流転の人生よ、嘆く事勿れ。左の脳味噌

明かされる事のない謎を残したまま、今はこれで・・・
日記といいながら、毎日更新ではありませんでした。
なんというか、毎日は無理でした(笑)
半年間でしたが、長いやら短いやら。
あっちゅうまでしたよ。

最初に書いた日記を昨日見てて気付いた事があります。
いまだにHTMLは何だか判らないし。
当然日記に何を書けば良いのかなんて判らない。
今迄日記なんてつけた事も無かったから、当たり前の話ですが(笑)

テーマを決めないで始めた当サイト《左右の脳味噌》ですが、遂に何の方向性も出さないまま、本日を持ちまして終了になります。
考えてみれば《左右の脳味噌》というタイトルも、何のプランも練らないまま始めた為、言わば語呂だけで決めてしまったような物でした。

人間の中枢の一つであり、そこは区分され、機能を限定し、それらが関連づけられて連繋しているところ。
ある程度の部分と容量さえ残っていれば、脳はその機能を維持する事ができるそうです。
例えば、半分無くなっても大丈夫とか、脳死状態でもある程度なら生きていけるとか。
それこそ、僕らは脳がある事で生きています。
何の事は無い、勿論の事ではあるが、僕らは何か突拍子も無い事が起こらないかぎり、脳を意識する事はないでしょう。

A10神経だとか、前頭葉第35野だとか、そういう所の研究がされている所とは言え、僕らの脳味噌は未だ解明されていない部分が多い。
Nightheadのオープニングを思い出します(笑)
きっとここに秘められてる《可能性》こそが、次世代の未来を切り開いていくのかなぁ、と感じるのです。


話は変わりますが、
当サイトを盛り上げて頂いた方々には、感謝してもしきれません。
HTMLの知識を分けて下さった方や、今は無き《優しい憑霊信仰論入門》にネタを提供して下さった方。
掲示板に書き込みをして頂いた方には、物凄い恩を感じます。

こんなサイトでも見て頂いた方々に、閉鎖という形で結末がついた事について、大変申し訳ないと思いつつも、最早ネタ切れと化してしまった僕には、今からお返しする事も出来ないのです。
同じような事をダラダラやっていても仕方が無い、と常日頃から感じてしまっていたので、何かまたネタが出来ない限り、つまり、またやる気が出てこない限りの話ですが、復活する事も無いとは思います。
ですが、もし、ここを見て下さった方で、何処かでまた僕が何かを作っていたら、温かく見守ってやって下さい。

感謝の念を込めつつ。
ではこれで。
またいずれ。

          はばぅ


今日の体調
>清々しい気分
2003年03月01日 02時57分40秒

約束
 もうすこし論理的な保証、とでもいったものがほしいのだ。しかし、人というものは、言葉だけですべてを伝えることなどできるわけがなく、自分の考えを伝えるだけでも、他人が理解しようと思ってくれないかぎり、伝わりはしない。まして、共同者としての適不適をひとつの事実や断片の行動から類推することなどはできはしない。言葉だけの約束と約束そのものを実行することのちがいというものはある。この約束という言葉に裏切られたり、裏切ったりした人は大勢いるだろう。
   
富野由悠季著『だから僕は…』より


自分が考えている事は、他人には伝わり辛い。
古今、約束の実用性やロマンティックなその側面にほだされて、多くのフィクションがそのテーマに骸を沈めてきた様に思う。
これらの『約束』というテーマは、ともすれば人間の社会性に混在する問題点の一つに挙げられる。
約束こそ、人間が社会を持ち得て初めて手にした法であろうと、学のない私には少なくとも感じられる。

約束とは何か。
簡単に言ってしまえば、『確約されている筈の未来』ではなかろうか。
実行されて初めて意味を持つ『約束』は、その発生当初は、何の意味も持たない、只の言葉だ。
概念は空回りし、敗れ去った夢のごとき現実において、『約束』は既に過去の物となっていて、私達を落胆させる。

それだけじゃないよ!
諸君の中には、そう主張するもいよう。
だが、今迄の人生の中で、一度でも『約束』を敗られなかった者など存在しようか!
他愛無いものから、自らの真実を懸けたものまで。
只の一度でも、だ。
そう、『約束』の取扱いの難しい所はそこだ。
『約束』は守られることもある。
が、
守られない事もあるのだ。
誰も判っている事だ。
しかし、
理解してはいても、『約束』を施行しない訳にはいかない。
私達は未来に於いて常に不安を感じ、それに抗う為に例え不安定と理解しても尚、『約束』せざるを得ないからだ。

それはとても簡単な話だ。
私に若し誰かが『社会を構成する要素の内、最大公約数で存在し得る概念を述べよ』と問われたら、迷わず『約束』と答えるだろう。

しかし逆に捉えれば、『約束』をしなければ、未来への不安は払拭されなくとも、少なくとも只の言葉に翻弄される必要は無くなるはずだ。
それは社会を自らと切り離して考え、他者との『共同幻想』とでも言える、『確約されている筈の未来』からの解放という側面もある。
出来れば少し考えてみて欲しい。
良い事なのか悪い事なのかは、各々の感じるままになろう。
『もしも約束の存在しない世界があったなら』
諸君はどう感じるか?


