<1> 斯波の春
「やったぞ!!」
自称ちょっと可愛い好青年、学園内では誘い受けを囁かれ冬の時代を過ごしていた
斯波は、男子トイレからダッシュで出ると、満面の笑みでガッツポーズをキメる。
「とうとう正体を見たぞ! 睦月たんは女だ! 女の子だったんだ!!」
そこで通行人の冷ややかな目をチクチクと感じ、慌てて壁の柱の影に隠れる斯波。
壁に向かって独りニヤけまくるその姿は、少なからぬ誘い受け萌えの腐女子たちに
見られたら、それこそ即座に可愛い誘い受け少年からただのホモガキに降格である。
だが止まらない。斯波にとっては、学園生活と、人生の勝利。そういう笑みだ。
「睦木たんが女の子なら、ボクは誘い受けでもホモでも無い! 正常なんだ!!!」
睦木たんは女の子に違いない。斯波がそう確信したのは随分前の事。だが、証拠も
無い思い込みと疑ったり、女の子かどうかは関係なくただ「睦木たんはボクの性的
興奮の対象に違いない」だけなのではないか、と思い悩む事もあった。勢い余って
晩酌中の糞親父に「好きになってはいけない人を好きになった」とか相談かまして、
「とりあえず押し倒せ」と言われ、散々悩みながら人間の体は後ろの穴でも行為が
できるのか本気で調べた事だってあった。その時の資料本がオフクロに見つかって
机の上に並べて置かれた挙げ句「人間いろいろね」と言われた時には死も考えた。
確証が得られないまま、誘い受けだのホモだの、どこまで堕ちたか考えたくも無い
ほどに、斯波は堕ちて堕ちて堕ち続けた。
しかし、そんな冬の日々も今日で終わりだ。買ってから、しばらく覚悟が足りずに
持ち歩いて恥の上塗りグッズと成り下がったコンパクト。差し出した手首ごと斬り
落とされても構わない覚悟とともに扉の下をくぐり抜け、トイレの下方から斯波の
視線を誘導してくれたそれは、今や斯波の命をつなぎ止めた神器とも言うべきもの。
斯波は自然とその神器にほおを寄せ、目を閉じて、走馬燈のように巡る冬の時代を
振り返り、暗い過去に別れを告げていた。数分前に睦木の女の子の部分を映し出し
た神器は、ただ迷惑そうに小さく軋む音を立てていた。
斯波は斯波の世界に居た。誘い受けから重症のホモに格下げする腐女子の一瞥も、
斯波だから仕方ないといういつもの哀れみの一瞥も、用を済ませて出てきた睦木の
「衆道とは解らぬものだ」という呟きさえも、今の斯波には届かない。一部始終、
ずっと斯波に張り付いていた物影からの視線になど、気付こうはずもなかった。