turning point(2003年総括)

 

2003年度を一言で表すなら「turning point」だと思う

今年は初モノづくしだったから

 

初めて海外旅行に行った しかも一人旅自体そのときが初めてで

二重の初モノだった これはとてもいい経験になったし、

もっと自分の世界を広げていくいい契機にもなったと思う

 

初めて挫折をした

今まで運と努力と才能の合わせ技で

「ほんとうに望んだもの、こと」を手に入れられなかったことはなかった

自分が失敗して打ちひしがれている姿なんて想像したこともなかったし

想像できなかった

実際今でもその体験を自分の中で完全に消化しきれてない

「落ち込むな」といわれても無理だし「次がある」けど

その「次」は「今回」とは同じじゃない

泣いても笑っても覆らない「現実」

 

そして「これから」についても1つ、激動と言えることがある

 

ちんたらやってたらいつの間にか21にもなって

進路を決めなくてはいけなくなった

 

そんな折

「できれば、あと2年以内をメドに臓器移植を受けたほうがいいと思います」

とのお医者様の言葉

いつかやるだろう、とは分かってはいたけど

このタイミングで提案されるとさすがに引く

 

臓器移植自体は半年ほど入院してればできるはずなので

学生(含む大学院生)のほうが「休学」などいろいろな方法で時間が作りやすいので

問題ないでしょう

 

手術の成功率は約8割

これを高いと見るか低いと見るかは個人の考えだと思いますが

愁的には高いんじゃないかなと思います

仮にも先端医療の分野である臓器移植において10人手術して2人死ぬだけなら

まぁ成績としては悪くないんじゃない 学校のテストでも80点取れれば上のほうなんだし

 

ちなみに愁が受けるかもしれない臓器移植は、いわゆる脳死者からの移植ではなく

生きている人から臓器を半分くらい取り出してもらうという方法です

 

まとめるとこういうことでしょう

 

 

メリット

デメリット

臓器移植しない

・手術しなくていい

・面倒な薬も飲まなくていい

・健康な人の体を傷つけなくていい

・今のままジワジワと臓器が悪くなっていく(もちろん死ぬ可能性も含む)

 

臓器移植する

・かなり長生きできる(薬を飲み続けるなどの努力は必要)

・手術が失敗した場合、一気に死まで 一直線の可能性が高い

・失敗の最悪の場合、臓器を移植する人とされる人、2人が一気に死ぬ

 

要は臓器移植ってのはかなりのハイリスク・ハイリターンな方法という側面もあるってこと

まぁ他にもいろいろと問題はからんでくるんですが

それはちょっと専門的な医学の話になるのでここでは扱いません

興味があれば、「生体」「移植」などのキーワードで調べれば

おおよその事は出てくると思います

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Is it now

 

学生食堂で360円のご飯を頼んで560円(←すっかり板についた主婦出し)出した

おつりは当然200円のはずなんだが、なぜだか600円返ってきた

「おばさん これ500円玉だよ」

「あら ほんと?正直ないい子だね」

20歳を超えて「いい子」といわれたことに苦笑しながら立ち去るときに

耳に入ってきた言葉がある

「もらっとけってハナシだよな」

 

別に逆の立場で俺が傍観者になったときに

隣でつり銭ちょろまかすような奴がいたところで

小学生じゃあるまいし「それは悪いことだナンダ」と言うほどバカじゃない

こっちだって反射的に「つり銭間違ってますよ」って言っただけで

気付かなかった可能性だってある

 

なぜ貰わなかったのか

(1)卑しい

360円払うところ逆に600円戻ってきたら差し引き960円の得になる

なにそれ 1000円弱の得を「ラッキー」とか言って喜ぶのは

とてもじゃないが人間として小さすぎないか

品性は磨かなければ身につかない 

愁だって品性あるとは言いがたい ご飯とかぼろぼろこぼすしね

それでも他人のちょっとしたミスから棚ボタ見るなんて

FINAL FANTAGY」のゴブリンみたい

 

(2)言わなくてもいいことを言える価値

言わなくてもいいことを言わないのは普通の人

そこから一歩先に進む方法として、これが正しいのか間違ってるのかすらわからない

それでも愁は個性的な人間になりたい

愁は男の磨き方が足りないといつも言われる 「愁よ、恋愛も大事だが、恋愛だけでも男は磨けないぜ」

普通と違う個性があるってことは、奇抜になるってことじゃない

ちょっとだけハズレてみること

 

いずれ愁も目的のために手段を選んでる暇がなくなるときがきっと来る

他人を蹴落とし、欺き、時に味方につけて切り捨てる そして

蹴落とされ、欺かれ、切り捨てられる日が

 

でも それは今なのか? 

今はまだ仮面の中でぬくぬくと生きていても

許されるはず

 

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体罰 虐待

 

体罰を許さないから虐待が増えるんじゃないか、と思った

人を殴ったことがあるから、他人同士が喧嘩していてもどのくらいの強さで殴っているのかは

大体分かる もちろん「どのくらい痛いか」はわからないけれど

自分の手が「ジ〜〜〜ン」というあの感触を思い出す

体罰をみんなやったことがあれば、明らかに「体罰からはいきすぎている」ことがわかる

だけど体罰をしたことがない 「躾だ!」といわれて引き下がる

「他の家ではそうなのかもしれない」などと納得してしまう

 

愛があれば体罰で、愛がなければ虐待というのも嘘 

そんな曖昧な基準許していいはずがない

体罰は「氷で冷やしても治らないくらいの怪我」をさせたら即虐待です

 

体罰を容認する気はもちろんない でも最終手段として持っていないと

コドモは親を怖がらない 少しくらい怖い要素がないと

親子は成り立たないと思う

 

願わくば子供が大きくなったときに「体罰反対」か「体罰仕方ない」

どちらかの立場をとれるようにはしたい

「体罰なんかしらない」が一番怖い

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