冒頭の文章は、富野監督が人生の伴侶を見い出し、そうして尚、不安におののいた時の実感を表わしているらしい。
私が愚かにも、素晴らしい本文から抜粋した為に、断片化してしまったその一部ではあるが。
私はこの本を高校の頃読んだ。
当時は徳間アニメージュ文庫(だったか?)より出版されていたのを覚えている。
少なくとも、私が見た同文庫の中で、エッセイというか自伝というか、そういった物は少なくとも『だから僕は…』しか無かったのではなかろうか。
故にセンセーショナルでもあった。
一部の友人知人には理解もされようが、私はこれを読んで暫く後に、『トミノ論』信奉者なる。
『トミノ論』なるものが、如何な物かは諸君の想像に御任せするとして。
『作家論』面に於いて、大いに影響を受けたイラストレーターの井上純弌さんの意見の受け売りだったとしても(笑)


今日の体調
>花粉症、寝不足
2003年02月28日 02時59分38秒

へとへと(笑)
今やっている仕事がもうすぐ終わります。
まぁ、プロジェクトが終了と言う意味なんですが。
僕の場合、臨時で入っているので、プロジェクトの終了は、仕事収めみたいなもんなんです。

で、こんな事を書いては親が泣くかも知れませんが、働くのは嫌だなぁ、と(笑)
責任を感じるのは、直でやりがいにつながりますが、同時に物凄い事でもあるのだなぁ、と感じたので・・・

僕は根がグゥタラなので、責任を取ると言う行為が嫌いです。
自分の責任さえ取れないのに、連体する他人の責任迄取る位なら、せめて僕一人でもできることを、つまり誰にも迷惑書けない方法を模索してみたいなぁ、と思うのです。
迷惑はかけてもかけられても嫌なもんでしょ?

まぁ、生活する上で、それは社会に参加している以上無理な話なので、求めはするが置いといて。
で、働きたく無い、と(笑)

夢を追い掛けてる訳でも無く。
金が欲しい訳でも無く。
先の見通しが効くって訳でも無く。

ああ、明日は朝早いので、これで寝ます。
ってか、今日のは何が書きたかったのか、さっぱりだね(笑)

今日の体調
>寝不足(笑)
2003年02月27日 00時01分48秒

銭湯
いい湯だなっ、と。
ワタクシ銭湯に行って参りました。
本当に久し振りのことです。
家の近くの銭湯《松の湯》に、ぶらりと一人で。

こじんまりとした、まぁ、普通の銭湯でございマス。
なんのヒネリもございません。
風呂はふつう、値段は400円、コーヒー牛乳110円。
番台にはオババ、客は草野球帰りのオヤジ達。
お湯の温度は比較的熱く、混んでいる訳でも空いている訳でも無い。
マッサージチェアがあって、脱衣所も普通のサイズ。
まぁ、どこにでもあった、昔懐かしい下町情緒ある銭湯といったところでしょうか。

ウチの風呂はそんなに広くはございませんので、せめて足をのばして風呂に入りたいなぁ、とここ暫く思いを巡らせていました。
はたと気付きます。
ウチのそばには銭湯があったじゃ無いか!
ちょうど今日はまだ風呂に入っていませんでした。
こりゃイイやと決断するや否や、僕は銭湯に向かって一直線!
といっても場所がなんともうろ覚えだったので、道を一本間違えたりしましたが(笑)

流石にこの時期だけあって、ワタクシ厚着をしていきました。
先ずどっちが男湯かを調べます。
あ、こりゃ女湯だわ(笑)
などとほくそえみつつ靴を脱ぎ、下駄箱(古き良きオモヒデのカホリがします)に履いていった靴をぶち込もうとして扉を開け、ぶち込み、扉を閉めようとします。
は、
入らない。
ワタクシの靴では規格があわない為、扉が閉まりません(笑)
取り合えず靴を曲げ、無理矢理押し込みます。
入り口を開け、番台のババァに「御幾らですか?」と聞くと不思議な顔をされながらも「400円」と答えられました。
多分、普段は常連客ばかりなのでしょう。
聞きなれない顔をしていましたから(笑)
で、
脱衣所に入ります。
荷物棚のサイズはやはり普通なので、冬着の量には少し小さめです。
服を脱ぎキチンと整理しながら、入浴の準備を進めます。
ほんでもって、入浴!!
体洗い、顔洗い、ヒゲそり、髪の毛洗い、リンス。
とどめに体をざっと流したら、風呂おけに入るんですよ。

