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そんなアナタ の左の脳味噌。 |
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人間が、 そこに自分の立場をも構成する、 他者との繋がりであるこの世界に於いて、 各々の置かれた環境が違えば、 それは悲惨な結果しか生み出さない。 そう思わずにはいられない。 例え思いたく無くてもである。 しかし、 それが事実だと思ってしまえば、 これ程安易で簡単な考え方は無い。 だからこそ。 悲しいと思わないか? 怒りや嫉妬に侵されて行く自分が。 柔和な慈愛すら忘れて行く自分が。 疲れ擦り切れてゆくだけの自分が。 今日のベスト御飯 >カルボナーラと珈琲(ダンシング・モンキー南青山) |
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2002年10月21日 04時49分14秒
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死者を冒涜する行為と死者を英雄視する行為に、はたして違いはあるのだろうか。 僕は自分で選択した訳では無いとはいえ、日本人であるらしい。 敗戦国家、戦犯、残虐非道な日本人。 お世辞にも良い評判ではない。 僕としては悪く無い気分ではあるが(笑) 『どんな民族でも、非道い虐殺行為はしている。日本人だけではない』 『戦前と戦後では主権が違う。残虐だったのは戦前の《大日本帝国》であって、我々ではない』 日本人が日本を振り返る時、大概はこの様な考え方をするだろう。 そして初めて、『戦争は良く無い、それを知っている僕らは、平和を強く願う』ないし、『今の自分はオクニ(あえててカタカナ)の為に戦った人達の上にある。日本はもう一度戦争して、今度は勝つんだ』と言い出す2パターンだろう。 戦後教育の悪影響とか、右翼的誇大妄想とか、それぞれの言い分に立って、話をするのは、まぁ、構わない。 自由だしな。 しかし戦争について、善し悪しを語るのって、おかしく無い? 戦争とか国家等と言うと、なんだか根幹がぼやけてこないか? 国家規模大量殺人事件とか、大量虐殺主義者のテロル(文字通り恐怖)と言った方がしっくり来るのは僕だけだろうか。 地上に生きている生物が、同一の主義を持つのは不可能だし、主義が違えば戦争をして、勝者が敗者の都合の悪い所を蹂躙する。 それが人間の本質だとしたら、気持ち悪い限りだ。 ここ迄来たら、民族がどうのとか関係ない世界だしね。 現時点で戦争をしている国家や国民はどんな考え方をするのだろう? 『移民の受け入れに対する国民感情』や『死者(戦没者に限らず)の扱い』に、民族主義や国家主義の特徴が出るのではないかと僕は思う。 そのへんをリスト化してる様な書物は無いかなぁ。 最近はそのへんに、興味アリアリ。 人間に絶望するヒマがあったら、前向きに考えたいしね。 今日の1冊 >リザードキング2 馬場康誌 |
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2002年10月20日 02時48分33秒
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家具が人並みに好きだ。 買うのは高すぎるので、主に冷やかしのみだが。 故に、内装も好きだ。 商店建築を毎月立ち読みしている。 最近の風潮は、服を買うにもメシを喰うにも、内装は重要な要素になってきている。 勿論、内容も重要だ。 が、内容のみでは、イマイチ盛り上がらない。 商売とアミューズメント。 金を夢で誤魔化す。 流行りってのは、難しい。 最近行った店で、覚えているのが、権八(西麻布)と今半本店(人形町)だ。 両店舗共に、趣の違う内装だが、すっきりした和風の内装は気持ちが良い。 権八は安いし(平均一品600円)サービスも良い。 今半本店は、当然高い(昼のコースで4500円)が丁寧だ。 価値観の違う人なら、その差が判らずに値段の差に憤慨するだろう。 権八は僕が見る限りほとんど冷凍食品だと思ったし、今半の牛肉には感動を覚えた。 じゃぁ、今半が良いに決まッてるじゃないか、と僕が言い出すと思うかもしれんが、そうじゃなかった。 ビックリ。 なんと僕は今半の味付けやら調味方法に不満があった。 柔らかい最上級の牛肉を、これまた柔らかく食べるには、茹でるしかない。 