授けているのだろか、目が笑っていた。
ナイショ話が終わったところで、ふたりがニヒヒッと含み笑いをする。
「というわけでぇ〜・・・」
ボクをイタズラまなこで見るナミエ。
何やら、自分のカバンをごそごそやりはじめるかえで。
「次の授業、物理だったわね。」
ナミエの一言。
「は?」
話が飛びすぎて、彼女が何を言わんとしているのかすぐには理解できなかった。
間を空けずに、かえでが”ハイッ!”という感じで、エチケットブラシを差し出す。
よく訳がわからずに、それを受け取るボク。
「物理の佐川センセイは、身だしなみにうるさい人だからねぇ〜。」
フフンと鼻を鳴らして意味ありげに喋るナミエ。
「とにかく、自分のツラ見てみ〜。」
かえでのボクへの催促。
とりあえず、彼女らの要望に答えるボク。
鏡に映った自分の顔をマジマジと覗く。
別に、これといって変わった箇所は見当たらなかった。
だが、間髪入れずに出たかえでのその言葉に、思わずボクは赤面する。
「鼻毛出てるよ。」
つづくナミエの発言が、より一層顔を赤く染める。
「ダッセ〜!」
ケラケラと笑う彼女らを、ボクは余計なお世話とばかりに睨む。
「はやくトイレ行ってきな。まだ、時間あるんだし。」
「そうそう。鼻毛で注意された日なんか、クラスのいい笑い者になるよ。」
「そこから、アンタの人生が狂って・・・・・・」
「そして、私のためにケーキ屋さんになるの!」
「かえで・・・全然はなし繋がってないよ。」
「だって、ろじーなよ、ろじーな!あぁ〜、愛しのストロベリープリンセスさまぁ〜。」
かえでのバックにお星様がキラキラと輝いていた。
ボクとナミエが顔を見合す。
そして、同時に吐いた言葉。
「だめだこりゃ。」