17歳で、春だった。
 
 


  華音町バッドラビッツ
 
  #01 死神はネコ型ロボットのように


 
 
 
「あったかいね〜」
「だなぁ」
 名雪の声にしみじみと相槌を打つ。爽やかな風がひとつ、頬を撫でていった。
 祐一がこの街に来て4ヶ月になる。あれだけ積もっていた雪も今ではすっかり溶け、それどころか桜の花もすっかり落ちて、祐一の学校生活は5月を迎えていた。もう3年生、つまりは受験生だ。
「だのに、なぜ俺達は今こうして早朝マラソンに勤しんでいるのだろう」
「何がだのになのかよくわからないけど……ごめんね祐一」
「謝るのはいいから早起きをしろ!」
「努力するよ」
「努力はいいから結果を出せっ!」
「う〜でも、努力は大事だよ……」
「時間!」
「え? えーと……」
 名雪が走りながら腕時計に目をやる。
「……う〜」
「……まだ、終わるには早いぜ」
「そうだね、そうだよね」
 名雪は救われたような笑顔を見せる。祐一もそれに会心の笑みで応えた。
「だけど明日からは、もう少し早く起きような」
「……はい」
 スピードをまた一段階上げる。全速力に近い。だいぶ慣れたマラソンも、さすがにこの速度はキツい。
 新学期が始まって一月。すでに10回目を迎える、相沢水瀬コンビ遅刻の危機だった。
 これもまた、日常。
 
 だけど、どんなに日常を過ごしても。
 この胸のわだかまりは、一向に消え去ってくれなかった。
 
 
 学校。3時間目の、休み時間。
「なあ」
「んんー」
 遅刻しかけるほど寝坊したにもかかわらず、限りなく糸目の名雪に祐一は質問をぶつけてみることにした。
「昨日の夢でさ、机の引き出しから女の子が出てきたんだよ」
「ん」
「で、そいつバカでかい鎌なんか持っててさ、自分は死神だとか言い出して、俺の命はあと半年だーとか宣告しやがったんだ」
「んー」
 身振り手振りで解説。名雪は曖昧に相づちを打つ。
 こいつちゃんと聞いてんのかと不安になりながらも、祐一は名雪の方にポンと手を置いて言った。
「これ、どう思う?」
「……」
「……」
「おしゃまんべ……行きたい……」
 ダメだ。完全に寝ぼけてやがる。祐一は溜息をついた。
 そこに、
「何、何の話?」
 香里がなぜだか嬉々としながら二人の間に割り込んできた。
 正直、このクラスメートにこういう話をするのは気が引けるのだが、しかしこの際だ。祐一は名雪にした話を香里に向かって再度復唱した。身振り手振りをグレードアップさせて。
 結果。
「そっかー。相沢君死ぬのかぁ」
 なぜに笑顔。
「つーか、俺は割とマジメに話してるんだが」
「そうねぇ、あと半年だものね。短いわ」
「だよなー……ってそうじゃなくて」
「しかも女の子だって。可愛いの?」
「いやだから」
「うん。わかってるわよ」
 すでに机に突っ伏して夢の世界へ旅立っている名雪の髪をいじりながら、香里は呟くように言った。
 祐一はその様子に、少し気圧されるものを感じる。
 香里は続けた。
「あまり気にしすぎるのは、良くないわ」
 それきり、黙々と名雪の頭をいじくりまわす。散々バカにされるものだと思っていた祐一は、すっかり拍子抜けした。
 教室に賑やかな笑い声が響く。
「……まあ、死ぬ夢を見た方が長生きできるって言うしな」
「そういうこと自分で言うのって、変」
 香里は笑った。そのとき授業開始のチャイムが鳴って、みんな自分の席に戻っていく。香里もできあがり、と一言言うと席に戻っていった。
 残された名雪の頭の上に、二つのおだんごができていた。
 
 でも、どんなに日常を過ごしても。
 この胸のわだかまりは、一向に消え去ってくれなかった。
 
 
 