つまり、割り下に肉の旨味は逃げるし、苦味の元である焦げの部分が無いのだ。 上品な味付けといえば聞こえは良いが、味が短調で、肉自体はすぐ食べ飽きた。 権八が良いとは思わないが(不味いと言ってる訳では無い、ただ味付けが日本食好きのタト人にウケるような味付けなのだ。僕は好きでも嫌いでも無い)、今半の料金設定がそうであるように、値段分に見合う料理っつーのは中々ないなぁ、と思う。 内容と内装。 以前通っていた中華料理店は内装も汚く味も最悪だったが、接客が最高だった。 まぁ、あまりの不味さに潰れたが(推測)。 でも僕は好きだった。 あそこの店のおっさん達のサービスは最高だった! 人それぞれ、外食産業に何を求めるのかによっても違うが、それにおいて適価とは何なのか判らなくなってきた。 しかしここ迄行くと、自分で作るしかないなぁ。 今日の1冊は無し!! |
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2002年10月19日 03時28分46秒
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新コンテンツ《小脳(写真置き場)》を開設しました。 1日中何処にも出かけず、昨日作った手作りハンバーグを貪りながらの作業でした。 もう、タグとの戦い。 HTML戦記、タグとの戦い。 JPEG物語。 はてしないJIF語り。 アハ。 なんでもイイや。 アハ。 眼球が痙攣してる。 アハ。 もう二度と更新はしないど!!とか思いながら、どうせその内、する時期が来るんだろうなぁ〜。 今日の1冊 >思い出せません、今日の事は。 |
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2002年10月18日 03時08分28秒
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タイトルに意味はありませんよ? 見た事のないロボットの形ってのは、めったな事じゃお目にかかれない。 例えば、永野護のロボットはオリジナリティに溢れているというが、肩や股関節の繋がり方は往年のサンライズのデザイン方法であって、決して新しいモノでは無い。 うわ!って思ったのは《yf-21》とか《焔星緋帝》とか《衛士》とか《機忍》なんかは、かなりショックだったのを覚えているけど。 それにしたって、理解出来ないくらい斬新かと云えば、そんな事は無いだろうし。 僕は機械のラインってのは、記号で構成されていると考えている。 この記号が統一感を持って無いと、グチャグチャの印象しか持たないダメな物になってしまう。 《女神候補生》を思い出して欲しい。 あのデザインの共通項と云えば、アウトラインだけではなかったか? 《マジンガーZ》はどうだったか? その独特のノリは評価に値するかもしれないが(それがあの作品の持ち味なのだからそれでもイイのだが)、やはりアウトラインだけ。 トンがっていればイイ訳ではないし、リアルタッチが全てではないとは思う。 しかし、古典的なデザイン(デザインは動きを少なからず想像させる)のドンヅまった印象には飽きている。 《それなら昔観たよ》 《最初に観たヤツの方が良かった》 なんども、このツマラナイ感想に苛まれた。 これはデザインに限った事ではない。 お話も、色彩設定も、構成も、構図も、テンポも、キャストも、劇伴音楽も、メディア自身ですら。 所詮、記号は行き着く所、今迄の歴史のフィードバックに支えられている訳だ。 新しいモノが無ければ、何処からか拝借してくれば良い。 そう考えてる人の、なんと多い事か。 決して悪い事ではないが、間違い無く良い事では無い。 古典には古典の深みが在る。 しかしながら、現代の《拝借》はせいぜい近代迄を《拝借》しているに過ぎない。 そこには古典の残り香があるが、そのものではないし、そもそも、暗に古典を軽視する癖が現代にはある。 話が少し変わる。 ビートルズのファンの話だ。 よく彼等は「ビートルズは偉大だ。彼等は音楽の可能性を全て掘り返した」と云い出す。 果たしてそれは本当に全てだったか。 簡単な話、否。 でなければ、現代音楽等無意味だ。 アンビエントの要素があったか? 残響音の違う音を狙って一緒にレコーディングした事があるか? 殺人を肯定する歌を歌ったか? 人間の耳には、とても聞き取れない音域のコーラスを入れたか? あるシタール(インド方面の伝統楽器)奏者が、「ビートルズは、音を真似ただけ。