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ボツワナという国をご存じだろうか? 南アフリカ共和国の北側にある国で、日本の約1.5倍の国土に170万人が住んでいる。この国の首府のハボローネに、女性の探偵事務所が開設された。いわく、「NO.1レディース探偵社」である。 いくらミステリー好きと言っても、世界中のミステリーを読んでいるわけではないので確たることは言えないが、少なくとも日本で翻訳されたものの中では、アフリカの女性探偵を主人公にしたミステリーは初めてではないかと思われる。 タイトルは「NO.1レディース探偵社、本日開業」。作者はアレグザンダー・マコール・スミス。ジンバブエ生まれのスコットランド人で、ボツワナにも住んだことがあるという。主人公はプレシャス・ラモツエ。父親が死んだ後、その遺産(牛)を売り払って、探偵事務所を開設したのだ。 確かに、アフリカを舞台にしたミステリーは珍しいが、しかし、本書の良さは、それがアフリカらしくないことなのだ。依頼される事件も、浮気の調査だったり、娘が付き合っている男の尾行を頼まれたりと、ニューヨークやロサンゼルスの探偵事務所と変わりはない。もちろん、親の遺産が牛だったり、車で走っている最中に蛇が運転席に入ってきたりという、アフリカらしいエピソードもあるが、しかし、考えてみれば、日本だって田舎道には蛇だっているし、アメリカでも、親が牧場を残して死んでしまって、その牧場を売って、探偵事務所を始めたっておかしくはない。 このミステリー、もちろんミス・ラモツエが事件を解決するのだが、それだけではなく、ちゃんとロマンスも用意されている。相手は自動車修理工場の経営者。こうなると、ますますもってアメリカのミステリーの雰囲気に似てくる。アメリカのアイダホかどこかで、牧場主だった父親が亡くなって、残された一人娘が、その牧場を売って探偵事務所を開く。彼女の恋人は、ハイウェイ沿いにある自動車修理工場の経営者……と言うことにしても全く不自然ではない。そしてそこがこのミステリーの魅力である。いかにもアフリカのミステリーでござい、と言うのでは、あまり食指は動かない。 サブタイトルに、「ミス・ラモツエの事件簿 1」とあるから、「2」「3」と続くのだろう。小生の「すごくないミステリー・シリーズ」の一つに加えなければならない。 |
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2003年12月9日 23時40分00秒
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アメリカのミステリーのジャンルの中に、「ローカルもの」と名付けていい作品がある。ニューヨークやシカゴやロサンゼルスではなく、ほとんど誰も知らない小さな町を舞台にしたミステリーだ。ローカル色が強く、ストーリーもその町の中で完結する。 このミステリーの特徴は、登場人物が全員、顔見知りだということである。親戚であったり、幼馴染みだったりする。町のおまわりさん(刑事なんて、格好いいのは出てこない)は、全住民の顔と名前を知ってるし、ジャックの家の犬が、サリーばあさんを噛んだと言うような大事件が起こると、おっとり刀で駆け付けることになる。もちろん、殺人事件など、この50年来、起こったことはない。 しかし、この手のミステリーも、なかなか楽しい。異常性格の人間が大都会の夜の闇の中を徘徊したり、金のない私立探偵のところに、なぜか必ず美人の依頼人が訪れたり、と言うようなミステリーに飽きてきたら、ローカル・ミステリーがお勧めである。 そういうミステリーの一つが、リリアン・ブラウンの「猫」シリーズである。 「猫は殺しをかぎつける」「猫はコインを貯める」「猫は火事場にかけつける」など多くの作品が訳出されているが、このシリーズの舞台になっているのは、中西部のムース郡にあるピカックスという町。そこの地元新聞にコラムを書いているクィラランを主人公に、その愛猫の活躍(じつはなにもしないで、クィラランを馬鹿にしているだけ)を描いている。 しかし、このシリーズ、日本でも23冊訳出されているのだから、考えてみればこの町、小さな割にはよく事件が起こる町だ。 |