ふぅ〜

くはぁ〜

かぽ〜ん

オヤジ達が何か言ってる。

耳を傾ける。

野球の話。

仕事の話。

なんか、延び延びしてるねぇ。

なんか、生き生きしてるねぇ。

ぽかぁ〜んとしながら、湯舟につかる。

色々考える事があっても、ここなら忘れられそう(笑)

高ぁ〜い天上に、広ぉ〜い湯舟。

足をのばして、首迄つかって。


し・あ・わ・せ・!

ちょっとのぼせたので、湯舟からあがって・・・

ふぅ

も一度入ろう。

肩迄。

天国。

ニヤリ。

湯舟からあがって、一息ついて、体から水滴を払って、出る前に足下を水で流して。
忘れちゃいけない、ケロヨンは所定の場所におく。
忘れ物は無いかな?

では、脱衣所へ。

ふぅ、涼しいねぇ。
荷物棚からバスタオルを取り出し、体を拭きます。
さっきのオヤジ達が出てきた。

床に座って靴下履いてる。
赤いブリーフ!?
何処で売ってるの!?

などと、周りを観察しながらも、番台の前の冷蔵庫へGO!
クックック。
コーヒー牛乳、あるじゃねぇか。
ニヤリ。
110円払う。
ベンチに座る。
開ける。
飲む。
半分くらい。
くは!!
たまらん!!
満喫したので、そろそろ帰ろうかと思い立つ。

ワタクシ「どもー」
ババァ 「はいー」

靴を取ろうとしたら、外すげぇ寒いのね。
でもさ。
心も体も、ポッカポカ(笑)

るんるん気分でウチに帰ってきましたよ(笑)

銭湯はいいですね。
精神的開放感がどうのとか、情緒溢れる人情とのふれ合いとか、まぁ色々在りますが。
あのなんとも言えない余裕は、代わる物がないですよ。
温泉なんかとも、ちょっとニュアンスが違いますしね。

次の入浴は《銭湯》にしては如何ですかな?
気持ちイイですぞ!!

今日の体調
>事勿れ
2003年02月24日 03時05分20秒

書くと言いながら、僕は中々続きを書かなかった。
何がッて、続き物の話だ。
このコーナーで、何個か続き物をでっち上げたが、多分何一つとして、書いて無い。
僕の持続力が、良い感じに出てる事実だと思う(笑)

僕はこのコーナーで、一人称を『僕』『私』『アタシ』『自分』等を使っていた。
僕は『俺』という言葉を、日常でしか使いたく無いという、ほんの些細なこだわりがあるのだ。
ひっくり返せば、『俺』という言葉を使っていたら、それは僕なりの日常感を出す為だと言う事になる。

色々な人の日記を読んだりしたが、各々の個性を出す為に一人称は皆さん大事にしていらっしゃるようだ。
《僕》や《私》等の極ありふれた呼び方もあれば、愛称で自分の事を呼ぶ人もいる。
自分に非日常的な称号をつけて、個を他と区別化する行為は、特にネットの秘匿性から解放される為には、うってつけなのだろう。
僕は遂にネット上で自分の特徴を掴む事の無いまま、サイトの閉鎖を目論んでいるのかも知れない。

自分を隠す為に、それもなるべく自然に隠す為に、僕は自己主張出来る隙間を慎重に選んだつもりだ。
普段の自分より目立たないペルソナ(むしろ仮想人格とでも言おうか)は、今迄の僕の人生の中で、少々毛色の違った面白さを与えてくれた。
オフラインでの僕を知っている人なら、このコーナーは、いつもの自分とは結構違った個性を表に出そうとしている様に見えるかも知れない。
普段通りでありながら、何かが違う自分。
こうしてキーボードを叩いていても、これは普段と違いながら同じ、同軸線上にありながら異質、なんと言えば良いのか上手く表現出来ない。

此処(左右の脳味噌)に掲載されている極少数のコンテンツは、本来の僕の特徴からは微妙に離れている。
例えば、ガッコの先輩に『ハバ氏って、絵描くンだね』等と言われたり、『今更写真かよ!』ってツッコミを入れられたり。
つまり、此処には僕を示唆する要素が入っているが、必ずしもその要素が今の僕を指しているとは限らないのだ。

