「午後五時半のラブソング」
これは、わたしの恋に関する「うた」だ。
現在この高校の2年生でわたしにとっては先輩にあたる、またサッカー部の部長も務めているという、背が高くて日に焼けた彼はわたしの数歩前で歩みを止めた。場所は、校舎裏。
「ごめん、いきなり呼び出したりして」
彼は振り向くと、クラスメイト曰く「超カッコイイ」、友達の香里曰く「ジャニーズっぽい」顔を微笑ませながら言った。ジャニーズっぽい、なんてよくわからないたとえをするのがあまり芸能人とかに興味のない香里らしい、とか場違いなことを考えながらわたしは曖昧に微笑み返した。
「今日、確か部活無かったよね」
うん、久しぶりの休み、とわたしは返した。皮肉のつもりだった。けれど彼はなんてことのない顔で「すげー気合い入ってるよね陸上部。大変じゃない?」と訊いてくるだけだった。
「大変だけど、大会も近いし」
「大会ね。俺等また予選落ちでさぁ」
校舎にもたれかかった彼はへらへら笑いながら言う。このまま世間話を続ける気はさらさらなかったので、わたしは訊いた。
「あの、今日はその、どういったことで」
突然わたしのほうから切り出されたことからか、彼は少し焦った表情をした。野暮ったくない感じの坊主刈りの頭を掻きながら「えーと」などと呟いている。
まあ、大体の予想はついていた。彼はこちらに向き直ると意を決したように言った。
「……好きです、付き合って下さい」
なんで急に敬語?
それがわたしの頭に初めに浮かんできた言葉だった。いつもならそのあとにお決まりの台詞を言ってはいおしまい、となるはずだったけれど、今日は少し状況が違った。わたしは訊いた。
「由香ちゃんには、なんて返事したんですか?」
由香ちゃんとはわたしのクラスメイトの名前だ。昨日、目の前にいるこの先輩の男子生徒に手紙を渡した。ラブレター。わたしはほかの友達と一緒に彼女の付き添いとしてその現場にいた。その時彼は返事を保留していた。
彼はえ、と呟くとわたしから目をそらして言った。
「断った」
「それで、なんでわたしなんですか」自分でもらしくないと思うほど嫌味っぽい口調だった。「わたし、あなたとは昨日のあの時しか会ったことないんですけど」
すると彼はこんなことを言い出した。
「でも俺は、部活で走っている君をいつも見てた」
もう6月で夏も近いのにちょっと寒気がした。部活でいつも同じグラウンドで練習しているのでなければ、もしくはこの超カッコイイとかなんとかな顔でなければ110番を押していたかもしれない。
話にならない。ごめんなさいとでも言ってすぐにでもここから走り去りたいと思った。
けれど、なぜか口をついてでた言葉はその気持ちとはまったく裏腹なものだった。わたしはいつのまにか言っていた。
「少し、考えさせて下さい」
それから自分の教室に戻ったわたしは、放課後クラスの友達と連れ立って駅前に新しくできた洋菓子店に行くという予定をキャンセルした。とてもそんな気分じゃなかったのだ。
みんなは口々に「なんで?」と言う。残念がってくれる子もいた。けれど、わたしのほうがよっぽど残念な気分だった。
由香ちゃんがさっきの先輩に手紙を渡しに行ったのは、昨日の昼休みのことだった。
彼、特にその容姿は全校でも評判で、サッカー部の部長ということも相まってクラスのほとんどの女子は話が男の子のことになるたびに彼のことをあれこれと話す。中には追っかけみたいな子までいて、とにかくすごい人気だ。
もちろん彼以外にも話題に及ぶ男子はいろいろといるのだけど、その中でも彼はダントツの人気ナンバーワンだった。わたしにはあまり興味のない話だったけれど、噂では週に一回のペースで告白されるらしい。上級生下級生あらゆる方面から。そして、それは由香ちゃんも例外ではなかったということだ。
由香ちゃんはどちらかといえば控えめな子で、手紙は彼のことが好きだという彼女に友達が半ば面白がって書かせたものだ。自信がない、付き添いが欲しいという彼女には元々告白する気はなかったようで、無理矢理友達にけしかけられている彼女が可哀想になったのかは自分でもよくわからないけれど、わたしも彼女の付き添いのメンバーになっていた。
励ましてあげるつもりだった。けれどいざ本番になると、緊張でがちがちになっている彼女をほとんど見ていることしかできなかった。元々告白の経験なんてほとんどないわたしだから、どんなアドバイスをしてあげたらいいのかもよくわからなかった。