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2003年11月29日 16時40分00秒
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アメリカのミステリーなどを読むと、どうやら初対面の人同士は、次のように挨拶するらしい。
「はじめまして。私はウィリアム・ジョンソンです」 「はじめまして。私はアンソニー・ブラウンです」 「よろしくお願いします。ミスター・ブラウン」 「こちらこそよろしく。私のことはトニーとよんでください」 「では、私のことはビルと言ってください」 「ところで、ビル、この前の見積り書のことですが」 「なんでしょう、トニー」 これを日本に当てはめるとこうなる。 「はじめまして。私は鈴木純一郎です」 「はじめまして。私は山本健一です」 「よろしくお願いします。山本さん」 「こちらこそよろしく。私のことはけんちゃんとよんでください」 「では、私のことはじゅんちゃんと言ってください」 「ところで、じゅんちゃん、この前の見積り書のことですが」 「なんでしょう、けんちゃん」 こんなこと、日本人だと恥ずかしくてとうてい言えないと思うのが、アメリカ人って、どっかおかしいよな。 |
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2003年10月30日 11時23分00秒
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出だしの1ページ目に「かつての裁判所の跡地からせいぜい6番アイアンの距離しかないところにあるこの酒場は……」と言う描写があるのが、ロバート・アピトンの「楽園の不運な紳士たち」である。なんと6番アイアンの飛距離である。これはただごとではない。 普通だったら、2ブロックとか、150メートルとか書くところである。それが6番アイアン。なにしろミステリーである。読む方としては、ひとつひとつの描写に注意を払わなければならない。これは伏線になっているのではないか、事件解決のヒントが隠されているのではないか、と疑心暗鬼でページを繰っているのだ。ちょっとでも引っ掛かるところがあると、気になってしかたがない。そこで主人公の私立探偵、マガフィン氏の6番アイアンの飛距離を確認するべく、読み進むことになるのだ。このマガフィン氏、16歳の時に78で回ったと言うから、それなりの腕前だったことは間違いない。しかし、現在はただのアル中の中年男で、6番アイアンの飛距離も大分落ちているに違いない。 読み進む内に、マガフィン氏がプレイするシーンにぶつかった。ちょうど6番アイアンで打つショートホールが出てきたのだ。このショートホールでは同伴プレイヤーが5番アイアンで打つところを6番で打っている。やはり飛距離には自信があるのだろう。しかし残念なことに、このショートホール、何ヤードかは書いてない。そこで仕方なく、マガフィン氏の他のクラブの飛距離から類推するしかない。 ヤード表示のあるところと言うと、グリーンまで220ヤードと言うところから、スプーンで軽く打つ、という描写が出てくる。その後、ちょっと砲台になっているグリーンまで235ヤードと言うところで、今度はアイアンで打って、グリーンを捉えると書いてある。アイアンとしか書いてないが、多分、2番か3番アイアンだろう。しかし、220ヤードをスプーンで、235ヤードがアイアンと言うのも、よく分からない。 ともかく、235ヤードが2番アイアンとすると、3番で220ヤード、4番で205ヤード、5番で190ヤード、そして6番アイアンで175ヤードと言うことになる。すなわち、「かつての裁判所の跡地からせいぜい6番アイアンの距離しかないところにあるこの酒場は……」と言う文章は、「かつての裁判所の跡地から175ヤードしかないところにあるこの酒場は……」と言うことである。 しかし、最後まで読んだが、この部分、全然伏線なんかにはなっていなかったな。 |
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2003年8月12日 11時20分00秒