僕は、自分にある程度飽きている。
それは事実。
架空の自分にも飽きている。
明白だ。
別人になりたいと思った事はないし、今の自分は本当の自分ではないと、心底思った事も無い。
冷静に見て、僕はそういった類いの不満や不安とはあまり縁のない人間だ。
本質的自我はまた別として、僕の他者に対する時の仮想人格は、やたら大騒ぎするヤツが多い。
また、共存を自認しているからこそ、仮想人格の暴走に何の不安も抱かない。
ただ、単純に、それらの動かない自分の中の自分達に、虚無にも似た《飽き》を感じている。

僕は続き物の続きを書かなかった。
それは新しい自分を模索する方法の一環だったのだが、愉しみはしたが実は結ばなかった。

だって、

同じ事をするだけなら、機械でも出来るだろう?
退屈なのは、同じ事をただ繰り替えしている証拠だ。
そして退屈には、些か飽きたのだ。
退屈な自分の中の僕に、飽きてしまったのだ。
僕はまた、新しい僕を、僕の中の僕を、愛おしい迄に危険な僕を、探さないといけないのかも知れない。
ハッキリした事は、僕には判らないが。


今日の体調
>腹減った
2003年02月22日 05時36分03秒

やっぱり昔書いたヤツ
綺麗な物と云ったら、あなたは何を想像しますか?

私は、積層、光源(太陽光を除く)と陰影、バロック様式、イギリスのカンタベリー大聖堂、螺旋、歪な形の球体、コマゴマとしたもの、所作、香水の匂い、女体、サファイヤ、隠れた事実、自然と人工のバランスの有り様。
他にもいっぱいありますが、まぁ、語弊が無い程度に書けば、このくらいでしょうか。

物が《綺麗》な状況は、特別な状態では無いと思うのです。
ありとあらゆる物が、それぞれの固有の条件をもって、それを充たす事ができれば、それらは如何様に見ても《綺麗》でありましょう。
しかしながら、それ単体で、つまり存在そのものがと云う事ですが、綺麗な物と云うと、これは数が減ってくるのでは無いでしょうか。

私が挙げた物は、云ってみれば《状況そのもの》や、《主体(自然等)そのもの》、そしてほとんどが《個人的体験》からくる個人の趣向であるものがとても多いのです。

学問的《芸術》は、統計や技術も大事にし、最大要素をもって感性などのも《美》の範疇に入れます。
しかしながら学問的《芸術》には、アカデミックな印象も拭えません。
まぁ、やっている所が、アカデミックなのですから、しかたないといえばそれまでですが。
私達が触れる事のできる《綺麗》は、それよりもう少し根本的で素っ気ないものではないでしょうか。
日常的というか、動物としての本能というか、文明的な匂いというか。
枠の中に収まってもいない、建物に集められてもいない、簡単に手に入る、それでいて、二度と出会う事のないような。

綺麗な物を意識する、ただそれだけの事ですが、憧れにも似た、なにか緊張するような、柔らかい綿の、思い出す事も出来ない、感覚としては確かな、実在しないはずのそれ。
何より、五感のみで感じているのでは無いのが、その曖昧さを加速させているのも事実。
夕日の赤は目で見る事ができますが、その赤が何故美しく感じられるのかは、誰にも解らないのです。
現実的な現象であるにも関わらず、抽象的な印象をもって記憶に蓄積され、感動を覚えたその時とは何もかも違うはずなのに、似通った印象を持つ。
エントロピーでもホメオスタシスでも、内外にその不安定さを理由付ける考え方は幾らでも出来ます。
でも、理由が私を納得させたりはしてくれない。


世の中には、絶えず安易な結論から導き出された《綺麗》が存在しつずけます。
それは、普遍的で無い、一過性の、ただの見た目。
私には、私などには、とても体現する事も出来ないそれ以外の《表現出来ない程の綺麗》が、世の中には、つまり何処かに、存在していて、それらを見ない事で現在の美意識は成り立っているのでは無いでしょうか。

私は少しでも、その綺麗な、酷く綺麗な、根本的であるが故に混在を余儀無くされた、名状し難き世界にのみ存在し続ける、《綺麗な物》に触れてみたいのです。


今日の体調
>良し
2003年02月21日 03時34分19秒

年甲斐も無く涙を流す
みなさんは、年甲斐も無く涙を流した事が有るだろうか?