そしてわたしは、彼を前にして顔を赤くしながら何も喋れないでいる彼女を見ているときにも、彼がどこか鬱陶しそうな表情を見せているときにも、羨ましいなぁ、などと考えてしまっていた。
今のわたしには、告白する勇気どころか相手すらいないのだ。
この少し前にはほかの友達も誰かに告白したと言っていた。高校に入って早くも二人目の彼氏をつくっている子もいる。周りにいるみんな、恋愛をしていた。
けれどわたしは、いつまでもあの頃に縛られたままだ。
好きな人がいる。わたしの、手の届かないところに。
家に着いてもまだ時刻は4時をまわっていなかった。普段は部活をやってから帰宅するから平日のこの時間に家にいるのは随分珍しいことだ。この時間はまだお母さんは帰ってきていないらしく、わたしは合い鍵を使って家に入るとそのまま二階の自分の部屋に向かった。
私服に着替えてからリビングに戻る。
喉が渇いていたからキッチンで紅茶を入れる。少し手間はかかったけどどうせ暇だったし。
ソファーに座ってテレビの電源をつける。普段あまり見ることのない、ニュースやドラマの再放送などをやっていた。わたしは前に見た記憶のある再放送のドラマを見ながらカップに口をつける。そうしながら、今日あったことについて考えようとした。でも、ボーっとした思考はまともに働いてくれなくて何も考えられなかった。
ひとりで飲む紅茶はあまりおいしくなかった。せっかくの部活が休みの日に、わたしは何をしているんだろうと少し空しい気分になる。
わたしは電話の子機を手にして、なぜだかよくわからないけれど緊張していた。
ちなみに子機を持っているのは右手だ。だから左手には、高校のクラス名簿。目線の先にある女子の出席番号34番のところに記されている名前は、美坂香里。わたしの高校に入って一番最初にできた友達の名前。
電話をしようと思ったのは本当に突然にだった。ただ誰かと話をしたいと思ったときにふと、今日はわたしと同じく部活がないと言っていた彼女の顔が浮かんだ。わたしはまだ出会ってから3ヶ月足らずの相手にしては不自然なほどの信頼感を彼女に抱いている。
ただ電話を彼女にかけるのは今回が初めてだ。間違えないように気をつけながら番号を押して、ベルの音を聞きながら少し待って、始めに電話を取った彼女の母親に香里さんに替わってほしいと言う。なんだか長く思えた時間の後、のんきな保留のメロディーが切れて。
「もしもし〜」
間の抜けた声だった。
「もしもし、わたしだけど。今ちょっといいかな?」
「いいけど手短にして。あんたと違って授業中ちゃんと起きてるから今寝とかないとだめなの」
失礼だった。
「香里ひどいよ〜。わたし授業はちゃんと聞いてるよ」
「はいはい。で、何の用?」
流された。
なんだかすごく心外。それはたまには寝ることもあるかもしれないけど……たまにじゃなくてかなりかもしれないけど……うぅ。
「はやくー」
急かされた。うー、なんか学校で話してるときと香里のキャラが違うような気がするよ。
ともかくわたしは、リクエスト通り単刀直入に用件を言うことにした。
「ねえ、香里ってさ……好きな人いる?」
受話器の向こうでちょっとだけ息を呑む音が聞こえたような気がした。
言葉だけを取ってみれば、出会ってから3ヶ月足らずの相手にぶつけるには早すぎる質問には見えないかもしれない。クラスの女の子たちともよくする話題だ。でもわたしは、もうちょっと真剣な意味合いをこめて訊いたつもりだった。それが伝わったのかもしれない、少なくともその瞬間はそう思った。
「いるわよ」
「ふ〜ん、やっぱり……ってええぇ−っ!?」
いるの!? ていうかそんなあっさり!
「何よ。あたしに好きな人がいると変?」
「え、ううん。でも、びっくり……」
じゃやっぱり変なのね、と受話器の向こうからちょっとぶっきらぼうな声が聞こえてくる。香里の好きな人。いったい誰なんだろう。いったい、だれなんだろう……
「ねぇ……誰?」
思いをそのまま質問にすることにした。あんまり回りくどいことは必要ないように感じたから。
少しの間。だけど、まずいことを訊いてしまったかなと思うほど長い間ではなくて。
答えは、わたしにとって意外なものだった。
「……あの人よ。サッカー部の部長。武原先輩。2年の。あんたも顔くらい知ってるでしょ?」
「ふ〜ん、そうなんだ……ってええぇ?」
思わず今度は間抜けな声を出してしまった。え?