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今回は、ガブリエル・クラフトの「ブルショット」。ガブリエル・クラフトと言う作家も知らなかったが、「ブルショット」と言うのも、なんのことだか分からない。そこで「ブルショット」を知らない人のために、この本の帯の裏に、「ブルショットの作り方」が図入りで書いてある。 (1)ブイヨンをお湯で溶かす。(2)ウォッカを加える。(3)できあがり! だそうである。この帯だけ見ても、本書がすごくないミステリーであることが分かる。 ところで本書には、めったやたらに有名ブランドの名前が出てくる。主人公が腕時計を見るところでは、わざわざ「ダンヒル」と書いているし、車はメルセデス・ベンツ280SE、財布はグッチ、置き時計もダンヒルで、パジャマはピエール.カルダン。 こうなると、もうブランド名が書いてないと気になってしかたがない。主人公がスリーピース・スーツに身を包むところでブランド名が書いてないと、なんでアルマーニじゃないんだ? ネクタイはなんだ? と切りがない。 しかし、ともかく楽しめるミステリーであることは間違いない。ちなみに本書はアメリカ探偵作家クラブのペイパーバック部門にノミネートされたそうだ。ノミネートされただけで、受賞はしなかったのだが、その時の受賞作が、前にご紹介した、シャーリン・マクラムの「暗黒太陽と浮気娘」である。しかし、なぜそっちが受賞して、本書が受賞できなかったのかは不明。同じようなものだと思うんだが。 ところで、本書では大形冷蔵庫から死体が転がり出てくるところがあるが、前述したダニエル・チャヴァリアの「バイク・ガールと野郎ども」にも犯人が死体を冷蔵庫に仕舞い込むところが出てくる。どうやらあちらの大形冷蔵庫は犯罪に使われることが多いらしい。そこでFBIでは、大形冷蔵庫を購入する場合には身分証明書の提示を求めることになった。 ところがこれに対して、全米冷蔵庫協会が猛反発。冷蔵庫を持つのは建国以来の国民の権利だと言うことで、議会に対するロビー活動を活発化させている。全米冷蔵庫協会はご存じの通り、共和党の票田だし、大統領選挙が迫ってきている今、アメリカを揺るがす大問題になってきている。 |
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2003年8月2日 0時20分00秒
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アメリカの私立探偵には、いろいろ変わった専門ジャンルがあるようで、前回ご紹介した「ステファニー・シリーズ」では、逃亡者逮捕請負人と言うことだったが、ローン滞納自動車の回収と言う仕事もある。ジョー・ゴアスの「ダン・カーニー探偵事務所シリーズ」がそれだ。まあ、私立探偵の仕事も競争が激しく、得意の分野に業務を特化していかなければ、生き抜いていけないのかも知れない。 さてこのシリーズ、所長のダン・カーニーはじめ、事務所の面々のキャラクターが多士済々で、なかなか楽しいシリーズなのだが、その中の一冊『32台のキャディラック』では、途中でなんと、あの「ドートマンダー」が登場してきた。 「ドートマンダー」と言えば、皆様ご存じの、ウェストレイクによる傑作シリーズの主人公である。この「ドートマンダー・シリーズ」でいつも車の運転を任されているのが、スタンと言う男。自動車の回収と言うことになれば、当然スタン氏にもお出まし願わなければ、ミステリー・ファンとしては満足できないところである。そこで今回はスタンとドートマンダーの登場と言うことに相成ったわけだ。まことにもってめでたい限りである。 どうやらジョー・ゴアスとウェストレイクがスペインで一緒に列車に乗っていた時に、このアイディアを思い付いたらしい。旅行中も小説の話をしていたわけで、なかなか仕事熱心なお二人である。今後もこの姿勢を崩さないでいただきたいと、両作家のファンとしてはお願いをしておこう。 ところで、この『32台のキャディラック』の中に、 「去年、マウイのカーナパリ・リゾートで開かれた私立探偵総会で……」 と言った記述がある。そんな総会、聞いてないなぁ。ちょっと教えてくれてもよかったのに。もしかしたら、憧れのステファニーに会えたかも知れない……。 |
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2003年7月6日 11時00分00秒
