第10話 老人と少女(後編)
present by ちひろ
「うまく切れないなぁ〜、時間ないのに。」
トイレの鏡の前に立ったボクは、自分の鼻の穴と対決していた。
相手は、思ったよりも手ごわかった。
「鼻が赤くなってるよ。」
これじゃあ、カッコ悪くてかえでに顔会わせられないよと思いながらも、手に持つ鼻毛きりは、休みなく動かしていた。
傍から見ると、えらく間抜けな作業のことに思えるが、限りある休み時間との関係から、目だけは真剣だった。
正直、あせっていた。
こういうときに限って、くだらない事が頭をよぎる。
「そういえば、鼻毛を抜くときの痛みって、たしか、1ハナゲだったよなぁ。」
これは、科学的事実としてはもちろん何の根拠もない事だが、なぜか、試してみたくなる衝動に駆られた。
だから、試しに一本だけ引っ張ってみることにした。
「かなり痛そうだな・・・・・・」
意を決して、指を思いっきり下におろした。
「!!!!!!!!」
声にならない痛み。
身をもって体験した1ハナゲのチカラ。
鼻から、タラリと垂れ落ちる赤い液体。
「やめときゃよかった。」
後悔先に立たず。
鼻血が止まらなかった。
「うわ、ティッシュ、ティッシュ!」
指で鼻を押さえながら、もう片方の手でポケットのなかをさがす。
案の定、自分の鼻毛に気づかない男に、そのような類のものが入っているはずもなかった。
「まいったなぁ・・・」
備え付けのトイレットペーパーで済まそうと思ったが、ツイてない時は、とことんツイてなかった。
「カミぐらい補充しとけよ。」
ポタポタと、滴り落ちる血。
白い便器を、真っ赤に染めていた。
このままここにいてもしかたがないので、不本意ではあるが、かえで達の所に戻る事にした。
彼女らの顔が思い浮かぶようだった。
「また、借りをつくっちゃうなぁ。今月は小遣いが厳しくなるよ。」
そう思いながら、トイレのドアを開ける。
不意に、何かにぶつかった。
下を見てみると、白い服を着た小さな女の子だった。
一瞬、何がなんだかわからなかった。
「ここって、高校だよね・・・」
思わず、そう口走っていた。
高校なのに、なんでこんな、まだ小学校にも入っていないような子供がいるのだと、首を傾げた。
そんなボクを、下からマジマジと覗く少女。
迷子になって、この学校に迷い込んだろうか。
「キミ、どうしたの?こんなところで。」
しゃがみながら、その子と目線を同じにして話し掛けるボク。
後ろで手を組み、首をかしげる少女。
再度、問いかける。
「迷子になったの?お名前は?」
ボクのその質問に、突然、笑い出す少女。
なにか、自分がおかしなことでも言ったのかと思う。
「なにか、面白かった?」
再三、話し掛けるが、まるで返事をする気配がない。
それどころか、この子の笑いはまったくおさまる様子がなかった。
それが何度も何度もこだまし、ボクの頭の中いっぱいに鳴り響く。
頭が割れるようだった。
少女の口をよく見てみると、ほとんど動いていないことに気づく。
「!!!」
口は開かずに、だが、たしかに目の前の少女が笑っている光景に奇怪さをおぼえた。
ドン!
背中に何か硬いものがぶつかった。
振り向くと、トイレのドアだった。
無意識のうちに少女からカラダを引いてしまっていたのだ。
ここで、ボクはある事に気づいた。
休み時間だというのに、辺りがやけに静かなことに。
廊下に生徒が、誰一人として見当たらないのだ。
人の気配がまったくしなかった。
何かまずい、そんな予感が恐怖と共に全身を駆け巡った。
”かえで、ナミエ、だれか助けて!!・・・・・・”
そんな怯えるボクをあざ笑うかのように、少女はスッと人差し指をボクに向ける。
目の前に突き出された白い指に、ボクは、全身を縛られた。
少女が口をひらく。
「お兄ちゃん、服真っ赤だよ。」
ぞっとした。
白いワイシャツが先ほどの血で、腹のあたりまで真っ赤に染まっていた。
上半身が、血ノリでベトベトだった。
かなりの量の血が流れ出たと思われた。
そのせいだろうか、手足に痺れを感じていた。
立ちあがろうにも、肢体がこわばったようにそれを拒否した。
全身に冷や汗をかきながら、壊れた操り人形のごとく必死にもがくボク。
それを見詰める少女。
が、突然、喋り出す。
「アタシも真っ赤々!キャハハハハハハハハ!」
甲高い声が廊下に響いた。
ビクつきながら、視線を少女の方に向ける。
目を疑った。
そこには、まじまじとこちらを見詰めた、血のように紅い服の少女が立っていた。
その少女の目に、ドンッと全身を釘付けにされる。
まるで血を吸ったかのようなその真っ赤な少女が、ボクにこう語りかける。
半ば意識のを失いかけているなかで、ボクは、それを子守唄のように聞いていた。
「迎えに来たよ、お兄ちゃん。」