民族音楽の核には全く触れていない」と云った。 彼等は音楽を終わらせたのか? 簡単な話、否。 だって、未だに情報や技術がそこ迄発達して無いモン。 昔の人間がそこまで出来たとは到底考えられない。 人間の積み重ねた知識なんて、ここ200年位のモンだろう? 三世代も離れれば、その事実を本当の形で体感する事なんて出来ない。 だから《ビートルズ最強説》が蔓延するのもしかたない。 《永野護最強説》を唱える人がいるのも仕方が無い。 でも、だからこそ、新しいモノを作っていく気になるんじゃない? 《もう感じ飽きたよ》って言われないモノを作る気になるんじゃない? もう、ミノフスキー粒子がリアルで、ゲッター線がリアルじゃ無いとか、どうでも良いって言える様なモノ。 スーパーとリアルには、所詮フィクションの壁が待っていて、どちらもたかがジャンルの話で、フィクションすら越えた《物語》の登場を待っているんじゃない? 音楽性でビートルズを越えられるモノを求めたいんじゃない? 社会はどうあれ、自分は何かに貪欲でありたいと、そう思う。 歴史も文化も、手近な物になってきた時代だから。 見つけるべき物は、そこら中に溢れている時代だから。 今日の1冊 >無 |
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2002年10月17日 03時08分02秒
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風邪がなおりません。 のど痛いよぉ。 ケホケホ。 みなさんも、健康に留意してね? 最近思う。 大事な物を隠している場所は、探し難い所であるとは限らない。 The hand of the person who can't be seen. And, The whisper which is not supposed to be able to be heard. でも、私はそれまで。 そこまでしか、行けないんだよね。 現実は中々、難しい。 The thing that your hand is how cold!ってか?乱歩?ねぇ乱歩? なーんつってな、ゲラゲラ(笑) あー、思ったんだが、訳わかんねぇか、これじゃ。 でもまぁタマには、自分しか判らないネタで、オチなくっても、良いよね。 ところで、英語、あってるか?判らん。 beの使い方、合ってるのか? 間違ってたら、恥ずかしいな。 ま、英語なんて出来ないんだから、こんなモンでいいか。 今日の1冊 >読んで無いなら、この項目を作っても忌み無いなぁ。 よし、明日は何か読もう! |
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2002年10月16日 03時24分30秒
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確か、ひょっこりひょうたん島は井上ひさしさんの作品だったと思う。 教科書にも載っていた位だから、有名な人なんだろう。 いや、有名だと云う事は知っているし、劇作家だって事も知っている。 今日、犬H系教育で《焼け跡の中のホームランボール》というドラマの再放送をやっていた。 エンディングロールから井上ひさしさんが原作であると云う事を知った。 荒筋を軽くすると、戦後貧困の中でも元気に育っていた山形(置玉)の小学生五人組が、野球のボールや白血病の母の為の薬を手に入れる為に、闇米を資金に上京する。 彼等はその小さな旅を通じて、大人子供問わず、社会の有り様を痛感しながらも、人々の暖かさに触れ、明るい未来を紡いで行く。 そんな話だった。 まだまだ、人間捨てたモンじゃない。 そんな話に、僕は熱中した。 騙す奴、盗む奴、身体張ってる奴、騒ぐ奴。 家族愛、敗戦と云う事実、復興して行く社会、子供達の未来。 今の社会、そんなに明るい話は聞こえてこない。 拉致、テロ、詐欺、紛争、制裁、貧困。 大昔から、人間はそんな事を続けてきた。 下らないと、そう思ってしまう。 でも、そんな人間が作った物語が、こんなに暖かいモノを生み出す事も出来る。 僕はそんな話に熱中したのだ。 修吉が、政雄が、朝彦が、実が、正が、より良い未来を作るのは目に見えている。 井上ひさしさんの紡ぐ物語の、力強い明るさにふれた。 僕は、 ドラマの内容を思い出すだけで僕は、 思わず泣きそうになった。 