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今、ご機嫌なシリーズと言うと、ジャネット・イヴァノヴィッチの「ステファニー」ものだろう。すでに9冊訳出されていて、10冊目の翻訳が出るのを待っている状態だ。主人公のステファニー・プラムは保険会社の逃亡者逮捕請負人。要するに、保釈金を積んで釈放になった容疑者が裁判に出頭しなかった時に、探し出して裁判所に突き出す仕事だと思えばいい。 このシリーズ、第1作が『私が愛したリボルバー』、2作目が『あたしにしか出来ない職業』、そして『モーおじさんの失踪』と続く。しかし、面白いのは原題である。最初が『One for the Money』 2作目が『Two for the Dough』、3作目が『Three to Get Deadly』となっている。すでにお分かりのように、1から番号が付いているのだ。 そしてもちろん、作者のイヴァノヴィッチが、スー・グラフトンの「キシジーン」ものを意識していることは間違いない。『アリバイのA』『泥棒のB』と続くシリーズだ。原題は『”A” is for alibi』、『”B” is for burglar』である。そして主人公の設定もたいぶ違う。 キシジーンは、離婚歴2回、家族もなく、ジョギングを欠かさない。拳銃を持たせれば「撃ちたくはないけど、妙な真似をしたら容赦はしないわ」というような啖呵を切るが、ステファニーは全く正反対で、結婚はおろか、恋人をひとりにきめることすら出来ない。さらに、その家族と言うのが変人ばかり。ジョギングをするとすぐに横腹が痛くなるし、拳銃は、クッキーの缶に入れっぱなし。 まあ、キシジーンとステファニー、どっちがいいかはお好みの問題だが、この勝負、小生はステファニーに軍配を上げたい。何故かと言うと、アルファベトは26文字でお終いだが、数字の方は無限にあるからだ。 もちろん、好みから言っても、ステファニ−の方が小生の趣味に合っているのだが。 |
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2003年6月27日 23時30分00秒
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今回は、マーク・ショアの「俺はレッド・ダイアモンド」。「レッド・ダイアモンド・シリーズ」の第1作である。 主人公のサイモン・フィッシャーはニューヨークのタクシー運転手だが、趣味として、パルプマガジンやペーパーバックのコレクションをしている。その数、数千冊。 彼のお好みは、「タフガイ小説」、いわゆるハードボイルドである。西部劇、SFなんかには興味がないらしい。そして彼が崇めているヒーローは「マイク・ハマー」であり、「リュウ・アーチャー」であり、「サム・スペイド」であり、「フィリップ・マーロウ」であり、そして「レッド・ダイアモンド」なのだ。ええ? レッド・ダイアモンドってだれ? と言う疑問を持つ方は、相当のミステリー・マニアと言える。もちろん、そんなヒーローは存在しない。これはマーク・ショアがこの作品のために創作したヒーローなのだ。 ところで、このサイモン・フィッシャー、ただフィクションの中で、ヒーローたちを崇めている分には、なんの問題もなかったのだが、ある日、彼の妻が、あろうことか、そのコレクションを全部、売り払ってしまったところから、話はやっかいな方向に向かう。その日から、気の毒なサイモン・フィッシャー君は、頭の中の配線が狂ってしまった。どう狂ってしまったのかと言うと、自分が、「タフガイ小説」のヒーロー、すなわちレッド・ダイアモンドだと思い込んでしまったのである。そして彼は、悪人たちに向かって、敢然と戦いを挑むことになる。 と、まあ、なんともお気楽なミステリーなのだが、最後の解説に書いてある、ハードボイルドのヒーローたちの注釈はお読みになって損にはなりませんよ。 しかし、蔵書をすべて売り払われると、頭の配線が狂ってくると言うのは、他人事ではない。小生の狭い家も、そろそろ本で満杯である。多分家内は……。 |
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2003年6月13日 23時30分00秒