 結局そのおだんごは授業中もそのままで、自分の髪の異変に気付かない名雪は放課後の部活のときまでずっとミッキーマウス状態だった。面白がって誰も教えてやらないクラスの奴らもひどいと思う。まあ、同じく知らんぷりを決め込んで楽しんでいた祐一が言えたものではないのだが。
 窓の外は陽が沈みかけていて、空はオレンジに染まって、グラウンドでは生徒たちが部活動に汗を流していた。ポニーテールの名雪の姿も見えた。
「水瀬、髪直ってる?」
 横で斉藤と囲碁を打ってる北川が訊いてくる。
 放課後。囲碁部の部室に充てられた3階の隅っこの教室。
 北川がニヤケ顔なのは祐一の視線の先を読んでいたからで、図星だった祐一は顔をしかめながら「ああ」と適当に返事を返した。
 空、校舎、遠くの街並み、木々、ハードル、揺れるゴールネット、鉄棒。
 つらつらと無造作に動いていく視線は、気がつけばいつも従姉妹のクラスメートに留まっているのだった。
 別に、胸がキュンしたりキュネがムンしたりするわけではないのだが。
「ずいぶん黄昏てるな」
 名雪の髪ネタで斉藤とひとしきり笑い合った北川が、話しかけてくる。
「あー……別に」
「女の悩みならこの北川潤様にまかせたまえよ」
「違う、そんなんじゃねえって」
 そう言ってから祐一は、広義ではこれも『女の悩み』とやらに当てはまる、と考え直した。
 ちらりと横目で北川の顔を見る。
 バカでクラスメートで友人の北川の顔を見る。
 その顔は妙に、頼り甲斐があるように見えた。夕日を浴びてオレンジに染まるその表情は妙に、たくましく見えた。
 惚れたぜ、北川!
「話す気になったか!」
「ああ。北川、実は俺、昨日……」
 そうして祐一は、名雪と香里にした話を再々度復唱した。身振り手振りをウルトラアップさせて。
 結果。
「つまりお前は、その死神ちゃんに惚れちまったわけだなっ?」
「ああ、そうだよ北川! よくわかってくれた北川っ!!」
 ひっしと抱き合う男二人。
「……って違ぇよ!!」
 物凄い勢いでノリツッコミ。その勢いで北川をやおらぶん投げる。北川が床に頭をしこたまぶっつける。
 北川キレる。
 放課後の教室で男二人の碁石と魂が交錯した。
 青春テンテケテケテケ。
 
 しかし何度も言うが、どんなに日常を過ごしても。
 この胸のわだかまりは、一向に消え去ってくれなかった。
 
 
 
 
「で、だ」
 祐一は自室のドアをおそるおそる開いたところで、盛大に溜息をつく。
 そして目一杯顔をしかめながら、カーテンの開け放たれた部屋の、夕日を浴びながらベッドに腰掛けている、見知らぬ少女に、声をかける。
「お前はなんで、ここにいるわけ?」
「あなたを担当する、死神だから」
 祐一はもう一度、幸せなんて何もかもふっ飛んでいくような勢いで溜息をついた。
 
 夢だと思いこむことは、途中からとっくにあきらめていた。
 だけど。
 今こうして目の前で、朝に「いってらっしゃい」とありがたくない笑顔で手を振ったそいつが「おかえり」と妙に明るいニコニコ笑顔を見せていると、がっくりと体が重くなるのだった。今すぐドアを閉めて木の板と釘で封印して全てをなかったことにしたくなるのだった。
 まあこいつは窓も割れるしその気になれば壁もすり抜けられるらしいので、どのみち無駄なのだが。
「学校、楽しかった?」
「おかげさまで。日常の幸せを精一杯噛みしめてきた」
「それはなにより」
 うんうんと頷いて、ひょいと立ち上がる。頭の両側で二つにまとめた長い黒髪が揺れる。
 黒いワンピースに黒い靴。じっと見つめていると吸い込まれてしまいそうな黒い瞳。
 黒ずくめの少女。
「あの、バカでかい鎌は?」
「見たいの?」
「いや、遠慮する」
 心臓に悪いからな。
「んで──名前、なんつったっけ」
「ハナ」
「そう」
 花子だから、ハナ。
「そのハナさんは、その、一体、何をやっているわけ?」
 ごそごそ。勝手に人の机の引き出しを漁る、不振人物が一人。
「不思議だよねー。私、こんないっぱい物が詰まってるただの引き出しからどばーんって出てきたんだもん。信じられない」
「俺はお前の存在自体が信じられない」
「うそ。もう、信じてるでしょ」
「信じてても信じられないって言っとかないと。なんつーか、引き替えに何かを失う気がする」
「もう、失ってるよ」
 中空に差しだした死神の手のひらが黒く霞んだかと思うと、突然大鎌が現れる。彼女の手に握られた柄から生えた鈍く光る刃先が、祐一の首に添えられる。
「残りの人生」
「半年だっけ?」
「そう」
 黙って、見つめあう。十秒、二十秒。
 先に目を逸らしたのは死神だった。
 同時にあれほど大きな鎌も手のひらの黒い渦に吸い込まれ、消える。
「今、殺されるかと思ったよ」
「ばか。そんなことしないわよ、規律違反だもの」
 祐一は不覚にも汗が滲んだ手のひらを制服のズボンに擦りつけながら「規律ね」と呟いた。
「それに、もったいないもん」
 てってってっと窓際まで歩いていったハナは、振り返って笑顔でこう言った。
「あなたとなら、楽しい同居生活が送れそう」
 祐一はそれに微笑みで応えた。精一杯の、迷惑そうな笑顔で。
 その時ドアが二度、ノックされた。続いて廊下から名雪の声。
「祐一〜。ご飯だよ」
「……だって」
 笑顔のハナに胡散臭そうな視線を送って。
「ああ、今行く」
 祐一は死神の居る部屋を後にして、家族の待つリビングへと向かう。
 
 
 
 
 17歳で、春だった。
 
 だけど俺の寿命は、あと半年なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
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