本当に泣きそうになったのだ。 イヤ、ナニがって、矢部裕貴子チャン(アイ公役)に!! 思う様、子役に!!サイコー!!裕貴子ちゃんサイコー!!もう、涙が止まりません!! ハフハフ!! しかしながら悲しいのは、何も情報が無いトコロ。 さすが子役。 しかもマイナー。 挙句、物凄く大人びたキツイ顔なので、ペド野郎には受けそうも無い。 どのくらいかってゆーと、《中谷美紀の子供の頃ってこんなだよねー、きっと!》ッて位、きつい顔立ちなのだ!! 自他共に認める中谷美紀好きのこの俺様のハァトはもう、当然の事ながらムギュブリュ鳴り始めた。 このトキメキは止められねぇ!! あとはもう、覚悟を決めるしかねぇ! ペド野郎?そうさ!!俺はペドロフィリアさ!! もう何人にも俺の妄想は止められねぇ!! 矢部裕貴子タンの情報キボンヌ!!マジで!!!!!!!! http://www.nhk.or.jp/special/libraly/02/l0008/l0811s.html 今日の1冊 >サッパリです |
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2002年10月14日 23時09分09秒
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ただいま、大風邪をひいております。 鼻にキタ。 熱は三十五℃ピッタリと平熱なのですが。 皆様も健康には留意してくださいね? さて、 コスプレサイトは、先日の一件で見なくなりました。 が、 今度は、女装系サイトを見るようになってきました。 ま、今朝からの話だけどね。 最近になって写真を撮りたいなぁと。 普段は風景ばかり撮っているので、タマには人間もイイかなぁ、等と考えております。 しかし昔から、どうも人間の写っている写真が撮れないタイプでして。 人間を撮ったのは、フィルムにして三・四本ではないでしょうか。 風景の方が、出来上がった物に違和感を感じないというか、なんというか。 人間の写ってるのって、僕には不自然なんですよ。 写真を撮ってしまえば、後は忘れていくだけなのに、その人の形が残るのって、日常的にあまり無いシュチュエーションでして。 それに比べて風景はありふれているというか、普遍の要素と変化の要素があって、その余りの漠然としたイメージにはアポトーシス(自殺傾向とでも云おうか?)を感じないというか。 こんな拙い文じゃ、この感覚は伝わらない気もしますが。 要は、人間は覚えていなければいけないが、自然は覚えていなくていい、ってトコロが、不自然で無くて良いと思っとる訳です。 過去に撮った人間の写真は、ことごとくシュチュエーションメインのモノばかりで、つまり《特定のテーマの中でなら人間が撮れる》事を自分に言い聞かせたかったからなのですよ。 んで、スタジオを借りて、男ばかり14人(女の子も一人居ましたが)に上半身裸(無論女の子は服を着たまま)になってもらい、「そんなシュチュエーションありえねぇだろ!」ってトコまで自分を追い込んで、撮影したんですな。 で、変な半裸写真ばかりが手許に残り、本人の許可が取れなくなっている人も多いので、発表出来る訳でも無く。 かといって、新たにスタジオ撮りなんかが出来るような金銭状況でもない訳でして。 なんか良い方法で、日常感覚を吹っ飛ばせるテーマはないかなぁ〜、なんて思っていた訳ですよ。 そこに!! 女装子のサイト発見!! こりゃぁ、日常的に有り得ねぇ!!次の被写体が見つかりました。 このテーマなら撮れる気がします。 後は、ターゲットに向かって、どれだけ自分が(ジェンダー指向が)ノーマルであるかを理解して貰いつつ(女装子といっても、どうも男性に興味がある人ばかりではないらしいのです)、 彼女ら(彼等?人間性に性別なんて無意味か)に、ドップリハマらない様にするかを考えながら、声をかけるダケです。本サイトに、「お、きれいな(可愛い)人が写ってる写真だなぁ」と思ったら、僕がプランを実行に移したモンだと思って下さい。 違うって、芸術だって、ゲイジュツ!! いやだから、guy術じゃねぇって!! 今日の1冊 >最近何も本を読んで無い気がします。 |
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2002年10月12日 16時29分54秒
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