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今回はなんと、カーター・ブラウンである。古いね〜〜〜、と言われれば、確かに古い。小生の書棚を見てみたら、「ちか目の金魚」は、1966年の初版本だ。もちろん、ハヤカワのポケミスだが、その定価が230円! 派手なハードボイルドと言えばミッキー・スピレインって時代に、カーター・ブラウンを読もうってんだから、その頃からけっこうひねくれたミステリ−・ファンだったことが分かる(分ってどうする?)。 しかし、なんで今さらカーター・ブラウンかと言うと、前回ここで、ミステリーではストーリーに関係ない会話が楽しいと書いた、まさにその通りのことを、カーター・ブラウンの「ダムダム」の訳者解説に書いてあるからだ。それではその訳者は誰かと言うと、これはもう、言うまでもなく、我が田中小実昌さんである。 このミステリー、事件が起こる場所が禁酒法時代に建てられたアメリカ西海岸の別荘。コミさんはその家の描写がえらく気に入ったらしい。その部分を全部引用するのは面倒だからやめておくが、解説でコミさんはこう書いている。 「ミステリのストーリーなんかより、作者のカーター・ブラウンのそういう言いかたに、ぼくはうれしくなってしまう」 そうそう、そうなんですよ、コミさん。 そしてその解説の最後に、コミさんはこう記している。 「ぼくはかるがるしい人間で酔っぱらっては、かるがるしい、バカな冗談ばかり言ってるが、それを見こまれたのか、カーター・ブラウンのかるいタッチのミステリを、いくつも訳させてもらった。 カーター・ブラウンの作品は、かるく、おもしろく、そして、ペ−ジ数もそんなに長くないので、長い日数をかけて訳すこともなく、これまた、なまけ者のぼくにはありがたい」 そうそう、そうなんですよ、コミさん(まただ)。当サイトでは、このコミさんの言葉をもって、「すごくないミステリー」の定義といたしたい。 ……で、「ダムダム」って、どんなストーリーかって? だから、ストーリーなんかどうでもいいんだって! |
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2003年6月2日 23時30分00秒
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ミステリーにとって、一番どうでもよいことは、「真犯人はだれだ」と言うことである。どうせ登場人物の中の一人に決まっている。びっくりする程のことではない。人間、長く生きていると、大抵のことには驚かなくなるものだ。なに? 犯人は被害者の妻だって? よくあること、よくあること……、と言うような境地に達するわけである。 それではなにが面白くてミステリーを読むのかと言うと、登場人物の間で交わされる会話の楽しさがけっこう大きな比重を占めている。物語のストーリーには直接関係のない会話が、実は楽しい。言ってみれば、無駄口、へらず口の類いである。 そこでお勧めが、ウォーレン・マーフィーの「トレース」シリーズだ。「二日酔いのバラード」、「伯爵夫人のジルバ」、「愚か者のララバイ」など、何冊も訳出されている。主人公は、保険会社の調査員をしているトレースというアル中の男。そして相手役が「チコ」というイタリア人と日本人の混血美女である。 この二人のやり取りが楽しい。こういう設定だと、だいたい女性の方がしっかりしているというのが常道だが、このシリーズでもやはり、チコの方が一枚上手。トレースがチコに内緒で付けている日記をチコが読んで、そこから犯人を見つけだしてしまうと言う仕掛けだ。 その二人の会話の一例をあげると、 「フジサンの高さは何フィートでしょう」 というチコの質問に、もちろんトレースが答えられるわけはない。 「1万2千3百6十5フィート。どうして知ってると思う? 1年は12カ月。365日でしょう? それがフジサンの高さよ」 これなど、話の本筋には全然関係がない。だが、この小説を読んで何年たっても、覚えているところはこういうところなのだ。犯人なんかとうに忘れちゃってる。 しかし、作者のウォーレン・マーフィー、富士山の高さが12365フィートで、12カ月+365日だって気がついた時には、「これは使える!」と膝を打って喜んだことだろうな、きっと。 |
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2003年5月31日 14時30分00秒
