第12話 フラッシュ・バック(前編)

 

                                                       present by ちひろ


 

「ここは・・・・・・」

見覚えのある空間、そう、ここは、あのふたり組に連れてこられた古びた餅屋。

だが今は、もち米の炊き上がる湯気などは一切ない、乾いた店内。

ボクの傍らには、無言の老人が立ち、自分と同じものを見つめている。

「おじいさん・・・・・・」

気持ちの整理がつかないまま、ボクは同じ時間を共にしているであろう老輩に呟きかけた。

この後に続く言葉など、無論考えているはずもない。

だた、ボク以外の存在を確認したかったのだ。

「どうした?」

重みのある声が、ボクの耳を伝って全身に響き、それが、先ほどまでの高ぶっていた感情を、幾分か和らげた。

僅かながら、気持ちに余裕が生まれた。

「なんか、話してよ。」

とにかく、なんでもいいから、話して欲しかった。

どんな些細な事でもいいから。

仕事の事。

家族の事。

自分の事・・・・・・。

しばしの間を置いて、その老人は、ボクの隣の席によっこらせと腰掛けた。

懐から、クシャクシャになったタバコの箱を取りだし、中を覗きこむ。

そして、だぶん最後であろう一本を口にくわえて、安っぽいライターでふかし始める。

ボクの視界を遮るように舞い上がる煙。

それに、ムセるボク。

「タバコは吸わんのか?」

「ええ、吸った事ないです・・・・・・と思います。」

「思います・・・・・・か。」

深く吸いこんだ煙を、大きなため息とともに吐き出し、束の間の沈黙を作り出す。

ふたりとも、依然、視線は壁に掛けてある、あの絵に向けられている。

その絵の中に、あの少女の姿はなかった。

少し、ホッとするボク。

しかし、あの少女はなんだったのだろうか?