「なによ。あ、あんたどうせ、またこいつもか、とか思ってるんでしょ。違うわよ。あたしあの人と同じ小学校だったんだけど、そのころに一回告白したことあるんだから」
ちょっと早口で香里が言う。わたしはまた「えぇ?」。香里があいつを好きだってことも、告白したことがあるというのも、すべてが意外だった。
「そこらへんのミーハーと一緒にしないでよね。あたし、なかなかあきらめきれなくてずっと今でも好きなんだから」
「ねぇ……あの人の、どういうところが好きなの?」
「え」
ちょっとの沈黙。香里は言った。
「だって、いい人じゃない?あの人」
顔が良いから、とかではさすがになかったけど……いい人かぁ。今日わたしがその彼から告白されたことを話すべきかちょっと迷った。そんなうちに香里が話し始めた。
「だって聞いてよ。あの人あたしが小4のときにね……」
彼についての話はこのあと30分間延々と続き、まだ勢いの衰えない香里になんとか言い訳をして受話器を置く。結局今日あったことことについては話すことはなかった。ていうか話せなかった。うーん、人付き合いって大変だ。
ただ、香里の言ったずっと今でも好き、という言葉が耳から離れなかった。
自分の部屋に入るやいなやベッドにダイブした。
枕に顔を埋める。なんだか、疲れていた。
手探りでけろぴーを探す。いた。引っ張り寄せて抱きしめる。ふさふさした感触が心地良くて、わたしは目を閉じた。
一瞬の、完全な静寂。その後にだんだんといろいろな音が耳に入ってきた。たくさんある目覚まし時計の秒針の音。遠くで走る車の音。外で遊ぶ子供の笑い声。普段は気にもとめない音。やがてそれも意識の外へ消えていった。
吹き付ける風が頬を伝って髪を揺らす。6月の風は、なんだかとても心地良い。
今、わたしはベランダに出ていた。部屋の空気を入れ換えようと窓を開けたときの風が気持ちよくて、つい。
わたしは手すりに身体を預けた。目の前に広がるのは、すっかり見慣れたはずのこの街の風景。少し向こうの交差点では子供達が縄跳びをして遊んでいた。
そういえば昔、小学生のころ、よくここから景色を眺めていたのを思い出す。
ここから見える街の姿は、そのころとほとんど変わっていない。目の前には住宅街が広がっていて、その先の細い川を越えると駅や商店街。駅近くに建ち並んでいるビルには昔はなかったものもいくつかあるけれど、その向こうに広がる空はあのころと同じだ。
手すりから身体を乗り出して空を眺めていたわたしは、買い物から帰ってきたお母さんに、家の前からいつも注意されていた。名雪ったらボーっとしてて、いつか落ちないかお母さん心配だわ。それほどまでに、そのころのわたしは空に見入ってたのだろうか。
でも、今はその気持ちがなんとなくわかる気がする。だって、今、空に広がっている紅い夕焼けが、本当に綺麗だったから。
だから、いつの間にか、わたしは歌をうたっていた。
もちろん鼻歌のようなものだったけれど。自分だけにしか聞こえないような、小さな声だったけれど。
どこかで聴いたことのあるメロディー。どんな歌だったかは忘れたし、そんなのはどうでもいいことで。
わたしは夕焼け空を眺めながら歌い続けた。声が、子供の遊ぶ声や車の走る音、そんな街の音に溶け込んでいく。
そうしていると今はまだ、このままでいいと思えた。
好きな人は手の届かないところにいる。
でも、どうせ男なんて星の数ほどいるのだ。
もしかすると、その星の中のどれかには、わたしたちとちょっと姿の違う生命がいたりして。そしてその中にもまた星の数ほど男がいる。
わたしのソロコンサートは5分ほど続いた。終了の合図は、家の前に立っていた買い物帰りのお母さん。
軽く手を振ったわたしに気付いたお母さんは、手に持っているものを掲げて見せてくれた。今日オープンした洋菓子店の菓子折。
わたしはすぐさま部屋に戻り廊下に出て、階段を駆け下りた。
今日もまた学校では恋愛話に花が咲いてる。
結局あのあとお母さんが買ってきてくれたイチゴのショートケーキに夢中になっていたわたしが、先輩の告白をすっかり忘れていたことに気付いたのは一週間後のお昼休みに彼が教室を訪ねてきたときだった。ちょうどその時、香里がトイレで教室にいなかったのは運が良かったとしか言いようがない。
わたしはすっぽかしていたことを悪いと思いながらも、やっぱりいつものお決まりの台詞。
あっさり戻ってきたわたしに友達は「また?もう何人目よ」と呆れたように言った。
「あんたも、少しは恋とかしたら?」
わたしはそんな彼女に笑顔で答える。
「恋なら、してるよ」
彼女はちょっと呆気にとられた表情。香里が教室に戻ってくる。彼女と放課後に百花屋に行く約束をする。
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