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今回ご紹介するのは、ウィリアム・マーシャルの「銀行は死体だらけ」。こういうタイトルのミステリーだと、必ず買ってしまう。ところでこのミステリー、どんな小説かと言われても、とうてい一口では説明できない。ちなみに、帯にある本書の書評を書き抜いてみると、「マーシャルは、サスペンスとユーモアを操る類いまれな才能の持ち主だ」(ワシントン・ポスト)。「抱腹絶倒。シュール。強烈。この魅力に読者は逆らえない」(サンフランシスコ・クロニクル)。「奇妙な幻想、奔放な人物像が生み出す、なんとも雰囲気のある”濃い”小説」(フィラデルフィア・インクワイアラー)。「とてつのないユーモア、リアルな捜査の様子と緊張感、巧みなアイロニー、スリルに充ちている」(シカゴ・トリビューン)。これではどんな小説なのか、全く想像がつかない。となれば、読むしかあるまい。 ところで、この作品を取り上げた理由は、本書が面白いということだけではなく、巻末の解説を直井明氏が書いているからなのだ。この直井氏には「87分署のキャレラ」という傑作ミステリー・エッセイがある。ご存知、エド・マクベインの「87分署シリーズ」の主人公、スティーブ・キャレラに材を取ったクロノロジーなのだが、この書きっぷりがなとも楽しい。 たとえば、アメリカ政府発表の物価指数と、ミステリーの価格の推移、さらにはコルト・ディテクティブ・スペシャル(ミステリーに登場する最もポピュラーな拳銃)の価格の推移を比較し、その価格の上昇率が、物価指数と同じであることを発見して、ミステリーも拳銃も消費物資であることを立証している。こういう真面目で、なおかつ「経済的に正しい」ミステリー評論、なかなかお目にかかれるものではない。そしてそういう直井氏が解説を書いているのだから、「銀行は死体だらけ」も、お読みになって決して損ではありませんよ。 |
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2003年5月24日 23時10分00秒
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イギリスと言う国には、どうやらどうでもいいようなことを真面目に議論する風土があるらしい。例えば「地球は平らだ協会」と言うのがある。「地球が丸いなんてことがあるわけないじゃないか。地球は平らに決まっている」ということを、大真面目に論じあう協会なのだ。 エリザベス・ピーターズの『リチャード三世「殺人」事件』という小説では、かの悪名高いリチャード三世の無実を実証しようと言う「リカーディアン団体」のメンバ−たちが登場する。日本で言えば、「吉良上野介は悪くない協会」みたいなものだ。もちろん、そんな団体はないだろうが。 この「リカーディアン団体」の会員たちが集まる仮装パーティの場で殺人事件が起こる。この仮装パーティ、会員たちがリチャード三世当時の服装でパーティに出席するのである。 と、ここまで書いて、シャーリン・マクラムの「暗黒太陽と浮気娘」を思い出した。まあ、わけの分からないタイトルだが、こちらは、アメリカのSFファンの集いにおける仮装パーティで、やはり殺人が起きる。どうやら仮装パーティには殺人事件がよく似合うようだ。たしかに、みんなが仮装をしているのだから、犯人も身元を隠しやすい。 しかし、日本では仮装パーティの伝統がないので、せっかくこう言ったミステリーを読んでも参考にはならない。もしどこかで仮装パーティをやっているという情報があったら、是非お知らせください。小生も参加して……。 |
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2003年5月20日 21時10分00秒