あのギロリとした大きな目が、まだ脳裏に焼き付いて離れない。

あの時、あのカッっと見開いた目に、ボクは心底、怯えた。

そして、何かとても大切な事を、一瞬だけ思い出したような気がした。

でも・・・

「自分が・・・・・・わからないんです。」

そう、ボクは、自分が何者なのか分からない。

自分を特定する確たるものが、何一つない。

今のボクは、宙ぶらりんの状態だ、とてつもなく大きな暗闇に一人ポツンと置かれた・・・・・・

「なんだか怖いんです・・・・・・」

「なにを?」

「自分が・・・・・・あの少女が・・・・・・」

「少女・・・・・・それは、誰?」

「わからないんです・・・・・・でも、どこかで会ったことがあるような・・・・・・」

「思い出せないんじゃな。」

「そうなんです・・・・・・どうしても思い出せない・・・・・・でも・・・・・・」

「でも?」

「とても大切な事のような気がして・・・・・・うまく言えないけど・・・・・・」

「その少女がか?」

「かもしれません・・・・・・ボクは・・・」

「・・・・・・」

「ボクは、どうすれば・・・・・・」

秒針が、静かに時を刻み続けている。

ボクは、言葉を続ける事が出来なかった。

「あの絵を見てごらん・・・・・・」

今まで、聞き手側に徹していた老人が、一変して、やわらかい口調でボクに語りかけた。

「キミには、あの絵がどう見える?」

「どう見えるって・・・・・・」

何を今更と、ボクは思った。

「見たままを言ってごらん・・・・・・」

だが、その落ち着いた語り口に、ボクは逆らう事などできなかった。

だから、自分が見たままの、感じたままの事を率直に伝えた。

「そうか・・・・・・」

老人は静かに呟き、私はそれを無言で返した。

「私には、そうは見えない。」

「えっ?」

唐突なその老人の発言に、ボクは、しばし言葉を失った。

「キミのようには、あの絵は見えない・・・・・・」

続けて言うその言葉の真意を、ボクは掴むことが出来なかった。

「どういうことです?」

自分の疑問を、老輩に投げかける。

この店主は、ボクの知らない何かを知っている。

直感的に、そう思った。

「なぜなら・・・・・・」

真実を目の当たりにする希望と絶望、この両方が、今のボクの精神領域を支配していた。

老人の次に来る言葉次第で、それが絶望へと落とされるのか、希望へと繋がるのか。

まさに、運命のルーレットだ。

心地のいいものではない。

老人は、そんなボクの気持ちを悟ってか、やや間を置いてから口を開いてくれた。

「私は、キミが知らなくてはならないであろう真実を知っているからだ。」

「真実?」

「あの絵の本当の姿を・・・」

「本当の姿?」

「そう、あの絵の下に隠された真実を・・・」

「何が言いたいんです!」

「・・・・・・」

即答を求めるボクにとって、その老人の僅かな間が、ボクの神経をイラつかせる。

「何が見えるんです!」

テーブルを叩き、怒号を飛ばすボク。

「それは、キミ次第だ。」

「え?」

「ワシは、キミだ。」

ボク?

頭の中で、何度も何度も復唱する。

前にも聞いたような言葉・・・・・・

何処かで・・・・・・

自分のことをボクだと言う歳を経た目の前の人物が、さらに続ける。

「元々、ひとりじゃった・・・・・・」

「!?」

「忘れたのか?」

「まあ、無理もない。真実と直面する事を避けようとするキミ自身の気持ちが、ワシとキミを分離させ、こうやって隔てさせたのじゃからな。」

「一体、何を言ってるんです!」

「自分自身を守るために、真実を、自ら忘却のかなたへと追いやったのじゃ。」

次々に語られる老人の言葉が、ボクの心を翻弄する。

「もし、キミに真実を見極める勇気があるのなら、このワシの目を直視してみよ。」

なぜか、無意識に老人と目線を逸らす。

「これが、最後のチャンスと思うがよい。真実を背負わされたワシは、既にこの通りの老体じゃ・・・・・・残されている時間が少ない。」

暫くの間、ボクは無言になった。

ボク自身が分離させた?

ボク自身を守るために?

ボク自身が真実を背負わせた?

あらゆる疑問が、後から後から涌き出てくる。

だが、この老人の言うことがもし本当なら、ボクはこの出口の見えない迷宮から抜け出せる。

もう、自問自答するこの行為からも解放される。

そう考えると、その老人の言葉が急に甘みをおびはじめた。

いままでのトゲトゲしてささくれ立った感情に、その甘い蜜が急速に染み込んでゆく。

それに伴い、ボクの思考は徐々に甘味を増してゆく。

もし、これが何らかのワナだったならという考えは、思いつかなかった。

ボクの警戒心という検閲機構は、この甘い香りを放つワイロより、マヒ寸前だった。

「ボクを助けてください!」

タカが外れたように、ボクは、老体を肩から激しく揺さぶっていた。

相手が老人であることなど、お構いなしに。

が、その相手は、石像のようにピクリとも動かない。

ズッシリとしていて、おおよそ老人とは思えないカラダづきだった。

ヨレヨレの長袖の白衣からは、想像がつかない。

老人は、黒ブチの丸メガネを静かに取り、それをテーブルに置き、少し身を捩らせて、ボクの両肩に手を伸ばす。

そこから、スルリと両腕上腕までその両手を滑らせ、皺くちゃの大きな手でガッチリと掴んだ。

かなりの力で、カラダを押さえつけられた。

それは、大きな万力だった。

老人らしからぬその異様な怪力に、体が瞬間的に危険を察知し後ろへ反れる体勢になる。

が、この万力の前にそんな動作は許されるはずもない。

何より、逃げる以前に呼吸すらままならない。

息苦しい・・・・・・

この状況下で、今のボクに出来る事はただひとつ。

ボクは、意を決して、その老人の眼を見ようとした。

ややうつむき加減の老人の顔を覗きこむようにして、何とか自分の顔を近づける。

そして、必死の思いで相手と自分の視線を合わせた。

「!!!」

「さぁ、ワシの目には何が映っておる?」

 

 

つづく


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