第13話 フラッシュ・バック(後編)
present by ちひろ
「さぁ、ワシの目には何が映っておる?」
弱々しい開きまなこに、鈍く色づく褐色の濡れ色。
瞳孔が真紅に染まっていた。
その紅い眼の奥・・・・・・
何かが映っていた。
あれは・・・・・・
あれはどこかの・・・・・・天井?
ジリリリリリリリィ!
「はっ!」
けたたましく鳴り響く音に体がビクリと反応する。
体が重い・・・・・・
両腕が特に・・・・・・
ベッドの上・・・・・・
少し動くだけで悲鳴をあげる年老いたスプリング。
ボクの上に掛けられた、地味な色の毛布。
辺りを見回す。
何もないと言っていいほどの殺風景な空間。
唯一、隅に置かれた小さな黒塗りのカジュアルテーブルが家具といったところか。
とにかく生活感のない部屋。
呼吸をしているボクの存在そのものが異質に感じられる。
そう、ここは見覚えがある。
ここは、疲れ果てて帰って来た、あの海の見える倉庫の一角の部屋。
ボクの記憶は、ここから始まっている。
遠くで汽笛の音が聞こえる・・・・・・
窓を見る。
空は鉛のように重く頭上に圧し掛かっている。
息苦しい・・・・・・
この部屋には、空気の流れがない。
部屋全体を呼吸させようと思いその窓を開けようとするが、カタカタと音がするばかりで一向に滑り出そうとはしない。
どうやら、開くのを嫌がっているようだ。
これでは、完全な密室だ。
無性に外に出たい衝動に駆られるが、他に出口はない。
出口はない?
いや、あったはずだ。
そう、確か外側からカギを掛けられたドアが。
窓とちょうど正対するように、無言のドアが目の前に立ちはだかっている。
ガチャガチャ
やはり、カギが掛かっていた。
どうする?
この狭い部屋の中を忙しく動きながら考える。
何か大事な事を忘れているような気がした。
それは・・・・・・何?
ギシギシと床を鳴らしながら、過去の記憶を手繰り寄せる。
ボクには・・・・・・
そう、ボクには妻がいた。
そして、子供。
海の見える家に家族と共に住んでいた。
そこは、ボクの生まれ故郷。
東京からわざわざ引っ越してきた。
その後、再びこの部屋に戻されて・・・・・・
そう、そうだ!
携帯だ、携帯の電子音が鳴ってボクはそれを受け取った。
受話器の向こう側は、女の声。
その声から察するに、歳は若いと思われる。
何て言ったかな・・・・・・
たしか・・・・・・
「誰かが尋ねてくると・・・・・・」
それは、誰?
誰だかは、分からない。
分からないからボクは、イラついてた。
そう言えば、ボクはずっと怒りっぱなしだったような気がする。
それほど精神が不安定だったのかな・・・・・・
そうとも言える。
自分の名前すら分からないんだもんな。
カツンッ
ボクのつま先に何かが当たって、床を滑って壁際で止まった。
指先に鈍い痛みを覚えながらも、それを目で追い確認した。
携帯?
あの携帯だ。
ボクが怒りに任せて床に叩きつけた・・・・・・
拾って液晶画面を見てみる。
ガラスにヒビが入って所々死んでいた。
指でいじってみるが、操作のし方がよく分からなかった。
ボクはこれを使っていたのだろうか?
何か手がかりになるものはと指で弄繰り回すが、操作が分からないばかりか液晶がほとんど機能していないため、それを確認する事も出来ない。
カタカタと窓が鳴っている。
外では、風が吹いているのだろうか。
外に出たい。
外に出て思いっきり深呼吸したい。
ギィィィ〜〜
!?
背後から聞こえる。
同時に、首筋に湿り気のある空気が纏わりつく。
この密閉空間に風が流れ込んでいる・・・・・・
どこから?
この後ろはたしか、あの開かずのドア・・・・・・
開いているのか?
そうだ、これは確かに開いている。
見ないでも分かる。
見ないでも分かるのだが、やはり振り返って確かめなくてはならない。
だが・・・・・・
だが、はっきりいってそれが怖い。
一体、誰が開けたのか?
誰だ?
振り向いたらどうなる?
逃げ出したい!
逃げ出してどうする?
この狭い部屋のどこに?
唯一あるとすれば、それは、背後のドアしかないだろう。
そこが出口だ。
この背後のドアが・・・・・・
そうだ、これはもしかしたら、あの老人の言っていた真実に近づく唯一の突破口になるかもしれない。
そう思い込むしか、思い込ませるしか今は手立てだなかった。
自分の不安や恐怖を覆い隠すためにはそれしか・・・・・・
ボクはその風が吹きこんでくる方を、静かに身を捩りながら振り向く。
確かに開いている。
ほんの僅かだが・・・・・・
流れ込んでくる風は、そのほんの僅かな隙間から部屋の空気を循環させている。
なんだか、その風の香りがひどく懐かしい。
体に馴染む感じだ。
気がつくとボクは、無意識のうちにドアの方に歩み寄っていた。
不思議と足取りが軽い。
まるで、これから遊びに出かけるような感覚だ。
ドアからは、風と共に光が漏れ出していた。
ギィィィ〜〜〜
「あっ!」
思わず声をあらわにする。
ドアを開けたその先は、見渡す限りの海・・・・・・
近くでは、子供たちがキャッキャと波と戯れじゃれあっている。
ここは・・・・・・
ここは、どこかの砂浜?
見覚えがあるような・・・・・・
少し歩いてみる。
足の指と指の間に滑り込む砂の感触が気持ちいい。
思わず走り出す。
速く、思いっきり速く。
全身に風を受けて、潮の香りを肺一杯に吸いこむ。
そして、大の字になって砂浜に寝転ぶ。
着替えなどはもちろん持って来てはいないが、そんな事はどうでもいい。
だた、そうしたかった。
「ハァハァハァハァ」
体中の細胞という細胞が喜んでいた。
気分も、先ほどとは打って変わって晴れ晴れしている。
ライトブルーの空がボクの視線の先の先まで突き抜けて、無限とも思える開放感を与えている。
目を閉じる。
砂浜に打上げるさざなみの音が耳に心地いい。
すっとこうしていたい。
このまま・・・・・・
どれくらい時間が経っただろう。
すでに日は傾き始め、遊んでいた子供たちの声は聞こえなくなっていた。
日が空を紅く染め、地平線に沈もうとしている。
「あれっ?」
波打ち際で今だ帰らない子がいた。
砂遊びをしているらしく、たぶんそれに夢中になっているのだろう。
子供には、よくある事だ。
ボクは、もう家に帰りなさいと言いに、落陽を浴びて長い影を落としているその子の方に近づく。
ザッザッと砂を噛み締めながら歩み寄る。
段々と近づくにつれ、その子の作っているものが、お城だという事がわかる。
砂の城。
「ボクも、子供の頃作ったっけ・・・・・・赤いスコップで・・・・・・」
!?
ボクは今なんて言った?
子供の頃?
赤いスコップ?
なんか・・・・・・
なんだろう、何かを思い出しそうだ。
ボクは、頭を抑えたまま砂の上に崩れ落ちた・・・・・・