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海外のミステリーを読んでいると、その国その国で、殺人の方法が違うのが面白い。殺人にもお国柄というものがあるのが分かる。 アメリカだと圧倒的に拳銃による殺人が多い。国民みんなが殺人の武器を持っているわけだから、アメリカのミステリーでは殺人方法をめぐる謎は殆ど存在しない。アメリカ人は、「どうやって殺すか」に頭を悩ませる必要がないのだ。わざわざ密室を作ってみたり、あるいは時刻表を見ながら、10時03分発のひかり119号に乗っているおれが、どうやって11時に岩手県の宮古で人を殺すか、などということを考えることはない。まあ、考えようとしても無理だろうけど……。日本人は、拳銃のような便利なものを持っていない人が多いので(小生だって持っていませんよ、ほんとに。ほんとだってば!)、刃物で刺すか、首を絞めるかと言った、被害者と密着した殺人方法をとることが多い。まあ、あまり美しい殺し方とは言いがたい。そこへ行くと、ミステリーの本場イギリスでは、ただ相手に向かって拳銃をぶっぱなす、と言った単純な方法では満足できないのだ。 たとえば、ナイジェル・ウィリアムズの「ウィンブルドンの毒殺魔」では、主人公のヘンリー氏は、殺人の方法を考える時、 殺人の方法は不必要に複雑なものであってはならない、と彼は感じた。それはすっきりとして美的な側面を持っていなければならない。 と言うこだわりを持っているのだ。さすがに伝統と格式を重んじるイギリス人らしい考え方と言えよう。 このヘンリー氏が殺そうと思っているのは、彼の奥さんのエナリーなのだが、ミステリーではご主人が奥さんを殺すと言うパターンがけっこう多い。世の中にはそう言う男性が多いのかもしれないが(小生は違いますよ、ほんとに。ほんとだってば!)、それをいかにもイギリス流に、ユーモアたっぷりに描いているのがこの作品である。イギリスにはこう言うユーモア・ミステリーがけっこうたくさんある。イギリスの推理作家協会には「ユーモア賞」という賞も設定されている。マイケル・ピアスの「警察長官と砂漠の略奪者」も、この賞を受賞している。日本でも、こう言う賞ができないものか。いや、できないだろうな、きっと。 |
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2003年4月30日 23時45分00秒
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ミステリーには、いろいろな犯罪者が登場してくるが、その中で、小生のポイントが高いのが詐欺師である。その理由は、次の三つである。(1)人を殺さない。(2)頭がいい。(3)被害者に同情しなくていい。 なにしろ、異常心理の持ち主が主人公で、理由もなく人を殺すサイコ・サスペンスだとか、腕力と銃器で相手をやっつけるアクション小説なんかでうんざりしている時に、詐欺師の活躍するミステリーには捨てがたい魅力がありる。 しかし、詐欺師なら何でもいいかと言うと、決してそうではなく、いわゆる寸借詐欺みたいな小粒な詐欺では、小説としては面白くない。かつて、エッフェル塔を売ってしまった詐欺師がいたらしいが、そのくらいのスケールの詐欺であって欲しいものだ。 そこで今回ご紹介するのは、マイク・バタワースというイギリスの作家の「アルバート公売ります」と言う作品。アルバート公と言うのは、プリンス・アルバートの記念碑で、ケンジントン公園に立つ180フィートの塔である。このイギリス人にとっての国民的記念碑を、二人のイギリス人が、アメリカはテキサスから来た億万長者に売り付けようと言うのだ。 まあ、うまく売り付けられたかどうかは読んでのお楽しみだが、しかし、詐欺師が目を付けたのが、テキサスから来たアメリカ人というところがおかしい。イギリス人が、いかにアメリカ人を馬鹿にしているかが良く分かるのだが、しかしアメリカでもこれがニューヨークやボストンから来た男ではまずいらしい。やっぱりテキサスじゃないと話が進まないのだ。多分、ニューヨークやボストンとなると、イギリス人にとっては親戚みたいなもので、親近感があるのだろう。また逆にサンフランシスコやロサンゼルスだと、馬鹿にしていいのかどうか、判断に迷うところだ。そこでテキサスということになったわけだ。これを日本に当てはめると……、いや、止めておこう。あぶない、あぶない。 |
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2003年4月19日 15時45分00秒
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