映画でも、景色でも、思い出でも、出合いでも、何でも良い。
大した事のない、極ありふれた何かに涙を流した事があるだろうか。

涙、感動、慟哭、何の変哲もない、その辺にありふれたモノで、人間は、こうも簡単に涙を流す事が出来るのだろうか!!
少なくとも僕は、何処にでもある、誰でも手に入る存在で涙を流した。

ソレが持つチカラだったのか。
音楽に感動し、映像にむせび泣き、ソレに今迄出会わなかった事に、物凄く後悔した。
僕は幾許かの財産を消費する事を躊躇ったが故に、今まさに後悔し、かつ、感動してしまっている。


僕らはおおよそ解り切っている事柄には触れる事は無い。
それは、自分の中で、酷く具体的に具現化されている。
故に、僕らは、現実と見まごうばかりのリアリティーで、想像する。
体験してもいないのに。
実感する事すら、拒否してまで。

《思い込み》

何度、幾度、思い込みで僕らは後悔したろうか。
思い込む事の、浅はかさを、意味の無さを、身の無い結論を優先する余り、その事に後悔する事すら思い付かないまま、唯単純に、恐ろしい迄の純粋さで、現実の何たるかも気にせず、唯ひたすらに、自分の利害をまるで全て考慮に入れたかの様に、思い込む。

単純な話だ。
僕らは、体験する事の無い未来について、単純な価値を付加する。
それ以上の価値を、空想上でも、妄想上でも、経験上でも、予感でも、連想する事が出来ない。
何故なら、未来とは深く、多岐に渡り、遥か遠く迄続き、遮蔽物の在る街を闇雲に歩かざるを得ない、その道に等しいからだ。
故に、予測出来ない。
故に、目先の欲で、その未来について、酷く単純な結論を下す。
単純な話だろう?


後悔をする、つまり、過去に起きた事実に於いて、未来を予測し違えた事について、思いを巡らせる行為。
僕らは、絶えず未来を、先の見えない未来を、少ない情報と目先の利益で、断定する、そんな哀れな生き物なのかも知れない。
例え、今僕が、感動した事実を胸に刻み込もうとしても、それは今日の只の感傷としてしか記憶されず、いつ来るか解らない選択肢の為に、突然の変化に驚く余り経験を得たそれらの行為をおろそかにし、次の選択肢に気付かなかったら!!
そしてそれは、容易に想像出来る未来でもあり、その愚挙の連続こそが人間の歴史として、あらゆる書物に記載されていたら!!
僕らは、その後悔を如何にして回避出来ようか!!
僕らは、その愚挙を如何な覚悟で享受出来ようか!!

僕は恐ろしい。
その、それらの、経験が、なんら意味を為さない只の時事列として自分の中で消化されてしまう事が。
永遠では無い自分が、
自らの重要な大部分を、
その、
曖昧で、
蒙昧で、
無知で、
頼り無く、
愚劣で、
粗末で、
野粗で、
陳腐で、
愚鈍で、
欠落する為に用意され、
まるで失われて逝くのが当たり前だと云わんばかりの、
他に頼る物も無い事を自覚する事でしか成立しない、
誰もが持ちえながらもそれ以外は何も無いであろう唯一つの持ち物である、
自らの記憶に頼る事でしか、
只の不安定な記憶に頼る事でしか、
それ以上大事な物など存在しないであろう自らの人生を、
何ものにも変え難い己が人生を、
不用意に預けざるを得ない事が、
酷く単純に、
恐ろしい。

解っていただけるだろうか。

不条理とも取れるこの感情を。

何故。

僕はあの時。

陳腐な決断を下したか。

いたく後悔している。









ライヴ。


アクセスの。


復活ライヴ。


DVDで観て、


始めて気がついた。


こんな事なら行けば良かった(泣)


自らの愚かしさに、改めて気がついた。


泣くなよ、俺(泣)


泣く位なら、行きゃぁ良かったじゃねぇか(哭)


今日の体調
>すこぶる良し
2003年02月19日 06時08分50秒

指輪
指輪物語を見に行った。
映画を見たのは久しぶり。

物語の構成としては、かなり古いタイプではあるけれども。
スタンダードでもあるし。

まぁ、ファンタジーの御約束ってのを、近代に入って作った人のが原作だから、難しいかもしれんけど。
色んな意味で(笑)

なんだかさ、映画としての完成度を求めると、違う気もするンだよね。
アレは。

カッコいいんだけどね。
原作の雰囲気も満足のいく出来で再現されてるらしいし。

アタシャ賽子ゲーム版のしか解らんから、そっちの視点で見てしまう。
尚更、見方が難しいよ(笑)


今日の体調
>実はまた、便秘(笑)
2003年02月16日 06時58分09秒

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